第16話 筋肉痛だから
翌日、仕事を始めながら、案の定マキノと遊は、筋肉痛でヒィヒィとうめいていた。
マキノの腕には点々と内出血の跡が残り,太腿やらあちこちが動くたびに軋むように痛い。
遊は筋肉痛は訴えていたが、さすがに腕に内出血はできてなかった。
「フトモモはわかるんだよ。低くなって構えたし。ふくらはぎもわかる。走ったり跳んだりしたでしょ。じゃあこの腹筋が痛いのはなんなんだろう?」
「マキノさんそれはね、ブロックによく跳んだからだと思うよ。」
「そうか、なるほど。あれは腹筋に力が入ってるのか・・。」
「丁寧に跳んでるから感心したよ。普通スタミナがきれて跳べなくなるのに。」
バレーの話をすると、楽しそうだった遊を思い出して思わず笑みがこぼれてしまう。
「ふふふ。遊、嬉しそうにバレーしてたねー。さすがだねぇ。」
「・・まあね。楽しかったね。でも、思ったほど動けなかった。」
「あれで?」
「うん。やってた時と全然違うな。カラダがウソだろってぐらい動かない。」
「そうか。そうだよね。私も経験あるよ。これぐらいなら走れるって思ってるのに、脳の記憶とカラダの衰えが一致してなくて転びそうになったもの。」
カランカランと玄関に着けたベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
モーニングの常連様だ。まだ主婦パートさんは来ていない。今日は誰だっけなイズミさんか。そして今日のお弁当の注文は全部で25個・・いつもより少し多い。サボれないんだなぁ。
マキノは、朝一番に炊いたご飯を保温ケースに移していたが、注文を聞くために遊にバトンタッチした。
「それ移したら、もう1ラウンド白いご飯を2升焚いてね。」と指示を出した。
おかずは、豚肉の生姜焼きがメイン。ナスのあげびたしと蒸し鶏とオクラのサラダ。
ナスとサラダはいつお客さんが来ても大丈夫なようにたくさん下準備して、ランチにも備えるため器にもりつけておいて、まとめてラップしておく。豚肉は昨夜から下味をつけてある。日替わりランチの生姜焼きは注文を聞いてから焼く。お弁当もなるべくできたてに近い方がいいから出発のギリギリに焼いてあげたいと思う。でも配達する時間も逆算しないとだし、遅れると本末転倒だし、理想と現実の両立はなかなか厳しい。
バタバタしているとイズミさんも出勤してきて忙しさの中に加わって動き始めた。
「イズミさんは筋肉痛はないですか?」
「ちょっとあるかな。でも、あんまりやってなかったからね。」
「そうかぁ。」
「若いわねぇ。明日くるのかもしれないね。」
「イズミさんだって若いじゃないですか。」
軽口を言いながら、お弁当のパックを並べて仕上げていく。10パック以上広げると店頭に来てくれているお客さんのためのスペースがなくなるので段階に分けての作業だ。
11時に最初の配達の10個ができあがって、イズミさんに配達をしてもらう。近所だからすぐ戻ってくる。次々と仕上げて配達を終える頃にランチのお客さんが入りはじめる。
ランチのお客さんが途絶えても、カフェのお客さんは断続的に続く。
3時にはご近所から仕事の合間の休憩の常連さんも来る。
遊には、忙しさのピークを避けて、昼のご飯と、午前と午後にワンドリンク付で休憩を入れてもらって、自分も適当に休む。
5時にイズミさんが帰っていって、入れ替わりに未来ちゃんが入った。
今日は、夕方からはお客さんが少なかった。
やれやれだ。
7時半過ぎに、だいたいの片づけを終えて、バイトの未来ちゃんが帰っていくと、マキノはおもむろに切りだした。
「さて、遊くん。今日は居残りできますか?」
「え~・・・いいけど。」
「この間、一度じっくり話しようかって言ったのは覚えてる?」
「うん・・・言ったね。」
「あのね、私は以前から、遊が自分の将来についてどう考えてるのか、聞いてみたいと思ってたの。」
「・・・・。」
「遊は、リタイヤ中って言ってたよね・・」
遊はあいまいにうなずいた。
「では、遊は座敷の方に着席してて。PC持って来るから。」
マキノは、下の階に置いてあるPCを持ってあがってきて、カウンターに置き、マキノは電源をつないで立ち上げはじめた。
・・不安定なところに置いたなぁ・・遊はちらりとそう思った。
「・・ふぅ足腰痛いわねぇ。」
「オレはもう、今、朝よりずいぶんマシ。」
「あっそう!若くてよかったね!!」
マキノは一旦座布団の上に、すとんと座った。
「あっそうだ・・さきにコーヒー淹れようか。遊は?」
「オレ、カフェオレがいい。」
「わかった。お菓子も取ってこようか・・。うんしょ、いててて・・・。」
そう言って、マキノが立ちあがろうとしたその時、足元がふらついた。
「おっと・・」
「あっ!」
さっきのPCのコードをひっかける!と事が起こる前に、カウンターから座敷に出てきた遊が気が付いた。
ズルっ・・案の定コードに引っ張られてPCがずれる。カウンターから落ちる!・・と、咄嗟に遊が反応した。バレーボールで培ったフライングレシーブの応用で片手でPCを受け止め・・たはずだった。
なのに、せっかく受け止めて宙に浮いたそのPCを、バランスを崩していたマキノが手で払い落とし、遊の顔に叩きつける形になった。
「うがっ・・マキノさんひど・・・」
「ごっ ごめんんっ!!どうなった!?鼻は?」
「・・・鼻はあります・・。」
「きゃああああ。鼻血があああ。」
遊の鼻から、たらーっと・・・。
「どどどどうするんだっけ。上向いちゃダメなんだよ。そうだ鼻を・・鼻をつまんで。
あとは、あとは、ひっ・・冷やすしかないんだよね・・。」
マキノはおしぼりを2~3枚掴んで、水でしぼってから製氷機から氷を出して包んだ。
鼻をつまんで背中を丸めて座っている遊に、だだだっと走り寄って血で汚れた顔を拭いた。
「ごめん。ほんとに。」
目と目の間辺りを冷たいおしぼりで押さえた。
「当たったのこの辺だっけ・・」
「もうちょっと下。」
マキノがよろけた方向へ遊が飛び出したから、不可抗力、不可避だったけど。
当たりどころ、わるかったなぁ・・。
「PC無事だった?」
「あっ・・大丈夫みたいだよ。」
「おしぼり血で汚れちゃうよ。」
「そんなのいいよ。」
「大騒ぎするほどのこと、ないのに・・・」
顔を押さえるだけでは、前からばかり負荷がかかって辛そうだ。マキノはそれに気が付いてもう片方の手で遊の後頭部を押さえた。
「こうやって10分ぐらいしたら血が止まるはずだから、その後は安静に。」
「10分も?」
「いや、・・鼻血が止まるまで。」
・・・。
ちょっと密着しすぎているような気もするが、緊急事態だから仕方ない。
そして痛い目にあわせた罪悪感が手伝って、なんとなくばつが悪い。
・・・。
何もすることがない。
突然マキノは、後頭部側に添えてあった手で遊の天然パーマの頭をぐるぐるとなでまわした。
「何をする・・」
「ヒマだから。」
「自分で押さえられるよ・・。」
「いや、もうちょっとこうしてるわ。」
「・・・。」
・・・。
また沈黙・・。
「では、さっきの話の続きをします・・・」
そのままの姿勢で、マキノはおしゃべりをしはじめた。
「ちゃんとしたいと思わない?いろんなことを。」
「・・・・思うけど・・・。」
「この間、遊がリタイヤしたツケは大きいって言ってたね。」
「うん・・・。」
「遊は、1年間高校行ったんでしょう?」
「うん。」
「そこからの遅れをツケと呼ぶのなら、それ意外と簡単に取り返せるかもしれない。」
「・・・。」
「これは最近知ったんだけど、通信制って言って、あまり通わなくても単位が取れる高校があるの。」
「ふうん・・・。」
「ホントは、遊の学力がどんなものか把握してそれに見合う高校に行ってほしいけど、年齢がずれるのが目立つでしょ。遊が気にしないならそっちがいいかもだけど。・・とにかく高卒の肩書を所得しようよ。」
「肩書きを得たからってどうなるんだよ?」
「大学や専門学校を受験できるし、進路が広がるでしょ。」
「・・・オレ、当分ここでいいと思ってるんだけどな・・。」
遊の言葉には力がなかった。
反論するというよりも、それを否定してほしいようにも聞こえた。




