第11話 かみ合わない
夕方になり、春樹さんが店に顔を出した。
カランカラン。
「いらっしゃいませー。」とマキノ以外が声をそろえた。
「あれ、これいいね。」
ベルのついた扉の上の部分を見上げて春樹さんが言った。
「ママさんバレーの人に声かけたら、いつでも来てくださいって言ってたよ。」
「おー、仕事が早い~。」
「毎週火曜日の夜8時から10時で、運動公園の体育館ね。」
「わかった。来週は・・・早いな、二日後か。遊と有希ちゃん強制参加。火曜日のシフトは?真央ちゃんか。未来ちゃん行く?行こうよ。真央ちゃんは行きたそうにしてたよ?イズミさん達にも声かけよう。これで何人だ?ひーふーみ・・9人か。」
「ママさんバレーでも結構レベル高いんだよ。マキノは素人でしょ?」
「そう。まったくのしろうと!体育の授業のみ。」
「シューズは?」
「明日買いに行くよ。高校の体育って体育館シューズってあるよね?真央未来はそれでいいでしょ。ええと、あと遊は・・・」
「自分で買いますって。」
「あっそう。じゃあ一緒に買いに行こうよ。やだすっごい楽しみだね。未来ちゃん、はやく真央ちゃんにも連絡して。」
マキノは楽しげに一人で計画を進めて行った。
― ― ― ― ―
バレーボール。かぁ・・・。
遊は小さくため息をついた。
中学の頃は、学校が楽しくて仕方がなかったな。・・そんな時期もあった。
随分昔の遠い世界のことのように思う。
小学校以来の仲間もいて、遊ぶのもおもしろかったし、部活のバレーボールも楽しかった。成績は飛びぬけて良いわけではなかったが、特に悪いというわけでもなくて、クラスでも普通におしゃべりをする友達がいて、何も問題はなかった・・と思う。
中三になると、誰もがそろそろ高校受験なんてものを意識し始めるけど、自分はまだそんな危機感も何もなくて、いや、みんなそうだったと思う。
口では先生もクラスメイトも勉強もしなくちゃとか模擬試験がとか言ってはいたけれど、まだまだ時間はあるって、のんびり構えていた。
ある日曜日の練習試合があったときだ・・あれが母親との最初の価値観のずれだった。
朝になって、目覚まし時計が鳴って二度寝してしまったんだ。ハッと気が付くと部活に行く時間を過ぎていて、
「なんで起こしてくれなかったんだよ。」
と母親に文句を言った。
「今日の部活は、お休って顧問の先生に連絡しておいたわよ。昨日に。だって、模擬試験に行くでしょう?」
そう言えば・・模擬試験を受けるか?と聞いてきていたのは覚えてる。
でもオレ、行くって返事したっけ?してないはずだ。練習試合があるんだから。
「オレ、受けるって言った?」
「・・。でも、私は申し込むって言ったの。」
「なんだよ・・。」
遊は、腹を立てた。
寝過ごしたことに落ち度はあったが、それ以前の問題だ。母親は、自分に相談なく顧問に連絡をしていた。勝手じゃないか。ちゃんと了解を得てくれよ。
「勝手なことするなよ。勉強もするって言ったじゃないか。」
「今まで自由にしてきたのに。そろそろ本気になってもらわないと。」
「そうじゃなくて・・。母さん、バレーボールはチームスポーツなんだよ。」
「知ってるわ。だからなに?」
新しいフォーメーションの練習をしていたのに、それを試すはずの練習試合で抜けることの義理の悪さが、どうして理解できないのか・・。
「最後の試合がもうすぐなんだよ?」
「ああ。子どもってそんな事ばかり言うものなんですってね。」
「・・・。」
会話がかみ合わない・・。
その日、どう説明しても、遊は自分の思いを母親に理解させることができなかった。
この人は、こんなに利己的な人だったのか?こんなに情の通じない人だったのか?
母親はもともと、遊の人間関係よりも、自分が考えたことを優先するきらいがあった。
その言動で戸惑うこともたびたびあった。
自分が友達とでかける約束してきても無視して違う予定を入れたり、通っていたスイミングスクールでせっかく友達ができたのに自分に相談もなく曜日クラスを変えたりもした。
まだ子どもだった頃は、大人の都合で事情が変わることもあったから、多少友人との約束を反故にしても友人たちは納得してくれていた。
なんだかんだあったが、中学最後の大会は出ることができたし、チームのみんなは自分を仲間として認めてくれていた。
でも、誘いを断ったりドタキャンすることも回数が重なれば、自分の中に気まずさが積もってくる。遊の心には、なんとも言えない負い目が残っている。
さすがにもう中学生にもなると、母親の性質には薄々気が付いていたんだ。
多少干渉し過ぎであること、息子であるオレの交友関係を軽視していること、形式や世間体は気にするが、中身が伴っていない。部活をすることの意味もどこまで理解しているのか・・。よくわからなかった。
高校受験の受付の直前に、母親は突然、志望高を変えると担任に言いに行った。
三者懇談で話し合って、オレが希望を言い、学力にも見合った自由な校風の部活の盛んな学校を受けることになっていたのに、母親はそれよりも偏差値がワンランク高い学校を受けると言う。
「偏差値や成績を見れば、無謀とまでは言わないけれどもボーダーラインギリギリ。賭けになりますよ?」と、担任が言った。
本人の前なのに、もう少し言葉を選んでほしいなと思ったが、いったい誰の話をしているのか。
受験するのはオレなのに。
担任の言葉を聞いても、母親は、大丈夫ですと言ってゆずらなかった。
どこからくる自信だろう。
その学校を選んだ理由はなんだろう?
誰かから聞いたのか?自分で何かで調べたのか?
それで判断してオレに合うとでも思ったんだろうか?
しかし、それを、何故オレに言わないで決める?
オレにも、感情とか思考能力とか、あるのに。
成績どうこうよりも、どんな高校生活を送りたいか想像をふくらませていた自分が、滑稽に思える。
担任にギリギリボーダーラインと言われたのに、オレは母の言葉に逆らう意志が持てなかった。
滑り止めには私学を受けて、母親の言う学校を受けることになった。
受験前。
回りのみんなが、ナーバスになって勉強をしていた。
「落ちたらいやだな」って、みんな思ってる。
遊は ひとり、みんなとは違う憂鬱を抱いたまま、やはりちゃんと勉強をしていた。
「落ちても別にいいや。」と。
結果、受かってしまった。
父親は、母親と息子のやりとりに一度も介入しなかった。




