第102話 お引越しふたつ
美緒が、今一人暮らしをしている部屋から、新しいお店に引っ越しをするのは火曜日だ。
そして、工房のお引っ越しはその翌日の水曜日。二日続けて同じ場所に荷物が運び込まれる。
今日は土曜日。日月火・・あと3日しかない。
仕事は3月いっぱいで辞めたので、片づけと掃除をする時間はそこそこあったが、荷造りは全然進んでいなかった。
部屋を移ることを考えてからは、ここで過ごしてきた時間に思いを馳せえることが増えた。
田舎の母と一緒に部屋を探して、最低限の家電と家財をそろえたことも懐かしく思い出す。専門学校の時代からずっと同じ部屋で住んでいるが、仕事をしはじめて収入を得るようになってからは、少しずつ居心地のいいように気に入ったものを買い足したりしてきた。
手に取る一つ一つのグッズには、一つ一つの思い出が詰まっている。モノと記憶を整理整頓していると、実家にも職場と住所がが変わることも知らせておかなくては・・ということに意識がたどり着いた。
母さんには、ずっと前から、ヒロトと付き合っていることを話してある。
以前「結婚は?」と聞かれたこともあったが、その頃は適当に返事をにごしてしまった。
私はいつでもイエスだったのに、あの頃のヒロトは、自分で決めるってことが苦手だったように思う。
今のヒロトなら・・。自分の両親にむけて宣言したのと同じように、うちの両親の前に出ても、2人で結婚を決めたってことを堂々と言ってくれるだろう。私も、自信を持って紹介できる。
ヒロトの家族の状況がどんなにややこしいことになってても。あれもヒロトにとってのカンフル剤になったのなら、結果、悪くなかったかもしれない。
わたし・・思えばずっと、ヒロトしか見てなかったなぁ・・。
やさしくて辛抱強くて、ひたすら受け身だったヒロトが、わたしを守ろうとして何かと戦ってくれている。そう思うと・・・胸が温かいものが込み上げる。
わたしも、ヒロトの助けになりたい。
一緒に、これからの人生を作って行きたい。
引っ越しは、業者に見積もりを頼んだ時にたくさんのダンボール箱を置いていってくれたので、それを組み立てては荷物を詰めていく。まずは衣類。くたびれている物や、長い間着なかったものは処分しよう。
捨てるかどうするか、迷うものがたくさんあるけど、できるだけ身軽になったほうがいいと思う。長い間一緒に生活してきたモノたち感謝して、捨てる罪悪感も一緒に捨てる。「ありがとう。ごめんね。」と、声をかけながら。ゴミ袋はどんどん膨らんでいった。
今日はスーパーを休んだが、明日は、マキノさんがすると言っていた。
朝早く起きて手伝いに行かなければ。
・・ということは、今夜のうちからマキノさんが仕込みもしてくれるのかな。
マキノさんはすごい。調理の学校も行かず、飲食の仕事にも関係のない人だったのに、いろんなことを知っているし、なんでもさっと出来てしまう。ヒロトと、ほぼ同じだけのことを・・・
・・あ。
・・はたと、手が止まった。・・これ・・マキノさんのお手伝い?でいいんだろうか?
いや。
これはヒロトの仕事だ・・・。
手伝ってもらっているのは、こちらの方じゃないのか。
私の意識は・・間違ってたかもしれない。
マキノさんのお店の仕事とは、便宜上そう言ってるだけで、ヒロトが仕事をして、ヒロトが利益を得るんだから、ヒロトのお店なのだ。
ということは、・・・ホントは私がしなきゃ!!
・・・でもまだ、今は無理だ。私は何もわかっていないし、自分一人じゃ何もできない。
ヒロトの仕事をまったく覚えていない。
「ふう・・。」
美緒は、少々焦りを感じてひとつ息をした。
・・いや、今はたまたま不幸事でどうしようもなかったけれど、私はこれからだ。
少しずついろんなことを覚えて行けばいい。ヒロトを手伝いながら、自分のいるべき位置を見つけよう。
時間は充分ある。・・私には、せっかく好きでやって来たお菓子の仕事もある。辞めてしまうのはもったいない気もする。マキノさんも、近くでいいお店があると以前言ってくれていた。焦らず焦らず地道に行こう。
明日の夜には、カフェにヒロトが戻ってくる。
ヒロトも、今は一日でも無駄にしたくない気持ちがあるように見える。
明日の納品の予定は少ないから、終わったら新しいお店をしっかりお掃除しておこう。
そうだ。この部屋もさっさと片付けて。
今、私にできることは、お掃除だ。やることは山ほどある。立ち止まってはいられない。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
火曜日。
月曜日までの間に必死でお掃除をした甲斐もあって、美緒のお引っ越しはスムーズに終わった。
洗濯機や冷蔵庫の設置まではしてくれたが、ダンボール箱一つ一つは美緒が自分で開けて整理しなければならない。まだまだ、片付けが完了しないまま、その翌日には工房のお引っ越しも行われた。
朝市工房では、ヒロトが道具類を増やすことに消極的だったのに、それでも、大量の注文をこなすだけの器具や容器類はずいぶん増えていた。業者には頼まず、イズミさんの旦那さんの軽トラックを貸してもらって、荷物を次々と詰め込んでいく。イズミさんと朝市メンバー2人が来て手伝ってくれて、運び出した後の掃除もしようとしたら、後はやっておくからと送り出された。
「ヒロト君、美緒ちゃん。こっちにもまた遊びに来てね。」
「はい。ありがとう。お世話になりました。もちろんまた来ます。後片付けお任せしてしまってすみません。」
荷物を載せた軽トラックはイズミさんの運転で出発した。メンバーはヒロトの車と2台に分乗して移動する。
おばちゃん達は、カフェのみんなが出発するのを手を振って見送ってくれた。
新店舗には、マキノさんと悦子さんと千尋さんが先に運び込みのためにスタンバってくれていた。
大型の電化製品は、あらかじめ動作確認をして、冷蔵庫・冷凍庫も電源を入れておいたから大丈夫だとは思うが、スイッチの場所や使い方がひとつひとつが手探りで、収納する場所や、どういう配置が動きやすいかを吟味しながらなので大変だ。
「あ、利いてる利いてる。よく冷えてるよ。」
マキノさんが冷凍庫の中に食品を収めながら温度を確認している。
「ヒロト―。確認がてら、ここでみんなのお昼ごはん作ってみて。」
「了解っすー。あー米・・・米はここ・・野菜は・・んぁー・・調味料が・・。」
想像以上にヒロトが戸惑っている。
「やってるうちに、使い勝手がわかってくるんでしょうね。」
「今こそがじっくり考える時だよ。自分のくせとか見慣れてるからって、気分で置き場所決めるんじゃなくて、作業の動き方を考えながら配置を決めていくといいって。スーパーの及川さんも言ってたよ。」
「はい。なんかね・・・自分がしなきゃっていう責任がずしっとこう・・・」
「できるよ。ヒロトだもの。明日のスーパーは、行けそう?」
マキノがヒロトにわかりやすくはっぱをかけている。
「行くしかないっすね。」
「しばらくは美緒ちゃんに手伝ってもらえばいいんじゃない?」
「・・・はい。」
先月まで、なんの変哲もない給食の仕事をしていたぐらいだ。
当分は、パティスリーにこだわらなくてもいい。大変な時期ぐらいは、ヒロトを手伝ってもいい。
今は、一緒にいられるだけで、楽しい。
ヒロトが、お昼ご飯の用意を進めている。自分もそれとなく手伝う。
春らしく、菜の花の煮びたし。新たまねぎとサニーレタスのサラダ。チキンは一口大に切ってソテー。そのフライパンに残った油でトマトを刻んで炒めてトマトソースにする。スープはセロリと卵。
マキノが料理の完成を見極めて「お店の方に運んで食べようよ。それも練習。」と掛け声をかけた。
店舗はカウンターに5人座れて、4人ずつ座れるテーブルが3個。そんなに広くない。
入り口の横のドアを開ければ、そこから2階の座敷へと上がれる階段になっている。
美緒が、テーブル二つを店舗の真ん中にくっつけてテーブルの上を台布巾で拭いた。
ヒロトがこしらえた料理をテーブルへと運んで,みんなでそれを囲んだ。
「立派なまかないご飯になったねぇ。では、いたーだきーます。」
マキノは小学生のように合唱した。
「「「いただきまーす。」」」
みんなもそれに倣った。
が、マキノはすぐに食べ始めずに立ち上がった。お茶の用意をするためのようだ。
「ペットボトルのお茶、さっき冷蔵庫に入れたんだ。このあと、明日の仕込みはどんな感じ?できそう?」
「今までより楽かもしれないですね。」
「それで?・・ここで2人で住むの?」
マキノさんは、時々唐突に会話が変わるときがあるのだ。
「あっ・・。えっと・・えっと・・・・。」
「ヒロト。変なことを口走る前に、心配してくれてるみんなに、ちゃんと言っておきなさいよ。」
「はぁ・・ええと、ええと・・・。」
マキノがヒロトの肩をぱしっと叩いた。
「うあっ。オレ達結婚することにしました。よろしくお願いします。」
「まーっ。おめでとう。」
「きゃー。ここで一緒に住むの?いいわねぇ。」
わけを知っているおばさん達は、照れるヒロトをからかっておもしろがった。
「まだ両親に挨拶してないんでしょ?なるべく早く行ってきなさいよ。」
「はぁ・・」
「美緒ちゃん。こんな田舎でもいいの?」
と千尋さんが言った。
「こんな町?自分のふるさとも田舎ですよ。」
「マキノちゃんや美緒ちゃんみたいな子が、快適に暮らせるような町だといいんだけどね。」
「私は快適ですよ。むしろ最高。」
マキノが横から口を挟んだ。
「快適さっていうのは、利便性だけではないですから。ここいいですよ。気に入ってます。」
美緒もうなずいた。
「美緒ちゃんはどこでもいいんじゃないの?ヒロト君さえいれば。」
悦子さんが茶化した。
「いえ・・・まぁ・・・。」
「マキノちゃんは春ちゃんとは関係なく自分から来たわよね。」
「うん・・。ここに住むようになってまだ2年と少しだけど、寒くて暑くて、雪はたまに降って、川があって花も咲いてて。家の近くの畑で自分の家族が食べる物を作って、土の中には虫がいて、セミが鳴いて。水も空気もおいしくて、好きですね。ここ。」
「普通のことばかりじゃない。褒めてないよそれ。」
「田舎くささを楽しめるのは、本質が都会っ子だからだって。本物の田舎者は都会にあこがれるものよ。」
イズミさんと千尋さんが笑って言った。




