もし入浴剤を異世界の人(王様)が見たら
「ラクトア様、ただいま戻りました~って、何をしていらっしゃるんですか」
今日もまたルーはラクトア様のおつかいで東方にあるリサの家まで行ってきた。リサというのは、ラクトア様の娘が異世界に留学中に亡くなって転生した、同じ魂をもつ娘のことだ。いつまで待っても留学を終えて帰らない娘を魂の印を頼りにお取り寄せしたところ魔法事故を起こした。つまり、お取り寄せ途中に落っことした。
ラクトア様曰く、異世界からのお取り寄せは時空の狭間を通って転送される。空をふわふわ飛んでくるわけではないのだそうだ。
同じ世界同士の瞬間移動とはまた違うかなり難しい魔法なんだけど、ラクトア様ったらアイスクリームの溶け具合が気になって気もそぞろだったんだもの。そりゃ、失敗もするって。
そのときに記憶喪失になっちゃったんだけど、落ちた国の兵隊さんに拾われて、なんか色々あって今はその兵隊さんと幸せに暮らしている。
ラクトア様は冷たい氷の魔女とか、極悪非道の魔女とか、妖艶で男を喰らい尽くす魔女とか呼ばれたりもしているけれど、本当は慈悲深く、お優しいお方だ。たぶん。
部屋の中に岩を並べて、その中央をおそらく魔法で穴を掘り、その窪みにお湯を張って、なんとも恐ろしいことに素っ裸で頭に手拭いを載せていても、本当のラクトア様は……ラクトア様は……これ以上は舌を噛みそうで言えない。
「見て分からない? 温泉よ、お、ん、せ、ん」
「それは分かりますけど……こんなところに湧いてましたっけ? というかラクトア様熱いお湯に浸かったりして溶けないんですか?」
「溶けるわけがないでしょう? 永遠の美貌を保っていても、もとは人間なんだから」
「はぁ、もとは人間だったんですか」
「そうよ、雪だるまだとでも思ってた?」
「いえ、体温が冷たいから雪女の類いかと」
「おーっほほほ、んじゃあ、リサはさしずめバケモノの子ってわけね」
「なに上手いこと言ったみたいに浮かれてるんです。今のギリギリセーフですよ、危ないなぁ」
「で、リサの様子はどうだったの?」
「ああ、ええ。産後の肥だちも良いようで、母子ともに元気でしたよ。あの食べられないケーキも渡して来ました」
「ご苦労様」
「あれ、なんなんです?」
「異世界で密かにブームになっているオムツケーキよ」
「密かなのか、ブームなのか矛盾してません? しかもオムツですか、実用的ですね」
「ルーも入る?」
「ええ!? ラクトア様と一緒にですかぁ?」
「嫌ならいいのよ、ついでにそこの箱を王のところに届けておいて」
「ええ~! 今帰って来たばかりなのになぁ」
ルーはヒレのような翼で箱を持ち上げると、オレンジ色の羽根冠を揺らしながらペタリペタリと部屋を出ていった。
◇◇◇
「王様! ラクトアから貢ぎ物が届きました」
「ほう、建国記念日に贈り物をしてくるとは、さてはラクトアめ、ワシのファンじゃな」
王は玉座から飛び降りると、侍従から箱を受け取った。
「前回の甘い汁も旨かったからのぅ、楽しみにしておったのだ。お! これは、描かれている絵こそ違うが、前と同じではないか?」
「左様で……ございますね」
「しかも、むふふ。こちらはおなごの絵じゃ。む、こちらは果実か。森や花の絵のものもあるようじゃが……どんな味か楽しみじゃ」
「前回のとは少し違う趣もいたしますが」
「よいよい」
訝しがる侍従をよそに王は手近にあったゴブレットの中に、果実の絵の銀の袋を開けて中身を入れた。くるくると回すと、ゴブレットの中の水は緑がかった黄色に変色した。
「……? おかしいのう。爽やかな匂いはするが、あの甘酸っぱい匂いはせぬな」
「左様でございますね……」
まずは一口とばかりに王は口を付けた。
「ぐふっ! ゴホッ、ゲッ、ゲッ、ゲッーー!!」
王は口を押さえて膝をついた。黄緑色の液体が口から吐き出され、顎を伝って絨毯に染み込む。
「いかがなされました! よもやここまで我らを油断させておいて、とうとうラクトアめ牙を剥きおったか!! 至急侍医を呼べ! ラクトアに兵を差し向けろ!!」
「ゴホッゴホッ、ち、ちょっと待てぃ」
「王様!!」
「大丈夫じゃ、ちょっと飲んじゃったが大丈夫じゃ。どうやらこれは飲むものではなかったらしい。口に含んだ途端、こりゃ飲めんと思ったわ」
侍従は清い水の入った新しいゴブレットを差し出し、王はそれで口をすすいだ。
「ラクトアからの書簡はついてはおらなんだか」
「確認いたします」
侍従は王から箱を受け取り、ひっくり返すようにして確めた。そして同封されていた手紙を開いた。
「ふむふむ、なんと!」
「なんと書いてある」
「はっ、読み上げまする。『食いしん坊の王ちゃん、今度送ったのは食べ物じゃなくってよ』とのことでございます」
「用途までは書いてはおらんか……」
侍従はラクトアの手紙を水に浮かべたり、蝋燭の火にかざしたりしたが、それ以上の文字は現れなかった。
「はい」
「ラクトアめ、またまた訳の分からんものを寄越しおって。まあよいわ。今日の政務は終いだ」
「王様、どちらへ」
「王妃のところじゃ。最近構ってやっておらなんだのでな、悋気をおこしておる。可愛いやつじゃ」
「そうでございましたか。ではごゆっくり」
「うむ」
「アナタ、最近御無沙汰だと思ったら、他の女のところに通ってるのね?」
「な、何を言っておるのじゃ。ワシにはお前だけじゃぞ」
「うそ。それだったら、どうしてアナタのものじゃない香りがするのよ!」
「香り?」
王は自らの腕や衣の匂いを嗅いだがとんと分からない。王妃はそんな王に鼻を近づけて、もう一度嗅いだ。
「爽やかな柑橘系。ちょっと化粧品のような匂いもするわ」
王妃は王の顎をすりすりと撫でた。
「それにここだけ肌がスベスベよ。浮気じゃないなら、何をしたの?」
「何をって……」
王は先ほどラクトアから送られた飲み物ではない何かを口に含み、吐き出したのを思い出した。
「そうじゃ。こちらの手のひらと、こちらじゃ違うか?」
王は王妃の前に両手を差し出した。浮気を問い詰めようとしていた王妃は、王の様子を不思議に思いながら手を触り比べた。
「そうね、右の手より左の方がスベスベしているみたい。でも手のひらだけね。手首や手の甲はいつもと変わらないみたい」
「やっぱりか、先ほどとある液体を左の手のひらで受けたのじゃ。その時の飛沫が顎や衣にもついたのじゃろう」
「なんのこと?」
「すまんが政務室に行ってくる」
「あん、もう~!」
「これ、誰かあるか!」
「はっ! お呼びでございますか!」
王は侍従にラクトアから送られた箱を渡した。
「これの成分を分析にかけよ。今度ばかりは毒味は必要ないが、これを溶かした溶液に罪人を浸けてみよ」
侍従は心なしか青ざめた。
「は、はい。水責めでございますね。ちょうど執行待ちの罪人が29人ほどおります。どやつも更正施設を脱走し、罪を重ねるどうしようもない輩ばかりでして。公開処刑になさいますか」
「その必要はない。結果を報告せよ」
「はっ!」
「王様!!」
「なんじゃ」
侍従は刑場から走ってきたらしく、肩で息をしている。
「はあはあ、大変でございます」
「どうしたのじゃ」
「あの、粉を溶かした溶液に浸けた罪人が……」
「死んだのか」
「いえ、生き返ったように元気になりました」
「なにぃ?」
「しかも、冷え症、肩こり、リュウマチの痛みが緩和され、皮膚炎が寛解になるとともにつるつる美肌になりました」
「なんと」
「しかもそれだけでなく、人格もほぐれ善人に。今はちょうど昼食の時間なのですが、マナーを守ってトレイを持って列に並んでいるのでございます!」
「それはまことか!」
「はい、罪人たちにつきましては、現在も獄吏による監視中ではありますが、まるで生まれ変わったようだと。王宮研究所の成分分析によりますと、泡が出て血行をよくするもの、安らぐ匂いの多種な香料、肌に潤いを与える成分、肌を清浄にする成分と薬効効果の期待できる薬草などが使われているとのことでした」
「ほう」
「大量に飲むことは避けなければなりませんが、溶かした湯を少量飲んだくらいでは心配ないだろうということでした。実際、罪人どもはピンピンと生きておりますし、体調を崩したものは一人しかおりません」
「ひとりいたのか」
「そやつは血の道の持病を持っていたらしく……」
「死んだのか」
「いえ、逆上せました」
「よし、湯あみの支度をせよ。つるつる肌が気になる様子だったからのう。王妃も呼んでやれ」
「かしこまりました」
「で、幾つくらい残っておるのだ」
「……インドカレーの香りと、ホワイトローズの香りでございます」
「ふむ……ローズとは花の香りのことか。代わり映えせんな。こっちの官能的なおなごの絵が描かれている方を試してみるとしよう」
「では、支度をしてまいります」
「うむ、苦しゅうない」
◇◇◇
「あー、よりによってインドカレーをチョイスしちゃいましたね、ラクトア様」
「なかなかみどころあるじゃないか」
「ラクトア様、完全にあそこの王様で遊んでるでしょ? いいですけどね、最近おつかいに行ったら、お城勤めの可愛い女中さんがおやつに魚をくれるんですよね。美味しいんですけど、ペンギンと間違えているんじゃないかなぁ、あの人」