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気ままなカラスは旅をする。

 カラスは電柱のてっぺんで羽を休めた。

 そして辺りをぐるりと見渡す。

 色とりどりの屋根がずらりと並ぶ住宅街には、ガーデニングに精を出す女性、縁側でお茶を飲む老人たち、犬を散歩する子どもなど。

 さまざまな人間や動物の生活が垣間見えてくる。

 カラスは人間や動物を高い場所から観察するのが好きだ。趣味といってもいい。

 目の前は赤い屋根の家で、そこの家の庭には誰もいない。

 視線をそらしかけたとき、庭をあるく物体を見つけた。

 子猫だ。

 真っ白な雪のような毛だった。

 子猫はカラスの視線に気づいて立ち止まった。

 宝石のような瞳がじっとこちらを見ている。

 カラスは居心地が悪くなって飛び去った。

 観察するのは好きだが、観察されるのは好きではない。


 カラスはずっと一匹ぼっちだった。

 親も兄弟も友人もいない。

 だからと言って仲間が欲しいとは思わなかった。

 今までずっと一匹でやってきたのだ。

 こっちのほうが気ままでいい。

 だからこうして色々な町を転々とできるのだ。目的もない、ただ気の向くままの旅。

 カラスはそれで満足だった。

 たまに仲間がほしいとおもうときもあるけれど、餌を食べてしまえばそんなのはすぐに忘れてしまう。満腹は幸福だ。


 ある日、住宅街を飛んでいたカラスはふと視線を下に向けた。

 子猫の鳴き声が聞こえたからだ。

 それは、あの赤い屋根の家から聞こえる。

 なんだ?

 カラスは近くの塀に止まり、様子を伺った。

 あの白い子猫が庭に生えている大きな木に登ろうとしている。

 登ろうとしているというより、木の幹をガリガリと爪で掻いているだけにも見えた。

 もっと近くで見てみると、子猫の体はまだカラスよりも一回りほど小さい。

「何してんだ」

 カラスはただの興味本位で声をかけてみた。 

 子猫は驚いてガラス玉のような瞳を丸くさせて声の主を見る。

 そしてすぐに視線を木に戻す。

「お前には関係ないだろ」

「それもそうだな」

 子猫はまたカリカリと木の幹を引っ掻き始めた。

 カラスは木の上の方に視線を向けた。

 枝に小さなボールが引っかかっているのが見える。

「なるほど」

 カラスはポツリと呟いて、ばさりと羽を広げて飛び立つ。

 ついでに木を揺らしてやった。

 その振動でボールは地面に落ちる。

 子猫の顔が一気に明るくなった。

「ありがとう!」

 そう言ってからハッとして「ボールはやらないからな!」と付け加える。

 カラスは何も言わずに飛び立った。


 今日もカラスは住宅街を飛ぶ。

 赤い屋根が見えたところで、そこの家の庭に目を向ける。

 白い子猫がボールで遊んでいた。

 カラスは赤い屋根の家の塀に止まった。 

 子猫は立ち止まって塀を見上げる。

「なんだよ。何の用だよ」

「また木にひっかけるなよ、大事なボール」

「平気だよ」

「そういえば、お前は木登りができないんだな」

 カラスの言葉に、子猫はぴょんぴょんと飛び上がりながら怒り出す。

「う、うるせー! 木に登れないじゃないんだよ! あの時は爪が引っかかって、その、上手く登れなかっただけだよ!」

「そうか。でも、恥じることはない。木登りの下手な猫が他にもいるのは知ってる」

「だから違うっつてんだろ!」

 子猫はそう言うと怒りにまかせてボールを思い切り前足で蹴り上げた。

 宙に舞ったボールをカラスは、くちばしで見事にキャッチ。

 子猫のビー玉のような目がくちばしに釘づけになった。

 カラスは少し得意気にボールを庭に落としてやる。

「すげぇ……」

 子猫は尊敬の眼差しをカラスに向ける。 

「こんなの練習すればできる」

「本当か?!」

「ああ」

 子猫は何かを言おうとしてやめた。

 カラスは変わりにこう尋ねてやる。

「教えてやろうか?」

 子猫の顔が、ぱああっと輝いた。

「いいのか?! いいのか?!」

 まだ細くて短い尻尾を左右にパタパタと振りながら子猫は尋ねる。

 カラスは首を縦に振った。

「俺の名前はミルク! お前は?!」

「俺はクロだ」

「じゃあ、クロ。本当に教えてくれよ!」

「ああ。でも今日はもう遅いから明日また来る」

 カラスはそれだけ言うと飛び立った。


 クロ。

 カラスには名前などなかった。

 しかし咄嗟につけてしまったのだ。

 我ながら安易だな……。

 クロはそう思いながら、ねぐらに向かった。

 その姿は、いつもよりどこか楽しそうだ。


 次の日からクロは赤い屋根の家に行くのが日課になった。

 木登りの苦手なミルクだが、運動神経は悪い方ではないらしく何度も練習する内に口でボールをキャッチすることができた。

 初めて成功した時なんかは、ぴょーんと高く跳躍して地面に着地した後、それだけでは物足りず、庭のあちこちを駆けまわって喜びを表現したものだ。

 クロは目を細めて子猫を眺めていた。


「だからさ、危ないからって家の中と庭しか出ちゃダメなんだって。ケチだろ、うちの飼い主」

「だけど、その飼い主が言うように外は色々と危険があるぞ」

 今日もクロは赤い家の塀にとまっていた。

「危険ってなんだよ?! 虫なら怖くないぞ!」

「ゴキブリもか?」

 クロの言葉にミルクは耳を下げながら答える。

「あいつらは……気持ち悪いじゃん。動きとか色とか触覚とか気持ち悪いしさ」

「ゴキブリは案外、美味いぞ」

「えええええええ!!! それ絶対におかしいよ! 美味そうじゃないよ!」

「珍味ってやつだろ。ついでにカブトムシの幼虫も美味いぞ」

 ミルクはぴょんと飛び跳ねて尋ねる。

「あの白いむにゃむにゃ動くやつ?!」

「ああ。それだ」

「クロって何でも食うんだなー。おかしいよ!」

 ミルクはそう言って笑い出した。

「お前が嫌いなものが多いだけだ」

「ふーん。じゃあ俺がクロを食べたいって言ってもいいのかよ?」

 イタズラを企むような目でミルクがクロを見た。

「お前が俺を狩ることができたらな」

 クロの言葉にミルクは塀に登ろうとしたが、相変わらず木のぼりの類は苦手らしく、一向に登ってくる気配はない。

 ひとしきり、塀を爪で傷つけてから「今日はこれで許してやるよ」と息を切らしながら言った。

 クロは思わず大笑いをした。

 こんな風に笑ったのは何年ぶりだろう。

 もしかしたら、初めてかもしれない。


 クロとミルクは沢山遊んだ。

 ボール遊びをしたり、かくれんぼしたり、しりとりをやったり。

 そして色々な話をした。

 明るい内に遊びに来てもあっという間に辺りが夕焼けに包まれてしまう。

 クロはねぐらに戻ると早く夜が明けて明るくならないか、待ち遠しくてたまらなくなった。

 ミルクと遊ぶことばかり考え、面白い事件や話を耳にすると、早くミルクに教えてやろうと思うようになった。

 

 クロが赤い屋根のある町に来てから、随分と経った。

 気ままな旅をしていたはずが、すっかり町に馴染んだ。

 それでもここを出ていこうとは思わなかった。

 

 いつものように赤い屋根の家の塀にとまる。

 何だか家の様子が違っていた気がしたのだが、クロは大して気にも留めなかった。

 ミルクはクロを見つけると塀まで駆け寄ってくる。

 いつもは下でクロを見上げているだけだが、今日は違った。

 ミルクは自力で塀を登ってきたのだ。

 時間はかかったが、クロの隣にちょこんと座った。

「なんだ? 俺のことを狩るつもりか?」

 クロは冗談っぽくそう言ったが、ミルクは俯いたまま。

 何だかいつもより元気がない。

「どうした? 腹でも痛いのか?」

 ミルクはしばらく俯いていたが顔を上げると、こう言った。

「俺たちは、友達……だよな?」

 突然の質問にクロは驚いた。

 しかし、すぐに首を縦に振る。

「ああ。そうだな」

 ちょっぴり照れくさいが心臓がほんわりと温かくなるような言葉だとクロは思った。

「だけど、俺は友達に『お別れ』を言ったことはないんだ。言ったことがないけど、きっと苦手だ」

 ミルクの言葉にカラスは嫌な予感がした。

 そして窓から家の中を覗き込んだ。

 それから少しだけ考えてから言う。

「クロ。じゃあ『約束』は嫌いか?」

「ううん。楽しい約束なら好きだ」

「そうか。じゃあ俺と『約束』したいことはないか?」

 ミルクはしばらく考えてから、空を見上げてこう言う。

「いつかクロと一緒に旅がしたい!」

「ああ、楽しそうだな」 

 クロは自然とそう言葉に出していた。  


 次の日。

 クロは住宅街へ急いだ。

 向かう先は、もちろん赤い屋根の家。

 ミルクが、友達がいる場所へ。


 ミルクの家の前に止まっていたトラックが動き出す。

 その車体に『ゾウさん引越し』と書かれてあることはカラスである彼には分からなかった。


 クロは塀にとまった。 

 窓から家の中を覗くと、家具などは何もなく、がらんとしている。

 庭にいつもいる白い猫もいない。

 胸の奥にじわりと寂しさと悲しさが広がり、体中を駆け抜ける。

 カアー、と鳴いてその気持ちを振り払った。

 そして、飛び立とうとして、クロは視線を下に向ける。

 庭にぽつんと残されたボールを見つけたのだ。

 クロは地面におりた。

 ミルクがいつも遊んでいた小さなボール。

 忘れていったのか?

 いや、違う。

 これは俺にくれたものだ。

 アイツが大事にしていたこのボールを忘れていくはずがない。

 クロはそれを口ばしにくわえた。


 ねぐらに戻ると、ボールを置いた。

 初めて「たからもの」ができた。

 ボールを見ていると、ミルクの顔が浮かんだ。


 クロは、町を去ることを決めた。

 また旅をする。

 今度は気ままなものではない。

 探しに行くのだ。

 たった一匹の大事な友を。

 

 

<おわり>       

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