第7話
「う~……いてぇ……なんで俺は床で寝てるんだ?」
既に時刻は夜。酒場が盛況となる時間である。ティンガは目が覚めると、ゆっくりと身を起こす。帰ってきてからヴィルマに『水』を渡され、それを飲んでから記憶がない。妙に痛む頭を不思議がりこめかみを押さえる。
「まずい、はやく店を手伝わないと……」
千鳥足で急ぎ店に向かう。かすかに光の漏れる扉の向こうからは客の声が聞こえてくる。しかし、いつもよりも妙に明るい笑い声にあふれていた。
「……よし次は、これを食べてみ……」
「……まいだろう? はは、本当おいしそうに……」
「……ね。ちょっとあんたお腹は大丈夫……」
普段ならこの時間は、性懲りもなくヴィルマに付きまとう近所の男連中が、彼女を口説こうとやっきになっている。しかし聞こえてくる声は、どうもそんな浮ついたものには思えない。しかも中には女性の声もする。
「何だ? 今日は随分と盛り上がっているな?」
扉を開けて、ティンガは奥から店に入る。入口のほうには人だかりがある。そして、その中心には昼間に見た人間の――
「――っ何しに来やがった?! 人間が――ぁぶお!」
驚き、思わず足元がおろそかになったティンガ。段差につまずき、顎を強かに床に打ち付けた。しかし、痛む顎を無視し、もう一度彼は立ち上がろうと膝に力を入れる。
「この人間が! ウィキから離れろ――ぉがい!」
……再び顎を打つティンガ。もっとも今のは彼の妻であるヴィルマに足をかけられたため、であるが。
「……ヴィルマさん? これは一体……」
床にへばりつくように倒れ伏し、何のつもりなのかと聞きたかったティンガ。ヴィルマは彼を見ずに、人だかりを眺めたまま答えた。
「あの子、別れ際にウィキが泣いてたから、ここまで様子を見に来てくれたらしいわよ?」
それは、ティンガが聞きたかったものと少し違っていたが。現状を把握するには最適な答えであった。
人だかりの中心にはシンバがいた。彼は周りを囲んでいる老若男女に、次々口に料理を詰め込まれている。食べるたびに煌々と目を輝かせるシンバに、客の皆が面白がり、「ヴィルマさんの酒場に面白いのが来てる」と村中に広めた結果――
「きゃ~! 見て見て、また完食したわよ!」
「すごいな、もう10人前は食べただろ? まだ入るのか?!」
「ほれ坊や、次はこっちを食べてみなさい。おいしいから」
……こうして一人の食戦士がこの村に誕生した。住民の少ないこの村でシンバは久々の娯楽の種と言えるのだろう。
だが、少し妙である。シンバは先ほどから人に食べさせてもらっている。両手は何故か机の下で、動いているのは口ばかり。
不思議に思ったティンガは顔を上げ、机の下を覗こうとする。しかし、人ごみによってうまく見ることができない。そんな彼に頭上からヴィルマが声をかける。
「ほら、ああやって皆に食べさしてもらいながら、ずっとウィキの頭を撫でてるの。雛みたいでかわいいわね」
ヴィルマの言葉通り、よく見れば食戦士のその手は料理には向いていない。彼の両手は、その腰にしがみついているウィキのために使われていた。右手を角に、左手を頭に添えて、アウロがしていたように優しく、優しく動かしていく。
「シーちゃん~、シーちゃん、シーちゃん~~~」
そこにはある意味で変わり果てた姿のウィキがいた。目じりはだらしなく下がり、緩み切った口元からは今もダラダラとよだれが垂れている。垂れたよだれはその下にあるシンバの膝を当然汚すわけだが、彼は気にしていないようである。
「どこぞの誰かさんがやらかしたせいで、ウィキすごく不安だったみたいよ?嫌われたんじゃないかって。あの子が会いに来てくれてから、ずっとああなの」
ウィキの女の子としては、あまりにもあんまりな姿に唖然としていたティンガは、娘から人間を引きはがそうと行動を開始する。
「ウィキ、そんな気味の悪い人間から、さっさと離れなさい!」
余人であれば聞いただけで卒倒するであろう怒気。先ほどまでのウィキならティンガのこんな声を聞いたら悲鳴を上げていただろう。
しかし、彼女は今それどころではなかった。
「えへ~、シーちゃん~、おいしい~~~?」
周りの客がいたいけな少女を唆したのだろう。ウィキはその手に木のスプーンを持ち、シンバの口へ料理を運ぶ。
「……おい、しい。……ウィキ、も……おいし?」
今度はシンバがウィキの真似を始める。二人の状況はティンガから見れば仲睦まじく、食べさせっこをしているようにしか見えない。……まぁ、どう見てもその通りであるが。
「なぁ! この人間がよくも――」
怒れる親父は、愛する娘に群がるハエを前に本気の雄叫びをあげる。
「よくもそんな『あ~ん』なんてウィキは俺にもしてくれないのに! ヴィルマだって付き合い始めはしてくれてたけど、年取ってからは――っ痛い!ヴィルマ?! ……ヴィルマさん! ごめんなさい君が踏むとシャレになら……違う、違うんだヴィルマさん、今のはヴィルマさんが重いって意味じゃ、あっ――」
☆
「それで? あの人間は何しにきやがった?」
椅子に座り、うず高く積まれた皿の枚数を楽しげに数える客たちを、面白くないと言わんばかりに睨むティンガ。思わず口調もどこか険のあるものになってしまう。
だがティンガの声に対し、彼の妻であるヴィルマは一切反応しない。それどころかちらりと向けられた眼差しは、氷もかくやと冷たいものであった。店の客の一部が、そんな彼女を見て妙な興奮を覚えている。ティンガは先ほど彼女に痛めつけられた腕をさすり、冷や汗を一筋流す。
「……ヴィルマさん? あの子はいったい何をしに来やがりくださいましたんですか?」
思わず口調を丁寧に直し……たつもりで再度尋ねてみる。
ヴィルマはそんなティンガを見て一度「……しょうがないわね」とつぶやき、彼の横へ。
「だからさっきから言ってるでしょう?あなたが泣かせたウィキがかわいそうで、かわいそうで、会いに来てくれたって」
「人間がそんなことするか。しても何か企んでるに違いねぇ……俺は騙されんぞ」
頑なにヴィルマの言葉を否定しする。憎々しげに噛みしめた歯が、ぎりっと音を立てる。
(『あいつら』だって、長いこと一緒にこの村で過ごしてきたんだ。俺たちは皆で助け合って生きてきた。不作で食うものがない時も、魔獣が大量に発生した時も、俺たちは皆で乗り越えてきたんだ。それをあいつらは簡単に裏切りやがった。……人間なんぞ、関わってもろくなことにならねぇ!)
過去を思い出し、思考が黒く、瞳は紅く、世界が灰色に変わっていく。ティンガはここに客が、第3者がいてよかったと思う。いなければ昼間の様に、いや今度はそれ以上の惨事となるから。
そんな夫に対してヴィルマは一瞬、悲しそうに眉を下げる。彼女にとってもあの事件は、一生忘れることのできないものとなった。愛する娘が徐々に冷たくなっていく感触は、今でも掌に残っている。本心で言えば、ヴィルマも人間には関わりたくないのだ。だが、
「あの子に関しちゃ、そんなこと考えてないわよ。……考えることも、できないわよ」
その娘から聞かされた内容を無視することは、子を持つ母として、できなかった。
「できない……だ?」
「ウィキが言うにはね、あんたが見つけて逃げ帰った穴、あそこに捨てられていたそうよ。魔法までかけられて、何も思い出せなくされたんだって。アウロさんが言ってたそうよ?」
「……何? ……魔法だって? いや、あそこに捨てられって?」
初めて聞いた事実に、眼を剝いて驚くティンガ。それなら自分はいわば、何も知らぬ赤子相手に殺気を向けたことになる。彼は今更ながら、昼間の行動に対して、アウロが何故あそこまで怒りを見せたのか、その理由に思い至った。
「……呆れた、アウロ様から何も聞かなかったの?」
そんなティンガを眉根を上げて見るヴィルマ。ティンガの肩にしなだれかかり、耳元でささやく。
「どうしましょう、あなた。私、自分の夫がここまで酷い性格をしてるなんて、思いもしなかったわ」
ティンガの肩が、ヴィルマの一言一言を受けるたびにうなだれるように下がっていく。
「事情もよく知りもしないで、こんなかわいい子供に……ねぇ?」
「ぬ、ぬぅ……」
最終的にティンガは、額に手をやりその大きな体を猫のように丸め、何かを考えるかのように動かなくなった。
そんな彼を見て、ヴィルマは「あ~満足した」と言わんばかりに、……いや実際に聞こえるように口に出しながらティンガから離れていった。やはり、重いと言ったことを根に持っていたようである。
(やり過ぎた……か。けど仕方ないじゃね~か、ウィキはあいつらのせいで死ぬとこだったんだ。それにウィキは良かったが、実際に家族を亡くした家だってあるんだ。警戒するのは当然だろうが。……くそあんな話聞いて、その上であの人間に狩りを教えろって……)
一人悩むティンガ。考えがまとまらず、まるで二日酔いにでもなったかのように、唸り声を上げている。そんなティンガに近づく、影が一つ。
(……うん? 何だ?)
いつの間にかあれだけ騒いでいた客たちが、静かになっている。何だと思いティンガが顔を上げると、目の前には両手で器を持ったシンバがいた。
「……ティン、ガ」
「……何だ、人間?」
店内にいるもの全てが、二人に注目していた。心配そうにするもの、楽しくて仕方がないと笑っているもの、ただ静かに見守るもの。いつの間にかヴィルマも客たちに混ざり、その腕の中でウィキがじっとこちらを窺っている。
シンバはゆっくりと器を差し出す。中身は正真正銘の水。ヴィルマあたりに持たされたのだろうそれを、ティンガはしかめっ面で、しかし確かに手ずから受け取った。
「……これから……よろ、しく」
心地よい冷たさで喉が潤う。先ほどまでたぎっていた血液が、その熱を徐々に下げていく。ティンガはもう一度、しっかりと少年を見る。ただの小汚い、そこらの子供と同じにしか見えない。しかもその口元には食べかすが一つ、付いている。
その姿を見てティンガは脱力し、そして気が付く。いつの間にか固く握られた掌を閉じたり、開いたりを繰り返し、自分はこんな子供をあんなに警戒していたのかと。
(――はぁ……まぁいいか、こいつなら)
柔らかく、シンバの手を握る。小さい手だ。その気になれば簡単に砕けそうな、小さい手。
「ああ……、ああそうだな……よろしくな」
いつもの様に笑うティンガ。その瞬間あたりを一瞬静寂がつつみ、そして、
――うおおおぉぉぉおおお――!!
店中に喝采が、響き渡った。
……ようやく終わった。
さあ、これからは好きに書こう。
次話は少々時間が飛ぶ予定です。