第3話
夢をみている。
――畜生がぁ! 剣よ、もっとだ! もっとよこせぇ!
禍々しい剣をふるい、巨大な化け物と戦う男の夢を。
――かえして、かえしてよ。
腹を抑えながら、何かに手を伸ばす母の夢を。
――あぁ約束はもう、無理だろうな。
武装した人間に囲まれている兵士の夢を。
――もはや止めることはできんぞ! 貴様か俺が……。
全身から血を流しながら、何かを叫んでいる青年の夢を。
――これで…いいんです…。
涙を流しながら、しかし、晴れ晴れとした顔で笑う女の夢を。
老人の、紳士の、女児の、騎士の、王の、赤ん坊の、多様な人間たちの夢が、走馬灯のように流れていく。少年はただそれを眺めていた。
およそ何百という人の、一瞬を切り取った長編作品をただただ、眺めている。無感情に、無感動に。少年の横で泣いている女性に気付かぬままに。
(ごめんなさい……っ、本当に、ごめんなさい……)
(あなたに押し付けてしまった。あなたに縋ってしまった。あなたに助けを求めてしまった)
(せめて、せめ……あな……は)
手を伸ばせば届く距離にいるはずの少女。しかしその声は少年の耳には届かない。
やがて徐々にその姿すら不明瞭になっていく。陽炎のごとく。届くことのない、懺悔の言葉をこぼしながら。
(…を……な…で)
ゆらゆら、ゆらゆらと。
☆
「いつまで寝てんだい。いい加減起きんかね!」
頭の上からふってきた怒声に、うっすらと目を開けると、少年は未だ夢の続きを見ている気持ちになった。
「……あぁ……なつ、かしい。……おひさ、しぶりです」
「あぁ久しぶりだね。朝方ぶりだよ」
「………………だれ?」
彼我との距離は皮一枚。夢は夢でもこれは悪夢の類であろう。超至近距離でヤマンバが如き老婆に見据えられている少年は、数度の瞬きを繰り返し、しかし一切動じることはしない。
「面白くないね。ワシのような美女にこんなに近くで見つめられたら、もう少し雄らしい反応というものがあるだろう?」
目の前の老婆は? なんでこんな近くに? かすかに香るこの匂いは?
瞬く間に浮かんでは消えていく疑問。うまくしゃべることができないのか、口を開けたり、閉じたりを繰り返す。そして、蚊の鳴くような声で少年は、目の前の老婆に問う。
「……び、じょ?」
…………返答は老婆の硬い額であったが。
☆
「さて……目が覚めたかい、小僧」
「あ゛い」
場所は移る。窓の外はすでに夕闇に包まれ、頼りない光球が浮かび部屋を照らす。少年の目の前には(黒い)野菜スープと、(緑の)干し肉、(青い)パンが並んでいる。およそ見るだけで食欲が減退する料理を、老婆は次々と口にしていく。
「どうした、食べないのかい?心配せずとも金なんぞとらんよ」
「……んっ」
鼻に詰めていたぼろ布を外し、ようやく鼻血が止まったのを確認。食事前の定番の挨拶は抜き、少年はゆっくりとスープを口につける。
「見た目はこんなだが、食べられないもんじゃないよ。まぁせっかく食べさせてあげてるんだ、一言『おいしい』って言うくらいはあってもいいと思うけどね。どうせ人間には――」
「……おいし、い」
アウロの片眉がぴくっと動く。少年はパンを噛みしめ。その外見からは想像できない、麦の淡い甘味に夢中になっている。
「そうかい。よかったね」
眦を下げ、食事を再開する老婆。時に少年の様子を盗み見ては、思わずといった様子で口元が緩んでいる。スープが空になれば、何も言わず、代りをついでいる。すでに三杯目に突入。
「……おい、しい」
「黙って食べな」
隠し切れない笑みを噛みしめながら、ぶっきらぼうな態度をとるアウロ。素直になれない老婆であった。
☆
「さて名乗っておこう、ワシはアウロ、『アウロ=サウズ=エンデ』という。小僧、名前は?」
「……なま、え?」
自分の名前、ではなく、名前が何を指しているかすら分かっていない様子。顎に手をやり、老婆改めアウロは目を細めて少年を観察する。まるで見えない何かをじっと睨むようにして。
「これは……忘却の魔法かい?子供相手に?」
「……ぼうきゃ、く?まほ?」
「なに、事故……痛い思いして記憶を無くしたわけじゃない、と言いたいんよ。」
大したことではないと、目をそらすアウロ。少年には笑顔を、顔の見えない外道に対しては、唾棄するが如く怒りをみせるアウロ。
(よほど覚えられていては、まずいことがあったのか?しかし……下種な真似をする)
忘却魔法。対象者の記憶を全て奪う、犯罪者に対して行われる刑罰の一つ。それが、5、6歳にしか見えない少年に使われている。
(まぁいいさ。ワシには関係ないことだしね)
しばし、睨むように目を細めていたアウロ。顔を上げると少年は首を傾げている。
「……なまえ、ない?」
「なに、無くてもかまわんさ、『女神さま』が教えてくれるからね」
席を立ち、隣の部屋へ。すると直後に何かが倒れたような音、壊れる音が連続して聞こえる。しまいには炸裂音が大きく響いた後、ようやくアウロが戻ってきた。
手には両手の掌ほどの大きさの鏡。形は鏡だが、よく見るとその鏡面は曲線を描き、横から観察すると盃のようにも見える。
アウロは持ってきた鏡を、先ほどまで食事をしていた木の机に載せる。そして端に寄せていたコップを掴むと、その中身をぶちまけた。
アウロの奇行を静かに眺めていた少年は、鏡の中で未だ波打つ水面に目をうつす。
そこに映る、次々に表情を変えていく鏡の中の自分に、違和感。水面の自分んがまるで生きているかのように微笑むと、今度は水面に文字が浮かび上がる。
「ほれ、これが小僧の名だよ」
「……?」
「あぁ、読めないかい。これで『シンバ』と読む。この形をよ~く覚えておきな。生きていれば何度も書くことになるからね」
頷き、ジッと文字を眺めるシンバ。愚直に言われたとおりにする。しかし腹から可愛らしい音を鳴らしたかと思うと、ゆっくりとその眼をスープの残りに向けた。アウロは呆け、次に目をつむり、最後に耐え切れないように大声で笑い始めた。
「くっ、くっくっく……なに、いくらでも食わしてやるよ。ほれ」
楽しげに、心から楽しげに笑うアウロ。今日の晩餐はいつもより長くなりそうであった。
とりあえず、キリの良いところまでは投稿しようと思います。
その後は改稿しながら、ぼちぼちと~