第2話
「へ~……じゃああの子、パパが見つけた穴の中にいたの?」
「…………あぁ、そうだよ……」
ここはアウロの部屋。調度品の類は一切ない。質素なベッドと棚。そして木で作られた丸い机と椅子が一つずつ。
ウィキはいつの日か勝手に持ち込んだ、自分専用の足の長い椅子に座り、アウロの説明を聞いていた。
嫌だ放してと、年頃の女の子特有の高い喚き声を、延々と聞かされ続けたアウロ。疲れたように椅子に寄りかかり、手をだらんと下げている。小さい体の割に力の強い少女を押しとめるのは、老体には堪えたようだ。
(……はあ、疲れた)
起きてからこの短時間で、もう何度ため息をついただろうかと、どうでもいいことを考える。
アウロはウィキに向き直ると、床においている袋を力なく、指さした。
「今月分の薬はその袋の中に入ってるよ。一人で持って帰れるね? 下手にウロスの縄張りには近寄るんじゃないよ。分かってるね。じゃあ用事はすんだよ、もう今日は帰りな」
「……アウロさん、なんかいつもより冷たい……」
口早にいい、ウィキに帰るよう促すアウロ。あまりにも投げやりなそのざまに、ウィキは頬を膨らませて抗議する。
しかしアウロは、机に力なく突っ伏すと、くぐもった声を出してウィキに反論する。
「……ワシは今日はもう疲れたんだよ……休ませてくれないかい? 頼むから……」
「ちゃんと働いてないから、そんな風になるんだよ? ね~アウロさん。たまには外で一緒に遊んでよ~……」
机の上でアウロの手を握り、遊ぼう、遊ぼうと何度もねだるウィキ。まるで本当の孫と祖母のようである。
話は変わるが、アウロは所謂、薬屋を営んでいる。ここに家を建てたのも、元々はすぐ近くに、多くの薬草が群生していたからだ。……最近とある事情により、その数は随分と減ってしまったが。
この世界の薬は大変高価なものなのだが、アウロはそれを、他とは比較にならぬほど安い値段で、こうして麓の村へと卸している。
それに感謝した村人が、アウロの家へとよく遊びに行くウィキに、度々食料を持たせてくれるため、この家の保管庫は肉も野菜も豊富にある。……まぁ、そのせいでアウロの出不精が悪化したわけだが。
しかもその原因の一つであるウィキには、いつも家にいるアウロは、ちゃんと働いていない様に見えるらしい。子供の言葉とは、なかなか残酷である。
アウロの手を引っ張って遊んでいたウィキ。しかしそれにも飽きたのか、ふと先ほど見つけた生贄――もとい少年のことを思い出す。
「そうだ!アウロさん、さっきの子と一緒に遊びに行ってもいい?」
そういえばとアウロも思い出す。確かに奥の部屋で寝ている少年は、見た感じ、ウィキと歳も近い。遊ぶには丁度いい相手だろう。しかし、
「……ちとそれは勘弁してやりな。どういうわけか、だいぶ消耗しているようでね。ああやってずっと眠そうにしてるんだよ」
アウロは少女には教えていない。少年がウルスの亜種に襲われ、叫びもせず、食われるに任せていたことを。
異常だ。いくらなんでも、あのように小さい少年がとる行動ではない。
(あまりに得体が知れん。今この子を近づけるのは、得策ではないさね)
せめてあの少年が何処から来たのかくらいは、知っておく必要がある。
二度のダメ出しに、がっかりするウィキ。
「えぇ~……それもダメ~……」
二度のダメ出しにがっくりと項垂れる。しかし急にその顔を上げると、「そうだ!」と声を上げて笑顔になる。何が楽しいのか、その口をニマ~っと緩ませながら。
「じゃあさ、アウロさん。あの子が目を覚ましたらさ、私のこと紹介してよ」
「そりゃあ……、なんでだい?」
紹介ぐらいならと、了承しそうになったアウロ。しかしウィキの顔がよほど不安を誘うものだったため、思わず理由を尋ねた。
「あのね、お友達になりたいの!」
だがその理由は、年相応の可愛らしいものであった。
「友達なら村にもいるだろう?」
「だってさ、皆私よりもず~っと、年上の人ばっかりだもん。同じ年くらいの子ってさ、いないんだよ」
「同い年ってんなら、あいつがいたろ? 村長の息子の」
「あんなの知らない。だってあいつさ! い~つも私に意地悪ばっかしてくるんだよ! どこに私がいてもさ!」
知らないと言いながら、ウィキが思い浮かべるのは、何故かいつも顔を合わせる、村の男の子。……恐らくそれは、男性ならば過去に一度くらい体験したであろう。『好きな子ほど』という奴である。
哀れ、あんなの扱いを受けている子供の事は置いておき、少女の色恋になど興味のないアウロは「そうかい」と、ため息をひとつ吐くと、ウィキの頭を優しくなでる。掌にあたる、小さな角を指で弄りながら。
「……そうだね。近いうちに村に連れて行ってあげるさね。速けりゃ明日には友達になれるんじゃないかい?」
ウィキはいい子だ。友達になりたいというのは本心。だが、あの少年の姿を見て、幼心ながらに、世話を焼きたくなったのだろう。
「ホント?!」
喜色満面のていで、アウロを見上げるウィキ。思わず、アウロの体に顔をうずめ、抱き付く力を上げる。
「っ~~~ありがとうアウロさん!!」
「――ぐぉぉ!! こ、これ……、苦しい……、は、離れ……」
……ウィキは『巨きもの』と呼ばれる種族の一人。特徴は頭の角、そして他者が見上げるほど成長する巨躯と、怪力。
小さい少女が、その怪力で意図せずに繰り出したサバ折に、アウロの意識は段々と遠のいていく。
☆
「アウロさん、ごめんなさい~。だいじょうぶ?」
「……死ぬかと思ったよ……」
比喩表現抜きで死にかけていたアウロ。抱きしめられていた腰骨には、未だ違和感が残る。
年齢の割に、いつもならまっすぐ伸びているアウロの腰は、今は痛みを堪えるため、猫のように丸まっている。
謝罪は届いているのか、息も絶え絶えになっているアウロ。ウィキは気づかわしげに彼女のそばにいたが、「そうだ!」と何かを思い出すと、玄関まで走っていく。
間もなく戻ってきたウィキの手には木の容器に入れられた、花束が抱えられていた。
「これね、花を売りに来たお姉さんがくれたんだ。綺麗でしょ~」
大きな白い花弁が、星の形に見える小さな花。それを支える細い茎は、芯の通ったように力強い。
「っ~~~、このご時世に、花?売れるのかね?」
花なんて食えもしない。普段そう思っているアウロは、はて、これには何の効果があったかと職業病を発揮する。
短い時間思案にふけっていたアウロは、ふとウィキを見る。花の影から不安げにこちらを覗いている。まるで母に許しを乞うている、いたずらっ子のようだ。
アウロはそっとウィキをなでる。腰は痛む。けど今なら我慢できる。我慢する。
「まぁ、ありがたく頂いとくよ。これでさっきの事は水に流してあげようじゃないかい」
許され、嬉しそうに笑うウィキ。この老婆は、なんだかんだ言っても少女には勝てないようだ。……物理的にも。これ以上成長したら、今度は本気で腰骨が砕けるかもしれない。内心で真っ二つに裂かれる自分を想像し、そうなる前にどうにか手加減を教えよう。そう決心するアウロであった。
☆
「じゃあね~アウロさ~ん。少しは村にも来てね~」
夕暮れの山道を、麓に向け歩いていくウィキ。その背が見えなくなるまで見送ると、アウロは「さて」と気合を入れる。
「食事の用意でもするかね。小僧の事はそのあとにしよう」
面倒事はあと一つ。その前にまずは腹ごしらえ。アウロはそう独り言ち、少年のことを思い浮かべた。
辛いことも、悲しいことも、寂しいことも、まとめて今は忘れよう。
いいじゃない、そんな緩い時間が必要なんだよ、この世界には。