第9話
一仕事終えて、ティンガとシンバの二人は村へと戻ってきた。日は既に中ほどにまで上り、村のあちこちから香ばしい匂いがしている。
そんな中二人は背負った荷物もそのままに、一本角で少し早い昼食にしようとしていた。
「ようシンバ、怪我はないか? 群れへ行ったって聞いたけど」
「ん。平気」
「おはようシーちゃん。朝から仕事ご苦労様。いつもせいが出るねぇ……これ飲むかい?」
「おばちゃん。おはよう。……ん。ありがとう」
「あらシーちゃん。昨日は屋根を直してくれてありがとうね。はい、これ昨日の御礼」
「えと……ど、どういたまして」
「……相変わらずだな。一向に進めねぇ」
先ほどから、代わる代わるシンバに話しかける村人たち。これは別に今日に限ったことではなく、最近はある種の恒例となってきていた。とはいえ、既にシンバが来て一月が経つとはいえ、ある種不自然なまでの馴染みようである。というのも、
「皆。言葉。教えてくれる。たくさん。話せる」
ようするにシンバに言葉を教えるために、気の良いものが声をかけたのが始まり。それがいつの間にか村中に広まったのであった。片言でしかし一生懸命になって返事をするシンバが、よほど気に入ったようである。
「話すと。皆。笑う。うれしい」
「いや、それはいいんだよ。しかしなぁ……」
対してティンガは何とも苦い顔をしている。どうしたというのか?……やはり、人間が村にいるというのは、何日経とうが彼にとって……
「今日はウィキと一緒じゃないのか?」
「ウィキちゃんと仲良くしてるかい? あんないい子他にいないんだから、大切にしなきゃダメだよ?」
「やっぱりお前とウィキは揃ってないとな!」
「あのな! 何でお前ら、そんなにうちの娘とシンバをくっつけたがるんだ?!」
……なるほど、分かりやすい。これもまたいつも通りの光景である。
「だってなぁ……、シンバとウィキが揃うと、こう……華があるんだよ!」
「シンバは男だぞ? 華も何もないだろう!」
その通り。どちらかと言えばあるのは――いや、よそう。
「そうは言うけど……だってティンガも見てみなさいよ、シンバのこの顔! 初めて見た時は、汚れまみれでわからなかったけど、とっても愛らしい顔をしてると思わない? ほんと男の子なんて思えないわよ!」
「しかも今は髪もだいぶ伸びて、見た目女の子にしか見えないからねぇ」
少々興奮気味の女性がそういえば、周りには彼らを遠巻きに見ていたものが集まってきた。中には嘆かわしいことにシンバへ熱視線を送る者までいる始末。……ちなみに男である。
しばしそうして周りを囲まれていたティンガ。いい加減、好き勝手に言われて腹が立ってきたのか、一度大きく息を吸い、
「よし! なら家で男らしく髪を――」
「「「それは絶対ダメ」」」
そう宣言しようとした瞬間、この場にいる老若男女全ての瞳から、光が消えた。360度から真剣な目を向けられ、思わずたじろぐティンガ。
「え、ええい、何なんだお前ら! もういい、俺たちはこれから昼飯なんだ! どいてくれ!」
「おお! じゃあ我が村一番の大食い女王の食いっぷりを、今日も拝みに行こうか!」
「だから男だというに!!」
……これが最近、お約束の様に毎日行われる光景であった。
☆
「おお~っと、シンバはこれで8杯目です! だというのにどうです、その勢いは未だ衰えていません! 対して挑戦者、どうした?! 手が止まってしまった~!」
「ぐぅ……もう無理……入らねぇ……」
「おおおおおお! ここで挑戦者側が降参、降参です! 試合終了~!」
――カンカンカンカン――
どこかで固い、鉄を叩いたような幻聴が聞こえる。何故だろう? 匙を持って叫んでいる若者が、挑戦者と呼ばれ一向に動かない青年が、まるで別世界の人間の様に見えてくる。
ここは一本角。間違いなく、ティンガの愛する妻、ヴィルマの経営する酒場である。
「あら残念~惜しかったですね。……はいそれじゃ、お代は通常の2倍いただきますね♪」
……きっと、そのはずである。
「うふふ、シーちゃんが来てから毎日の売上が伸びたわ~。もう嬉しい、いつもありがとうね」
ルンルン気分で銅貨を数えるヴィルマ。勝負に負けた敗者に鞭を打ち、ここまで上機嫌になれるものも、なかなかいないだろう。勝負内容はあれであるが。
「ん。ヴィルマ。嬉しい。僕も。嬉しい」
「うふふふふ、本当にいい子ね~……あら? どうしたのあなた?」
「……いや、いいんだよヴィルマ。俺は君が喜んでいてくれれば……うん」
まるで付き合っていたころの様に、若々しく。軽快に金勘定をするヴィルマに対し、深くは言わないティンガであった。手に持った水が酒だったなら、きっと彼は泣いていたことだろう。
この大食い勝負は、シンバのことを聞いた村の大食い自慢たちが始めた。見た目華奢な少女にも見えるシンバ。そんな彼の食事風景を見てプライドを刺激されたのか、一人、また一人と挑戦し、ついにはこうして食事のたびに挑戦者が出るようになった。
参加料は銅貨2枚。そして負ければ、食べた料理の代金の倍額と、さらにシンバの食事代も払わなければならないという過酷なものであった。これは一度負ければ、しばらくは(懐の事情で)挑戦できないようにするための処置である。
とはいえ、毎食毎食勝負していてはシンバには不利。そこで一日に一人の挑戦を受けるようになった。
……それ以外の食費はティンガが出しているのである。
たとえ明るいうちにどれだけ食べようと、数時間でまた同じ量を食べるシンバ。ティンガは世の不条理を叫びたくなった。
さて、そんな大食い女王(仮)。勝負が終わったというのに、ずっと食事をしていた。既にお代わりは10杯目。だが、何故か急にその手を止め、きょろきょろと何かを探し始めた。
「……? ……ヴィルマ。ウィキ。いない?」
「あらあらうふふ、やっぱりウィキがいないと気になるのねシーちゃん。大丈夫よ~今はお使いに行ってもらっているだけだから」
一体どこのおばさんだ。口に手を当てて笑うヴィルマは、そんな姿でも色香があるから質が悪い。
「ただいま~。お使い行ってきたよ~」
「ほら、噂をすれば帰ってきたわよ」
店の奥、裏口からした声。シンバはそれを聞き、今まで離すものかと握っていた匙を置いた。そして立ち上がると周りの観客をするりと避けて、声のほうへと進んでいく。そして、
「うわどうしたの? またすごいお客さ……ん……」
ウィキの姿を見るや否や、彼女を正面から力強く、抱きしめた。子供同士、そう言えぬほど情熱的に。周りの客たちは、まるで微笑ましいものを見るかのように、二人を温かく見守っている。
「ん。ウィキ。お帰り」
「シ、シーちゃん!! ……え、やだまって、まってよ!」
だが抱きしめられたウィキは、それどころではなかった。何故かシンバから逃れようと身をよじる。シンバが村に来たあの日、彼女は現状よりもずっと(ある意味で)情熱的な抱擁を彼と交わしていたというのに。
まるで別人の様に恥ずかしがるウィキを、不思議そうに見る周りの大人たち。その一人が合点がいったと口を開いた。
「ああ何だウィキちゃん、まだ元に戻ってなかったの?」
「まぁ……仕方ないよな、何せ『全部』だったんだろ?」
「あれだけ抱き付いて、男でした~じゃなぁ……」
……なるほど、分かりやすい。
☆
――シンバが村に来て、何日か経った頃。
『ねぇシーちゃん。今日はもう遅いし、家に泊まっていったら?』
悲劇はこの一言から始まった。
『ん。とまる?』
『あらいいじゃない。今日はうるさい人も帰りが遅くなるし、子供が一人で家にいるより、そのほうがいいわね』
この日、ティンガはアウロの依頼で、とある薬草を採取しに出ていた。まだ弓の扱いも満足にできないシンバを連れていくわけにはいかず、いつもより深い場所へと籠っていた。そして珍しく休みとなったシンバは、暇を持て余していたウィキに連れられて、一本角に遊びに来ていた。
『ね、そうしなさいシーちゃん。私の言うことは絶対、でしょ?』
そうヴィルマに言われ、こくりと頭を縦に振るシンバ。娘とその友達の友好を深めんと、心優しき母は気を利かせたのであった。
そして、ヴィルマはふと気が付く。シンバの汚れまみれな姿に。
『よし。じゃあ二人とも、裏に言って体を洗っておいで。今日はいつもより暖かいし』
風呂といった贅沢な物は、当然この村にはない。皆、近くの川や井戸から水を汲み、それで体を洗っているのである。
『うんわかった。行こ、シーちゃん』
シンバとウィキ、二人はヴィルマに言われるままに店の裏へ。そこには料理に使うためか、小さな井戸があった。ウィキが桶を引き上げ、頭から水を被る。冷たい水も今日は心地よい。
『ほらシーちゃんも、ついでに服も洗っちゃおう。それ脱いで』
『……ぬぐ?』
『うん。ほら手伝ってあげる』
そう言ってシンバの服を脱がしていくウィキ。まずは野暮ったい外套。そして次にところどころ破けている上着。そこまで脱がしてウィキは自身の異変に気が付いた。
《……シーちゃんの体を見てると……顔が熱くなってきちゃった? 何で?》
まだ筋肉のついていない華奢な体。しかし自分とは違う、男の子の体を見たウィキは、自然と動機が早くなっていった。そして、
『えとじゃあ最後は下を脱いで…………ぇぇぇえーーー!!』
悲劇は、起きた。その悲鳴は遠くにいるティンガにすら、届きうるものであったとか。
☆
「ウィキ。顔。赤い。病気?」
そして現在、ウィキはシンバの顔を、どうしても正面から見ることができずにいた。それほど『全部』見たことが、早熟な少女にとってショックだったのだろう。
あれから、ウィキはシンバに抱き付かなくなった。というか、できなくなった。シンバの顔を見ただけで少女の脳裏には、あの日見た光景が思い出されてしまう。
そう、こうしている今も。
「ち、ちがうよ! 大丈夫、大丈夫だよシーちゃん! だから少し離れて――」
「……ウィキ? 僕。近くにいたい。……ダメ?」
だがそんなことは知らないシンバは、かつてウィキがそうしてくれたように、強く、強く少女を抱きしめる。
「ああ、ダメとかじゃなくてね……そうだ、今私ね汗いっぱいかいてて匂いがね女の子としてはこのままじゃ――」
一息で長たらしい言い訳をするウィキ。真っ赤になっている少女に対し、シンバはその首筋にそっと鼻を近づけた。「すん、すん」と自身の匂いを嗅がれているウィキは、背を弓なりに反らして硬直している。
ある意味男らしい行動をするシンバ。そして腕の中で固まっているウィキの耳元で、そっと優しくささやいた。
「ウィキ。良い匂い。それに今日も。可愛い」
「か、可愛いなんてそんな……私シーちゃんに比べたら……」
シンバの声に、その言葉に、酔いしれるウィキ。しかし、このままじゃいけない。彼女はシンバから逃れようと腕に力を入れる。しかし相反する気持ちが、それを邪魔をする。今この場から、シンバから離れたくないと。
そんなウィキの気持ちを言われずとも察したシンバは、左手をそっとウィキの顎に添える。「あっ」と小さく上がるウィキの悲鳴。いや、これは歓声だろうか。
少女を傷つけないように、しかし逃さぬように力の込められた手で――シンバはようやく、ウィキと向かい合った。彼の瞳は語る、その少女のような顔には似つかわしくない、荒々しき瞳で。
「ウィキ。大好き。近くにいない。嫌」
「――シーちゃん……、うん。私も……私も大好きだよ」
お互いに近づいていく距離。それが零となった時、二人は満開の百合の花に包まれた。
「な、なんだ!? 二人の背後にきれいな花が見える……、あれは一体!」
「あなたにも見えるのね。おめでとう。今あなたは私たちの同志になったのよ」
「ええい、手前ら離しやがれ! 娘が、俺の娘がーーーあば!」
「ダメよ邪魔しちゃ。皆、ごめんなさいね、またお願いしてもいいかしら」
「「「はい、喜んで」」」
混沌きわまる店内。その時来客を告げるベルが空しく響く。
「……何やってんだい?あんたたちは?」
いつかこの話に感想が付くことを夢見て。
いくぜ投下。
……不発弾にならなきゃいいなぁ