第8話
あのどんちゃん騒ぎから、はや数か月が経った。久方ぶりに新たな住人を迎え入れ、村はいつもより活気づいた。
当初はシンバを敵視するものも少なくなかったが、ティンガとの一件を知る者たちの手助けもあり、シンバは徐々に村に馴染んでいった。
最初に一悶着があったとはいえ、初めて弟子をとる形となったティンガ。しかもかの『アウロ様のお願い』である。惜しむことなく狩人としての技をシンバに教えた。……多少蛇足も混じったが。
そしてようやく少年は、「人間」ではなく「シンバ」として皆に受け入れられたのであった。
さて、場所は再びアウロとシンバが出会った山の中。朝霧晴れぬ時間から、今日もどこかから
――獣の断末魔が聞こえてくる。
☆
「一つ」
つぶやき即座に移動。道なき道をまるで飛ぶかのごとく、駆けていく。石を、枝を踏みしめ、軽やかに空中を渡って行く小さな影。向かう先には眉間から矢を生やし、その巨体を横たわらせているウルスが一体。
異変に気付いた群れの仲間たちは二手に分かれた。すなわち若い群れと、――仲間の敵を討たんと殺意をみなぎらせる群れとに。
「ぐるぅぅぁああーー!」
匂いがする。その位置は遠くはない。ウルスたちにしてみれば一息でたどり着ける距離を、その俊敏さを以て地を疾走する。
「二つ。三つ」
いつ射ったのだろうか? 風切り音がしたと思えば、先頭を切って走っていた個体が、弾かれたかのように地に転がっていく。
仲間の死骸を飛び越えて、後続の個体が高くジャンプする。するとそれを読んでいたかのように、寸分たがわず矢が刺さる。――二撃目とは別の位置から。
匂いは前方からする。だというのに何故? そんな疑問など浮かぶことのない畜生が2頭、繁みの向こうへと飛び込んでいき、そして――また、断末魔が鳴り響く。
ただのぼろきれ、それがゆらり、ゆらりと紐につながれて風のままに揺れている。その下に、血だまりを作りながら。
避けることすらできない、姿も見えない、気配も読めない。
明らかに敵の方が上手であると感じたのか。ウルスたちの足に躊躇いが生まれた。そしてその足元に、威嚇するように刺さる一本の矢。
もはや助からぬ仲間を置いて、ウルスたちは一目散に逃走を開始した。
追撃は、こない。
☆
「いやはや腕を上げたもんだ。」
計5体分。肉の塊を前に感嘆を漏らす、背に大きな籠を担いだクマのごとき男。ティンガは喜色満面の笑顔を、何もいない木の上へと向けた。
「ご飯。たくさん。皆。喜ぶ」
まるで使い慣れていない、たどたどしい言葉。そういって木の上から飛び降りてきたのは、先ほどウルスの群れを手玉に取ったシンバであった。
自分の背丈はある弓をたすき掛けにし、腰には矢筒を差している。肌の白さは変わらず、伸びた髪を縛り肩に流している。かつての様な無気力な姿ではなく、活力にあふれる少年がそこにいた。
かつて殺そうとまで思った少年に、まるで友人にするように肩をたたくティンガ。それをシンバは笑顔で受け入れた。
「そうだな、今日は腹いっぱい食えるぞ。狙い通り群れも移動したし。これで村の近くにはもう来ないだろう」
二人は今日、村の近くに巣を作った群れを、別の場所に追いやるために来ていた。本来魔獣は街道の付近に巣を作ることはない。だが、ウルスの習性―強い個体が縄張りを独占し、弱い個体を追い出す―によって、まれに餌を求めて群れが移動することがある。
いつもであればティンガと数人の村の男衆とで協力し、群れを遠くへと追いやるのだが、今回はシンバがいる。師匠の想像以上に成長したシンバは、矢を持ち罠を張り、こうして見事役割を果たした。そして、
「おかわり。たくさん。食べる。……楽しみ」
食べる量も想像以上に成長した。いやまぁ、健康的でいいことである。燃費云々は置いておき。
シンバの言葉に、うすら寒いものを感じるティンガ。実は彼は「弟子の面倒を見るのは、師匠の義務です!」とアウロに大口を叩いたことがあり、シンバの食費の一部は彼の小遣いから出されている。
……禁酒ができていいさと、水をチビチビすする彼の姿は、最近『一本角』の名物となっている。
「あ、ああそうだな。……しかしそれにしても……」
この後起きるであろう惨状を思い描き、今日も酒は無しかと項垂れるティンガ。だがふと顔を上げあたりを見渡す。何が嬉しいのか彼の口角は徐々に上がっていく。
「ティンガ? どうした?」
自分の師匠がニコニコと笑っているのが気持ち悪――いや不思議なのか、ティンガから少し距離を置いてシンバは尋ねた。
「いやな、最初お前に弓を教えたときは、こいつは使い物にならないと思ってたんだけどな。……いや腕を上げたもんだ! 俺の教え方が良いってのもあるだろうけどな!」
初めてシンバに弓を渡したときを思い出す。ティンガが「あの的を狙って射ってみな」と渡した弓を、まるで槍を構えるようにして持ち、的に向けて突撃していったシンバ。唖然として何をしているんだと聞けば、
『……ねらっ、て……行った?』
……その後も実際に狩りに連れていけば、獲物を逃がすのは当たり前。狩りに出たというのに、魔獣に狩られそうになる始末とetc。
だがシンバは同じ失敗を繰り返さない。弓の訓練では一度の助言で、(その意味を理解するのに時間はかかったが)ティンガが驚くほどに上達していった。狩りにおいても獲物の習性、縄張りの範囲、痕跡の見つけ方など、教えれば教えただけ吸収してみせた。しかも教えたことを忘れないのである。
「ん。頑張った。矢が当たる。ご飯とれる。嬉しい」
もはや自慢の弟子と言えるシンバを見て、嬉しそうに話すティンガ。シンバはその師匠の言葉に心から嬉しそうに微笑んだ。
「けどこんな方法、よく考え付いたな?普通狩りってのは、獲物を待ち伏せしてするんだが」
通常であれば、狩りでは危険性の少ない森の獣を狙う。たとえば体毛までピンク色、くりんと巻いたしっぽが特徴の猪『ピーブー』。蝶のような羽をもち、鳥でありながら蜜を好んで食べる『ミツツキ』など。わざわざ罠を張らずとも、遠くから矢で仕留めることのできるものばかりである。
魔獣は魔力が多く美味ではあるが、その分危険が伴うため、狩人はいかにして魔獣に出会わず、獲物を仕留めて山を安全に降りるかが重要になってくる。
……そういう意味では、ティンガは確かに一流。逃げ足は村の中でも随一である。
「……何となく?こうする。いい。思った」
「……そうか」
何気なく言ったシンバの一言を軽く流しながら、ティンガは何かを思案するように眉根を寄せた。
しかし、それも一瞬。ティンガはまたシンバの肩をバシバシと叩き、快活に言い放つ。
「まぁいい、今日は大量だ!さっさと帰って飯にするぞ!!」
「ん。はやく。帰る」
そして二人は籠に獲物を入れると、重いはずの荷物を背負いながら、実に軽い足取りで村へと戻って行った。
……鼻毛を切ったら、白髪が出てきました。髪には一本も見当たらないのに。
何が起きたマイボディー