推定乙女ゲー世界
「青木さん、書記に選ばれたんだって? 生徒会の人たちとお近付きになれるなんて羨ましいわー」
せっせと帰り支度をする私に声をかけてきたのは、おかっぱ頭の眼鏡娘こと、立木さんだ。中肉中背に、これといって特徴のない顔をしているが騙されてはいけない。彼女はこの学園における情報屋だ。
彼女の持つ手帳には学園で起こったあらゆる出来事が記録されている……らしい。
「ははははは、選ばれたっていうか。途中編入したらいきなり書記を務めることになっちゃって驚いてるよ」
乾いた笑いが口をつく。やや棒読みになってしまったのは、朝からこの会話を想定して幾度も頭の中でシミュレーションを繰り返していたからだろうか。
立木さんはうんうんと大げさな身振りで頷いた。
「我が栖比華学園生徒会は皆のあこがれの的だからねえ。転校しちゃった書記の代わりを決めようとしたら希望者が殺到しちゃって大変だったんだよ。今から書記一人を選ぶために、選挙をやり直すわけにもいかないしね。そこで転入生の青木さんに白羽の矢が立ったってわけ」
そうなのだ。親の仕事の都合で編入したこの栖比華学園は、全国の良家の子女が通う、超金持ち学園で、中でも生徒会のメンバーは、家柄その他もろもろで頭ひとつ抜けていると言う。
ごく普通のサラリーマン家庭に産まれた私が、こんな学園に編入出来ることがどうしても信じられなくて、狐につままれる気分であったが、いざ編入の日、正門から見える豪華絢爛な校舎を目にして全てを理解した。
私は栖比華学園を知っていた。それも前世で。
栖比華学園……初めてその名を知ったのは前世での私の友人、知菜ちゃんの口からだった。
彼女は熱狂的な乙女ゲーマニアで、古今東西の乙女ゲーをコンプリートしているという。その彼女が
『ぜ~ったい面白いから。やってみて!』
そう言って私に押し付けたゲーム。それこそがこの栖比華学園を舞台としたものだったのだ。
乙女ゲームというジャンルと簡単なシステムは知っていたが、特にそれらに魅力を感じなかった私は、知菜ちゃんから押し付けられたそのゲームを放置していた。
気が向いたら適当に一人か二人攻略して、感想を言えばきっと知菜ちゃんは満足するだろう。そう思っていたのだが……
まさかゲームを返さないまま事故にあって死んでしまうなんて。
そして、まさかそのゲームの設定そのままの世界で生きていくことになるなんて。
何度も、何かの間違いではないかと思ったが、校門から見える校舎は、ゲームのパッケージに描かれたそれに間違いなく、それに何より、夜露死苦仕様の当て字な学園名が、パッケージ上部にデカデカと書かれていたものと完全に合致してしまっているのだ。
パッケージ背面の荒筋と知菜ちゃんから得た情報をもとに考察するに、どうやら私は「乙女・ザ! 栖比華学園」のヒロインに相当するポジションにいるらしい。
超金持ち学園に編入した一般庶民ヒロイン。
乙女ゲーに疎い私でも、その設定だけで、待ち受ける苦難の数々が想像できる。
きっと金持ちの子息令嬢に嫌味を言われたり、陰湿ないじめにあったり、脈絡なく突如開催されるパーティーに来ていくドレスがなくて右往左往したりしなくてはいけないのだろう。
こんな事になるのなら、ちゃんとプレイしておけば良かったと後悔したが、もう遅い。
今、私にあるゲーム内の知識は、知菜ちゃんが日々熱く語ってきた萌え話から得たものだけなのである。ちなみに立木さんが情報屋であるというのも知菜ちゃんから聞いたものだ。
「特に今季のメンバーときたら!」
立木さんはどこから取り出したのか、件の手帳を片手に、眼鏡をくいっと上げた。
どこからともなく差し込んだ光を反射して、キランとレンズが光る。
「会長は日本で三本の指に入る財閥の御曹司で、副会長は大病院の跡取り。会計のお二人の両親はいずれも警察幹部。他にも法曹界の重鎮を排出するお家だったり……。皆さん、いずれ劣らぬ大家の出でらっしゃるのよ」
そう言えば知菜ちゃんも、そんな事を言っていた気がする。
それに確か、こうも言っていた――
「そう言えば、皆さん特徴のある名前だと聞いたんだけど、確か、名前のどこかに数字が入っているとか……」
立木さんは、またも大仰に頷いた。
「そうなの。ナンバーズって呼ばれていてね。名前のどこかに数字が入っているのよ」
そうそう、どこの宝くじだよって思った覚えがある。
と、ここで私は首を捻った。
「あれ? ってことは同じクラスの百瀬君とか万田君とか、千代田さんも?」
「いや、違うし」
疑問を口にすれば、間髪入れずに否定の言葉が返された。
「桁が大きいし。ナンバーズの皆さんのお名前に入っている数字はいずれも一桁よ」
知菜ちゃんから聞いた話にはなかった情報だ。
そうなんだー。と適当に相槌をうったところで、生徒会顧問の教師が私の名を呼んだ。
生徒会室へ案内してくれると言う。
私は大人しく顧問の後について行った。
この未知の学園で、いきなり生徒会に放り込まれることに不安がないわけではない。だが、腐ってもヒロインポジ。きっと序盤は苦労しても最後はイケメンを侍らせてウハウ……清く正しく生きていれば、きっと幸せな未来が待っているに違いない。そう自分を勇気づけて、私は顧問の背中を追って、生徒会室に足を踏み入れたのだった。
「お? そうか、今日は綾小路も参加か。すまんなうっかりしていて、迎えもやれなかった」
部屋に入るなり顧問が声をあげた。どうやら先客がいたらしい。
「いえ、一人で来られますので、迎えは不要です」
部屋の中は顧問の背に阻まれて見えなかったが、澄んだ声音が聞こえた。
私はその声の高さに驚いた。あきらかに声変りを迎えていない。
高校生にもなってそんなことがありえるだろうか。と怪訝に思ったとき、瞳を輝かせて語る知菜ちゃんの姿を思い出した。知菜ちゃんは言っていなかったか。
「乙女・ザ! 栖比華学園」には年下好き女子の為の隠しキャラが存在すると。
栖比華学園の生徒は幼稚園から大学までエスカレーター式に進学するのが普通だ。当然、折々において交流があり、生徒会のそれも盛んという。
高等部の生徒会に、時折助っ人として現れる下級生。それがショタ系隠しキャラなのだ。
知菜ちゃんは彼の事を語る時『ちょっと生意気なところが超可愛いの!』と、鼻息も荒く悶えていた。
いきなりの隠しキャラの出現に驚いたが、年下は嫌いではない。
私は顔に笑顔を張り付けて、顧問の後ろから顔をのぞかせた。
そして――笑顔のまま固まった。
彼……綾小路君は、不自然な笑顔の私を認めると、椅子から立ち上がった。
「今日から書記に入られる青木さんですね」
綾小路君が行儀よく頭を下げると、真っ直ぐに切りそろえられた髪がさらりと揺れる。くりっとした大きな瞳はアーモンド型で、気まぐれな猫を思わせた。
身に着けているのは水色のスモッグに、斜め掛けされた黄色い鞄。
手に持っているのは、つば広のこれまた黄色い帽子で……これは……どう見ても……
「付属幼稚園、年長のさくら組から参りました」
幼稚園児です。本当にありがとうございました。……じゃなくて!
ちょっと、知菜ちゃん、どういうこと!?
ショタっていうか、ガチペドじゃん!
いや、確かに可愛いけど、ちょっと年下すぎるでしょ。攻略対象って出て来ただけで罪悪感はんぱないよ! え? なに? 知菜ちゃん綾小路君いけんの!?
前世の友人の、驚きの性癖に、動揺を隠せない私を特に不審がる事もなく、綾小路君は小さな手を差し出した。
「綾小路九兵衛です。若輩者ですが、よろしくお願いします」
ってか名前しぶっ! 今時の幼稚園児ってもっとハイカラな名前なんじゃないの。
「青木です。よろしくお願いします……」
衝撃の連続に、脱力しつつも、私は綾小路九兵衛君となんとか挨拶を交わし終えた。
すると、それまで成り行きを見守っていた顧問が、申し訳なさそうに頭に手をやって言った。
「ちょっと先生野暮用があってなあ。綾小路あとは頼んだぞ。青木に色々と教えてやってくれ。いやあ、綾小路がいてくれて先生助かるよ」
幼稚園児に全幅の信頼を寄せる教師。……うん、もう、どうでもいいや。
「とりあえず、皆が揃うまで待ちましょうか」
九兵衛君は、顧問が去ると、そう言ったきり何やら難しげな本を読み始めた。
九兵衛君がページをめくる音と、時計の秒針が進む音だけが響く静かな生徒会室に、その人が現れたのは、教師が去って、わりとすぐの事だった。
乱暴にドアが開け放たれる。
バンッという派手な音に、飛び上がらんばかりに驚いた私に、その人は冷たい一瞥を投げかけると、靴音を響かせて奥の席に座った。
大柄な体躯に、つんつんと尖らせたヘアスタイルが目立つ。
服装は私と同じグレーのブレザーに、二年生を示す深緑のネクタイ。
目に余る乱雑な態度はこの際おいていおいて、高校生であるというだけで、ほっとした。
「鏑木さん、自己紹介ぐらいしてはどうですか」
本から顔を上げて、眉を顰めた九兵衛君が、咎めるような声をだした。
鏑木さんは、鋭い眼光で九兵衛君を睨みつけたあと、舌打ちを一つ。それから渋々といった態度で、口を開いた。
「鏑木八彦だ。話は聞いている。青木だな?」
またしても名前は渋かった。乙女ゲーのキャラなんだから。せめて、もうちょっとなんていうか、ねえ……
「いいか。一つ忠告しといてやる。一度しか言わないからよく聞いておけ」
鏑木八彦先輩は、長い脚を組んで、パイプ椅子に背中を預けながら言った。
「痛い目に遭いたくなければ、俺に近づくな」
……知菜ちゃんは言っていた。生徒会には一匹狼キャラが存在すると。
誰ともつるむことなく、いつも一人で行動する彼を『傷つきやすく気高い精神を持った、孤高の人なの。陰のある瞳を見ると胸が締め付けられちゃう。これって母性本能かな~』と評していたっけ。
一匹狼を気取る人間が、なぜ生徒会に所属しているのか、心底不思議に思ったものだ。
「おい、聞いているのか!」
「あ、はい。気を付けます」
顧問の教師が幼稚園児を頼るわけが、うっすらと理解できた気がする。
九兵衛君ルートは論外だが、八彦先輩ルートも嫌だな。面倒そうだから。
そう思ったとき、風が吹いた。残暑を和らげようと窓が開いていたらしい。
机の上に置かれていた書類が舞い、ばさばさと床に落ちる。
「ちっ」
意外なことに、真っ先に腰を上げたのは八彦先輩だった。
かったるそうにしながらも、書類を集め始める。
続いて九兵衛君も席を立っては、新参者たる自分が傍観していられるわけがない。
私は散らばった紙に手を伸ばした。
書類は今日の会議で使われるもののようだ。学園祭に向けて話し合いを重ねている最中らしく、要綱や予算の内訳などが書かれている。
軽く書面に目を通しながら、紙を拾い集めていたために、知らず知らず、八彦先輩と距離が縮まっていた。同じ紙に同時に手をかけたせいで、指先が八彦先輩のそれと重なった。
途端に、パチッと音がして、指先に軽い痛みが走る。静電気だった。
「いたっ」
思わず声に出してしまったのは、痛みのせいというよりは、パチッと来た時の慣習のようなものだった。
「くそっ」
苛立たしげな声に視線を上げると、八彦先輩と目が合う。
八彦先輩の瞳は暗く沈んでいた。
知菜ちゃんがこの場にいれば、『獣は強い分、繊細なものなの。傷ついた心を癒してあげた~い』とでも言ったかもしれない。確かに何かにショックを受けた顔だった。
しかし、何にショックを受けたと言うのだろう?
八彦先輩は、立ち上がって距離をとると怒声を上げた。
「だから、言っただろう! 痛い目に遭いたくなければ近づくなと」
は?
意味が分からず、対応に困る私に、九兵衛君が言った。
「鏑木さんは静電気体質なんです。必ずきますから、接触しない方がいいですよ」
……え、痛い目って、そういう意味?
なんだか想像していた乙女ゲーとは随分違う気がする。
それとも私が勘違いしていただけで、こういうのが乙女ゲーのスタンダードなのだろうか。
繊細すぎる一匹狼、八彦先輩は窓を閉めると、部屋の隅に椅子を引き摺って行き腰かけていた。
腕を組んで固く瞳を閉じた様子から、もう決してここから動くものか、という決意がありありと見て取れる。
「放っておくといいですよ。いつものことですから」
私は九兵衛君の助言に従って、関知しないことにした。
手持無沙汰をごまかすために集めたばかりの書類をなんとはなしにめくっていると、ばたばたと賑やかな足音と共に、二人の男子生徒が飛び込んできた。
一人は背が高く糸のように細い目をした柔和な雰囲気の持ち主で、もう一人は小柄で利かん気の強そうなはっきりとした目鼻立ちをしていた。
ネクタイの色は紺。同学年だ。
二人は共に私を見るなり、驚いたように目を見開き、しかしすぐに合点がいったという顔をした。顧問から新しい書記の存在を聞かされていたのだろう。
「あー、確か青田さんだっけ」
「ちっげーよ。青野だろうが」
のっぽの勘違いをチビが訂正する。どっちも間違いだ。馬鹿野郎。
九兵衛君がため息を吐いた。
「違います。彼女は青木さんです。青木さん、紹介します。背の高い方が北斗七聖さん。低い方が北斗助六さんです」
なにその名前。おおぐま座なの? 神拳なの? かぶいちゃうの? 寿司なの?
「……ん? あれ?」
というか両方、北斗? という疑問が如実に顔に出ていたのだろう。
二人は肩を組むと、にまっと笑みを浮かべた。
「俺達双子なの」
……そう言えば知菜ちゃん言ってたっけな。
乙女ゲーにはお約束の双子キャラが登場すると。
『なんと二股エンドもあるのよ! 二人に同時に愛されちゃうの。双子だけに感性も好みも似てるのね~。三人で……なんてなったらどうしよ~。ぐふふ』
と聞かされた時は彼女の倫理観を真剣に心配したものだ。
「僕は兄の七聖。趣味はスパンキングです。分からないことがあればなんでも聞いてよ。よろしくねー」
「俺は弟の助六。趣味はイナリの食べ比べ。分からねえことがあれば適当にやればいいんじゃね。よろしくな」
サラッととんでもない性癖を暴露するのはやめてほしい。
趣味も感性もてんでばらばらな二卵性の双子。という意味の見出せない双子設定に、やっぱり私の乙女ゲー認識はおかしいのだろうかと不安になった。
双子が登場してからというもの生徒会室は一気ににぎやかになった。
と言っても二人がぺらぺらと別々の話題をしゃべり倒しているだけで、九兵衛君は再び読書に没頭しはじめたし、八彦先輩はやっぱり部屋の隅から動かない。
ここにきて、私は、知菜ちゃん情報があまりあてにならないと気付き始めていた。
知菜ちゃんの感性はきっと常人に過ぎない私とは遥かに隔たれているのだろう。
九兵衛君を対象には見られないし、八彦先輩はやっぱり面倒なだけだし、スパンキング野郎と3Pなんて無理だし。
しかし、問題ない点もある。名前に数字が含まれるという情報だ。
9,8,7,6と来たと言うことは、次はきっと5が来るに違いない。
「にしても遅いねえ。周防副会長」
「あー。あん人、この時期忙しいからなー」
ふいに、それまでパドリングとウィッピングの違いについて熱弁をふるっていた七聖君がぼやくと、巻き寿司に桜でんぶを入れる奴は死すべし! とハッスルしていた助六君が答えた。
さすがに、文化祭前の季節、副会長ともなると忙しいものらしい。
8,7,6がこの様子だし、それも頷けるというものだ。
当てにならない知菜ちゃん情報によると、副会長は大病院の跡取りで、眼鏡の似合う和風美男子……ということだった。
『絶対頭いいよね。理系よね。医者よね。次期院長よね。眼鏡男子サイコー』
と、そろばんを弾いていたはずだ。
正直、金持……インテリは嫌いではない。
ナンバー5に微かな期待を抱きつつ、私は副会長の登場を待ったのだった。
鞭の種類についてホワイトボードを使って図解で説明して来る七聖に些かうんざりし始めた頃、静かに扉が開いた。
姿を現したのは、すらりとした長身の男だった。
ネクタイの色は深緑。涼しげな目元の切れ長の瞳、すっきりと通った鼻梁に、少し酷薄そうな薄い唇。どことなく漂う色気に思わず見惚れた。なるほど眼鏡の似合う和風美男子だ。
「もう来ていたのか。遅れてすまない。青山だな?」
「違います。彼女は青木さんです」
……またこのパターンなの。しれっと間違えた副会長に、九兵衛君が慣れた様子で訂正を入れる。
「そうだったか。すまない。僕は周防皐月だ。転入早々で悪いが頑張ってくれ」
一瞬、5じゃないじゃん、と思ってしまったのが悔しい。
つか、そのひねりは必要なのか。本当に必要なのか!? 無難に吾郎とかでよかったんじゃないの?
などと、思わず心のなかで突っ込みを入れてしまったが、気を取り直して頭を下げる。
8,7,6に比べて格段に真面そうな5の心証は損ねたくなかった。
「青木です。よろしくお願いします。……えーと、お忙しいんですね。」
とは言え、出会ったばかりで話題もない。とりあえず気遣ってみるかと微笑めば、皐月副会長は眼鏡の眉間部分を、人差し指で押し上げた。
「ああ、追試を少々な」
……聞き間違いだろうか?
「え、と、追試ですか?」
念のためにと聞き返せば、皐月副会長はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「そうだ。全教科赤点だったからな」
そこ、不敵に笑うとこじゃないだろう。
美形で、眼鏡で、副会長で、大病院の跡取りだからといって、頭がいいとは限らない。
そう学んだ瞬間だった。
いよいよ、私は乙女ゲーに対する認識を改めなければならないかもしれない。
乙女ゲーとは美形で、家柄も良く、文武両道な男子とイチャコラするゲームではなかったのだ。
意外な奥の深さに感心すればいいのやら、嘆けばいいのやら。
書面に文字を書き込んでは、九兵衛君に間違いを指摘される皐月副会長を横目に眺めながら、私は自分の理解の甘さを自省していた。
にしても、9,8,7,6,5と来て、4,3,2,1と、あと4人も残っている。
よくよく考えてみれば高校の生徒会としては随分と人数が多くないだろうか。
私、ひょっとしていなくてもいいんじゃ……と、新たな希望を抱き始めた時だった。
控えめなノックの音が部屋に響いた。
「開いてます」
九兵衛君が声をかけると、ゆっくりと扉が開いた。
アイボリー色の扉の陰から現れた人物に、私は息を呑んだ。
そこにいたのは見たこともない美貌の持ち主だったのだ。
すっきりと嫌味なく整った眉に、長いまつげに彩られているのに、ちゃんと男性的な印象の瞳。高い鼻と、緩やかに弧を描く唇が完璧な配置で収まっている。肌のきめ細やかさは女子でもそうそうお目に掛かれないレベルだ。
上背も肩幅もあるのに、柔らかい空気を醸し出している……が、その美しすぎる容貌と高校生とは思えない静謐な雰囲気が、どこか油断ならないと思わせるような、そんな不思議な人物だった。
「遅かったですね、会長」
九兵衛君の台詞で、私は彼が生徒会会長であると知った。
きっと最後に現れるに違いないと思っていた会長の登場に驚きが隠せない。
セーブをせずに不用意に踏み込んだ場所で、ばったりラスボスに遭遇してしまったような、なんとも頼りない心地がした。せめて、宿屋で全回復をしておきたかった。
私は慌てて、灰色の脳細胞をフル回転させて知菜ちゃん情報をひっぱりだした。
『一見すごーく、穏やかな物腰なんだけどね、実は超の付く俺様なの! どんな議案も有無をいわせず可決させちゃうワンマンで、全校生徒のみならず、教師まで彼に一目置いているのよ。学園の影の支配者って噂なの。でもでもでも、愛しの会長様なら、どれだけ傲慢でも許しちゃう』
駄目だ。勝てる気がしない。
怖気づく私を見詰めながら、後ろ手に扉をしめると、会長はにこり微笑んだ。
その優しげな笑みに逆にぞくりとさせられる。腹に一物抱えた人物が見せるそれに思えて仕方なかったのだ。
「ふうん、君が青木さんですか。僕は四宮一二三です。どうぞよろしく」
……1から4まで、全部使い切ったよ! ラスボスぱねえ!
「なにか?」
知菜ちゃん情報を思い出したあとでは、小首を傾げて尋ねてくる、その容姿に似合わぬ可愛らしい仕草までに、裏を感じる。
「いえ、その……あんまり綺麗な人なんでびっくりしちゃって」
しどろもどろに言い募る。すると一二三会長の目がすうと細められた。
「へえ、綺麗な人……ねえ?」
私はもう蛇ににらまれた蛙だった。怒らせた。この恐そうな人を怒らせた。やっぱりレッドカーペッドが似合いそうな超絶イケメンって言えば良かった!
「こんなに面と向かって褒められたの初めてだよ。綺麗な人……だって。ねえ、皐月。どうしようか?」
一二三会長がいつの間にか傍に来ていた皐月副会長の肩に腕を乗せた。
片や学園の影の支配者。片や理系っぽい阿呆。
……後者のお頭はともかく、美形な二人が寄り添うさまは、迫力に満ちていた。
しんと静まり返った室内に広がる重苦しい間。
震えながら沙汰を待つ私の耳に、スパーンと景気のいい音が滑り込んだ。
「気持ち悪い。寄りかかるなハゲ」
一体全体なにがどうしたのか。皐月先輩が一二三会長の後頭部を手にしていたファイルで殴ったのだ。
「いた、痛いよ。皐月。それに僕はハゲてなんて……いませんよ?」
「黙れ、お前の父も、祖父も、曾祖父も代々ハゲているではないか。よってお前もハゲる。将来のハゲを今ハゲと呼んで何が悪い」
涙目で抗議する一二三会長をけちょんけちょんに貶す皐月副会長。
どうやら、またしても思っていた人物像と違うようだった。
「一二三、妙な間を作るのはやめろといつも言っているだろう。見ろ、青木がうろたえているぞ」
呆然とする私をフォローしてくれたのは、今の今まですっかり存在を忘れていた八彦先輩だった。部屋の隅っこを確保したまま、苦い顔で腕を組んでいる。
「そうだよねー。四宮先輩ってただでさえその含みのある容姿で誤解されるってのに、これじゃ第一印象最悪だよね」
「たく、散らし寿司にのっかった桜でんぶより性質が悪いぜ」
続いて、七聖と助六にフルボッコにされる一二三会長。
九兵衛君が、深い溜息を吐いた。その顔はひどく疲れて見えた。
「青木さん、申し訳ありません。四宮会長は無駄に整った顔と、本質を微塵も反映しない老成した雰囲気のせいで、その気もないのに相手を萎縮させてしまうんです」
「え……でも、どんな議案も有無を言わせず可決させるって……」
知菜ちゃん情報とあまりに違う。思わず零した疑問を耳にして、一二三会長は、口元に手を当て、意味ありげに笑った。
「ふふ、そう……どんな議案も?」
「だから、その間をやめろと言っているんだ」
「あと、疑問形もー」
八彦先輩の苦言に、七聖が賛同すれば、一二三会長は眉を寄せて苦笑した。
「いやだなあ。僕は間なんてとっていませんよ……違いますか?」
「だから、それをやめろっつってんだろーが!」
助六が今さっき皐月副会長に殴られたばかりの、一二三会長の後頭部を容赦なく張り倒す。
一二三会長は涙目で謝った。
「ごめん……ね?」
まったく直っていないけど。
「いいか、青村。こいつの議案が全て通るのは、前年までのそれをそっくりそのまま踏襲した代わり映えのないものだからだ」
「周防副会長、彼女は青木さんです。青木さん、四宮会長は当たり障りのない生徒会運営で定評があるんですよ。改悪も改善もしない。誰だって面倒な会議はさっさと終わらせてしまいたい。だから平々凡々な四宮会長の案に誰も反対しないんです」
「でも、教師も一目置くって……」
「あー、囲碁の話だね」
思わず食い下がってしまった私の言葉に、七聖が答えた。
「は? 囲碁?」
「カイチョーの趣味。こんなんでも囲碁だけは全国レベルなんだぜ」
助六が一二三会長の頭をぺしぺしと叩く。
威厳もへったくれもない姿なのに、それでもしつこくただ者ではないと思わせる空気を漂わせているのは素直に賞賛に価すると思う。
「ふふ、そういうことなんだ。どうやら分かってくれた……みたいだね?」
「いい加減学習しろ! このハゲ!」
懲りない一二三会長に、皐月先輩が切れる。
鳴り響く打撃音を聞きながら、私は思った――
知菜ちゃん、私、乙女ゲームを誤解してたみたいです。
最後に、その後に行われた打ち合わせでは、前年のデータを完全コピーした一二三会長の案を九兵衛君が微調整して終わった事を記しておく。