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四 元服式

                     §


   

 始まってみると、『元服式』は、あっという間だった。


 氏神様の神社の拝殿に居並ぶ親戚の皆や、拝殿の外にひしめく島の人達やクラスの連中や、物珍しさから見物にやってきた大勢の観光客が注目する中。

晴れがましいような恥ずかしいような複雑な気分で、俺は拝殿の中央に用意された席についた。

一族で一番の長老にあたる、うちのおじいちゃんの叔父さん――叔父さんと言ってもおじいちゃんとは五歳位しか違わない――が進み出て来て、俺の前に座って。

俺の頭の上に烏帽子を乗せて、紐を顎の下でくくって止めて、余った紐をはさみでパチンと切って――終わり。

もう何年も前からおじいちゃんや父さんや親戚の皆が何度も打ち合わせを重ねて、ここ一年は俺も話し合いの席に何度も呼ばれて、冬休みに入ってからは細かい部分の最終確認やら様々な支度やらに連日朝から晩まで追いまくられて、と……かなりの時間をかけて準備してきたのに。

いざ本番を迎えた、と思ったら……ものの五分としないうちに呆気なく終わってしまった。


 そして次は、巫女舞みこまいの奉納――弓佳の出番だ。


 楽の音を合図に、扇を捧げ持って拝殿の中央に進み出てきた弓佳は、普段とはまるっきり別人のようだった。

いつも馬鹿話ばかりして笑い転げている時の顔じゃない。表情が全然違う。

これがついさっき、ひーひー苦しそうに喘ぎながら笑い狂っていた奴か?と首をかしげたくなる程の変わりっぷりだ。

まるで本当に、女神が降りてきてでもいるような、凛とした表情。

神聖な場だから当たり前と言えば言えるのだろうけれど。


 御神前に一礼した後、ゆるゆると扇の紐を解いて、開いて。

古式豊かな雅楽に乗って、弓佳が舞い始めた。


 普段履いたこともないはずの長い袴を危なげなく捌きながら、上手に足を踏んでいる。

いつから、どこで、これだけ練習したんだろう。

同じ学校で同じクラスにいるから、相手の生活のリズムなんてのまでほぼ知り尽くしているつもりでいただけに、不思議で仕方がない。

どう考えても、一日に取れる練習時間なんて、知れたものだから。


 『ずうっと楽しみにしてたの』

さっきの弓佳の言葉を思い出す。

何で、だろう。

『巫女さん』ってのに憧れて、なのか?

楽しみにしたくなる程、魅力的な役なのか?



 肩から掛けた長い布――領布ひれ、とか言ってた――の端を、ふわふわと宙に揺らめかせて。

ひらりと返した扇を胸の前に構えた弓佳が、こちらを向いたほんの一瞬。

……視線が、合った。



 ――弓佳がよっちゃん護ってあげるんだから。



 不意に、どこかから聴こえた気が、した。


 夢の中で、言われた言葉。

ずっと昔に、言われた言葉。


 『宮江の一族の一の姫君は、一族と総領を護る力を氏神様から授かるんだって』

『一族を守る『斎姫』として、ここで氏神様にお仕えしていたんだって』


 ……イツキヒメ。


 こいつは今、間違いなく『斎姫』なんだ。

一族のため、とかじゃない。

総領の……俺のためだけに舞っている、俺の『護り神』。


 俺だけの――斎姫。



 舞い終えて。

御神前に一礼して。


 畳んだ扇を横にして、目の高さに捧げた弓佳が、拝殿から外へ真っ直ぐに出て行く。

そのすぐ後ろに、俺が続く。更に後ろに神社の神主様、そして両親や親戚の皆がついて来る。


 正面の階段の上から境内を一望した時。

拝殿の中にいた時には気がつかなかった、境内を隅々まで埋め尽くす人だかりのものすごさに、ぎょっとした。

まさかこんなに大勢の人が集まっていたなんて。こんな大勢の人に、見られているなんて。


 ……ヤバい。

足が、震えている。


 恥ずかしいを通り越して、すっかりびびってしまった俺の前で。

弓佳がゆっくりと、階段を降りていく。

爪先がすっぽり隠れてしまう長袴だから、流石に扇を捧げたままさっさと歩くのは無理なんだろう。一段一段を踏みしめるように、歩を進めている。


 袴の裾を後ろに長く引いているから、弓佳が下に降り切るまでは俺は動けない。

階段の上でじっと立ち止まったまま。

境内の人だかりは敢えて見ないようにしようと……俺は視線を弓佳の背中に向けた。


 厳かな程にしずしずと降りていく後ろ姿を、じっと見ていて。

弓佳の頭が真正面を向いたまま……全くぶれていない事に、気付いた。

扇を捧げた位置から目線を下に落とさずに、降りているんだろうか。

足許がかなりおぼつかないはず、なのに。


 ……不意に、昔の事を思い出した。


 小学校四年の夏休み最後の日。

どうしても書けなかった読書感想文を、作文が得意な弓佳を拝み倒して代筆してもらった。

弓佳は読書が大好きで、三冊のうちから一冊読めばいい課題図書を全部読んで、一番気に入った本で感想文を仕上げていた。

俺が泣きつくと最初はものすごい呆れ顔で

『自分で読んで書かなくちゃ意味ないでしょ?ばっかじゃないの?』

絶対嫌だと断ってきたけれど、そこを何とか、と泣きついて、頼みに頼んで。

結局、他の二冊のうち男子が好みそうな方で、感想文を書いてくれた。

馬鹿な俺はそれを、自分の字で清書し直さずにそのまま提出した。当然筆跡で代筆がばれて、ふたりとも放課後に職員室に呼び出されて先生にこっぴどく叱られた。

先生には『自分で読んで書かなければ意味がない』と、正に弓佳が言ったのと同じ事を言われた。

弓佳は一言の弁解もしなかった。黙って俯いて先生の説教を聞いていた。

流石に弓佳に悪いと思い

『ゆんちゃんは先生と同じ事を言ったけど僕が無理矢理頼みました!だから悪いのは僕です!』

俺がなけなしの勇気を振り絞って申し出たら、弓佳は顔を上げて

『それがわかっていて引き受けて書いたのはわたしだから、わたしも悪いです』

きっぱりと、そう言った。


 堀之内のばば様から聞かされたという宮江の『斎姫』の話を、氏神様の境内で弓佳が話してくれたのは、それから少し後の事だった。


 『弓佳が、よっちゃん護ってあげるんだから』

『ゆんちゃんが、俺を護るって?』

『だって今は弓佳が、宮江の一の姫だもん!』


 さっき、御神前で舞っていた時の弓佳の表情は、昔、先生に向かって『わたしも悪いです』と言い切った時の顔と、同じだった。

今も……後ろからは見えないけれど多分、同じ。

顔を真っ直ぐに上げて、前だけを見て――凛として。


 弓佳が下まで降り切った時、後ろから神主様にそっと袖を引かれて。

それを合図に、俺も階段をゆっくりと、降り始めた。


 俺よりもはるかに大変な役どころを、弓佳は俺の前で堂々とこなしている。

その後ろ姿が、まるで『わたしについて来れば大丈夫!』と言っているように、見える。



 ――弓佳がよっちゃん護ってあげるんだから。



 境内に敷かれた赤い毛氈もうせんの上を、鳥居横の斎殿まで粛々と歩む行列を、大勢の人達が左右に居並んで見守っている。


 弓佳の背中でふわりと揺れる二枚の領布と、首の所で束ねられた長い髪を見ながら、ゆっくり歩いているうちに。

……俺の頭の中からはいつの間にか、皆に見られている事に対する怖れが、消えていた。


                    § §


 元服式が無事に終わって。

午後からは家で、直会なおらいという名の宴会が催された。


 直会には、神社の神事の後にそれまでの潔斎を解いて、通常に戻るという意味がある、らしい。

……厳密に言えばその対象って、俺と弓佳だけじゃないのかよ。

一応主役という事で座らされている最上座で、最初は口々に祝いの言葉を言いに来ていた親戚や知り合いのおじさん連中が、そのうち俺そっちのけであちこちで杯を酌み交わしてどんちゃん騒いでいるのを、俺はただただ呆れて眺めているだけだった。

弓佳はと言えば、部屋を行ったり来たりして、料理や酒を台所から運ぶ手伝いをしている。

あれだけ大変な役をこなしたんだから、座ってゆっくり料理でも食べていればいいのに。

俺の所にジュースを持ってきてくれた時に、こそっとそう言ったら、弓佳は

「だって座っていたら酔っ払ったおじさん達が色々うるさい事言ってくるんだもの」

顔をしかめて返してきた。

「きれいだった、ならまだいいけど、色気出てたとか、セクハラじゃない?」

大体巫女さんに色気なんて罰当たりよね、とぶつぶつ呟くのに、俺はそうだよなあ、と頷くしかなかった。

「そもそも、本当に直会が必要なのって、結局のところ俺とおまえだけじゃないのか?」

俺が言うと、弓佳もそうだよね、と苦笑いを浮かべて。

「じゃ、ふたりで乾杯する?これがホントの直会ってことで」

「おう」

お互いにジュースを注ぎ合ったコップを手にして

「元服おめでとう、よっちゃん」

「巫女さんお疲れ、ゆんちゃん」

「乾杯!」

チン、と音を鳴らして、ふたりで笑い合った。



 宴半ば。

どこかで何か鳴る音がした。

「あ、わたし出るわ!」

入口の近くに立っていた弓佳が、さっと出て行った。


 電話、だったのか。

父さん始め親戚連中はすっかり酔っ払っているし、母さんや叔母さん達は台所に詰めっきりだし、誰も気がつかないんだな……全く。

と。

廊下で、弓佳が人差し指を立てて唇に当てながら、手招きをしている。

黙って来い、ってか?

俺は酔いつぶれているおじさん連中の間をそおっと通り抜けて、廊下へ出た。

「何、俺に?」

と、弓佳は

「菜香ちん、か、ら」

軽く片目をつぶって、そのまま部屋の中へ戻って行った。


 「もしもし」

『あ、タロー君?ごめんね、取り込んでた?』

「え、いや」

『ゆんちゃんが出たからびっくりした。親戚の人とか集まってるの?』

「ああ、うんでも、気にしなくていいよ。みんな酔っ払っちまってるし」

『そう?……あ』

こっちの都合をしきりに気にしていた上村は、

『そうそう、あけましておめでとう』

慌てたふうでそう言った。

「うん、おめでとう」

『それと、元服おめでとう?かな』

心なしか笑いを抑えたような声に

「うえむらぁ、おまえも俺からかうのかよぉ」

俺は憮然として返した。

『ううん、そうじゃないの!だって元服式のタロー君、本当にカッコ良かったから、どうしても一言おめでとうって言いたくて、それで電話……』

「上村、来てたのか!」

皆まで聞かずに俺は叫んでいた。

『うん』


 げげっ。

じゃ、あのポニーテールもどきの妙な頭も、見られていたって事か?


 でも、

『すごいよね、本当に昔の通りにやるんだね。ゆんちゃんの巫女さん、とってもきれいだったし、タロー君も昔の武士の子って感じで、すっごくカッコ良かった!』

上村が興奮気味に感動を語るのが受話器越しに伝わって来て、俺は少しほっとした。

それにしても。

「来てるんだったら、一言声かけてくれれば良かったのに」

式の間はともかく、斎殿に着いた後は境内で見ていたクラスの連中が寄って来て、色々話したり一緒に写真を撮ったりしていたのに。

と、上村は

『じゃあ……気がつかなかったんだ?』

少し、寂しそうな調子で、言った。

「気づかなかった、って?」

『神社でね』

「ん?」

『ゆんちゃんの舞の後、ゆんちゃん先頭に、みんな中から出てきたでしょう?』

「ああ」

『あの時、タロー君、私の方ちらって、見たの』

「え?」

『だから私、気づいてくれたんだと、思っていたんだけど……』


 ……まずい。

全然、覚えがない。

あの時は……。


 『わかってる』

俺が何か言おうとするより早く、受話器の向こうの声がそう言った。

『タロー君、ゆんちゃん見てたんでしょ、ずっと』

「えっ……」

『舞の時も、その後も、ずっと見てたでしょ』

「ばっ……ばかやろう、何で俺がずっとあいつ見てなきゃならないんだよっ!」

思わず口をついた抗議の言葉が、うわずった。


 『だって私……』

声のトーンが、落ちた。

『ずっと、タロー君だけ見てたもの。だから、わかったの』

「上村……」

俺は、絶句してしまった。


 ずっと俺を見ていてくれた上村だから。

ずっと弓佳を見ていた俺に、気づいた?


 いや、そう言われても、実はあまりピンと来ない。

俺は、弓佳だけ見ていたつもりはないから。

……でも。

あの時考えていたのは、弓佳の事だけだった。

それは、認める。認めるしかない。

でも……。


 『タロー君、本当は……ゆんちゃん好きなんじゃ、ないの?』


 不意に。

とんでもない事を、上村は言った。


 これまで他の誰も言わなかった事。おそらく誰も、思いつきもしなかった事。

そりゃそうだ。皆、知っているから。

俺と弓佳の血のつながりの濃さを。

従兄妹って言っても、普通のそれ以上に近い血。だから。


 「おいおい、何言ってるんだよ」

俺は笑いながら、返した。

「前に話さなかった?俺はあいつとは、父さん同士が兄弟で母さん同士が姉妹だから、血が濃いんだ。だから小さい頃からわざわざ言われてるんだよ、結婚は出来ない、って」

『……覚えてるよ。でもね』

「何?」

『だからって、好きにならないって、言い切れないでしょ?』

「そりゃ……でも、それって例えば、兄貴が妹好きになるようなもんだぞ。普通はそんな事考えられないだろ?」


 言いながら。

俺は自分の言っている事に全然説得力がないって、自覚してしまっていた。


 弓佳は妹とか姉とかじゃない。

そりゃそうだ、血が普通よりは近いと言っても、従妹はあくまで従妹だもんな。

……いや。

美奈とか、理沙とか、他にも従妹はいるけれど。

あいつは、違う。そういうのとも。


 ……じゃあ一体、俺にとって弓佳って、何なんだ?


 『でも、タロー君』

行き詰まってしまった頭の中に、

『ゆんちゃんって、タロー君には、特別なんじゃ、ないの?』

電話の向こうの声が、ストレートに流れ込んできた。


 ――特別。


 「そう、かも、しれない」

何だかすとんと腑に落ちた気がして、俺はさらりと答えていた。

……それが相手にどういう受け取られ方をするかなんて、全然、考えもしないで。



 弓佳は、嫌いじゃない。

好きだ、って、言ってもいい。

でもそれは、上村を好きっていうのとは、何か違う。

でも、美奈や理沙を好きっていうのとも、何か違う。


 こういうのを、どう言えばいいのか、わからない。

特別、って言うしか、ない。



 『そっ、か』

からりとした声が、返って来た。

『ああ、何かごちゃごちゃしゃべっちゃって、ごめんね本当に。みんな来ている時に』

「いいよ、全然」

『とにかくおめでとうって、それだけ言いたかったの』

「うん、有難う」

『じゃ、またね』

「ああ、またな」


 上村の勢いにのせられて、ばたばたと会話が進んで。

気がついたら電話は切れていた。

プーッ、プーッ、プーッ……


 受話器の向こうの音を聞きながら。

俺は上村に「今年もよろしく」って言い忘れた事を、ぼんやりと思い返していた。


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