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一 ロングヘア

                     §


 「ねえタロー君」

「何?」

「ゆんちゃんって、髪長いよね、すっごく」

「あ?」

放課後。

ここ数日そうしているように、俺は同じクラスの上村菜香うえむらなかとふたり、帰り道を歩いていた。

彼女と付き合うようになって、もう二週間になる。

物知りな彼女と歩きながら交わす色々な話がすごく面白くて楽しいのはいつもの事だけど、今日いきなり彼女が切り出した事には、一瞬俺は首を傾げてしまった。

「長い、かなあ?」

「えっ!タロー君、まさか全然そう思ってないの?」

……言われてみれば。

頭のてっぺんでひとつに結わえて端まで編んで、それでも腰まで届くっていうのは、『すっごく長い』という事かもしれない。

「小さい頃からずっと一緒で、顔見慣れてるからなあ、あんまりピンとこないのかもな」

「あ、そっか、『いとこ』だもんね、ゆんちゃんとタロー君って」

上村が、うんうんとうなずく。


 上村は半年前にここ――宮江島みやえじま――へ引っ越してきたばかり。

だから、他の連中が当たり前の事として知っている事を、知らない。

例えば、俺に向かって最初に話しかけてきた時の言葉が、

美矢よしや君って、名前が『よしや』なのに何で『タロー』って呼ばれるの?』

だった。

それはクラスの皆も、そう呼ばれる俺自身も、いつからそうだったのか思い出せない位昔から当たり前のように使ってきて、別に不思議とも思わなかった呼び名だった。

何しろクラス全員、小学校どころか幼稚園からずっと持ち上がりのクラスメートだから。

宮江島は小・中学校とも、一学年につき一クラスしかない。それも、一クラス二十人そこそこの人数で、辛うじて二学年合同クラスとかにはならずに済んでいるという有様だ。

そして。

そう多くない住民の、半分以上が『宮江』さんなのだから、恐れ入る。

だから島の中では、お互い苗字で呼び合うことはまずない。『堀之内ほりのうちの○○さん』とか『御土居おどいの××さん』と、住んでいる場所に下の名前を付けて呼んでいる。苗字で呼ぶのは上村のようによそから越してきた家くらいだ。

『宮江氏』っていうのは、何でもずっとずっと昔からこの島に住んでいた、由緒ある一族なんだそうだ。

そのへんの事は小さい頃から、祖父母や両親に耳にタコが出来る位聞かされて育ってきた。

だって俺はその『宮江氏』の、本家の一人息子だから。

何故かは俺にもわからないけれど、本家の男は皆、周りからは生まれた順に『太郎さん』『次郎さん』といった具合に呼ばれるのが習慣だったらしい。

それで、周りの大人達が俺の事を小さい頃から『タロー君』呼ばわりしているのを、側で聞いていた子ども達も覚えてしまった、というのが、多分真相なんだろう。

因みに父さんも同じ年代のおじさん連中には『太郎さん』と呼ばれている。ややこしいよな。


 それを上村に説明したら、次に飛んできた質問が、

『じゃあ、ゆんちゃんだけ『よっちゃん』って言っているのは、何で?』

……これも小さい頃からそうだったから、「何で?」と言われても困るんだけどな。

「従兄妹だから」としか、言いようがない。

俺の父さんと弓佳の父さんは本家に生まれた兄弟。

俺の母さんと弓佳の母さんは分家の姉妹。

弓佳はだから、分家の従兄妹と言っても血筋は俺にかなり近い。


 「タロー君」

今やすっかりこの呼び方に慣れたらしい上村が、横から俺の肩をつついた。

「お正月の、えっと……『元服式』とかいうの、ゆんちゃんが巫女さんやるんだってね」

「ん、ああ、そう」

「それって、ゆんちゃんが髪の毛長いから選ばれたのかなあ?似合いそうだし……」

その口調に、ちょっと羨ましげな……微妙に悔しげな響きを、俺は感じた。

「何?上村、やりたいの?」

「え、ううん!だって私、他所から来たから……そういうの出来ないってわかってるし」

「う、ん……こういうのはなあ」

島にはいくつか伝統行事があるけれど、長年の言い伝えやしきたりに沿って行われるものだけに、他所から来て年が浅い家は重要な部分には関わらせてもらえない。

ましてそれが本家の『儀式』ともなると。

それがわかっていて、でも上村の気持ちも何となくだけどわかるような気がして。

何て言ったらいいのか、迷ってしまった。


 「タロー君の『元服』でしょ?昔の成人式でしょ?大事な儀式なんだよね?」

「……ああ」

「そういうので、選ばれて巫女さんになるなんて、いいなあ、って思って」


 肩先で切りそろえた髪を、冷たい風になぶらせて。

少し淋しそうに笑う上村を、どう慰めたらいいのかわからなくて。


 「巫女さんったって別に、大したものじゃないよ。ちょっと踊るだけだしな」

……弓佳が聞いたら激怒しそうな大嘘を、俺は口にしていた。



                    § §


 「ただいまあ」

玄関を開けると、見慣れた靴が目に入った。

「よっちゃん?お帰り。ゆんちゃんが来てるわよ」

奥の台所の方から母さんの声がする。


 靴を脱いで、廊下をたどって、居間をのぞくと、弓佳がミカンを食べていた。

「遅かったじゃない。わたしより先に教室出たのに」

にやにやしながら言うのに、

「いいだろ別に、ほっとけよ」

俺は少しむっとして答えた。

……こいつ、わかっていてこういう事言うんだものな。

「菜香ちん、ちゃんと送ってあげた?」

「送るも何も彼女の家は通り道だって」

と、弓佳は、

「きゃーっ、やっだーっ、『カノジョ』だってーっ!ひゅうひゅう!このタラシーっ!」

ミカンの皮を剥きながら、むちゃくちゃな冷やかしを浴びせてきた。

「あのなぁっ!」

俺は鞄を放って、弓佳の前に座った。

「タラシって何だよタラシって!人聞きの悪い!」

と、弓佳はにやにや笑いながら。

「んじゃ何て言えばいいの?これで『カノジョ』通算七人目の宮江美矢君」


 ……ああ、もう。

だからこいつは苦手なんだ。


 弓佳と俺はただの従兄妹ってだけじゃなく、年まで同じだから、幼稚園から中二の今まで……そしてあと一年は確実に、同じクラス。

つまり、家の事も学校での事も、何もかもお見通しな立場にいるんだな、こいつは。

初恋・片思いを含めた俺の色恋沙汰の数々まで、弓佳はちゃんと知っている。

もちろん俺だって、弓佳がこれまで好きになった奴くらいは知っているけれど、こいつの場合、その手の事で冷やかされたりつつかれたりしても『だから何?』の一言で、てんでダメージを受けないんだから、仕返しのしようがない。


 「よっちゃん」

一言も返せない俺に、弓佳は不意に真面目な顔をして話しかけてきた。

「言っておくけどね、菜香ちん泣かせたら、わたしが許さないからね」

「何だよ?馬鹿にリキ入ってるな」

「だってわたし菜香ちん大好きだし。それに」

言いかけて、そこで少し声を改めて、

「菜香ちん、他所から来た子だから、それだけでも色々心細いでしょ。その辺ちゃんと気を遣ってあげないと」

そう言うと、弓佳は不意に目を細めて、笑った。

「ま、よっちゃんの事だから、それはよくわかってると思うけど?」


 ……これだ。

こいつに頭が上がらない、一番の理由。

何もかもお見通しな立場にいるから、ちゃんとわかってくれているんだよな、俺の事。

だから。


 「他所から来た、って言えば……」

「何?」

「うん、上村がな」

俺はさっき上村が『巫女さん』を羨ましがっていた事を、簡単に話した。

と、弓佳は妙に難しい顔をして、

「うーん、そっか……でも、こればっかりは、ねえ……」

腕組みをして考え込んでしまった。

「気持ちはすごくわかるんだけど、どうしようもないもんね」

「決まりだもんな、昔っからの」

……別に弓佳の髪が長いから『巫女さん』に選ばれたっていう訳じゃない。

極端な話、弓佳の髪がおかっぱだろうが、丸ボーズだろうが、そんな事は関係ないんだ。

俺の『元服式』の『巫女さん』は、俺に妹が生まれない限り、弓佳がなるものと決まっていたから。


 元服式。

それは、宮江の本家だけに伝わる伝統的な儀式だそうだ。

本家の長男――将来の総領――が、数え年で十五になる正月に、昔ながらの衣装をつけて、一族のえらい人に『烏帽子えぼし』っていう昔の帽子のようなものをかぶせてもらう、らしい。

話だけで実際に見たことがない――俺の前に元服式をやったのは父さんだから当然だ――から、よくわからないけれど、要するに昔の人の『成人式』を、現代までずっと伝えてきたという事なんだろう。

で、この儀式にはひとつ、おまけがついている。

本家の娘が巫女になって、氏神様の本殿で舞を奉納するという、これも代々のしきたりらしい。

本当だったら俺の姉さんか妹がやるはずなんだけど、あいにく俺は一人息子。

こういう場合は、本家に一番血筋が近い家の一番年上の女の子が『巫女さん』になるんだそうだ。

それで選ばれたのが、父さんのすぐ下の弟の長女で、三人いる父方の従姉妹のうちで一番年上の弓佳だったというわけだ。

ずっとずっと昔からのしきたりなだけに、誰でもいいというわけにはいかない。

今でこそ『巫女さん』で一日踊るだけだけれど、昔だったらそんな簡単な話じゃない。

元服式の巫女っていうのは、元々、一族にとってすごく重要な立場の女がなるものなんだ。

特に……元服する当人にとって、すごく。


 「俺、上村に何て言ったらいいかわからなくて……」

実際に上村に言った事なんか話したら弓佳が怒るのはわかりきっているので、それだけ言うと、

「巫女さんになって踊るだけだし、大した事じゃない、って言っても、納得しないだろうなあ」

俺が敢えて言わなかった事をそっくりそのまま、意外にも弓佳が口にした。

「ゆん、ちゃん?」

「何しろよっちゃんに関わる事だもの、何だって菜香ちんには大した事だわ……あ、でも」

そこでふっと、言葉が途切れた。

「でも何?」

「うん、よく考えたら、菜香ちんが羨ましがる必要、全然ないよ、それって」

「何で」

「だって」

弓佳は俺の顔をじっと見て、言った。


 「巫女さんになったら、絶対結婚出来ないでしょ」

「――え?」


 瞬間、心の中でどきりと音がした。


 「巫女さんになるのって、本当は本家の総領息子の姉妹でしょ?よっちゃんひとりっ子だからわたしになったけれど……わたしが選ばれた理由だってよっちゃんに一番血が近いからだし、だからよっちゃんとは絶対結婚はだめだって言われてるじゃない?」

「うん……」

「つまりよっちゃんの元服式の巫女さんに選ばれるような立場じゃ、よっちゃんとは絶対結婚出来ない、って事」


 ……ああ、なんだ。

そういう事を言いたかったのか。

覚えていたってわけじゃないんだな。


 「だから、菜香ちんは、間違っても代わりたいなんて思うもんじゃないって、巫女さんじゃなくてほんっとうに良かったって思え、って、言ってあげればいいんじゃない?」

大真面目な顔で弓佳が口にしたその提案に、俺は頭を抱えたくなった。

理屈が微妙に無茶だっていうのもあるんだけれど。

「それ……言うんならゆんちゃんが言ってくれよ」

「何で?」

「……俺の口から、俺とその……結婚出来る出来ないなんて事……言えるわけ、ないだろ」

ぼそぼそと、やっとそれだけ言うと、

「あら、そーお?」

いたずらっぽい目をして弓佳は笑った。



 弓佳は、覚えていないんだろうか。

『巫女さん』になる事が、大した事だって事を。

少なくとも上村には絶対に言えないって位……大した事だって、いう事を。


 『宮江の一族の一の姫君は、一族と総領を護る力を氏神様から授かるんだって』

『昔だったら、一族を守る『斎姫』として、氏神様にお仕えしていたんだって』


 それは昔、他ならぬ弓佳に教わった事。

もっと後に、俺自身、堀之内のばば様――俺や弓佳の母方の祖母――に、詳しく聞いた事。


 『巫女』になるのは、元服する本家の長男――次の総領――に、血筋の上で一番近い女。

昔だったら『斎姫』と呼ばれて一族の護り神となるはずの『一族の一の姫』だ。

『斎姫』は一生、誰とも結婚出来ない。

死ぬまで氏神様に仕えて、一族のために、総領のために、祈り続ける。

戦国時代、そのしきたりのために、総領と恋仲だった従妹の姫が斎姫に立って別れなければならなくなった挙句、総領は戦で討死、斎姫は総領を護りきれなかった事を悲しんで入水したという――悲劇の伝説が宮江島に伝えられている。

さすがに今はもう、そんな無茶苦茶なしきたりはないけれど。

昔ながらの『元服式』の場で、元服する『次の総領』の無事を願う舞を巫女として奉納するという役目だけが、辛うじて現代まで残った。

一族全体の護り神だからこその。

何よりも――『次の総領』の護り神だからこその、役目が。



 「ゆんちゃあん!お夕飯食べていくでしょう?」

「はあい!伯母さん!」

台所から呼びかける母さんの、声の方向に威勢よく顔を向けてそう返した瞬間。

腰まで届く長い三つ編みが、弓佳の背中で大きく揺れた。

それは、改めてよく見れば確かに上村の言う通り、『すっごく長い』と、思えた。

何でこんなになるまで伸ばしたんだろうと不思議に思える位に、長かった。

「ゆんちゃん」

「んー?」

「上村が、ゆんちゃん髪長いから巫女さんが似合うだろうって、言ってた」

「え、そお?」

一瞬、きょとんと俺の顔を見て、

「そっか……じゃあ、伸ばした甲斐があったかなあ」

ぱっと表情をほころばせた弓佳の顔は、ずっと昔の記憶の中の笑顔、そのものだった。



 何故だか。

俺は今でも覚えている。

弓佳はもう、忘れたかもしれないけれど。


 『だから、弓佳が、よっちゃん護ってあげるんだから』

『ゆんちゃんが、俺を護るって?』

『だって今は弓佳が、宮江の一の姫だもん!』


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