君と見る世界
なだらかな丘に太陽が暮れていく。
あぁ、そんな景色も彼女は嬉しそうに見ていたな、とライルは思い出す。
すすり泣く声が教会の傍らの墓場に波紋のように広がっていく。
その中央には黒い棺があった。
閉じられた棺に眠るのは一人の少女だ。
ライルの大切なセシリアだ。
暗い墓穴に棺が横たえられる。
その棺に、集まった人々が花を手向けた。
あぁ、そういえば彼女は花も好きだったな、と思いながら、ライルは静かに棺を見続ける。
そうしながら、彼はセシリアのことを思い出していた。
✳︎
セシリアとライルが出会ったのは彼女の家の庭だった。
それは花が咲き乱れる春の事だった。
その日、いつもベッドから庭先を眺めるだけだったセシリアは家を抜け出し、庭へ出て直接花を愛でていた。
その顔は輝くような笑顔で彩られていて。
その肌は日に焼けることを厭うかのように白かった。
目を離せば儚く消えてしまいそうに見える彼女に、ライルは吸い寄せられるように近づいた。
そして彼女と目があった。
あまりの驚きに瞠目するライルに、セシリアは何でもない事のように微笑んだ。
「こちらへ来て、少しお話ししませんか?」
セシリアは裕福で高貴な家の娘だった。
両親が出かけ、使用人が忙しく働くこの瞬間しか外に出れないような娘だった。
その彼女の自分に向けられた言葉にライルは驚き、逡巡して……けれど結局、彼女の言葉に頷き、その庭へと足を踏み入れた。
庭には白いテーブルと椅子があった。
そこへセシリアとライルは腰掛ける。
ライルが腰掛けたのを見て、セシリアがゆっくりと口を開いた。
「わたくしはセシリアです」
「知ってる。……僕はライル」
短く名乗りながらも。
家名を名乗らなかったセシリアに、ライルは少しだけ好感を抱いていた。
家名を名乗られたら、ライルはセシリアに敬意をはらう必要が出てくるだろう。
そんな面倒は遠慮したかった。
「ねぇ、ライル様。花が綺麗ですわね」
「うん」
綺麗にうっとりと花を見つめ続けるセシリアに、これなら話し相手なんていらないんじゃない? と少し思いながら。
ある事を閃いて、ライルはそれを実行する事にした。
ーー踊れ、踊れ、風よ踊れ。美しい花と舞い踊れ
セシリアの聴いたことがないであろう言葉で、ライルは歌うように命じる。
すると優しい風が吹き始めた。
柔らかな風が、花びらを運ぶ。
ライルの言葉に応えて。
どうだ、と言わんばかりにライルはセシリアの顔を見た。
ただ咲いている花にさえ、あの笑顔だ。
この花びらが踊るように風に乗っている景色を見たなら、きっともっと素晴らしい笑顔を見せてくれるに違いない。
そう思っていたライルの目に、どこか顔を曇らせたセシリアの姿が映った。
「セシリア?」
「これはライル様がなさったのですか?」
「そうだよ」
「……もう、こんな事はなさらないで下さい」
悲しそう散る花を見ながら言うセシリアの言葉の真意がどこにあるのかわからないまま。
それでも彼女のそんな顔を見たくはなくて、ライルは渋々ながらに頷いたのだった。
✳︎
二人が出会って、一つの季節が過ぎた。
セシリアの両親や使用人の目を盗んで、二人は色々な話をした。
場所はもっぱらセシリアの家の庭や、セシリアの部屋の窓辺だった。
西の国の花の色と舞姫の話。
南の国の砂の色と王様の話。
北の国の氷の色と旅人の話。
セシリアは色々な国の話を聞きたがり、語り手はもっぱらライルが務めた。
その日はライルとセシリアはいつものように庭先で話をしていた。
今日ライルが語ったのは東の国の朝焼けの色とそれを愛でるお姫様の話だった。
いつものようにライルの物語に耳を傾けていたセシリアが、その物語が終わると同時にぽつりと呟いた。
「……いつか、そんな景色を自分の目で見たいです」
そんな風に言う彼女は、それが不可能だと知っているようだった。
ごまかすように浮かべた笑顔がしおれた花のようだった。
「じゃあさ、いつか一緒に見に行こう」
そんなセシリアの顔を見たくなくて。
慰めるようにライルが言うと、セシリアは嬉しそうに笑った。
それが、ライルも嬉しくて。
笑みをました彼は、その唇に無意識に言葉をのせる。
春の日に風をおこし、花を舞わせたものと同じ言語を口にする。
ーー眠れ、眠れ、世界よ眠れ。僕ら二人を残して眠れ
その瞬間、静寂が世界を包んだ。
空気が変わったことを肌で感じたセシリアが、少しの困惑を滲ませて首を傾げる。
自分が言葉を使ってしまったことに、ライルは少しだけ後悔して。
けれど、同時にチャンスだと思った。
カイルはセシリアの手をとって、座っている彼女を立つように促す。
そして立ち上がったセシリアの手を引いて、彼女の家の庭を後にした。
目指したのは彼女の家のから歩いていける距離にある小さな丘だった。
空気さえ震えることを躊躇うような静けさの中、二人は丘を登る。
「これが、世界……綺麗……」
丘の上からの景色にセシリアが瞳を潤ませた。
その横顔がとても綺麗で。
一瞬見惚れてから、ライルは首を横に振る。
「もっと沢山の風景が世界にはあるよ。一緒に行こう、セシリア」
歌うようにライルはセシリアに囁いた。
セシリアが困惑するのがライルには手に取るように分かった。
彼女は今、真剣に悩んでいる。
「なんて、ね?」
そんな彼女を悩ませるのは嫌で。
おどけるようにライルは笑った。
二人の初めての外出は終わった。
✳︎
また一つの季節が過ぎた。
二人の逢瀬は、数え切れないほどになっていた。
その日、ライルが見上げた先には美しい月が昇っていた。
その優しい光がセシリアを思い出させて、無性に彼女に会いたくなって。
カイルは気がつけば、彼女の部屋の窓辺にいた。
「ライル?」
カイルの訪れを知って、セシリアが部屋の窓を開けてくれる。
そしてふわりと笑った。
「こんな時間に、どうなさったのですか?」
「月が綺麗だね」
その言葉にセシリアがつられるように月を見る。
「本当に……綺麗」
まるで、見るもの全てを記憶しようとするかのように。
セシリアは月を見つめ、ライルはそんなセシリアを見つめた。
静寂が二人の間に流れたが、それは居心地のいい静けさだった。
「ッ……コホッ」
静寂を破ったのはセシリアの口から漏れた咳だった。
「セシリア?」
「……なんでもありませんわ」
セシリアがにこりと微笑む。
その微笑みが、ライルにはどこか翳って見えた。
✳︎
冬がきた。
カイルとセシリアとあの日以来、会うことがなくなった。
セシリアの状態がよくないことが彼女側の理由であり。
この状況で会っても何を話せばいいか分からない、というのがライルの言い訳だった。
ゆっくりと落ちる白い雪をライルは一人で見つめていた。
無性に彼女に会いたかった。
ライルが会いに行けば、きっと彼女は、いつも通り微笑むだろう。
例え、その息が詰まるほどに苦しくても。
それが辛い。
けれど、会えない毎日も辛かった。
ゆっくりと雪が降る早朝。
ライルはせめてその顔だけでも見たい、とセシリアの部屋の窓辺へ向かった。
「お久しぶりですわね?」
セシリアはどこか責めるような口調でライルを迎えた。
「どう、して?」
ライルのその問いに答えることなく、彼女はいつものように微笑んで。
けれど、セシリアは初めて、ライルに願い事をした。
「あの丘に行きたいです」
唐突な、その願いにライルが目を見開き。
けれど首を横に振る。
「それは出来ない」
「あなたなら出来ますわ」
「ーー今はダメだ。せめて春を待って……」
「……私にもう春はきません。知っていらっしゃるでしょう?」
ライルは刃を首筋に突きつけられたような気がした。
彼女の顔色をうかがうように、ライルはセシリアを見る。
けれど彼女はいつものように微笑んでいるだけだった。
「いつ、から?」
「最初から。貴方が窓辺に舞い降りた、その時から」
まるで雪のように白い翼が美しかったと、セシリアは何でもない事のように言った。
そんな彼女に困ったように泣きそうに笑って。
ライルはいつか歌った言語を口にのせた。
ーー眠れ、眠れ、世界よ眠れ。僕ら二人を残して眠れ
その瞬間。
雪が降ることをやめて、風が震えることをやめた。
世界の全てが眠りにつき、起きているものはセシリアとライルだけだった。
壊れものを扱うかのように、ライルはセシリアの雪のような手を引き、庭へ出る。
そして丘の上へと、二人で登った。
雪に染まった世界に、セシリアがほうっと息をつく。
その横顔は相変わらず綺麗で。
このまま時間が止まればいいのに、とライルは願った。
「ライル、この世界はとても綺麗ですね」
静寂の世界にセシリアの言葉だけが響いた。
「わたくし、貴方に会うことが出来てよかったです。世界の美しさを聞かせてくれた。世界の美しさを見せてくれた。辛いことも、もちろんありましたけれど……わたくしは本当に、幸せでした」
セシリアはライルに微笑んだ。
その笑顔が世界で一番綺麗なものだと、ライルは思った。
✳︎
そして春がきた。
セシリアの言葉に反して彼女は春を迎えることが出来た。
そして花が咲き乱れる春の日に、永遠の眠りについた。
家族も去ったセシリアの墓標にライルは手を伸ばす。
その手に導かれるように淡い光が墓標から現れた。
それをライルは優しい手つきで包む。
セシリアであった光を包む。
ーー行こうか、セシリア
二人で世界を旅して、色々な景色を見るのだ。
彼女が見たがった花を、砂を、氷を、空を巡ろう。
彼女を天の国へ導くのは、きっと、それからでも遅くない。
そんな勝手なことを思いながら。
ライルは白い翼を羽ばたかせた。
短編のあらすじは本当に難しいなぁと思う2作目の短編でした。
ご覧頂きありがとうございました。




