DESION:3 全ての声の主
喫茶店Lの階段を登り、 2階の入り口に着くと、ガラス越しに店内が見える。
室内は数席に客が座り、くつろいでいる。窓際にkeiもいた。
ぼんやりと窓に額を寄せ、外を眺めている。
まだ少ししか面会がない女性だが、
じっくりと彼女を見るのはこれが初めてだった。
こう見ると、かわいい普通の女の子だ。
年は24〜25歳くらいか、見ようと思えば10代でもいける顔立ち。
肩に少しかかる髪の毛は真っ直ぐな黒髪。
整った子犬のような顔立ち…。
どうみても悪さなど出来る容姿ではない。
いや、いわゆるこういうタイプを、世間一般では小悪魔と言うのか…。
ドアを開けると、ジャズが流れている。
一時の安らぎ。
ケンタはジャズが大好きだった。
頭さえレゲエフレーヴァーさながらだが、これはあくまでも地毛の天パーなので、意図的ではない。
これで濃いめのブラックコーヒーを飲みながら、ゆっくりと時間に寄りかかれたら、どんなに贅沢な事か。
keiが自分に気付く。妄想もつかの間、keiに視線を合わせ、テーブルに近づく。
目の前にゆっくり座り、keiを観察する。
ケンタは、何から聞けば良いのか迷いながら、ウェイトレスが運んで来た水を口に注ぎ、
すぐにコーヒーを頼んだ。
数秒見合い、『まずは、納得のいく説明が欲しい。
店に来た時の事から後輩の事件、そしてお前が誰なのか…。』
『……分かりました。』
keiはそう言うと、テーブルに両手をヒジまで乗せて、
手の平を上に向けて『私の手を握ってください』とケンタに言う。
一体なんの真似だ…?
この女の言う事やる事がまったく理解出来ない。keiはケンタの心を察して、尚も言う。
『両手を握れば、聞こえます。いや、解ります。理由が大体…掴めます』
考えて、keiは話を続ける。
『心の言葉に耳を傾けるだけですよ、むつかしい事は何もありません。
その言葉が教えてくれただけです。あなたの後輩の死も』
いよいよ宗教じみてきた。
keiの手の平には、見た感じ何もないようだ。ケンタはkeiの目を見つめた。
今目の前にいる女は何を考え、何をしようとしてるのか?
女の瞳を覗き込んでいるうちに、不意に吸い込まれそうな感覚に陥る。
力が静かに抜けていく。そして、ゆっくり両手をkeiの手の平まで運ぶ。
そっと手を重ね、手の平を握り締める。
ケンタの手に力が入る。
『イタイです…』
keiが言うと、ケンタは力を緩めた。手の平に汗が滲む。
keiは目を閉じたまま、ケンタに優しく語りかける。
『大丈夫、もっと力を抜いていいです。』
言葉が体を駆けてゆく。水の波紋のように、言葉を尚も響かせる。
『もっと、もっと……』言いながらkeiはゆっくりと両手の人差し指を這わせ、
真っ直ぐに伸ばし、指の先で、ケンタの脈を押し始める。
『抵抗しないでください。このまま、ゆっくりと、あなたは全ての答えを見ますから。
それを見たければ、どうかこのまま……。』
緊張が一つ、また一つとほどけて行く度、ケンタは言いようのない感覚を感じる。
意識が、現実から…はなレテ……。
……………!
突然体が宙に浮く。
いや、沈んでいるのか?見渡す限り、何もナイ。いや、在るのかも知れない。
つい何秒か前までの喫茶店での風景がない。感覚が、あるようでない…。
夢かうつつか。
明るい、とても明るい景色だ。光が何重にもうごめいているようだ。
『田中ケンタ…。』
真後ろから声がした。ケンタは慌てて振り向くと、椅子に腰掛けた男がいる。
重厚な台座のような椅子で、黒くてとても重そうだ。
いろんな所に金具が施してあるが、剥げていて全体的に黒みがかっている。
それはまるで高価なアンティークのようだった。
男は浅めに座り背もたれに寄りかかり、右手で頬杖をついている。
中世を思わせる衣装は、どこかの王子のような、悪魔のような出で立ち。
実際に見た事はなかったが、どちらもケンタのイメージの中にあったそれだ。
髪の毛は全部が上に持ち上がっていた。
かなり固めのジェルを塗りまくったヘヴィメタル宜しく、ツヤと上がり方は申し分ない。
顔は、ケンタに似ているというより、そっくりだった。
ケンタはじっとその相手を見ていた。
やがて男が口を開く。
『今ここでこうしている瞬間にも、沢山の命が始まり、そして終わりを告げる』
『ここは何処で、あんたは…誰だ』
ケンタは男に尋ねる。
『お前は今、意識の中にいる。私は`全ての声の主´。今お前に見えている私の姿は、お前がイメージしたものだ。』
『…ここはオレの意識の中なのか?』
辺りを見渡しケンタは呟く。
『全ての…還る場所だ。あまり沢山の事を伝えても仕方がない。まずお前が私を呼んだ。お前と私を繋ぐものが、keiだ。
そして、私が言う事をお前は現実の世界で実行しなくてはならない。』
『なんだよそれ』
『お前にはそれをする責任がある。』
ずいぶん勝手な言い分だなあ。
『そうかも知れないな。今理解しろと言っても所詮は無理な話だ。理解はまだしなくていい。とにかく、聞け。』
男がそう言うと、ケンタは黙って男を見つめ、静かに次の言葉を待った。
『お前が生きているこの世界…少なくとも見えるものは全て信じる事が出来るだろう。
しかし見えないものはどうだ、それらはそこに存在し、存在しないものだ。
そう…ここでは幽霊とか魂などと言われるもの、お前はそれを信じるか?』
ケンタは少し黙り、信じないなと思った。
『なるほどいいだろう。ではなぜ信じない』
なぜって、オレには見えないから。
『よし。蛙は…』
『蛙?』
ケンタが聞き返した。
『蛙は動いていないものは視界に入らない。見えていないのだ。』
見えていない・・・。
『人間は動いていなくても、そこに人がいれば、人だと認識出来る。つまり蛙に見えないものが、人間には見える。
ならば、人間に見えないものがあっても不自然でないという解釈は妥当だな。』
まあ、言ってる事は筋が通ってるけど。
『この世は多次元に存在する。お前が今こうしている間にも、
見えない世界もまた、同じ時間を並行して進んでいる。
この世で見えるもの、感じる事などは、全ての空間の中では微々たるもの。
小さな小さな銀河系。その中のまた小さな地球でみな生きている。』
……。ケンタは考えながらその続きを聞いた。
『しかしその並行したそれぞれの次元は、時に重なり合う。その重なり合う時を伺っているのが、霊体・幽体、そして世にいう悪魔の存在だ。
人はいつか死に、元いた場所へ還り、そしてまた生まれ変わる。そのサイクルは連動している。』
連動って…。
『人が死ぬ数と生まれる数は、比例しているという事。
極端に言えば、10人死ねば、生まれてくる数も…。』
10人?
『正しく。しかしながら現在このバランスが保たれていない。
この状態がこのまま続くと、予定よりも早く地球が活動を止めてしまう。』
地球が?
『予定ではお前が5回目の生まれ変わりの時代に地球が停止する。
早まってしまうと、他の惑星に影響する。それは宇宙を縮める事になる。
宇宙を縮めるという事は、ダークマターが広がるという事。』
ダークマターとか言われても…。
『それは簡単には、この世で見えない物や世界のようなものだ。』
それが広がると、とりあえずヤバいのか?
『全てはバランスだ。宇宙も、ダークマターも、生きとし生けるものになくてはならないもの。
宇宙は少しずつ、ダークマターとの比率を整えている。
それは、宇宙が広がり続けているという事。』
そのダークマターって、そんなに広大なのか?
『見えない世界との宇宙の比率は、まだ10%に満たない。』
そんなに…。でも、地球が停止するって…。まだまだ先の話だろ。
オレが死んだずっと後の事言われてもなー。ピンと来ない。
『お前が死んだ後も世界は続き、時間は進む。
お前の子供もまた、お前が生きたこの世界で生きてゆく。
死んだお前も時間を経て、再びこの世界に蘇る。その流れの循環を紡いで行くことが大切だ。
その流れが詰まりを起こすと、進化の過程で障害が起こる。』
そうなると、俺ら人間はどうなる?
『相当な痛みを伴うが、進化の為には仕方がない事。それも全て、人間の本能だ。
お前達の意思で、地球は停止するのだよ。停止後、進化の為の選択肢は幾つかある。
もちろん各々可能性は違うがね。しかし、停止が早まるとその選択肢が減ってしまう。
これは人間にとってかなりマズイ事になる』
まだよくわからないが、だから俺にどうしろと?
ケンタの心の声を聞き、男は一度頷いた。
『よろしい、では本題に入るぞ。覚悟して聞いてほしい。』
唾を飲み込む自分に気付かず、ケンタの額から汗が出始めた。鼓動が大きくなる。
瞬間、とても長く感じたこの時間を、ケンタは全身で受け止める。
ケンタを形成する、一つ一つの細胞が覚醒する。
いよいよ始まる物語に、ケンタは生きる意味を知る事になる。




