魔女と男の娘と招き猫。
昔、昔の話です。そうは言ってもこことはまた、別の世界のお話なので、昔と言ったところでピンとこないかもしれません。それはともかくとして、これは遠い、昔のお話。
とある国、とある町で、とっても可愛らしい女の子が、格好良い男の子に恋をするところから、物語は始まります。
カーテンを閉じて、暗闇の中、蝋燭の灯をともしたなら。
お話の、始まりです。
*
それはまさに、ひとめぼれと言うやつでした。女の子は割かし、現実を重視する人間なので、従来「ひとめぼれなんて非科学的だわ」と豪語してきましたが、また同時に、自らに訪れた感情に人一倍素直であるとの側面を持ち合わせてもいた女の子は、この件に関して、予想していたよりは衝撃も少なに納得することが出来ました。そうは言っても、衝撃は衝撃でした。たいそう強い衝撃でした。驚き過ぎて、
「驚き過ぎたわ、私が驚き過ぎたわ」
と誰にともなく呟いてしまうほどでした。幸い周りに人はいなかったので、女の子の奇行は誰にも知られることはありませんでした。そっと、女の子は安堵しました。
そんなことより、ひとめぼれです。事実をもう一度確認しようと、女の子は今一度、細い道の向こう、明るみに照らされた方へと目を向けました。
艶やかな金髪と切れ長でブルーの眼を持つ、誰の眼にも美少年に映るであろう少年が、そこにはいました。その姿を確かめた途端、ほんのさっきと同じ感覚が、女の子の胸を高鳴らせました。ドキ、ドキ、ドキ。初恋の音が、ひとめぼれの鼓動が脈打っています。不思議と心地いい感じが、女の子はしました。これは何としても、あの男の子を手に入れなくてはなるまいと、実はちょっぴり腹黒い女の子は決意するのでした。
*
女の子の行動は至極迅速でした。自らの恋を悟るや否や、あれやこれやそれやの手を尽くして、彼の情報を手に入れました。彼の名前、彼の身分、彼の家族、彼の趣味、彼の好み……。その間、女の子に好意を寄せるけして少なくは無い数の男の子たちが、乙女な表情で意中の彼の調査を依頼する彼女に騙され、切り捨てられてきましたが、そんなこと、目の前に輝く純然たる恋心に比べれば、女の子にとっては路傍の石ころ以下の事情でした。
さて、そんな中、彼女の想いを妨げるよろしくない情報が手に入ってしまいました。なんと、彼の好みについてです。その内容は、彼女を絶望の淵に叩き落とすのに充分な力を持っていました。
「かの男の子は、『可愛らしい男の娘』が好き――――」
まず、男の娘とは何なのか、彼女には到底理解できませんでした。学校のクラスメイトの、皆にオタクと呼ばれている男子生徒に尋ねてみると、それが、「女の子のような男の子」だと言う事が分かりました。
「嗚呼、なんと言うことかしら。私は可愛い女の子、このままでは、彼と添い遂げることはできないわ!」
女の子は大いに嘆きました。そもそも、この国では同性婚が認められておらず、たとい彼女が男の子で会ったところで添い遂げられるはずが無いことには、その時の女の子には気づけませんでした。恋は須らく盲目であると、大人は良く言っていましたが、未だティーンエイジャーの彼女には、大人の言うことほど縁の無いものはありませんでした。
どん詰まりです。しかし彼女は三日三晩考え込んで、そして、なんと幸運なことでしょう、一つの妙案を思いついたのです。
彼女の友人には妖しげな恰好をした魔女がいました。その娘は小さな頃から天才魔女として噂になっていましたが、幼く醜い容姿と、反対に似合わないボーイソプラノの声がアンバランスであることにコンプレックスを抱いて、常日頃から森の奥で魔法の修業ばかりしています。彼女なら或いは、この問題を解決できるのではないか!
女の子は酷く喜びました。足を踏み外しかけた崖に、なんとか腕が届いたかのような気持ちでした。
*
女の子は早速、一人で森の奥へと向かいました。彼女に気がある何人かの男の子は、「自分がボディーガードとしてつき添おう」と申し出ましたが、別に危ない生物がいないことは何度も魔女の元へ行ったことのある女の子には分かり切っていた事なので、にべもなく断りました。少し面倒くさくなって、後半は適当に返した節もあります。いまさらですが、女の子はちょっと性格が悪い娘でした。
かくして、森の奥とは言っても町からほんの数十分のところに、魔女の住む家はありました。幼くして両親を失くした苦労性の魔女と、裕福な家庭に育った女の子とは、何故かそれなりに仲の良い友人でした。とは言え、それは魔女の方が思いこんでいるだけで、女の子の方は、便利な魔法を多々使える魔女のことを、ことあるごとに利用しているにすぎませんでした。「そうは言っても、私たちの間には友情があるわ! 友情に、数値は無いの!」と言うのが、女の子の持論でした。誰に言うこともありませんが。
トントン。ドアをノックすると、間もなく中から、黒いマントを頭から被った少女が出てきました。顔は可愛いのですが、発するオーラが暗いと子だと、女の子は常々思っていました。魔女が自分の顔を「醜い」と勘違いしていることは、以前から知っていましたが、自分と同等の可愛い女の子が表に出てくると面倒なことになるのは明白だったので、女の子は一度もそれを、魔女に伝えることはありませんでした。
「こんにちは、魔女ちゃん。お久しぶりね、お願いがあるの!」
「こんにちは、実にひと月と二日ぶりね。お願いって何かしら?」
女の子の唐突な申し出を、魔女は僅かの驚きも無く受け入れました。なぜなら、女の子が魔女を尋ねてくるのは、大体の場合、お願いがある時なのです。ひと月と二日前と全く同じ口上から入る女の子に苦笑いも浮かびましたが、そうは言っても魔女は、女の子を友達だと思っているので、指摘はしませんでした。
「私を、男の子にして欲しいのよ! それも、可愛い男の子が良いわ!」
「それまた、どうして」
「私の王子様は、男の娘が好きなの!」
「それはとても個性的な方ね」
魔女はひそかに「ホモ・セクシュアルではないか」と思いましたが、その男の子を好きだと言う女の子の前ではけして口に出しません。魔女は大変空気の読める女性でした。
「それじゃ、よろしく」と、返事も聞かずにすっかりやってもらえるつもりの女の子は、断りも無く魔女の家へと上がって行きました。やれ仕方が無いと、魔女も後に続きます。
魔女の住む木造一軒家は彼女の両親が遺したもので、一人で住むには多少以上に広すぎる節があります。その所為もあって、魔女が普段使っているのは玄関から直ぐのリビングと、元々彼女に割り当てられていた寝室と、それから、物置に使われていたところを掃除して実験室に改良した部屋の三つだけでした。両親の死後親戚に引き取られることを拒み、ついで女の子と同じだった学校も辞めた魔女は、毎日新たな魔法を研究して生計を立てています。そもそも『魔女』の絶対数が少ないのと、彼女自身が割かし才能に恵まれているのと、苦労性故か努力家なのが幸いして、魔女の研究は国に高く買い取られ、彼女一人分には余裕であまるほどの給与が、毎月彼女の口座には振り込まれています。奥ゆかしい彼女は常から豪奢な生活を好まないので、金銭面で困ることは一度もありませんでした。そのため、中々に豪遊の趣味がある女の子は、時折魔女にお金を借りることがあります。「友達だから、無期限無利息無利子よね」との女の子のお願いを、人が良くて騙されやすい魔女は快く承諾しています。いずれ出世払いでもしてくれれば、くらいに、魔女は考えていました。
「さぁ、さ。私には時間が無いわ、無いことはないのだけれど、早いにこしたことはこれまた無いのよ。早速いますぐ、私のお願いを聞き届けて頂戴、魔女ちゃん!」
「かまわないわ。でもね、性転換の魔法には、ちょっとした代償がつくのよ。術者と対象の声を、とり変えなければならないの。それでも良いのかしら?」
魔女の言葉に、女の子はちょっとだけ面喰らいました。なんてこと、そんな代償があったとは。でも、悪知恵の良くはたらく女の子は、瞬時の思考の末、にっこりと笑みを浮かべました。「これは願ってもない状況だわ!」と、心中でほくそ笑みます。
なぜなら、女の子の声は、些か可愛さに過ぎたのです。それに比べて、魔女の持つ声は、彼女の可愛らしい外見に似合わない、所謂「ショタボイス」といった感じのものなのです。男の子になった後の女の子には、それこそ都合の良い声質でした。……代償は魔女にも直接影響することを、女の子は勿論考えていませんでした。魔女としても、自分の外観と合わない声を引きうけてくれると考えれば、この話は特段悪い話ではありません。有難いと思う面も、確かな想いとしてありました。
「おぅけぃよ! ささ、やっちゃって!」
女の子の言葉を受けて、魔女は小さく頷きました。魔力の込められたチョークで、地面に魔方陣を描きます。
「それでは、軽く眼を閉じて」
魔女の言葉に女の子は従いました。すると、閉じた瞼の向こうで強烈な閃光が発生したのを感じます。身体中に血が滾るような感覚に襲われて、女の子は身ぶるいしました。せり上がってくる熱に耐えきれず、膝を折って肩を抱きます。ほんの数秒その状態が続いて、収まった頃に、聞き慣れた「もう良いわ」という声が聞こえました。粗く息を吐きながら眼を開けます。おそらく女の子と同じ熱に苛まれていたのであろう魔女の頬が上気しているのを見て、先の声が自分の喉から発せられたもので無いことを確信しました。魔法は成功し、女の子の声は魔女に移ったのです。こほんと咳払いをして、女の子は自分の身体を確かめました。心なし幅の広がった肩、薄くなった胸、股間に感じるとてつもない違和感……。男の身体です。少しの懸念と共に姿見の鏡の前に立って、女の子は喜びの笑みを漏らしました。女の子の顔は依然として可愛らしいままでした。少し輪郭が男っぽくなったところを除けば、基本的な造形はまるで変わっていないと断言できます。そしてこの僅かな変化こそが、彼女が「可愛い男の娘」になった証なのです。「やった」と思わず声を上げて、その声が今の容貌にとてもマッチした元々魔女の物だった声であることに気づき、更ににんまり、口角を吊りあげます。何もかも、須らく大成功でした。男の娘になった女の子は、会心の笑みで魔女に向き直り、お礼を言いました。
「ありがとう、魔女ちゃん! 貴女は私の……いいえ、いや、僕の大親友だよ!」
「いえ、大したことはしていないわ。私も、コンプレックスが解消出来て嬉しくないと言ったら嘘になるもの」
魔女もその顔に似合う可愛らしい女の子の声で答えましたが、彼女がそれを言い切る頃には、勢い込んで飛び出した男の娘の姿はありませんでした。
*
かくして、数日後、森の奥で暮らす魔女の元に、あの男の娘と彼の王子様が逢瀬を楽しんでいるとのうわさが流れこんできました。ああ、あの娘は上手くやったのだなと思うと、微力ながらも力添えをした魔女としてはほんのり嬉しい気持ちがわき上がってきます。さて、いつまでも喜んでいる場合ではありません。努力家で働き者の魔女には、定期的に、町に暮らす幼馴染の賢者の元へ実験に使う材料を買いに行く用事があるのでした。彼女や男の娘と同じ学校に通っていた賢者は、魔女が両親の死を機に学校を辞めて天才魔女として名を馳せるようになってから、一念発起したようにあらゆる学問を究め、特例で学校を飛び級卒業した上で、町一番の賢者として多方に及んで縦横無尽に活躍しています。魔女より幼いころに両親を亡くしていると言うのに自分よりもっと頑張っている彼を、魔女は尊敬していました。そして、コンプレックスを抱いていた故に告白なんて視野にも入れていませんでしたが、魔女は賢者に、それこそ幼いころから恋心を抱いているのでした。
一人暮らしで碌な生活をしない賢者の為にアップルパイをこしらえて、魔女は彼の家へと赴きました。
品の良い木製のドアをノックすると、大きな丸眼鏡をかけ、頭に軽く埃を被った小汚い容貌の賢者が顔を出しました。魔女の姿を確かめると、賢者は薄く微笑んで、中へと通してくれます。
「やぁ、魔女ちゃん、来てくれてありがとう。毎度君にはお世話になりっぱなしだね」
「ううん、好きでやってるのよ。貴方はとても頑張ってるから、出来るだけお手伝いをしたいの」
魔女の返答を聞いて、声が違っている事に気づいたのでしょう、賢者は「おや?」と首を傾げてから、町を走る噂に思い至ったのでしょう、曖昧な笑顔を作って頷きます。
「頑張っていると言うのなら君も一緒だよ。……声、本当に変わったんだね」
「ええ。おかしいかしら?」
「ううん、君の容貌にはとても似合っていると思うよ」
賢者はその後、細い声で「ただ……」と呟きましたが、彼の言葉に気分が舞い上がっていた魔女は気づきませんでした。奥の部屋へ入ると、以前来た時に魔法で掃除したにも関わらず、分厚い本や実験器具などでぐちゃぐちゃに汚れた様子が見て取れました。半ば呆れたように笑って、魔女は賢者に風呂に入ってくるよう告げると、彼がいない間に、いつも通りに掃除を済ませてしまいました。それから、すっかり綺麗になった部屋で、戻って来た賢者とアップルパイを食べて過ごしました。
日もとっぷりと暮れて夕刻を過ぎるころ、お暇の際に、魔女は賢者に呼びとめられました。
「やぁ、魔女ちゃん、招き猫って知っているかい?」
「いいえ、知らないわ。なにかしら、呪術か何かに関係するもの?」
「ううん、呪術と言うよりはお呪いの気が強いかな。民間伝承、とも少し違うか。少なくとも街談巷説の類ではあると思うんだけどね」
相変わらずやたらと難しい言い回しで、賢者は語り始めました。
「東方の文化でね、片方の前足を上げた猫の置物を、玄関口なんかに置くんだ。元来は養蚕の縁起物だったそうなんだが、その後は商売繁盛のお守りとして使われていたみたいだね。それで、今となっては色合いによって様々な意味を持つ」
言いながら、彼はその玄関口に置かれていた黒の招き猫なるものを持ち上げます。
「黒の猫は、福猫と呼ばれていたそうでね。魔除けの意味もあるが、幸運を招くと言う意味合いも持っていたそうなんだ」
「へぇ……。なんだか素敵なお話ね」
彼の興味深い話に、魔女はころころと笑います。すると、賢者は急に真面目な顔つきになって、魔女の眼を正面から覗き込みました。
「招き猫は素敵な物だよ。でもね、幸運、幸福と言うものは、自分で探し当てるものだと思うんだ。ただ待つだけでも無く、人の手を借りるでも無く。猫の手を借りることだって無いんだよ」
ガツンと、固いもので頭を殴られたような気がしました。魔女はしばし呆然と立ち尽くし、続く彼の言葉をただ聞きます。
「そういう意味では、僕もまだまだ未熟者なのかもしれないな。いや、そんなことは分かっていたことだ。魔女ちゃん、君の魔法は素晴らしい。だって魔法は、人を幸せに出来るんだ。勿論自分自身もね。知識が豊富なだけでは、何も救えないんだよ」
最後は自嘲気味にしめて、「またね」と囁くと、賢者は扉を閉めて家の中へと戻って行きました。魔女の耳には、未だに彼の言葉がこびりついて離れません。
女の子の可愛らしい声を手に入れて、魔女はコンプレックスを克服し、幸せになった気でいました。賢者がそういう意味であの話をしたのかは分かりませんが、今の魔女には酷く考えさせられる内容です。
自分は本当に幸せになれているのだろうかと自問します。否でした。他人である女の子に尽くすことで自分も彼女の分の幸福を得ていたように錯覚していましたが、そうではないのです。コンプレックスに屈し、自分自身の力での克服を諦めていた時点で、魔女には本来得るべき幸福など、手の届かない存在になっていたのでした。なんということでしょう。しかしこのままではいけません、魔女は鬱々とした気分で住処へと戻り、今までの自分と真摯に向き合うことにしました。暫く悶々と考えた末に、魔女はある決断をくだしました。
もって生まれた、両親から授けられた声を取り戻し、自らの力でコンプレックスに打ち勝つ――――。どれだけ外観を取り繕っても、どうしたって自分は自分でしかないのです。自分の嫌な部分を都合よく他人に引き取ってもらって、それで幸せになるなんてことは、彼女には出来ないことでした。
一念発起。今度は、魔女が賢者に倣う番でした。
これを達成したら、自分の声で、本来の自分で彼に想いを伝えよう。魔女はひそかに、決心しました。
*
後日、魔女は早速元・女の子――男の娘の元へ訪問しました。しかし、顔を見知っている彼の母親に問うたところ、彼はデートで留守だと言います。全くもって前途多難なことでしたが、これくらいでへこたれてはいられません。魔女は彼を男の娘にしてしまった自分の浅慮を母親に詫びてから、なんとしてでも元の可愛らしい女の子に戻すことを約束し、教えてもらったデートコースへと駆けていきました。
「あの子程に可愛らしい女の子なんて少ないのだから、是が非でも元に戻して頂戴、このままでは国の損失よ!」
とは男の娘の母親の談ですが、この母娘はどうにも性格に多大の問題があるような気がしてなりません。とは言え素直で心根の優しい魔女は、我が子を溺愛する母の姿に、むしろ後ろめたい気持ちを覚えるばかりでした。なんとしてでも、と、決意を上乗せします。
必死に探して、魔女はもう、明日以降に持ち越そうかと何度か考えたものでしたが、どうせ明日以降も毎日デートの予定があると言っていた男の娘の母の言葉を思い出してその考えを振り切ります。怠惰は往々にして決意を駄目にするのです。
魔女の必死の努力が実ったのは、広い公園の中ほどにあるベンチでのことでした。かの男の娘が、一人でベンチに座っています。
「こんにちは」
「ん? あれ、魔女ちゃんじゃない。今日はどうしたの? 私ってばすごく幸せよ!」
自分が男になっていることを忘れた口調で、男の娘は魔女に微笑みかけました。まだ完全にはなり切れていないのだなと思い、魔女は小さく安堵します。噂の彼は、どうやら人気のアイスクリーム屋へ、二人の分を買いに行っているとのことです。
魔女は早速、思いきって本題を切りだしました。
「あのね、申し訳ないのだけれど、魔法を解除させて欲しいの」
「え、え、嫌よ、困るわ。だって私、今が幸せだもの。折角男の娘になって彼と結ばれたのよ、勿体無いわ!」
「気持ちは分かるの。でも考えて欲しいわ、だって、幸せは自分の力で得なければならないそうよ。私もようやく気づいたの、浅はかだったわ! 貴方のお母さんも困っている。だからお願い、魔法を解除させて」
「そうは言われても、こればっかりは聞けないわ。魔女ちゃんは私が羨ましいのね!? だからそんなことを言うんだわ! 男の娘で無くなったら、彼は私を見捨てちゃう! それに、魔女ちゃんだって、私のだった可愛い声を手に入れられて良かったじゃない」
「そう思っていたわ、でも違うの! 私は愚かだったんだわ、だって、両親が遺してくれたものを、自分の心が弱くて克服できなかったコンプレックスのために手放してしまったんだもの!」
「そう、そうなの。でも困るわ、私今、とっても困ってるわ」
どうしようも無い押し問答です。やいのやいの、魔女が説得を重ねていると、そこについに、二つのアイスクリームをもった男の娘の王子様が戻ってきてしまいました。嗚呼、とため息のような悲鳴を吐く魔女を見て、しかし、王子様は何とも不思議な行動に出たのです。
まず、彼は持っていたアイスを取り落としました。それから、大きく眼を見開いて、自分の恋人など眼に入らないとも言わんばかりに、魔女に歩み寄って行きます。
「なんて可愛らしい声なんだ! そしてなんて愛らしい顔なんだ! 嗚呼、なんてことだ! 僕は生来、可愛い男の娘しか好きになれなかったが、しかし君はとても可愛いね! 僕は驚いたよ! 今の恋人も、顔は可愛らしいんだけど、声がショタっぽくていただけない。こうなると、女の子も良いものだなぁ。いや、もしかしたら、僕は普通に可愛い女の子が好きなのかもしれない。ただ、今まで可愛い男の娘しか見てこなかっただけだったんだ!」
魔女は唖然として男の娘へと目を移しました。似たような表情で、男の娘も固まっています。一人目を見開いて熱弁する王子様をよそに、男の娘は魔女に歩み寄りました。
「魔女ちゃん、お願いがあるわ」
「ええ、全て元に戻しましょう。貴女はとても可愛いから、きっと王子様もまた好きになってくれるわ」
「当然よ、私は顔も声も完璧に可愛らしい女の子だったんだもの」
*
反対の魔法を済ませて、魔女は女の子を見送りがてら町に繰り出していました。もう黒マントは必要ありません。一番かわいいと思う服を女の子に見立ててもらって、二人は夕焼けの町を歩いていました。
「ねぇ魔女ちゃん、色々と利用してきた風だけど、なんだかんだ、私って貴女の事が好きみたいだわ。さっきの話を聞いて、王子様のことは関係無しに元に戻ろうって、決意しかけていたもの」
「うん、嬉しいわ。ありがとう、私も貴女のこと、好きよ。大事な友達だもの」
にこりと笑いあって、可愛らしい少女達は別れました。魔女には、これから行く先がありました。勿論、あの賢者の元です。
扉の前に立つと、緊張が喉にせり上がってきました。しかし、ここで立ち止まっては幸福は掴めません。振られてしまう可能性の方が高いのかもしれませんが、でも、踏み出さない限りはこの恋に縛られたままなのでした。縛られたままでは、どちらにせよ幸福なんて掴みようも無いのです。
と、とん。いつもより控えめに、ノックをします。はぁいと間延びした声が聞こえて、少しの後に賢者が顔を出しました。かぁっと、魔女の頬が夕陽より赤く染まります。
「こ、こんばんは。少しお話があって来たの、遅くにごめんなさい」
「何言ってるんだい、何時でも歓迎するよ。それに、こないだ君が帰った時刻よりまだ少し早いくらいだよ」
にっこりと、賢者は笑みました。魔女の頬の赤みが更に増します。
「……声、戻したんだ?」
「え、ええ、気づいたの。私は大事な物を失くそうとしていたのね」
僅かに首を傾げて言います。それを見て、ふっと温かく微笑んだかと思うと、賢者は急に仰々しくかしずいて、魔女の左手を取りました。
「なっ、なにかしらっ」
完全に面喰って、しどろもどろに魔女は返しました。熱を持った顔が思考の正常さまで奪っていくようです。
「この間、招き猫の話をしたね?」
「ええ、覚えているわ。あの話のおかげで、私は変わることを決意したのよ」
「そうだったんだ。僕も、そうなんだよ。あのとき君に聞かせた言葉は、あれは僕自身に言っているようなものだった」
「えっ?」
意味が分からなくて、魔女は必要以上に大きな声で反応してしまいました。そんな彼女に、賢者は笑って、続けます。心なし、彼の頬にも朱が挿しているように見えました。
「魔女ちゃん」
「はいっ」
「僕と結婚してくれませんか?」
言って、賢者は懐から木彫りの指輪を取り出しました。美しい曲線のそれを見て、魔女の思考が完全に停止します。「えっ、えっ」と、何者かの鳴き声みたいに繰り返してしまいます。
「お付き合いから始めるのが普通なのだろう。でも、僕は、君とずっと一緒にいたいんだ。だから、よかったら、僕と結婚してくれないかな? 今月終わりに、十八歳になるんだ」
収入は安定しているよ。あ、それは君もか、と、照れ隠しみたく、賢者はお道化てみせます。ようやく魔女は一連の会話の意味に思いたって、そして、嬉しいのに泣きたくなるような、なんとも不思議な気持ちに包まれました。哀しくないのに涙がこみ上げてきます。
言葉も出せずにこくこくと頷くばかりの魔女を見て、賢者は安心したように微笑み、涙をこぼす魔女を抱き寄せました。
*
魔女と女の子は、それぞれ大事なことに気がついて幸せを手に入れました。女の子は恰好良い王子様と結ばれ誰もが羨む美男美女のカップルになり、魔女は賢者と結婚して、本当は寂しかった森の奥の一人暮らしに終止符を迎えました。女の子は未だ、都合が悪いと魔女の魔法に頼ることがありますが、お互いに、気がついた大事なことだけはけして忘れませんでした。
魔女と賢者の住む町の一軒家の玄関で、黒い招き猫が一匹、右手を掲げて佇んでいます。
おしまい。
童話風味にやろうとして何処までも変な雰囲気を醸し出す作品になった次第です。
三題についてはそれぞれ作中であからさまに出てるので解説は割愛させて頂きます。
彼女らが気づいた事って、別に何でも無いことって言うか、便利な魔法が使える前提でないと考えもしないことばかりです。世界が違うと思想も変わる、アメリカ人と日本人が本質的に違うみたいに、あらゆる理由で、世界って言うのは存在に意味を与えるものなのかもしれません。あたり前ですかそうですか。
それでは、ここまでお付き合い頂いてありがとうございました。不肖、また僕の名を見かけることがありましたら、その時は是非再度目を通していただければ幸いです。
草々。