ISOLATION
私を苦しめたやつは全員苦しめばいい。
一回も百回も足らん。
無量大数だ。
いつか自分に返ってきたら、私よりも苦しめ。苦しんで死ね。
金で幸はどうにもならん。
壊れる時は壊れるし、解決できない時はできない。
原因だって分からない時がある。
自分一人でどうにもならんのだから医者がいる。
医者に診てもらうのが早ければ、二度の自殺未遂もなかっただろうに。
一体どうしてアイツらはのうのうと笑って生きていられる。
傷つけられ、心無い刃を突き立てられた私ばかり苦しんでいるではないか。
美味そうに飯を食い酒を飲んで、何も無かったように平気な顔で他人と楽しそうに会話をする。一方私はと言うと、夜は眠ることが怖くなり、余計な事ばかりを考えてしまう。
飯を美味いと感じなくなったかと思えば、味すらも感じられず食欲が失せ、すっかり痩せ細ってしまった。米は無味無臭の少し水気の多い粘土のようで、肉や魚はパサパサしていて口へ運び、咀嚼することすら面倒に感じるゴムかなにかの塊。野菜なんかはただただ青臭くて歯に詰まるだけの嫌なもの。汁物なんかは少しぬるい液体だ。
そんな私の唯一の逃げ道は酒と煙草だ。
酒はその日一日の嫌なことを忘れる為のもの。煙草は少々髪や服が臭くなるが、吸わねば息ができない。気が付けば酒と煙草に溺れた。溺れなければ無理だった。
私はこの二つの組み合わせをアンハッピーセットと呼ぶ。
煙草で酒のまわりが早くなって効率良く酔える気がした。
楽しむためじゃない。そうでもしないと私が持たないのだ。持たなくなったら、一体どこまで私が堕ちて行くのか分からない。もう既に堕ち始めているのかもしれないが。
私の毎日は、いつも白黒の霧の深い森の中を彷徨っているようだった。
なにか聞こえはするが、理解できない音にしか捉えることができず会話なんか諦めた。
他人と話して傷ついてしまうくらいなら、諦めて私だけの世界に籠って孤立する方がよっぽど良かった。
孤立してしまわなければ、またいつ誰かに傷つけられるか分からない。それが嫌だった。
いつからこうなったのか、正確にはわからない。わかるものなら私も知りたい。
思い出そうにも、もう酒で記憶をなくしてしまった部分や、息苦しくなって寒くないはずなのに体の震えが止まらなくなって煙草すら手に持っていられなくなってしまう。
きっと私の中のパンドラの箱にでもしまいこんだのだろう。無理に開けようとするものでは無い。開けられたとしても、きっと希望なんてものは欠片も入っていない。あるのは多分、酒と煙草と薬臭いドロドロした何かだろう。蓋の隙間から漏れ出してくる何かを感じると、やはり酒に逃げてしまいたくなる。
こうして逃げてばかりいると金はどんどん無くなっていく。
酒と煙草だけに使うわけではない。どうにかして私が食べられる物を探さねばならない。空腹を感じなくても、何か腹に物を入れなければと思って味がするものを求める。私にとって食は楽しみではなくなった。義務になった。
口へ物を入れ、咀嚼し、食感を確かめる。
無味。
液体を流し込み、飲み込む。
無味。
半分も行かないくらいを食べては残す。
箸を握って口にものを運び、咀嚼して飲み込む。それだけでただただ疲れる。
食感を確かめるだけのような行為になってしまってからは、食事の意味がわからなくなった。
味の五大要素というのは、とても大事なようだ。私が一番初めに失ったのは旨味。その次は甘み。これを失ってからはジュースや何か甘い飲み物はとても変な味がした。塩味や苦味しか感じない不味い液体だった。それから塩味、苦味が無くなった。 味というのは感じなくなると不便なようだ。
眠れないのも不便だった。
目を閉じていても、要らないことをいつまでも考えて不安になってしまう。不安になる理由なんて、他人からしてみれば本当にちっぽけなことなのだろうがそれでも考えてしまう。
仕事や将来、自分のその日一日の発言など、色々なものが不安で仕方がなくなって、脳内ひとり反省会が始まる。
この反省会は毎日開かれて、気が付けば朝になっている。ほとんど眠れない。
一ヶ月ほど市販の睡眠導入剤を使用したことがあるが、あれは勧めない。本当は一週間で辞めて医者へかからなければならなかったのに、私はズルズルと続けてしまった。
本当に愚かだった。
愚かだとわかっていても辞められなかった。 職場から医者にかかる事は止められていたからだ。
「もう長いこと眠れていないし、体調を崩すことが多いので、精神科に行こうと思っているんです。」
「精神科?そんなところに行ったら昇進に関わるからやめな。」
そんな事を言われて私は一年、不眠や食欲不振、体調不良で悩んで仕事を休む日も増えた。
内科や整形外科、眼科へ行くのは良いのに精神科へ行くのは止められる。こればっかりはきっと偏見が強いのだろう。
そんな偏見がない人に不調で悩んでいることを打ち明けるとすぐに通院することが出来た。まあ、やめなと言った人達はあまりいい顔をしなかったし、通院した翌日にいきなり
「精神科行ったんだろう?どうだった?」
なんて聞いてくる人がいて、どう答えればいいのか分からず、すっかり顔に張り付いてしまったお決まりの愛想笑いをしておいた。
学生から社会人になって、一番上手になったものと言えば愛想笑いだろう。
笑顔を顔に貼り付けて
「はい」
うるせぇ。
「そうなんですね。」
どうでもいい。
「へぇ、知らなかったです。」
知ったところで、なんだけどなぁ。
「凄いですね。」
だから何?
とりあえず合わせるために貼り付けていると、以前自分がどんな風に笑っていたのかわからなくなった。
分からないのだからどうでもいいだろう。
また眠れなくて、何故か犬と猫の祖先が気になって調べた。ミアキスという生き物だったが、あまり可愛くはなかった。
本当にどうでもいい。
だからまたアンハッピーセットに手を出して忘れようとしたり、カッター、針と糸、ピアッサーやニードルを使って自分を傷つける。
傷をつけないとやっていられない。
傷をつけなければ胸の当たりが重くて、息が苦しい。
眠ることができればどうにかなるのか?と不眠が始まって十一ヶ月ほど経った頃に、市販の睡眠導入剤に手を出した。
最初の頃はよく眠ることができたが、翌朝になると薬が残っていてふらついたり、思考が回らず自分が半日何をしていたのかすら覚えていないことが多かった。
そんなことを一ヶ月続けてしまった。
市販の睡眠導入剤自体二週間程でやめなければならなかったのだが、続けてしまったせいで病院で処方された睡眠薬を飲んでも眠れず、量ばかり増えてしまった。
市販の睡眠導入剤から睡眠薬への切り替えで蕁麻疹が出て、仕事どころでは無くなったし、眠ることができなくて薬を求めた。
中毒といえばそうかもしれないし、依存症だと言われるとそうだったような気もする。
何をどうしても眠れない夜、味のしない食事、壊れていく心と身体。私はどうして家を出て働きに出てしまったのだろうか。
私のところまで回ることのない情報、数々のセクハラ発言、パワハラ発言、事実かどうか分からない噂とそれを信じてしまう人々。
もうこんなところにいる意味がわからなくなって、私は職場にいる間死ぬことと、自分がどうすれば怪我をして休むことができるかしか考えられなくなった。
ある日もう耐えられなくなって職場の三階の窓に腰掛けた。
「ここから飛び降りてしまえば、死ねるかもしれない。死ねなくてもきっとしばらくは休めるだろう。」
そう思って外に足を投げ出して座っていたが、当時入っていた市民吹奏楽団の演奏会でソロがあることを思い出して辞めた。
これが最初の自殺未遂だった。
そもそも私が家を出て、遠方へ働きに出なければならない理由は家庭環境だった。
幼少の頃からの虐待やネグレクトがあまりにも酷く、それは両親の離婚で終わると思っていたがそんなことはなかった。
両親が離婚したのは私が中学生、丁度思春期真っ只中の夏。原因は不貞と家庭内暴力だった。
私以外に暴力を受けていたといえばおそらく母だった。その母ですら私に暴力を振るう。
父から母へ。母から私へと負の連鎖が続いてしまっていたので、その連鎖を断ち切るための離婚であったのだろう。
だが、離婚をしても母から私への暴力は終わらなかった。父がいた頃よりは手を挙げ無くなってはいたと思うが、暴力は暴力だ。何も変わらない。どんな理由があろうとも受けているものは同じだ。きっと、母にも事情が何かがあって、私に手をあげざるを得なかったのだろうと思ったことはある。
あるけれど、当たるものが人間かサンドバックかの違いだろう。
私はサンドバッグに当たっていた。
サンドバッグに当たっていたおかげか分からないが、多少筋肉は着いた。だがそれを母や他者に向ける勇気などはなかった。
向けてしまってはいつか必ず私へ返ってくる。
それは亡き大叔母の言葉の影響が大きいのだろう。
「良いことも悪いことも、いつか必ず自分に返ってくるのだからな。」
これが因果応報だということは後から知った。
それまでの私は気に食わないことや、喧嘩を売られることがあれば手を挙げては問題になっていた。
大叔母は偉大であると思う。
大叔母のその言葉で私はすっかりそれを辞めたのだ。
暴力をやめることはできても、盗みはやめることができず、よく母から金や食べ物を盗んでは手を挙げられた。
ある日、有名人か誰かが万引きをしたニュースを見た。
万引きの原因はストレスだったそうだ。それを見て、私はスマホでなんとなく調べた。
いくつか当てはまるようなものがあり、私もストレスで盗んでいたのだろうか。
盗むことでしかサインを出せなかったのかと思うと、だいぶ長いこと抱えていたことになる。
今となっては盗む事はもうないが。
盗んでいた事は悪い事ではあるので、肯定するつもりもない。
ただ、今でも直らないものと言えば言葉遣いである。
何度か言葉遣いを丁寧にするよう矯正したり、意識をした。だが直らない。
それもきっとストレスであったのだろう。
こればかりは育ちもあるのだと割り切ることにした。
言葉遣いの悪さも、地方特有の訛りも育った環境が私に与えたものだろう。
直らないのだから直さないことにした。
笑われても仕方の無い事だからだ。
ある時、長いことこの家にいたらどうなるかを考えた。
考えた結果、いつか私はこの家がさらに嫌になって、近くの大きな川に身を投げて数日経った頃に水死体となってニュースかなにかになることが想像できてしまった。
それならば家を出て、住み慣れた地元から飛行機か船に乗らなければ行けない、陸続きではない遠方へ行くことにした。
そうしてしまえば、過去を捨てられると思っていた。
離れることはできたが、いつまで経っても過去は纏わりついてくる。
それは地元の夏の嫌な暑さのようだと思った。
肌にじっとりとまとわりつく、あの暑さ。
過去が私に与えたものは大きい。
私は他者を信用することができないのも、過去のせいであろう。
二度目の自殺未遂でも母でもなかった。
他者だった。
足を骨折してしまい、嫌でも他者の手を借りなければならなかった。人々の暮らしに多大な影響を及ぼしたあの流行病が収束しつつあった頃であった。
私は松葉杖を両手でついている間は人の手を借りていて、片手で良くなってからは一切借りることはなくなった。
それでも手を貸そうとする者がいたものだから無下にはできず借りることにしていた。
だが流行病で黙食をする事が習慣づいてしまい、食事中にはあまり話すことはなく、その場で礼を伝えるにはどうすればいいかと考え、会釈をすることにしたのだがそれが良くなかったようだ。
一部のやかましい人間から影で散々な事を言われていた。
「精神を病んで、それが良くなってきたというのにこれか。」
私が精神を病んでいること自体は職場の人間は知っていたのだが、どうも噂好きでありもしない事をペラペラとよく喋る人達であった。
私も何度かありもしない事を言われ、尾鰭背鰭が着いて、おまけの飾りがついた頃にようやく自分の耳に入っていた。それが嫌になって夜中に寮の最上階の窓を開けて飛び降りようとしたのだが、「眠れなくて暇。今何してる?」という内容のメッセージが来て正直に「死のうとしてる。」と返信をしてしまい、引き止められ、とどまった。
何気ないことで人を死なせてしまうことができる。
このメッセージがなければきっと寮には緊急車両が来ていただろう。そうでなければ野生動物にでも食われていたが、とっくに精神は社会に、他者に、過去に食い荒らされている。
痛む足と重い身体を引きずって、夜遅くだと言うのに煙草を吸いに出た。吐き出したかった。ふと玄関横の鏡を見ると、隈の酷い疲れきった顔の私が居る。鏡で自分をきちんと見たのはいつぶりだろうか。
ボサボサの髪に、荒れた肌。乾燥した唇。手入れのされていない産毛。以前の私はこんな風ではなかったような気がする。そんなことを悶々と考えながら喫煙所へ向かったが、一箱全て吸ってしまうつもりもなかったのに吸いきってしまった。
美味いのかどうかよく分からない炭酸ジュースのベタつく甘さと煙草の苦味。二十本の吸殻と涙と鼻水で濡れた袖の気持ち悪さだけが残った。




