第5話「文化祭当日」
文化祭当日。
体育館の袖で、俺は台本を握りしめていた。
手が少し震えている。
ステージの向こうには、パイプ椅子がびっしり並んでいる。生徒、保護者、OB。ざっと見て三百人はいる。
三百人。
俺の構成で、三百人を笑わせる。
……いや、笑わせるのは出演者たちだ。俺は裏方。台本を書いて、袖から見守るだけ。
でも、怖い。
「緊張してる?」
隣に城戸が来た。
「……まあ」
「俺も。でも、大丈夫だって。準備は完璧にしたろ」
「準備が完璧でも、本番は何が起こるか分からない」
「それはそうだけど」
城戸はニカッと笑った。
「だから面白いんじゃん」
こいつは本当に、こういう場が好きなんだな。
ステージ上では、立花と佐伯がマイクチェックをしている。審査員席には五人の先生が座っている。
出演者たちは、ステージ横の控えスペースに集まっている。
篠原さんと目が合った。
彼女は小さく頷いた。大丈夫、という合図。
昨夜、俺が送った八つの回答。篠原さんは全部覚えてきたらしい。今朝、LINEで「完璧に入った」と連絡があった。
あとは、彼女を信じるだけだ。
「時間だ」
城戸が言った。
開演の音楽が鳴る。
『皆さんこんにちは! 文化祭ステージ企画、始まりました!』
立花の声が体育館に響く。
リハーサルの時より、ずっと声が出ている。本番に強いタイプなのかもしれない。
『今日は「第一回 青陵高校大喜利王決定戦」をお届けします! MCは僕、立花蒼太と──』
『佐伯由衣でーす! よろしくお願いしまーす!』
佐伯のテンションも高い。観客から拍手が起きた。
『まずは出演者の皆さんに登場してもらいましょう!』
出演者十名がステージに上がる。
観客席がざわついた。知ってる顔がいるんだろう。藤井さんを見て「かわいい」という声が聞こえた。
『そして、今日の審査員を紹介します!』
五人の先生が立ち上がって軽く会釈する。佐々木先生だけ、なぜかガッツポーズをしていた。観客が笑う。
いい空気だ。
『ルールを説明します!大喜利は全四回戦。各回戦、先生方に点数を付けてもらいます。最後に一番ポイントが高かった人が優勝! 優勝者には……城戸くん、景品なんだっけ?』
城戸がステージ袖からボードを掲げた。
「学食カレー一週間無料券!」
『おおー!豪華!……いや、カレー限定?ちょっと微妙じゃない!?』
観客が笑った。
予算一万円だ。これが限界だった。
『では、第一回戦!「写真で一言」!』
スクリーンに写真が映し出される。
怒った顔の佐々木先生
『この写真を見て、一言ボケてください!では、大山くんから!』
大山が前に出た。
「えー……先生のプリン食べたのぼ…僕じゃないです!!」
「嘘をつけー!!!!」
佐々木先生がノリノリでツッコミを入れる。
良い!最初の掴みとしては完璧じゃないか!?
観客もその勢いにつられ、笑いが起きる。
審査員の先生たちも、ちょうど良い点数をあげている。
次は水野さん。
「先生。大山くんはあっちに逃げましたよ」
「あっちか!!助かる!!」
お!?これもしかしてアドリブか?
今の大山の回答に合わせて回答変えてきたんじゃないか?
すごい…さすが、秀才の水野さん…お笑いの流れまで理解してるとは…
観客からも笑いが起きた。田所先生が高めの点数を出した。
その後も、出演者たちが順番にボケていく。
滑る奴もいる。ウケる奴もいる。
観客の反応は正直だ。面白ければ笑うし、面白くなければ静かになる。
そして、篠原さんの番が来た。
「先生!いつも車にうんちの絵を描いてごめんなさい!」
「あれお前だったのか!!!!」
どっと笑いが起きた。
良い!篠原さんの演技力がとても良い!
佐々木先生がノリに乗っているこのタイミングでこのボケを言えたのも良かった。
他の先生たちも高得点を出している。
俺が書いた回答だが、篠原さんが言うと、まるで彼女自身が考えたみたいに聞こえる。抑揚、間、表情。全部が完璧だった。
篠原さんがチラッと袖を見た。
目が合う。
彼女は小さく笑った。どう、うまくいったでしょ、という顔。
……すごいな、この人。
第二回戦、「こんな○○は嫌だ」
お題は「こんな国語の授業は嫌だ」
中村が前に出た。こいつはモノマネが得意だと聞いている。
中村は背筋を伸ばして、声を低くした。
「おい、お前らぁ…今日は……俺が書いたこの小説で授業を進めるぞぉ」
体育館が爆笑に包まれた。
これはうちの学校で、癖が強いことで有名な清水先生のモノマネだ。
実際に自分が書いた小説を生徒に読ませている。
OBは懐かしいと笑い、先生たちは苦笑いしている。多分、小説を読まされたのだろう。
体育館の後ろの方で見ていた清水先生に視線が集まり、鬱陶しそうにハエを払う仕草をして、さらに笑いが広がった。
これだ。この空気を作りたかった。
出演者と観客が一体になる瞬間。
俺は袖で、拳を握りしめていた。
第三回戦、「もしも○○が△△だったら」
お題は「もしも先生が全員宇宙人だったら」
ここでも篠原さんの回答がウケた。
「音楽の授業でやたらビブラートを意識させられる」
シンプルだけど、宇宙人の共通認識を学校の授業に落とし込んである内容。観客は笑い、先生たちは高得点を出した。
篠原さんは、俺の回答を完璧に「自分のもの」にしている。
他の出演者も健闘していた。
藤井さんは、アイドルっぽい可愛らしさでボケて、男子から歓声が上がった。点数は微妙だったけど、場は盛り上がった。
石川は、身長を活かして、『先生がやたら小さい』と高橋さんを捕らえられた宇宙人のように手を掴みをネタにした。
そして、第四回戦。
「〇〇が〇〇に入ってきて一言」。
お題は「遅刻した生徒が教室に入ってきて一言」。
これはステージを使って動くパターンだ。
出演者たちは、ステージの端から歩いてきて、教室に入るフリをしながらボケる。
小林が最初に挑戦した。
ドアを開けるジェスチャーをして、息を切らしながら言う。
「すみません!迷子になった僕を探してて遅れました!!」
観客が良い感じに温まっていて、このくらいのボケでも笑いが起きる。
次々と出演者がボケていく。
岡田さんは、演劇部の後輩らしく、動きがオーバーで面白かった。
山田は、なぜか土下座しながら入ってきて、「許してください、二度寝は文化です」と言った。どこかのタレントの言い訳みたいな言い回しと勢いで笑いが起きた。特に先生と保護者の間で笑いが起きていた。
そして、篠原さん。
彼女はゆっくりとステージの端から歩いてきた。
ドアを開けるジェスチャー。
そして、教室を見回すような仕草。
「すみません!自転車が遅延していて!」
「それはお前次第だろー!」と総ツッコミが入り、体育館が爆笑に包まれた。
審査員全員が高得点を出す。
篠原さんは優雅にお辞儀をして、自分の位置に戻った。
袖にいる俺を見て、ウインクをした。
……反則だろ、それは。
全四回戦が終了した。
『では、結果発表です! 集計をお願いします!』
立花が審査員席を見る。
田所先生が集計結果を持って立ち上がった。
『第一回 青陵高校大喜利王、優勝は──』
体育館が静まり返る。
『篠原キョウカさん!』
歓声が上がった。
篠原さんがステージ中央に出て、学食カレー一週間無料券を受け取る。
『篠原さん、一言お願いします!』
「えっと……ありがとうございます。でも、これは私だけの力じゃなくて」
篠原さんは袖を見た。
ダメだ、俺の名前を出したらダメだ。
「この場を設けてくれた放送部の方々と、笑ってくれたみんなのおかげです!」
観客から拍手が起きた。
俺は袖で、少しだけ顔が熱くなるのを感じた。
『以上、第一回 青陵高校大喜利王決定戦でした!ありがとうございましたー!』
立花と佐伯が頭を下げる。
出演者全員がステージに並んで、観客に手を振った。
体育館いっぱいの拍手。
三百人が、俺たちの企画を見て、笑ってくれた。
成功だ。
俺たちは、やり遂げた。
片付けが終わった後、俺たちは体育館の裏に集まっていた。
城戸、篠原さん、俺。三人だけ。
夕陽が校舎を赤く染めている。
「いやー、大成功だったな!」
城戸が伸びをした。
「篠原さんすごかったよ。完全に場を支配してた」
「ありがと。でも、回答を考えてくれたのは桐原くんだから」
「え、そうなの?」
城戸が驚いた顔をした。
「篠原さんの回答、全部俺が書いた。昨日の夜、徹夜で」
「マジかよ。道理でキレッキレだと思ったわ」
「桐原くんの回答、すごく言いやすかった。私のキャラに合わせて書いてくれたんでしょ」
「……まあ、一応」
「ありがとね」
篠原さんが笑った。
俺は照れくさくて、視線を逸らした。
「でもさ」
城戸が空を見上げた。
「面白かったのに、この体育館の外には届かなかったな」
「……どういうこと?」
「実は、地元のケーブルテレビに売り込んでたんだよ。文化祭の様子を取材してくれないかって。断られたけど」
「……お前、そんなことしてたのか」
「だって、せっかくなら、もっと多くの人に見てほしいじゃん。俺たちの初企画」
城戸は少し寂しそうに笑った。
「今日、体育館にいた人は笑ってくれた。でも、この学校の外の人には、何も届いてない」
沈黙が流れた。
篠原さんも、俺も、何も言えなかった。
城戸の言う通りだ。
今日の企画は成功した。でも、それは「文化祭のステージ」という閉じた世界の中での話。
体育館の外には、何も届いていない。
「……届けよう」
俺は、気づいたら言っていた。
「は?」
「いつか、ちゃんと届く場所で。体育館の外にも届く、もっと大きな場所で」
「桐原……」
「俺の構成と、城戸のキャスティングと、篠原さんの演技があれば、もっと多くの人を笑わせられる。今日、それが分かった」
城戸がニヤッと笑った。
「お前、珍しく熱いこと言うじゃん」
「……うるさい」
「でも、いいね。その約束」
篠原さんが言った。
「いつか、三人の名前がクレジットに並ぶ番組、作ろうよ」
「番組?」
「テレビでも、ネットでも、なんでもいい。私たちが作った『面白い』を、もっとたくさんの人に届けられる場所」
篠原さんは夕陽に照らされながら、真っ直ぐ俺たちを見た。
「約束ね」
「……ああ」
「約束だ」
三人で拳をぶつけた。
夕陽が沈んでいく。
文化祭は終わった。
でも、俺たちの物語は、ここからが始まりなのかもしれない。




