その1
プシュー
目の前が白い煙で覆われる。
何も見えない。俺は誰だ。
久しぶりに…本当に久しぶりに頭を働かすような。
はっきりと視界が見えるようになると同時にこれまでの人生の全てが頭の中に一気に再インストールされていく。
体は確か…
手を握っては開き、腕を曲げては戻す。
少し節々が痛むが許容範囲だ。
小さく息を吸って、勢いよく上半身を起こす。
よし
言葉を小さく発そうとすると掠れて上手く出てこなかった。
ふと、自分の喉が少しずつ湿っていくのを感じる。
これなら
「あー。あー。マイクテスト。マイクテスト。」
ふと頭に浮かんだ言葉を口に出す。
声のチェックと言えばこれだろう。
少しふざけた調子だったが自分の声に異常がないか確かめる。
どうやら体は健康そのものであるようだ。
成功、か…
シェルターの電球はすでに床に落ちてしまっているが、入り口が壊れてしまっていたことで光源は確保されていた。
慎重に、感覚を思い出しながら立ち上がり、辺りを見渡す。
もう一つのコールドスリープの容器。
長机、その上に置かれたプラスチックの箱。
そして、自分のコールドスリープの容器の横に落ちていた手紙。
拾い上げてみるが、シミがひどくとても読めたものではない。
かろうじて、両親が書いたものだろうと分かった。
どうせ大したことは書かれていないのだろう。
別れの挨拶は済ませたのだから遺恨が残らないようにこういったものは残さないで欲しいものだ。
自分の容器の中に投げ入れておく。隣で寝ている人に見られたら面倒だ。
うん…?
がたんとシェルターの中に音が響き渡る。
一瞬身構えたがすぐに理解した。
隣の容器から煙が出てきている。
驚かせないで欲しい。
目覚めて早々、最初に驚くことになるのがこいつのせいになるとは。
まったく、変わらないものだ。
プシューと音を立てて蓋が開いていく。
その中では妹、彩音が安らかな寝顔をしていた。
容器の動きが止まり、再び静まり返るシェルター。
自分と同じならこのタイミングで起き上がるはずだ。
「彩音?」
上擦った声が響く。
最悪の考えが一瞬、頭をよぎった。
背中を冷や汗がつたる。
「うーん…むにゃむにゃ…。」
寝言が彩音から漏れた時、肩の力が抜けた。
はぁ
緊張がほぐれ、自然とため息がでる。
こちらも無事なようだ。
であれば、容赦などいらない。
左右に揺すってみる。
起きない。
ならばもっと強く。
「うーん。あと10分だけ…。」
容赦なく頬を引っ張る。
「いったあ!」
がばっと起き上がる。
自分の場合は体の感覚を掴むのに時間がかかったが大したものだ。
「ちょっと!もっと丁寧に扱いなさいよ!」
「シェルターでそんなでかい声を出すな。耳が壊れる。」
見たところ彩音も元気そうだ。
何しろこんなに騒げるのだからな。
「とにかく、無事で良かったよ。」
「もう!なら尚更、意味わかんないんだけど。さっきの健斗の行動。」
「あれはスキンシップだ、スキンシップ。」
「ふーん、なるほど?まぁ、私がなかなか起きなくて心配になったけど案外元気そうだったから照れ隠しでイタズラしたくなったとか、そんな理由なんでしょ。」
正解。さすが俺の妹だ。16年も一緒に生きているだけある。いや、生きている時間にするとコールドスリープのせいで正確な計算はできないか。
「そんなことはどうでもいいだろ。まずは外の様子を見てみよう。それで今後の俺たちの動きが決まる。」
「はぁ、そうね。分かってるわよ。」
明かりが漏れ出ている入り口を調べる。
扉はひしゃげて鉄骨の下敷きになっているが、逆にそのおかげで瓦礫がシェルターの中まで入ってきていない。
鉄骨の下を潜って外に出ることができそうだ。
「頭上、気をつけて。」
「ん。」
ゆっくりと瓦礫のトンネルを通り抜ける。
パラパラとコンクリートのかけらが顔にかかる。何度も通れるような安全な道ではないのだろう。
ヒビだらけの道路に立ち、その場で思わず息を呑む。
終末を迎えた後のように…いや…実際に迎えた後なのだろう。
太陽が出ているのに、真夜中のように静かで。
都市なのに、灰色の面積と同じぐらい緑の面積があって。
絶望するのが正解なのに、なぜか芸術作品を見て感動したかのように心が揺れてしまう。
この景色を表現する言葉は全宇宙を探しても存在しないのだろう。そんな気がする。
俺たちは、そんな世界に閉じ込められてしまったのだ。
「…終わっちゃったんだ。世界。」
彩音がポツリと呟く。
詳しいことは分からない。知る暇もなかった。
ただ、知らされていた。
人類が滅ぶのだと。
両親がコールドスリープを俺たちに提案したこと。
それは禁じられているのだと。
それは2機しかないのだと。
そして、慌ただしくその時間に別れを告げた。
「生きなさい!あなたたちを縛るものはないわ!」
母親の涙ながらに叫ぶ声が耳に蘇る。
ぎゅっと拳を握りしめる。
そうだ。生きなければ。
ここで立ち止まるわけにはいかない。
恐怖なのかよく分からない感情を拭い去る。
「彩音、生きるぞ。」
力を込めて、そう言った。
「もちろん。」
それに応えるように力強く頷き返してくれた。




