幼馴染が卵を産んだと言い張るので、責任を取ることになった
「これあげるね」
隣に住む幼馴染の緑川朱音が、俺の部屋に勝手に上がり込んで、ベッドに腰を下ろしながら、握り拳大の卵のような物を差し出してきた。
受け取った手のひらに、無機質ではない確かな重さと、ほんのりとした温かさがあった。
「いつもながら唐突だな。で、何これ?」
「当ててみて」
朱音が大きな目を輝かせる。小学生の頃から変わらない。
周りが色気づこうが俺たちの関係は変わらない。
「ふふふ」
「何がおかしいんだ?」
「うん。光ちゃんらしいな、と思って。ほら、眉間に皺がよってるよ」
朱音が俺の眉間を指でつつく。
「うるさいな。考え事していたら誰だって皺くらいよるだろ。
朱音こそ、座り方が雑だから、スカートの裾からパンツ見えてるぞ」
「あれ? 光ちゃん、興味あるの? もしかして、むっつりスケベだったんだ? 幼馴染のパンツ見て興奮してるんだぁ!! きゃっ、襲われちゃうかも」
朱音がわざとらしく、顔を隠す。
いや、普通恥ずかしくて隠すなら、パンツの方だろ?
いつもの他愛ない会話。
変わらない日常。
あらためて口には出さないが、ずっと大事にしたい愛しい瞬間だった。
「3、2、1、0! 残念でした、時間切れです! 光ちゃんの負け。じゃあ、いつも通り敗者は耳かきね」
「いや、そういう勝負だったっけ?」
「はいはい、文句は後で聞くから。さあ、横になって。そう、ゴローンと」
朱音が自分の膝の上をポンポンと叩く。
「さあ、早く。光ちゃんの耳垢って大きいから取り甲斐があるのよね」
「それは褒め言葉と受け取っていいのか複雑だな」
言われるまま、ベッドに移動して朱音の膝の上に頭を預けた。
「ほら、危ないから頭は動かさないの!」
朱音の手は俺の頭をぐいっと掴むとそのまま自分の腹部に押し付けた。
その瞬間に完全に視界が塞がれ、暖かい朱音の体温に包まれた。
暴れるだけ無駄なので、されるがままに任せる。
「朱音って、耳かきが好きだよね」
「専業主婦になって、毎日旦那様に耳かきしてあげるんだ」
「朱音って頭いいから、専業主婦にしておくのはもったいないよね」
「あら? 結婚しても働けっていうのかしら? 主婦も大変なんだからね」
「うーん、そうだね──」
すでに耳かきの魔力に思考が溶けていた。
どうしてこんなに気持ちいいのだろう?
「あら? 静かになって、気持ちいいのかな?」
「──うん」
「素直ね。いい子、いい子」
「──うん。耳の中を血だらけにされた頃から比べるとずいぶんと上達したよ」
「あら? また血だらけになりたいって事かしら?」
さらっと物騒なセリフを朱音が吐き出す。
「いや、遠慮しておくよ」
「ふふふ、遠慮しなくてもいいんだよ。女の子は日常的に出血に対しては耐性あるから、大丈夫なんだ」
押し付けられている朱音の腹部が熱く感じる。いや、俺の頬が赤くなっているのか?
もはや、どちらのかはっきりしない。
自分の心臓の鼓動と、朱音の腹部から伝わる鼓動が同調して、ますます熱くなっていく気がした。
「うん、女の子は毎月大変だと思ってるさ」
自分で何を言っているのかわからないまま、口から言葉が紡がれる。
「本当に? だったら光ちゃん、いい旦那様になれるね」
ガザガザと耳垢が耳と擦れる音が朱音の言葉の一部をかき消していく。
「はい、右側は終わったよ。次は左側だよ、反対向いて」
朱音に催促されて、その場で体の向きを入れ変える。
視界が明るくなると共に、空気にさらされて熱かった頬が急激に冷やされていく。
少し物足りなさを感じるが贅沢は言っていられない。
「これだけ上手なら旦那さんになる人も満足だろうし、子どもたちも嫌がらせないな。いや、寝てしまうんじゃないかな」
「もう、光ちゃんたら、煽てても何も出ないからね。あっ、よだれ垂れてる」
「嘘だよな!?」
「嘘だよ。びっくりした?」
「ああ、驚かせないでくれよ」
「あら? これくらいで驚いていたらどうするのかしら? 光ちゃんが握りしめているモノだけど──」
「これがどうかしたのか?」
手のひらを見ると、先程朱音から渡された卵のようなものが、静かにたたずんでいた。
「それね──
私が初めて産んだ卵なんだ」
「えっ?」
朱音の爆弾発言に、呆然とした声が出た。
「光ちゃんとの子どもだよ。あっ、動かないの! また、血だらけになる。めっ、だよ!」
「いや、えっ?」
朱音は相変わらずマイペースで、俺の混乱はまったく収まらない。
そもそも、朱音はそういう関係になったことはない。
年齢的にはそういうことが起こってもおかしくない年頃ではあるが、それにしても、唐突すぎた。
「あら、不満なの?」
朱音が拗ねたような口調が責め立てられているような気にさせられる。
「いや、そうじゃなくて、もう少し詳しく説明してくれないか」
柔らかな肉に包まれていた天国にいるような至福の時間が、一転一気に地獄に突き落とされた。
「朝起きたらね──」
「朝起きたら」
「その卵をね──」
「この卵を」
「産んでたの。可愛いでしょう? 二人の愛の結晶だよ」
「産んでたんだ。なるほど、納得したよ」
朱音の口から“愛”などという言葉が出るとは想定外で、ドキドキと脈打つ心臓の鼓動がうるさくて、そのまま口を開けば飛び出しそうな勢いだった。
「朱音って──」
「何、光ちゃん?」
「俺のこと好きだったんだ?」
まず、大前提を確認しないことには先に進めない。勇気を出して朱音に聞く。
「あら? 今更そんなこと聞くの? 私のこと嫌いになったの? それともこの子のこと、責任取りたくないの?」
「いや、そんな事ないし、朱音のことは好きだよ」
「好きなだけ? 私は光ちゃんのこと大好きなのに──」
「俺だって大好きだよ」
朱音の問いかけに、つい反射的に答えてしまう。
「ふふふ、嬉しい。やっと言ってくれたね」
「それじゃあ──」
「うん、この子を責任持って孵してね。パパ」
両思いを確認できたのは嬉しいけれど、返ってきた言葉が“パパ”
どちらの意味に受け取っても重い。
「で、でも、未受精卵は孵らないよ」
「パパの愛情があれば大丈夫だよ」
ゆっくりと俺の耳元で囁いた朱音がそのまま頬に唇を当てた。
───
それから一週間、卵を温め続けていたが、おばさんとおじさんから、真相を聞かされた。
ダチョウ牧場から新鮮な卵を入手したので、驚かそうと寝ている朱音の布団に卵を忍ばせたら、起きて卵に気づいたら朱音が自分で産んだとすっかり信じ込んでしまったという。
「ごめんね、光ちゃん。怒ってる?」
「いや、怒ってないよ」
「本当に?」
「ああ、本当に」
「よかった。じゃあ、これで今までと同じ、元通りになるね」
「いや、ならない」
「えっ? だって、怒ってないって言ったじゃない」
「怒ってないけど、元通りにはならない」
「じゃあ、どうしたら許してくれるの?」
「人を勝手にパパにしてくれたんだ──無かった事には出来ないよ」
「それってどういう事なの、光ちゃん?」
「つまり──
朱音に責任とって、僕のお嫁さんになって欲しいって事だよ」
「──」
その場で固まって朱音は何も言わない。
「嫌ならあきらめるからいいよ」
「──嫌だよ」
「じゃあ、仕方ないか──」
俺は小さく肩をすくめた。
振られたとしても、程よい距離感の幼馴染ではいたい。せめて──
「──諦めるなんて言っちゃあ、やだ!」
「!?」
「何でそんなひどいこと言うの?」
「いや、だから嫌なら無理強いしない──」
「絶対に嫌だ。朱音以外をお嫁さんにするなんて許さないんだから」
うるうるとした瞳で朱音は俺を見つめてくる。
「ちゃんとした子どもを産むの! 光ちゃんの子どもだよ」
「でも、子作りの仕方知ってるの?」
まさかとは思うけど、知らない可能性も否定できない。
「そこは光ちゃんに任せてるから。大丈夫だよね?」
「あ、ああ。任せておけ」
こんな天然を野放しにはできない。
俺は朱音に対して、過保護に接し過ぎたのだろうか?
どちらにしろ、手放す気はないし、責任は取る。
耳元で朱音が甘く囁く。
「光ちゃん、大好きだよ」




