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グンマー帝国の興亡史  作者: 甲州街道まっしぐら
プロローグ:グンマーの夜明け(西暦2025年~2045年)
8/11

旧日本の政治的衰亡(2025-2045):議院内閣制から事実上の無政府状態へ

グンマー帝国がその揺籃期にあった時代、その母体となった旧日本国の中央統治機構は、緩慢でありながらも、しかし確実に、その権威と機能を蝕まれていく過程にあった。西暦2025年の時点において、この国はなお、第二次世界大戦後に確立された議院内閣制という、古き良き時代の統治形態を維持していた。しかし、その制度は、来るべき未曾有の危機に対処するには、あまりにも硬直化し、そして疲弊しきっていたのである。長年の平和と繁栄の中で、国家の意思決定システムは、漸進的な変化には対応できても、システム全体を揺るがすような急激な外部ショックに対しては、驚くべきほどの脆弱性を露呈する運命にあった。


第一段階:石破内閣と「最後の日常」の維持(2025年~2030年代初頭)


2025年、国政を担っていたのは、自由民主党総裁・石破茂を首班とする内閣であった。現実主義者として知られたこの指導者は、すでに顕在化しつつあった国家の構造的諸問題――すなわち、加速する少子高齢化、老朽化したインフラ、そして国際競争力の低下――に対して、現実的な政策をもって対処しようと試みた最後の首相であったと言えるだろう。


彼の政権は、「国土強靭化」や「地方創生」といった、旧時代から続く政策の延長線上に、防衛力の増強と食料自給率の向上を最重要課題として掲げた。具体的には、国内の食料備蓄目標の引き上げや、半導体等の戦略物資の国内生産回帰を促す法案が提出された。しかし、これらの政策は、来るべき危機の根本的原因に対してではなく、その表層的な症状に対して投じられた、いわば対症療法に過ぎなかった。首都では依然として平穏な日常が報道されていたが、その裏で地方のインフラを維持するコストは静かに増大し、中央と地方との間には、もはや埋めがたい認識の亀裂が広がり始めていたのである。


政治的限界:

国内の人口構造の歪みは、いかなる抜本的な改革をも政治的に不可能にしていた。有権者の多数を占める高齢者層は、将来への投資よりも、現在の社会保障制度の維持を最優先し、それが国家財政の硬直化を招いた。例えば、消費税率の引き上げによる若年層への再分配強化案は、選挙での敗北を恐れる議員たちの抵抗によって、審議入りすら叶わなかった。政治は、未来を設計する機能を失い、過去の遺産を食い繋ぐだけの、現状維持装置と化していた。


物理的限界:

資源のほぼ全てを海外からの輸入に依存するという国家の基本構造は、一内閣の努力で変革できるものではなかった。国内のエネルギー生産量を増強しようにも、大規模な再生可能エネルギー施設の建設は、地域住民の反対運動や環境規制によって遅々として進まず、食料を増産しようにも、それを担うべき若年層の農業従事者は絶望的に不足していた。政府が打ち出す補助金政策も、後継者のいない農村では、耕作放棄地の増加を食い止めるには至らなかった。


石破内閣は、いわば、ゆっくりと沈みゆく巨大な客船の上で、乗客を安心させるために、デッキチェアの配置を懸命に調整しているようなものであった。船底に開いた巨大な穴そのものには、もはや誰の手も届かなかったのである。


第二段階:「挙国一致救国内閣」と機能不全の顕在化(2030年代初頭~2034年)


2030年代に入ると、世界的な異常気象と地政学的緊張の高まりは、日本の輸入物価を著しく高騰させ、国民生活を直接的に圧迫し始めた。自由民主党による単独政権はもはや国民の支持を維持できなくなり、国政は極度の混乱状態に陥った。大規模な抗議デモが日常化し、国会周辺は不満を抱える市民によって連日埋め尽くされた。


この未曾有の国難に対し、当時の政界は、党派を超えて協力するという、旧時代の政治が取り得る最後の手段を選択した。すなわち、「挙国一致救国内閣」の成立である。この連立政権には、与野党の主要な政治家がほとんど全て参加し、国家の危機管理に当たることとなった。


しかし、この「最後の希望」は、皮肉にも、中央政府の完全なる機能不全を国民の前に露呈させる結果しか生まなかった。


意思決定の麻痺:

危機への対処法を巡り、閣内では日夜、果てしないイデオロギー闘争が繰り広げられた。財政出動を主張する者、緊縮財政を訴える者、国際協調を模索する者、完全な孤立主義を唱える者。例えば、「国家緊急資源管理法案」は、厳格な配給制を主張する勢力と、市場原理を尊重すべきとする勢力の対立によって、数ヶ月にわたり審議が停滞し、結局骨抜きのまま成立した。多様な意見は、いかなる有効な政策決定をも妨げた。特に象徴的であったのは、全国的な電力配給計画を巡る議論であり、各選挙区への配慮から公平な制限を設けることができず、結局は各地方電力会社の自主判断に委ねるという無責任な結論に至った。政府は『非常事態宣言』を乱発するだけで、具体的な行動を何も起こせないという、最も致命的な病に侵されたのである。


中央と地方の乖離:

中央政府が空虚な議論に明け暮れる一方で、地方の自治体は、自らの住民を守るために、独自に行動を開始せるを得なかった。特に、エネルギーや食料の生産基盤を持つ地域は、中央の指示を待たずして、独自の資源備蓄や配給システムの構築を進め始めた。北海道はロシア極東地域と、九州は朝鮮半島南部の諸都市と、それぞれ独自のルートで資源を確保する協定を結び、中央政府の外交方針を公然と無視した。この時すでに、後のグンマー帝国となる上毛の地では、金子志道率いるJ-FRONTが、独自のエネルギー・食料供給網を完成させつつあった。


第三段階:「グレート・シャットオフ」と権威の蒸発(2034年~2045年)


そして西暦2034年、第二次中東エネルギー戦争の勃発が、この瀕死の政治システムに、最後の、そして致命的な一撃を与えた。中東からのエネルギー供給が物理的に完全に停止する「グレート・シャットオフ」の発生は、日本円の価値を一夜にして暴落させ、輸入に依存する日本経済の心臓を停止させた。


この瞬間、東京・霞が関に存在する中央政府は、その権威の源泉たる「富の再分配機能」を完全に喪失した。


統治能力の物理的喪失:

政府には、地方へ送るべき補助金も、自衛隊や警察を動かすための燃料も、そして官僚機構を維持するための電力さえもなくなった。霞が関の庁舎群は、電力不足でその大部分が閉鎖され、首相官邸でさえ非常用のディーゼル発電機のか細い唸りだけが響く有様であった。国家の中枢データセンターは機能を停止し政府は、自国の状況を正確に把握する能力さえ失った。首相官邸からの声明は、かろうじて機能する短波放送を通じて発信されたが、それはもはや、インターネットの残骸の中に消える、意味のない音声データと化した。


地方の事実上の独立(Silent Secession):

エネルギーと食料を自給できる地域ブロック(北海道、九州、そして上毛)は、中央政府との関係を事実上断絶した。それは宣戦布告を伴う独立ではなく、納税や報告といった中央への義務を静かに履行しなくなる『静かなる離反(Silent Secession)』であった。もはや何の価値も提供できなくなった死にゆく親から、子が静かに離れていくのに似ていた。彼らは、独自の自警団を組織し、地域内でのみ通用する物々交換や代替通貨を導入し、新たな統治秩序を形成し始めた。これは、国家の崩壊が、中央からの命令ではなく、地方からの静かなる無視によって進行したことを示している。


西暦2045年、金子志道が「上毛公国」の樹立を宣言した時、それを咎めることができる中央権力は、日本列島のどこにも存在しなかった。国会議事堂は、打ち捨てられた旧時代の巨大な霊廟となり、内閣総理大臣という役職は、崩壊した首都の廃墟を治める、一人の市長にも等しい存在へと成り果てていた。かつての議院内閣制は、こうして、壮大な葬儀も行われぬまま、歴史の舞台から静かに退場したのである。

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