三都戦争勃発時の高崎:理性の孤島、危うい独立
およそ、歴史における大きな動乱の時代には、二つの対立する狂信の間に、かろうじて理性を保とうとする、第三の勢力が生まれることがある。彼らは、しばしば、最も人間的で、最も共感を呼び起こす存在であるが故に、最も脆弱で、そして最も悲劇的な運命を辿るものである。西暦2255年、グンマー帝国が「三都戦争」という名の、自らを食い尽くす内乱へと突入した時、槻 彰人に率いられた高崎は、まさにそのような、理性の孤島であった。彼らは、術政庁の硬直した合理主義にも、回帰者の恍惚とした神秘主義にも与せず、人間としての尊厳と、文明の存続という、あまりにも困難な道を、自ら選び取った。その決断は、崇高であったが、同時に、二つの巨大な狂気の奔流に挟まれた、危うい小舟の船出でもあった。
第一節:物理的状況――継ぎ接ぎの生命線
上毛京の術政庁から事実上独立した高崎は、まず、自らの生存基盤を、独力で再構築するという、絶望的な課題に直面した。
資源の確保と「高崎ネットワーク」:
槻 彰人の指導の下、高崎に結集した〈榛名〉階級の技術者たちは、その持てる知識と技術を総動員した。彼らは、自らが管理していた、帝国西部の地熱プラントや物流ハブの制御権を完全に掌握。上毛京への中央供給ラインを遮断し、高崎を中心とする、独自の自律的なインフラ・ネットワークを、驚くべき速さで構築した。しかし、彼らの資源は、圧倒的に不足していた。特に、〈妙義〉階級の「大離脱」によって、労働力は壊滅的な打撃を受けていた。彼らは、インフラの維持管理を、旧時代の設計思想に基づく、より単純で堅牢な自律型ロボットの再利用や、回帰者となることを拒み、『理性ある労働』という新たな理念に賛同して残った、少数の〈妙義〉階級の協力者に頼らざるを得なかった。また、食料の安定供給も、深刻な問題であった。高崎周辺の垂直農場の多くは、糖蜜病に汚染されており、彼らは、汚染されていない区画を必死に維持し、旧時代の遺伝子工学の知識を頼りに、超蒟蒻に代わる、新たな食料源(例えば、高効率の藻類培養など)を、涙ぐましい努力で模索し始めた。
都市の防衛:
高崎は、上毛京のような、絶対的な防衛システム「鉄の指輪」を持たなかった。彼らは、都市に残されたシステム防衛局の装備(装甲車両やドローン)を再編し、槻 彰人の指揮の下、独自の市民防衛軍を組織した。彼らの強みは、術政庁のドローン部隊の制御コードを熟知していることであった。彼らは、その軍事戦略を『針鼠の教義(Doctrine of Porcupine)』と名付けた。彼らは、防衛だけでなく、術政庁のネットワークに侵入し、その情報を攪乱する、高度なサイバー戦能力をも、その手にしていた。しかし、彼らのサイバー戦能力は、八咫烏の巨大な演算能力の前では、敵の神経系を一時的に麻痺させるためのピンポイント攻撃に過ぎず、その狂信性において予測不可能な回帰者の物理的な自爆攻撃に対しては、あまりにも無力であった。限定的ながらも鋭い反撃能力(サイバー攻撃やインフラへの精密攻撃)を誇示することで、術政庁と回帰者の双方にとって、自らを攻撃することが『割に合わない』ターゲットであると認識させる、絶望的なまでの生存戦略であった。彼らの目的は勝利ではなく、ただ、両者が疲弊し、理性の声に耳を傾ける時まで、生き延びることであった。それは、巨大な熊と毒蛇の両方を同時に相手にするような、絶望的な消耗戦の始まりを意味していた。
第二節:精神的状況――人間性の最後の砦
高崎が、他の二つの勢力と、最も明確に異なっていたのは、その精神的な状況にあった。彼らは、帝国の崩壊という絶望的な現実の中で、最後まで人間であることを、放棄しなかった。
槻 彰人の指導理念:
指導者・槻 彰人は、独裁者でもなければ、預言者でもなかった。彼は、自らを「第一の市民」あるいは「首席管理者」と位置づけ、高崎の運営を、旧時代の評議会を彷彿とさせる、主要な技術者や行政官たちとの合議制によって行った。彼の指導理念は、金子志道の『供給なくして統治なし』という第一原理を、否定するのではなく、むしろ深化させるものであった。彼は、その原則に、自らの苦悩の経験から導き出した、第二の原理を付け加えた。すなわち、『しかし、尊厳なくして供給なし』と。供給が肉体の糧であるならば、尊厳は魂の糧であり、魂の飢えた民は、いずれその供給システムそのものを破壊する、と彼は結論付けたのである。彼は、人間を単なる生体部品と見なす術政庁の統治が、結局は供給システムそのものを崩壊させた事実を直視し、人間の尊厳と自発的な協力こそが、長期的な安定供給の唯一の礎であると結論付けたのである。彼は、市民の生存を保証するだけでなく、その市民が、人間としての尊厳を保ちながら生きられる社会を目指した。
旧世界の記憶の復活:
この理念の下、高崎では、帝国において一世紀以上にわたって禁じられてきた、ある試みが、実験的に開始された。それは、旧世界の記憶の、限定的な復活であった。槻 彰人は、術政庁の地下アーカイブから、かつて自らがアクセス権限を持っていた、ごく一部の文学や歴史のデータを、密かにコピーし、持ち出していた。
彼は、高崎の教育システムに、システムの効率性だけでなく、「なぜ、我々は、このように生きるのか」という、哲学的な問いを投げかける、旧時代の歴史や倫理学の授業を、限定的に復活させた。特に、彼は、旧世界の様々な神話や、大災害から復興した人々の記録を重視したという。それは、完璧なシステムへの依存ではなく、不完全な人間が持つ、過ちを犯しながらも再び立ち上がる力、すなわち『強靭さ(レジリエンス)』こそが、真の文明の礎であると、彼は信じていたからである。子供たちは、初めて、金子志道以外の、旧世界の偉人たちの名を知り、そして、自らが生きる帝国が、かつて「日本」と呼ばれた、広大な世界の一部であったことを学んだ。
また、彼の許可の下で、人々は、画一的な標準服に、ささやかな個人の装飾を施したり、栄養ブロックに、旧時代のレシピを参考にした、手作りのソースを加えたりといった、小さな「非効率な」文化を、再発見し始めた。これらの試みは、帝国の厳格な合理主義から見れば、退廃以外の何物でもなかった。しかし、それは、窒息しかけていた人々の魂に、再び、ささやかな彩りと、生きる喜びを与えたのである。
第三節:政治的・軍事的戦略――茨の道
高崎が選択した「中立」という道は、最も理性的であったが故に、最も困難な、茨の道であった。
外交:理解されない第三の道
槻 彰人は、術政庁と回帰者の双方に対し、対話の窓口を開き続け、内戦の回避と、三勢力による暫定統治評議会の設立を、粘り強く呼びかけた。彼は、術政庁には「このままでは、共倒れとなり、システムそのものが永久に失われる」と、合理性の観点から説き、回帰者には「文明の完全な破壊は、あなたたちが愛する大地そのものを、回復不可能なほどに汚染する」と、彼らの価値観に寄り添う形で、訴えかけた。
しかし、彼の理性的な声は、両極端に引き裂かれた時代の狂気の前では、あまりにも無力であった。術政庁は、彼の提案を、システムへの完全帰順を遅らせるための、狡猾な時間稼ぎとしか見なさず、回帰者は、彼を、蜜霧の福音を拒絶する、救われざる魂としか見なさなかった。
軍事戦略:専守防衛と情報戦
高崎の軍事戦略は、徹底した専守防衛であった。彼らは、自ら進んで、他の二つの勢力を攻撃することはなかった。しかし、自らの生存圏を脅かす者に対しては、容赦のない反撃を行った。彼らは、数では劣るものの、その高度な技術と、現場を知り尽くした実践的な知識を武器に、術政庁のドローン部隊を何度も撃退し、回帰者のテロ攻撃を未然に防いだ。
特に、彼らが力を注いだのは、情報戦であった。彼らは、術政庁のプロパガンダ放送にハッキングを仕掛け、その欺瞞を暴露する映像(例えば、〈赤城〉階級が、正常な栄養ブロックを独占している様子の記録など)を、上毛京の市民に向けてゲリラ的に放送した。また、回帰者に対しては、蜜霧の化学成分の分析データを公開し、それが「大地の涙」などではなく、超蒟蒻の異常代謝が生み出した、危険な向精神性物質であることを、科学的に説明を繰り返した。それに加え、彼らが『聖地』と崇める汚染地帯の土壌が、重金属や有害な微生物によって、生命を育む能力を永久に失いつつあるという、非情な科学的データを提示し続けた。それは、彼らの恍惚とした信仰に、冷徹な現実の楔を打ち込む試みであった。これらの試みは、両勢力の結束を、内部から、わずかずつではあるが、確実に揺さぶっていった。
結論:悲劇の調停者
かくして、三都戦争が勃発した時、高崎は、狂信的なる理性(術政庁)と、恍惚たる非合理(回帰者)という、二つの巨大な奔流に挟まれた、小さな、しかし、断固たる意志を持つ、人間性の最後の砦として、歴史の舞台に立っていた。
指導者・槻 彰人は、革命家ではなかった。彼は、既存のシステムを、より合理的に運営することには長けていたが、崩壊した世界の上に、全く新しい価値観を提示する、預言者ではなかった。彼の掲げる「理性」は、もはや、狂気に陥った術政庁にも、恍惚に浸る回帰者にも、届かなかった。
彼は、後に続く『三都戦争』において、システムの論理と大地の神秘という、二つの絶対的な力の狭間で、人間的な理性の脆い燭台を守ろうとした、悲劇の灯台守となる運命にあった。しかし、彼の灯す光は、両岸から押し寄せる、絶対的な光と絶対的な闇の、巨大な奔流の中へと、あまりにも儚く吸い込まれていった。彼は、自らが愛した文明が、その光と影、全てを記録しながら、静かに沈んでいく様を、最後まで見届けるという、書記官としての、最も過酷な運命を全うすることになる。




