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グンマー帝国の興亡史  作者: 甲州街道まっしぐら
第四部 滅亡期【三都の時代】
44/51

三都戦争勃発時の回帰者陣営:恍惚の共同体と聖なる破壊

およそ、歴史における最も恐るべき反乱とは、計算された憎悪や、明確な政治的野心から生まれるものではない。それは、抑圧された民衆が、自らの苦しみの果てに、その苦しみそのものを超越する、全く新しい「救済」の物語を発見した時にこそ、最も根源的で、そして予測不可能な力となって噴出するものである。西暦2255年、グンマー帝国が「三都戦争」という名の、自らを食い尽くす内乱へと突入した時、預言者カイナに率いられた回帰者たちの陣営は、まさにそのような、恍惚の共同体であった。彼らは、旧世界のいかなる革命勢力とも、その本質を異にする。彼らが求めたのは、権力の奪取ではない。彼らが望んだのは、文明そのものの、甘美なる、そして聖なる破壊だったのである。帝国が理性の極致であるならば、彼らは、その理性が生み出した、最も純粋な非理性の化身であった。


第一節:社会――「個の融解」と新たなる絆


回帰者の社会は、帝国の厳格な階級制度と、市民IDによって管理される、孤立した個人主義に対する、全面的なアンチテーゼであった。それは、社会というよりは、むしろ、巨大な一つの生命体、あるいは、蜜霧の海に浮かぶ精神のサンゴ礁とでも呼ぶべき、特異な存在であった。


階級と個人の消滅:

回帰者の共同体において、〈赤城〉〈榛名〉〈妙義〉という、帝国の神聖なる階級区分は、一切の意味を持たなかった。彼らの社会に存在したのは、ただ一つの身分、すなわち「還りし者かえりしもの」だけであった。共同体に参加するための唯一の儀式は、自らの市民IDを、鋭利な石器や金属片で、その肉体から抉り出し、それを糖蜜病に汚染された大地へと埋めることであった。これは、システムとの物理的・精神的な繋がりを断ち切り、個人を定義していた過去の記録を抹消し、名もなき「大地の子」として、新たに生まれ変わることを象徴する、血塗られた洗礼であった。彼らは、個人名さえも捨て去り、互いを、ただ「同胞」と呼び合った。個人の功績や能力は、もはや何の価値も持たず、ただ、共同体と、そして大地と、いかに深く感応できるかという、精神的な資質のみが、その人間の価値を決定した。


蜜霧による共同幻想:

この新たな共同体を結束させていたのは、法や契約といった、理性的な約束事ではなかった。彼らの絆は、蜜霧がもたらす『化学的なる共感』、すなわち、個人の精神的境界線が溶け合い、他者の感覚や記憶の断片までもが流れ込む『共有夢』と呼ばれる現象そのものであった。一人が喜びを感じれば、その感情だけでなく、喜びの根源にある過去の幸福な記憶の断片が、さざ波のように周囲に伝播した。逆に、誰かが恐怖を抱けば、その震えと共に、恐怖の原因となった光景のイメージが全員のものとなり、彼らは集団で同じ悪夢にうずくまった。彼らの絆は、理性的な約束事ではなく、文字通り、共有された神経系そのものであった。蜜霧の中で同じ幻視を共有し、同じ至福を体験した人々は、生まれて初めて、他者と感情を共有するという経験をした。それは、他者の苦しみを、自らの痛みとして感じ、他者の喜びを、自らの歓喜として味わう、文字通りの精神的融合であった。彼らは、居住ユニットの壁を取り払い、全ての物資を共有し、旧時代の家族という概念を超えた、巨大な一つの生命体として生きることを試みた。そこでは、個人のプライバシーは存在せず、全ての喜びと悲しみは、共同体全体のそれとして、共有された。それは、帝国が最も危険視し、排除してきた「非合理的な共同体」の、自然発生的な誕生であった。


預言者カイナという精神的中心:

この共同体には、術政庁のような、階層的な権力構造は存在しなかった。しかし、カイナという絶対的な精神的中心の下に、いくつかの儀礼的な役割が自然発生的に生まれていた。カイナの幻視を解釈し、歌として人々に伝える『唄守り(うたもり)』、蜜霧の中で見た共同幻想を、廃墟の壁に描き出す『夢紡ぎ(ゆめつむぎ)』、そして、糖蜜病に汚染された超蒟蒻を管理し、聖餐の儀式を執り行う『土の世話役つちのせわやく』。これらの役割は、権力ではなく、大地への感応性の深さによってのみ、人々に与えられた。彼女は、命令を下す支配者ではなかった。彼女は、蜜霧を通じて、大地そのものの「声」を聞き、それを、断片的な、しかし詩的な言葉で、人々に伝える巫女であった。彼女の言葉は、回帰者たちの行動を決定する、唯一の指針であった。彼女が「大地が渇いている」と囁けば、人々は水を運び、彼女が「大地が歌っている」と告げれば、人々は数日間にわたって踊り続けたという。彼女の統治は、権力によるものではなく、人々が、彼女の言葉の中に、自らの魂の最も深い部分からの響きを聞き取ったが故の、完全なる、そして自発的なる帰依であった。


第二節:文化と思想――大地の福音と技術への憎悪


回帰者の文化は、帝国の合理的・機能的な文化に対する、全面的な否定の上に成り立っていた。それは、生産性を目的としない、純粋な、そしてしばしば自己破壊的な、精神活動の奔流であった。


教義の核心:「大いなる回帰」

カイナの教えは、一つの壮大な物語を提示した。すなわち、「かつて、人間と大地は、一つの生命であった。しかし、金子志道という偽りの理性が、人間を大地から引き剥がし、マンナン・クリートの牢獄に閉じ込めた。超蒟蒻の病は、大地が、その子供たちを取り戻すために流す、甘美なる涙(糖蜜)である。そして蜜霧は、我々を、再び母なる大地の子宮へと還すための、聖なる息吹である」と。彼らの最終的な目標は、個人的な救済に留まらなかった。帝国が築き上げた、全ての人工物を破壊し、大地を、人間が存在する以前の、純粋な姿へと還す、「大いなる回帰(The Great Return)」であった。彼らにとって、理性や自己意識こそが、人間を苦しめる原罪であった。文明を破壊することは、人間を、思考や苦悩という牢獄『個であることの痛み』から解放し、全ての魂が、再び分かちがたく溶け合う、惑星規模の意識体『静謐なる一体サイレント・ワンネス』へと至るための、痛みも喜びもない、完全なる無へと還すための、究極の慈悲であると信じられていた。帝国の純白の都市は、美の極致ではなく、大地の上に広がる、醜悪な病巣に過ぎなかった。


芸術と儀式:

回帰者の芸術は、帝国のそれとは対極的に、非生産的で、刹那的で、そして極めて情動的であった。彼らは、放棄された垂直農場を『大地の聖堂』と呼び、その純白の壁面に、糖蜜の樹液と自らの血を混ぜた顔料で、蜜霧の中で見た幻視を描き殴った。それらの壁画は、翌日には新たな絵で上書きされる、個人の記憶を大地に還すための、刹那的な奉納儀式であった。彼らの儀式では、旧時代の機械部品が、呪術的な打楽器として打ち鳴らされ、その不協和音の中で、人々は忘我の境地に至るまで踊り続けた。彼らは、糖蜜病の琥珀色の樹液を顔料として、自らの身体や、廃墟の壁に、蜜霧の中で見た幻視を描いた。それらの絵は、系統だった物語ではなく、生命の循環や、万物との一体感といった、直感的なイメージの奔流であった。彼らの音楽は、システム賛歌のような数学的な調和を拒絶し、人間の声と、廃材を叩いて作られた打楽器による、トランス状態を誘発するための、呪術的なリズムの反復であった。彼らの文化活動の全ては、蜜霧の中で、共同体全体が一体となるための、神聖なる儀式だったのである。


第三節:経済――生産の否定と聖なる収奪


回帰者の経済は、帝国の生産至上主義に対する、完全なる反逆であった。それは、経済というよりは、信仰に基づく、一つの生存儀式であった。


生産の放棄:

彼らは、超蒟蒻の栽培や、マンナン・クリートの精製といった、帝国の生産活動を、大地を傷つける、冒涜的な行為と見なした。彼らは、自ら食料を「生産する」ことをやめ、糖蜜病に侵された超蒟蒻を、「大地の聖餐」として、そのまま食した。それは、栄養学的には極めて劣悪であったが、彼らにとって、大地と一体化するための、最も重要な宗教的儀式であった。


聖なる収奪サルベージ:

食料以外の、生活に必要な物資(例えば、衣服や、単純な道具)は、全て、帝国が遺した廃墟からの収奪サルベージによって賄われた。彼らは、この行為を、単なる略奪とは考えなかった。彼らは、それを、「システムという牢獄に囚われていた物資を、本来あるべき大地へと解放してやる、聖なる行為」であると信じていた。彼らは、特に、旧時代の武器や、エネルギーパックといった、軍事転用可能な物資を、集中的に収集した。


第四節:政治と軍事――殉教の論理


回帰者には、国家という概念も、軍隊という組織も存在しなかった。しかし、彼らは、帝国にとって、最も恐るべき軍事的脅威であった。


非政治的なる政治:

彼らの共同体には、術政庁のような、計画を立案し、命令を下す、中央集権的な政治機構は存在しなかった。共同体の意志は、カイナの神託と、蜜霧の中で行われる、集団的なトランス状態の中から、一種の「総意」として、自然発生的に形成された。それは、旧世界のいかなる政治学者も理解できない、無意識による統治であった。


殉教も厭わぬ「聖戦士」:

「太田市の浄化作戦」は、回帰者を、単なる宗教集団から、殉教も厭わない、狂信的なる戦士集団へと変貌させた。術政庁の無慈悲な攻撃は、彼らにとって、カイナの預言の正しさを証明する、何よりの証拠であった。『偽りの神が、我々の信仰を恐れて、その牙を剥いたのだ』と。彼らは、弾圧を恐怖ではなく、自らが選ばれし者であることの証として、歓喜をもって受け入れた。彼らは、自らを迫害する「偽りの神システム」に対し、聖なる戦いを挑むことを決意した。彼らは、市民IDを抉り出した腕に、琥珀色の樹液で、自らの信仰のシンボルを描き、それを、聖痕として誇示した。


軍事戦略:「蜜の運び手」

彼らの軍事戦略は、勝利や征服を目的とするものではなかった。その唯一の目的は、帝国のシステムを、その根幹から破壊し、全てを、大地の甘美なる腐敗へと還すことであった。彼らの攻撃目標は、軍事施設よりも、むしろ帝国の『理性』を象徴する施設――すなわち、八咫烏の補助サーバーが置かれたデータセンター、子供たちに合理主義を教え込む教育施設、そして、直線と幾何学で構成された都市そのもの――に、優先的に向けられた。彼らにとって、自爆攻撃とは、敵兵を殺すことではなく、自らの肉体を触媒として、糖蜜の腐食作用を帝国の心臓部へと送り届ける、究極の奉納儀式であった。彼らは、自らの死によって、文明の病巣を浄化し、大地を癒していると信じていた。そのために、彼らは、「蜜の運び手」と称する、特殊な戦士団を組織した。彼らは、蜜霧を吸い込むことで、死の恐怖を克服しており、その身体に、糖蜜病の樹液から作られた、強力な腐食性爆弾を巻き付け、地熱プラントの制御室や、浄水場、そして、高崎や上毛京の城壁へと、次々と、躊躇なく、その身を投じた。


この自爆攻撃は、術政庁の防衛システムにとって、最悪の悪夢であった。なぜなら、八咫烏は、敵の「生存」を前提として、その行動を予測していたからである。自らの死を、最高の栄誉とする、この非合理的な戦術は、AIのいかなる計算をも、超越していた。


結論:理性が生み出した、最も非合理的なる鏡


かくして、三都戦争が勃発した時、回帰者たちは、単なる反乱軍ではなく、帝国の合理主義が、その対極に、自らの鏡像として生み出してしまった、最も非合理的なる怪物として、歴史の舞台に立っていた。彼らは、帝国が排除した、全てのものを――感情、信仰、神秘、そして死への渇望さえも――その内に抱えていた。


理性の帝国は、自らが最も軽蔑し、排除しようと試みた、計算不能なる人間の魂そのものによって、その足元を掬われた。そして、その魂の反逆の、最も純粋で、最も破壊的な象-徴として、歴史は、カイナと、彼女が率いる回帰者たちを、帝国の墓掘り人として、選び出したのである。

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