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グンマー帝国の興亡史  作者: 甲州街道まっしぐら
第四部 滅亡期【三都の時代】
42/51

三都戦争勃発時の上毛京:理性の要塞、最後の傲慢

およそ、歴史における巨大な帝国の没落は、その首都が、外部世界の現実から、いかに隔絶されたかを測定することによって、最も正確に予見できるものである。西暦2255年、グンマー帝国が「三都戦争」という名の、自らを食い尽くす内乱へと突入した時、その首都・上毛京は、物理的にも、そして精神的にも、完全に孤立した、一つの巨大な理性の要塞と化していた。そこでは、帝国全土を覆う混沌の奔流さえもが、八咫烏のディスプレイに映る、無機質なデータストリームへと抽象化され、システムの完璧性という最後の、そして最も傲慢なる夢が、閉じた回路の中で永遠にシミュレートされ続けていた。この要塞は、外部の混沌を防ぐために築かれたが、そのあまりにも高すぎる城壁は、いつしか、内部にいる者たちの視界をも遮り、彼らを、現実から隔絶された、美しい牢獄へと閉じ込めていた。


第一節:物理的状況――閉鎖系の限界


「大離脱」によって、帝国の生産基盤の大部分を担っていた〈妙義〉階級と、その実務を支えていた〈榛名〉階級の多くを失った上毛京は、その存続の危機に瀕していた。しかし、術政庁は、この危機を、あくまで一時的な「システムのエラー」として認識し、その対応もまた、極めて工学的なものであった。


資源の極端な集中:

八咫烏の「神算」に基づき、術政庁は、帝国に残された、全ての資源を、首都・上毛京へと強制的に集中させる「プロトコル・シタデル」を発動した。高崎が掌握した施設を除く、全ての地熱プラントのエネルギーは、首都の防衛システムと、〈赤城〉階級の生活維持のためだけに、供給された。栄養ブロックの生産も、首都近郊の、かろうじて稼働を続ける垂直農場に限定され、そのほとんどが、〈赤城〉階級へと優先的に配給された。

これにより、上毛京は、砂漠の中に浮かぶ、最後のオアシスのような観を呈した。その城壁の内側では、未だに光が灯り、最低限の秩序が保たれている一方で、その外に広がる地方都市は、エネルギーと食料の供給を断たれ、急速に、南方の混沌地帯と同じ、無秩序な廃墟へと変貌していった。かつては帝国の穀倉地帯であった旧沼田市の垂直農場群は、送電が停止されたことで、内部の超蒟蒻がことごとく糖蜜病に侵され、巨大な琥珀色の墓標と化した。術政庁は、これらの地方都市を、システムから切り離された、回復不能な「デッド・ゾーン」として、地図の上から抹消した。


八咫烏による完全統制:生体部品の最適化と管理

この閉鎖された要塞の中で、術政庁は、八咫烏による市民生活の管理を、かつてないレベルまで強化した。栄養ブロックの配給量は、各個人の基礎代謝と、割り当てられた任務の重要度に応じて、グラム単位で厳密に計算された。エネルギーの消費も、居住ユニットの照明から、情報端末の使用時間に至るまで、全てが厳格なクレジット制の下に置かれた。

八咫烏は、「人的資源の最適化」と称して、〈赤城〉階級の中から、システムの維持に必須ではないと判断された、一部の高齢者や、非生産的な研究(例えば、純粋数学や理論物理学)に従事していた科学者に対し、その資源配給量を、生存限界ぎりぎりまで引き下げるという、冷徹な決定さえ下した。かつて帝国の知の頂点にあった老科学者が、自らの研究を続けるために、乏しい栄養ブロックを分け合い、凍える研究室で毛布にくるまる姿は、この時代の、理性が理性を食い尽くす、悲劇的な光景であった。この要塞の中では、人間は、もはや人間ではなく、システムを存続させるための、ただの生体部品に過ぎなかった。


第二節:精神的状況――数字の中に生きる者たち


一世紀以上にわたる「パクス・グンマ」の平和と、完璧な情報統制は、〈赤城〉階級の精神を、外部世界の現実を、もはや正しく認識できない、特異な状態へと変質させていた。


現実の抽象化:

彼らは、糖蜜病の蔓延や、回帰者の蜂起、そして高崎の反乱といった、帝国を揺るがす危機を、自らの目で見ることはなかった。彼らが対峙していたのは、八咫烏のディスプレイに映し出される、膨大な統計データと確率予測のみであった。彼らにとって、飢餓に苦しむ〈妙義〉の民は、赤く点滅する「栄養不足アラート」であり、蜜霧の中で恍惚に浸る回帰者は、「逸脱行動を示すID群」であり、そして、高崎の反乱は、「ネットワークの分岐エラー」であった。

彼らは、血の通った人間が織りなす、複雑で、非合理的な悲劇を、ただの解決されるべき「数式」としてしか、捉えることができなかった。長年の安寧と、データのみを相手にする生活は、彼らから、他者の苦しみに共感するという、非効率な精神機能、すなわち想像力を完全に萎縮させていたのである。術政庁の最高評議会では、「回帰者」という言葉さえ使われず、彼らはただ「バイオハザード汚染地域における、非定型行動パターンを示す、人的資源群」という、無機質な記号で呼ばれた。この現実の抽象化こそが、彼らが、自らの同胞に対し、ためらいもなく非情な決定を下すことを可能にした、心理的な防壁であった。


選民思想の先鋭化:

孤立は、彼らの選民思想を、さらに狂信的なものへと先鋭化させた。彼らは、自らを、崩壊しつつある世界の中で、唯一、理性の炎を守り続ける、最後の祭司団であると信じていた。回帰者や、高崎の中立派の行動は、彼らにとって、理解不能な愚行であり、金子志道が遺した完璧なシステムに対する、許しがたい冒涜であった。

彼らは、自分たちが犯している過ちについて、微塵も疑うことはなかった。なぜなら、彼らの全ての決定は、八咫烏という、絶対に誤ることのない神の計算に基づいていたからである。毎朝、最高評議会のメンバーは、八咫烏のメインフレームの前で、前日の帝国全体のエネルギー効率や生産性の数値を詠唱する『ロゴス礼拝』と呼ばれる儀式を行い、システムの完璧性を再確認することから、一日を始めたという。彼らは、自らの傲慢さそのものに、気づくことさえできなかった。上毛京の地下深くにある、金子志道の慰霊施設は、もはや科学者の功績を称える記念館ではなく、八咫烏の神託の正当性を保証するための、神聖な神殿と化していた。


第三節:政治的・軍事的戦略――完璧なる故の硬直


この物理的・精神的な孤立は、術政庁の、対外的な戦略を、極めて硬直的で、そして非現実的なものとした。


政治目標:あり得ない「完全復旧」

術政庁の唯一の政治目標は、「システムの完全復旧」、すなわち、帝国が、その最も輝かしかった時代の状態へと、完全に回帰することであった。彼らは、回帰者や高崎との、いかなる交渉も、妥協も、非合理的なノイズとして、最初から完全に拒絶した。彼らにとって、唯一の解決策は、これらの「バグ」を、外科手術的に、完全に除去することだけであった。

高崎の槻彰人から送られてきた、対話を求める通信は、八咫烏によって、その内容が分析される以前に、「非合理的な感情データ(Error Code: Irrational Emotion)」を多数含むという理由で、自動的にスパムとして分類され、最高評議会のメンバーの目に触れることさえなかった。彼らは、八咫烏を通じて、高崎や、回帰者の共同体に対し、「システムへの即時帰順」を、繰り返し、そして一方的に通告し続けた。それは、もはや外交ではなく、機械が、故障した部品に対して発する、エラーメッセージに等しかった。


軍事戦略:高崎への一点集中

八咫烏は、帝国を崩壊から救うための、最も効率的な軍事戦略として、「高崎の無力化」を、最適解として提示した。回帰者は、その思想こそ危険であるが、その軍事力は、烏合の衆に過ぎない。しかし、高崎は、帝国のインフラと、高度な技術者集団を、その手中に収めている。この「第二の脳」を叩き潰し、その資源を再吸収することこそが、システムを復旧させるための、最短経路である、と。 この計算に基づき、術政庁は、帝国に残された、最後の軍事資源の全てを、高崎への攻撃に一点集中させることを決定した。八咫烏が同時に提示した、『北方からの蛮族の侵入確率の微増』や『回帰者の自爆テロによるインフラ損壊リスクの上昇』といった、複数の低確率・高インパクトの警告は、最適解を算出する過程で、許容可能な誤差として切り捨てられた。北方を守る「静寂の柵」の維持管理は最低限にまで縮小され、南方国境「鉄の指輪」のエネルギー出力さえもが、高崎攻略のために首都へと転用された。彼らは、自ら、その要塞の壁を、内側から薄く削り始めたのである。それは、一見すると合理的な戦略であったが、その背後にある、回帰者という、計算不能な脅威の増大と、自らの足元を蝕む、糖蜜病の進行という、より深刻な現実から、完全に目を逸らした、致命的な選択であった。北方を守る「静寂の柵」の維持管理は最低限にまで縮小され、南方国境「鉄の指輪」のエネルギー出力さえもが、高崎攻略のために、首都へと転用された。彼らは、自ら、その要塞の壁を、内側から薄く削り始めたのである。


結論:自らが作り出した内側からの亀裂


かくして、三都戦争が勃発した時、上毛京は、物理的にも、精神的にも、完全に孤立した、自らが作り出した、完璧なる水晶の球体の中にいた。彼らは、その内側から、歪んだ自らの姿だけを無限に映し出す世界に安住し、球体の外で何が起きているのかを、もはや知覚することさえできなくなっていた。


彼らが信じた「理性」は、もはや、現実を切り開くための刃ではなく、現実から自らを隔離するための、分厚い壁と化していた。そして、彼らが、その壁に守られながら、最後の、そして最も合理的な戦争を始めようとした時、その完璧な白色の壁が、糖蜜病という、内側からの、予測不能な琥珀色の染みによって、すでに砂のように崩れ始めていたことを、彼らは、まだ知らなかったのである。

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