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グンマー帝国の興亡史  作者: 甲州街道まっしぐら
プロローグ:グンマーの夜明け(西暦2025年~2045年)
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大日本マラリア:国家機能不全パンデミックの病理学的分析

およそ、歴史における国家の崩壊は、単一の事件によって突発するものではなく、長期にわたってその政体の内部に蓄積された、複数の構造的脆弱性が、外部からの急激なストレスによって連鎖的に顕在化する、一種の全身性疾患として理解されるべきである。後世の歴史家が『大日本マラリア』と名付けた社会崩壊もまた、その例外ではない。本稿は、いわば、死せる国家の検死報告書である。マラリアという病名が「悪い空気」を語源に持つように、この国を蝕んだのもまた、目に見える単一の病原体ではなく、社会全体を覆っていた、見えざる「構造的欠陥」という名の瘴気であった。本稿は、この国家機能不全パンデミックの病理を、その発生要因、進行プロセス、そして歴史的帰結の三つの側面から、詳細に分析するものである。


第一節:病原体――複合的システミック・クライシス


この「病」の原因は単一ではない。それは、長年にわたって放置されてきた五つの主要な「基礎疾患」が、第二次中東エネルギー戦争という外部からの急激なショックによって、同時に、かつ連鎖的に急性増悪した、複合的システミック・クライシスであった。


第一の病原:極端な対外資源依存体質

旧日本の文明は、その血液たるエネルギー、そして筋肉たる食料と工業原料の、その大宗を、常に不安定な国際情勢の海を渡ってくる、脆弱な輸入という血管に依存していた。これは、平時における経済効率を最大化するための選択であったが、有事においては、自らの首にかけられた絞首刑の縄に等しかった。半導体製造に必要なレアアース、肥料の原料となるリン鉱石、そして高度な医薬品に至るまで、国家の神経系を維持するための物資のほぼ全てが、この「ジャスト・イン・タイム」という名の、ガラス細工のように脆い国際供給網の上に成り立っていた。西暦2034年に起こった第二次中東エネルギー戦争による中東からのエネルギー供給停止である「グレート・シャットオフ」は、この血管を物理的に寸断し、国家という身体を、一瞬にして脳死状態に陥らせたのである。


第二の病原:人口構造の歪み(超高齢化社会)

2030年代の日本は、生産年齢人口の急減と高齢者人口の激増という、極端な人口構造を有していた。これは平時においてさえ社会保障制度の維持を困難にしていたが、危機的状況下においては国家のアキレス腱となった。エネルギー危機により社会が、機械に頼れない労働集約型の活動(人力による輸送、手作業での農業など)への回帰を余儀なくされた際、その担い手となるべき若年・壮年層の労働力が絶対的に不足していた。老朽化した橋梁や水道管の補修は放棄され、社会の物理的な崩壊が加速した。さらに、膨大な数の高齢者は、インフラが麻痺する中で、医療・介護サービスへの依存度が高い社会的弱者となった。限られた医薬品や電力は彼らの生命維持に優先的に割り当てられ、社会全体の回復力を著しく削ぐ結果を招いた。この世代間の資源を巡る暗黙の闘争は、社会の連帯感を内側から静かに蝕んでいった。


第三の病原:硬直した食料供給システム

基礎的な食料自給率の低さに加え、国内の農業生産システム自体が、化石燃料への多大な依存の上に成り立っていた。トラクターを動かす燃料、化学肥料を合成する天然ガス、農薬の原料となる石油、そして農地を覆うビニールハウス。その全てが、中東の砂漠から運ばれてくる石油によって支えられていた。燃料不足は、漁船の出港をも不可能にし、列島を囲む豊かな海洋資源さえも、手の届かない宝の持ち腐れとした。食料システムは、その源流から食卓に至るまで、完全に化石燃料に汚染されていたのである。


第四の病原:脆弱なデジタル・インフラ

デジタル化への移行が中途半端かつ場当たり的に進められた結果、システムの脆弱性を増大させるという逆説的な事態を招いていた。電力供給とネットワークの完全な安定を前提として構築された中央集権的なデジタル・システムは、ブラックアウトに対して全くの無力であった。金融、行政、物流といった社会の根幹をなすシステムが、バックアップや代替手段を持たないまま、一斉に機能を停止した。さらに深刻だったのは、デジタル化の過程で、紙媒体の記録やマニュアル式の操作といった、より堅牢なアナログ的代替手段が、非効率な旧時代の遺物として軽視され、廃棄されていたことであった。これにより、デジタル・システムが停止した際、社会は過去の運用ノウハウを失ったまま、より原始的な活動への後退を余儀なくされた。情報はアクセス不能なサーバーの中に閉じ込められ、社会は記憶喪失に陥ったのである。


第五の病原:形骸化した政治システム

石破茂政権から、その後の「挙国一致救国内閣」に至るまで、東京の中央政府は、その権威を失い続けていた。国内の諸問題に対処する能力を失い、党派間の空虚な権力闘争に明け暮れる中央に対し、地方の自治体は、徐々に「静かなる反乱」、すなわち中央を介さない自衛的な行動を開始していた。この政治的な遠心力は、来るべき崩壊の時代において、国家が統一された行動をとることを、最初から不可能にしていた。


第二節:症状の進行――社会解体の三段階


これら五つの病原体に蝕まれた国家は、「グレート・シャットオフ」をきっかけに、以下の三段階を経て、その生命活動を停止していった。


第一期:初期機能不全期(悪寒と発熱の時代)

社会の末端から機能が麻痺し始める時期。当初、それは計画停電や物資の不足といった、「不便」として人々の前に現れた。しかし、それは巨大な建造物が崩れ落ちる前の、最初の軋みであった。やがて物流網は完全に沈黙し、都市の棚からは食料が消え、飢餓が現実の脅威として民衆の喉元を締め付け始めた。この段階で、自家発電設備を持つ富裕層や、食料を生産できる農村部と、何も持たない都市部の貧困層との間で、絶望的な「マラリア格差」が生まれた。


第二期:社会秩序崩壊期(痙攣と譫妄の時代) 社会秩序の維持が困難となり、既存の価値規範が大きく変容した時期。特に都市部において飢餓が蔓延し、食料の略奪に関連する暴動や殺傷事案が日常化した。さらに、インターネットの崩壊は『情報の死』をもたらし、何が真実で何が流言飛語なのかを判断する術を人々から奪った。社会は、物理的な飢餓と、認識論的な飢餓という、二重の飢餓に苦しんだのである。公的な治安維持機能(警察)は著しく減退し、各地域コミュニティは自衛を目的とした武装化と排他性の強化へと向かった。法定通貨の価値は暴落し、経済活動は食料、燃料、医薬品、あるいは弾薬等を交換媒体とする現物々交換が主流となった。これにより、従来の社会的地位や金融資産といった価値指標は完全に意味を失い、個人の生存能力(医療技術、機械の修理技術など)と所属コミュニティの信頼性のみが重視される社会へと移行した。


第三期:国家主権解体期(昏睡と脳死の時代)

「日本」という統一国家の主権および統治機能が、事実上消滅した時期。中央政府の行政機能は首都圏周辺を除き完全に停止し、地方に対する統制力は完全に失われた。首相による最後の全国放送は、ほとんどの地域に届くことなく、国家の終焉を象徴する無音のメッセージとなった。これにより、日本列島は、多数の自律的武装コミュニティが割拠する無政府状態へと移行した。各地で存続した共同体は、外部からの侵奪行為に対抗するため、廃車両や瓦礫を利用した物理的な防護壁を構築し、武装による領域防衛を開始した。旧時代の行政区分は実質的な意味を喪失し、京都暫定政府や、上毛公国といった、新たな地域主権の萌芽が形成されていった。


第三節:歴史的帰結――帝国の培養基


この国家崩壊の過程において、群馬県地域は特異な発展経路を辿った。これは、同地域で金子志道および安斎信彦らが主導した「地熱革命」と「蒟蒻特異点」により、エネルギーと食料の自律的供給体制が確立されていたことに起因する。


地域的秩序圏の形成:

日本の他地域が社会機能不全によって壊滅的状況に陥る中、群馬県地域は安定した電力と食料の供給を背景に、高度な社会秩序と文明レベルを維持し続けた。この他地域との圧倒的な差異は、住民に一種の選民意識とシステムへの絶対的な信頼を植え付け、「群馬の例外(The Gunma Exception)」という思想的基盤を形成した。


統治理念と民衆意識の合致:

全国規模で、抽象的な自由や民主主義といった理念よりも、具体的かつ安定的な生存基盤の確保を優先する価値観へと民衆意識がシフトしたことは、金子志道が掲げた「供給なくして統治なし」という実利的な統治原則と完全に合致した。崩壊のトラウマを経験した人々にとって、『自由』とは『飢える自由』と同義であった。彼らが求めたのは、選択の自由ではなく、選択する必要のない絶対的な安定であった。故に、金子が提示したテクノクラートによる強力な中央管理体制は、抑圧ではなく、むしろ究極の救済として受容されたのである。


結論として、大日本マラリアは旧来の日本国家を構造的に解体させた事象であったが、同時に、その崩壊した社会基盤の中から、グンマー帝国という新たな政治的・社会的な生命体が誕生するための、不可欠な歴史的前提条件を創出したと言える。それは、古い生命の死が、新しい生命のための豊かな土壌となる、自然の摂理にも似た、壮大なる歴史の皮肉であった。

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