パクス・グンマ時代の外部世界:長い黄昏の後の静かなる変容
およそ、歴史とは、光が当たる舞台の上だけで紡がれる物語ではない。その舞台の幕が下りた後、あるいは、その光の届かぬ遥か遠くの地で、新たな物語が静かに芽生えていることを、歴史は我々に教えるものである。グンマー帝国が、その完璧なる城壁の内側で、永遠に続くかのような平和「パクス・グンマ」を謳歌していた西暦22世紀中盤、その城壁の外に広がる世界は、「グレート・シャットオフ」とそれに続く大混乱の時代を経て、全く新たな、そして多様な文明の形態を、静かに、しかし着実に形成しつつあった。それは、旧世界の壮麗な残骸の上に、かろうじて生き残った人類が、それぞれの土地で、それぞれの生存様式を模索し始めた、長い黄昏の後の、静かなる夜明けの時代であった。21世紀のグローバリゼーションという人類の壮大な実験は、その相互依存性ゆえに、一箇所の崩壊が全体へと伝播する、壮絶な失敗に終わった。世界は、再び、孤立し、互いに不信を抱く、暗き時代へと回帰していった。
第一節:旧日本――連合の崩壊と新たな戦国時代
かつて「四十六都道府県連合」として、帝国の最大の脅威であった西日本の勢力は、「からっ風戦争」の惨敗の後、その求心力を完全に失い、緩やかな、しかし不可逆的な崩壊の道を辿っていた。
京都暫定政府の権威失墜と軍閥の割拠:
鮫島将軍率いる軍事政権は、「富嶽計画」という名の、復讐に全てを捧げる政策によって、民衆を極度の窮乏へと追い込んだ。その結果、連合の結束は内部から崩壊した。九州は、朝鮮半島南部の軍閥と結びつき、「筑紫汗国」として事実上の独立を果たし、近畿地方は、京都の権威を認めつつも、独自の経済圏を形成する「関西商業ギルド連合」となった。そして、東北地方は、帝国の「静寂の柵」の向こう側で、旧時代の電子部品を祭具として用いる土着の自然信仰と、厳しい環境への適応が融合した、独自の文化を持つ謎めいた「蝦夷共和国」として、歴史の舞台に再びその姿を現した。
もはや、連合は、帝国にとって組織的な脅威ではなく、互いに牽制しあう、小規模な戦国時代の群雄と化していた。彼らは、もはや上毛を討つどころか、互いの領地を巡る、小規模な紛争に明け暮れていた。
技術の喪失と「ロスト・テクノロジー」の伝説:
長引く内乱と孤立は、旧日本の技術水準を、壊滅的なレベルまで後退させた。半導体の製造技術は完全に失われ、旧時代の電子機器は、修理不能な「聖遺物」となった。しかし、その一方で、人々は、失われた技術を「ロスト・テクノロジー」として神格化し、その断片を求めて、旧時代の都市の廃墟を探索する、「遺跡漁り(サルベイジャー)」と呼ばれる者たちが現れた。彼らが持ち帰る僅かな技術の断片――例えば、一枚の太陽光パネルは村の井戸を数日間動かし、旧時代の農業技術が記録されたデータディスクは、一族を飢餓から救う神託にも等しい価値を持った――が、この時代の数少ない技術革新の源泉となった。
第二節:アメリカ連合体――三つの国家への完全なる分裂
かつてのアメリカ合衆国は、一世紀以上にわたる封建的な冷戦時代を経て、ついに、三つの完全に独立した、そして互いに敵対する国家へと、その姿を変貌させていた。
環太平洋合衆国(United States of Pacifica):
旧カリフォルニア州を中心とするこの国家は、シリコンバレーの技術的遺産を継承し、限定的ながら、高度な情報技術と、再生可能エネルギーによる社会を維持していた。彼らは、厳格な資源管理と、市民スコアによる社会統制を行う、一種のリベラルなテクノクラシーを形成した。彼らの関心は、内陸の「野蛮人」ではなく、太平洋の向こう側、すなわち、アジアの残存勢力との、限定的な海洋交易に向けられていた。
アメリカ神聖共和国(Divine Republic of America):
旧南部の「バイブル・ベルト」を中核とするこの国家は、キリスト教原理主義を国教とする、厳格な神政国家となっていた。彼らは、旧世界の崩壊を「神の裁き」であると解釈し、科学技術を「悪魔の所業」として排斥した。その社会は、聖書を唯一の法典とし、武装した聖職者たちが支配する、中世ヨーロッパを彷彿とさせるものであった。彼らは、環太平洋合衆国を「ソドムとゴモラ」として敵視し、コロラド川の水利権といった現実的な資源紛争を、『神の聖水を異教徒から守る』ための聖戦として位置づけ、宗教的熱情に駆られた絶え間ない国境紛争が続いていた。
五大湖労働者連合(Great Lakes Workers' Collective):
旧工業地帯「ラストベルト」は、最も悲惨な運命を辿った。彼らは、旧時代の工場の残骸を再稼働させ、粗悪な武器や機械を生産することで、かろうじてその命脈を保っていた。その社会は、工場を支配する労働組合の指導者たちが、住民を厳しく支配する、一種の共産主義的独裁国家と化していた。彼らは、常に資源の枯渇と、他の二大国からの侵略の脅威に晒され、その社会は、極度の貧困と暴力に満ちていた。
第三節:ユーラシア大陸の新たな秩序
かつて中国とロシアが支配した広大なユーラシア大陸では、旧時代の国家の枠組みが完全に消え去り、全く新しい文明の形態が生まれていた。
中華軍閥の淘汰と「漢帝国」の再興:
一世紀にわたる「新戦国時代」の混乱の末、黄河流域を拠点とした「燕京軍閥」が、他の軍閥を次々と併合し、ついに中国大陸の再統一を果たした。彼らは、国号を、かつての栄光の時代にちなんで「漢帝国」と定め、強力な中央集権体制と、儒教的な思想統制によって、新たな秩序を築き上げた。彼らの技術水準は、旧時代には遠く及ばなかったが、その社会は、必要に迫られて常に変化と革新を続けるという、完璧な静寂の中で停滞したグンマー帝国とは対極の、ダイナミズムを内包していた。その圧倒的な人口と、統一された国家意志は、再び、アジアにおける侮りがたい大国としての地位を、彼らに与えつつあった。
シベリア汗国とステップの民:
モスクワの支配から脱したシベリアの広大な大地では、旧時代の都市文明は崩壊し、人々は、かつてのモンゴルの遊牧民を彷彿とさせる、新たな遊牧・騎馬民族へと回帰していた。彼らは、旧時代の機械、旧時代の軍用輸送車両や地質調査車を『鉄の馬』としてを乗りこなし、その車体を動物の骨や毛皮で飾る独自の文化を発展させ、「シベリア汗国」と呼ばれる、緩やかな部族連合国家を形成。中国の漢帝国との間で、毛皮や鉱物資源を、食料や工業製品と交換する、緊張をはらんだ交易関係を築いていた。
壁の内側のヨーロッパ:
「欧州防壁」の内側で、静かな衰退を続けていたヨーロッパは、その様相を大きく変えていた。エネルギー不足と人口減少は、巨大な都市を維持することを不可能にし、人々は、中世のように、城壁で囲まれた小規模な都市国家へと、その生活圏を縮小させていた。ジェノヴァやヴェネツィアといった、旧時代の海洋都市が、限定的ながら地中海交易を再開し、かつての栄光の残滓を、辛うじて保っていた。
結論:孤島の帝国と、変わりゆく世界
かくして、パクス・グンマの時代、グンマー帝国が、その完璧なシステムの維持という、内向きの夢を見続けていた間に、外部世界は、崩壊と再生のサイクルを経て、全く新しい、そして多様な文明の生態系を育んでいた。彼らの技術レベルは、帝国には遠く及ばなかったかもしれない。しかし、彼らは、日々の生存闘争の中で、帝国がとうの昔に失ってしまった、変化に対応する強靭さ(レジリエンス)と、未来を切り開こうとする野性的な活力を、その内に秘めていた。
帝国は、自らを、世界で唯一の、そして永遠の文明であると信じていた。しかし、その視線の先には、もはや、彼らが知る旧世界は存在しなかった。彼らの知らないところで、世界は、再び、動き始めていたのである。そして、帝国が、その内なる病によって、ついにその硬い殻を破られる時、彼らは、自らが百年にわたって無視し続けてきた、全く異質な、そして予測不能な世界と、直面することになる運命にあった。




