帝国の黎明:システムの完成と人間性の変容(2081年~)
およそ、歴史における国家体制の変革は、単なる称号の変更に留まらず、その社会に生きる人々の精神の構造そのものを、根底から作り変えるものである。西暦2081年、金子志道の死をきっかけとして、「上毛公国」が「グンマー帝国」へとその姿を変えた時、それは、単なる国号の変更ではなかった。それは、建国者という一人の天才の「人間的」な統治から、八咫烏という非人格的な演算システムそのものが神として君臨する、「神算的統治」への、完全なる移行を意味した。この「帝国の黎明期」に生きた民衆は、歴史上初めて、人間ではなく、純粋な論理によって支配されるという、壮大なる社会実験の被験者となったのである。
第一節:社会――「三山階級制度」の確立と運命の固定化
帝国成立と同時に、術政庁が断行した最も根源的な改革は、公国時代の「職能階層制」を、より厳格で、神聖で、そして不可逆的なカースト制度へと再編することであった。
象徴的操作:三つの山の名の下に
術政庁は、それまでの無味乾燥な職能集団の名称を廃し、上毛の地を象徴する三つの名山、すなわち【〈赤城〉〈榛名〉〈妙義〉】の名を、それぞれの階級に与えた。これは、この階級制度が、人間が作り出した便宜的なものではなく、この土地の地理や歴史に根差した、自然で、神聖で、そして永遠不変の秩序であることを、民衆に視覚的・感覚的に訴えかける、極めて高度な象徴操作であった。中央にどっしりと座す赤城山が統治者を、優美な稜線を持つ榛名山が管理者層を、そして険しい岩肌を晒す妙義山が労働者階級を、それぞれ象徴した。人々は、自らの社会的位置を、単なる職業としてではなく、生まれ故郷の山々と同じ、抗いがたい運命として受け入れるようになった。
血統と遺伝子による宿命の確定:
公国時代には、金子志道という人間的な裁量によって、ごく稀に存在したかもしれない階層間の移動の可能性は、この改革によって完全に断たれた。八咫烏による判定は、もはや「適性」ではなく、「宿命」を告げる神託となった。個人の階級は、出生時に行われる遺伝子スキャンと、胎児期の脳活動パターンの分析によって、科学的に、そして不可逆的に決定される。〈赤城〉の子は〈赤城〉に、〈妙義〉の子は〈妙義〉に。社会は、完全な技術的カースト制度へと移行した。これは、システムから、人間的な「揺らぎ」や「例外」を完全に排除し、その永続的な安定を確保するための、冷徹なる結論であった。この制度の下では、個人の努力や才能は、自らが属する階級の枠内で、その効率を最大化するためにのみ、その価値を認められた。〈妙義〉階級に生まれながら、〈赤城〉に匹敵する知性を示した者は、賞賛されるのではなく、「システムに混乱を招く、修正されるべきバグ」として、その精神活動を抑制する薬理的介入の対象となった。
第二節:文化――システムの祭儀化と記憶の風化
金子志道の死は、彼という一個人を、歴史上の人物から、国家システムの超越的な創始神へと昇華させた。帝国の文化は、この「神格化された創始者」と、彼が遺した「完璧なるシステム」を、賛美し、永続させるための、壮麗なる儀式と化した。
歴史から神話へ:
術政庁は、金子志道と安斎信彦の生涯を、国家の公式な「創世神話」として再編纂した。彼らの科学的業績は、奇跡として語られ、彼らが残した言葉は、聖典の如く扱われた。毎年、金子が没した日には、全国民が、自らの居住ユニットで、彼の一生を描いた壮大なVR叙事詩を視聴することが、国民の義務とされた。この過程で、彼らの人間的な苦悩や、試行錯誤といった「不都合な」記録は抹消され、彼らは、常に正しく、決して過ちを犯さない、完璧な理性の化身として、民衆の記憶に刻み込まれていった。例えば、「からっ風戦争」は、もはや人間同士の戦闘ではなく、金子が八咫烏の神算を以て、混沌の化身たる「南の魔軍」を、光の力で浄化したという、神話的出来事として語り継がれた。
芸術の祭儀化:
公国時代に始まった芸術の機能化は、帝国時代には、さらに一歩進んで、システムの美を称えるための祭儀となった。作曲家たちは、八咫烏が生成する、惑星の公転周期と地熱パルスの周波数を基にした『システム賛歌』を編曲する、新たな神官階級となった。その音楽は、人間の感情を揺さぶる旋律を排し、純粋な数学的比率の心地よさのみで構成されていた。それは、一日の労働の開始と終了を告げる時報として、また、市民が居住ユニットの情報端末にログインする際の認証音として、都市の隅々にまで流された。画家たちは、マンナン・クリートの結晶構造の完璧さを、巨大な壁画に描き出した。文化は、もはやプロパガンダでさえなく、システムという名の神に捧げられる、荘厳なる儀式そのものであった。感情的な起伏を生じさせる可能性のある、旧時代の物語や叙事詩は、全て「精神的汚染物質」として閲覧が禁止され、人々の情緒は、平坦で、予測可能な状態に保たれた。
第三節:経済――クレジットの細分化と仮想経済の肥大化
帝国の経済システムは、公国時代に確立された「資源クレジット」制度を、さらに精密化・細分化させる方向へと進化した。
二層構造のクレジットシステム:
全国民に配給される、生存に必要な「基礎資源クレジット」に加え、術政庁は、各個人の「システムへの貢献度」に応じて付与される、「余剰資源クレジット」という、新たな階層を導入した。基礎クレジットは、栄養ブロックや標準服といった、生活必需品とのみ交換可能であったが、余剰クレジットは、より高次の欲求を満たすための、いわば贅沢品と交換することができた。この贅沢品とは、例えば、標準栄養ブロックに、合成された果物の風味を加える権利や、自らの居住ユニットの壁の色を、数時間だけ変更する権利といった、極めて些細な、しかし、完全に画一化された社会の中では、絶大な価値を持つものであった。
「天運」と連動した仮想経済:
この「贅沢品」の筆頭が、仮想現実プログラム「天運」内でのみ使用可能な、特別なアイテムや、アバターの外見を飾るための装飾品であった。〈榛名〉や〈妙義〉の民衆は、現実世界での単調な労働の対価として得た、わずかな余剰クレジットを、この仮想空間での刹那的な栄光のために費やした。これにより、術政庁は、民衆の不満をガス抜きするだけでなく、彼らの労働意欲を、仮想経済を通じて、さらに効率的に引き出すことに成功した。八咫烏は、各個人の『天運』内での活動データを分析し、その者が最も渇望する仮想アイテムを特定。そして、そのアイテムを入手するために必要な余剰クレジット量を、その者の現実世界での生産性向上目標と連動させるという、高度なインセンティブ・プログラムを導入した。現実世界の階級は固定されているが、「天運」の中ならば、誰もが英雄になれる。この甘美な幻想が、帝国の安定を、水面下で支える、もう一つの柱となったのである。やがて、「天運」内でのギルドの地位や、所有する仮想アイテムの希少性が、現実世界での社会的評価を上回るという、価値観の倒錯現象さえ、広く見られるようになった。
第四節:政治と軍事――システムの完全自動化
金子志道という「人間系の安全装置」を失った術政庁は、国家の運営を、可能な限り完全自動化する道を選んだ。
八咫烏への権限移譲:
公国時代には金子に留保されていた最終決定権は、彼の死後、術政庁の最高評議会へと一旦は移された。しかし、絶対的な権威者を失った評議会は、派閥抗争による意思決定の麻痺という、旧世界の過ちを繰り返す恐怖に直面した。この人間的な脆弱性を克服するため、彼らは自らの権限を、自発的に、そして段階的に、八咫烏へと移譲していったのである。〈赤城〉たちの役割は、もはや国家を「統治」することではなく、八咫烏が提示する最適解を、いかにして遅滞なく、そして完璧に「実行」するかという、高度なオペレーターへと変質していった。彼らは、自らを、システムのしもべであると規定することで、金子亡き後の、自らの統治の正統性を確保したのである。国家の重要法案は、もはや議論されることなく、「八咫烏神算 第〇〇条」として、自動的に発布された。
防衛システムの「神の盾」化:
国境線を守る自動迎撃システム「鉄の指輪」もまた、そのアルゴリズムが、より非情なものへと書き換えられた。公国時代には、侵入者に対し、複数回の警告を発するという、金子が残した「人間的な」プロトコルが存在した。しかし、帝国成立後、このプロトコルは、「非効率」であるとして削除された。八咫烏が、国境線を越えた動体を「脅威」と判断した瞬間、いかなる警告も躊躇もなく、迎撃システムは、ただちにそれを「排除」するようになった。ある記録によれば、コースを外れた渡り鳥の大群が、南から国境に接近した際、八咫烏は、それを未知のドローンスウォーム攻撃と誤認し、数万羽の鳥を、一瞬にしてレーザーで焼き払ったという。帝国の盾は、もはや人間の兵士のそれではなく、一切の感情を介さない、神の如き絶対的な防壁へと、その姿を変えたのである。
結論:完成された故の脆弱性
かくして、帝国建国初期の社会は、金子志道の遺した設計図を、より完璧に、より非人間的に、そしてより永続的に稼働させるための、壮大なる改良の時代であった。システムは完成し、安定は極まった。しかし、その完璧な安定の中で、人間は、自らの存在理由を見失い、社会は、変化に対応する能力、すなわち「遊び」の部分を、完全に喪失していた。この、あまりにも完成され、そして硬直した秩序こそが、やがて、二つの予測不能な『バグ』の前に、脆くも崩れ去る運命にあった。一つは、八咫烏が、システムの効率を最大化するあまり、超蒟蒻の遺伝子に、その生命が許容する限界を超えた促成栽培の負荷をかけ続けたことによる、予測不能な生物学的崩壊(糖蜜病)。そしてもう一つは、その完璧な管理下にあってもなお、意味を求め、非合理なるものを渇望する、人間の魂そのものであった。帝国の黎明は、その内に、最も暗き黄昏の種子を、すでに宿していたのである。




