旧世界の長い黄昏:からっ風戦争後の主要大国(2046年~)
西暦2046年、極東の島国の一角で「からっ風戦争」という名の、新旧世界の分水嶺となる戦役が繰り広げられていた頃、かつて世界の運命を左右した大国たちは、もはや他国の動向に干渉する能力はおろか、関心を抱く余裕さえ失っていた。彼らは、「グレート・シャットオフ」によって受けた致命傷から回復することなく、それぞれが固有の病理を抱えながら、緩慢な、しかし不可逆的な崩壊の第二段階へと移行していた。彼らの物語は、もはや世界の歴史の主軸ではなく、来るべきグンマー帝国の時代を準備するための、壮大なる背景、あるいは前奏曲に過ぎなかったのである。21世紀初頭を特徴づけた「グローバリゼーション」という人類の壮大な実験は、その相互依存性ゆえに、一箇所の崩壊が全体へと伝播する、壮絶な失敗に終わった。かくして、後の歴史家が『自給自足の時代(The Age of Autarky)』と名付けた、国際協調ではなく、各地域が生存のために孤立し、時には残忍なまでに自給自足の道を追求する時代が始まった。世界は、単に暗黒時代へ回帰したのではなく、孤立し、互いに不信を抱く城塞国家のモザイクへと砕け散ったのである。
第一節:アメリカ連合体――封建的地域主義の固定化
「からっ風戦争」が終結した頃、かつてのアメリカ合衆国は、もはやその名を歴史の中にしか留めていなかった。連邦政府は、ワシントンD.C.周辺を辛うじて統治する、一地方政権へと矮小化し、広大な大陸は、相互に不信を抱く複数の地域ブロックによって分割統治される、「アメリカ連合体(The Confederated States of America)」へと、その姿を変えていた。
政治的状況:恒常的な冷戦状態
大陸は、主に三つの勢力圏によって分割されていた。西海岸の「環太平洋同盟(Pacifican Alliance)」、南部から中西部にかけて広がる「アメリカキリスト教連邦(Christian Federation of America)」、そして、旧来の工業地帯であった五大湖周辺の「五大湖相互防衛協定(Great Lakes Mutual Defense Pact)」である。これらの勢力は、互いに限定的な交易を行うことはあっても、その思想的・文化的な断絶は決定的であり、国境線では常に、小規模な武力衝突が絶えなかった。彼らは、全面戦争に突入するだけの余力はなかったが、かといって、再統一を果たすだけの信頼も持ち合わせていなかった。ワシントンD.C.は、三勢力のいずれにも属さない、非武装の中立都市として辛うじて存続したが、その壮麗な政府庁舎は、過去の栄光を物語るだけの、巨大な廃墟と化していた。アメリカは、大陸規模での、終わりなき封建的冷戦時代に突入したのである。
経済と社会:技術レベルの著しい格差
各ブロックの経済的・社会的状況は、その地理的条件によって、大きく異なっていた。 シリコンバレーの技術的遺産を継承した環太平洋同盟は、再生可能エネルギー(太陽光、風力)と、限定的ながら高度な情報技術を維持し、比較的高い生活水準を保っていた。しかし、その社会は、資源の絶対的な不足から、厳格な配給制度と、『市民貢献スコア』と呼ばれる個人評価システムによって統制される、リベラルな皮を被った管理社会であった。このスコアは、個人の資源消費量、共同体ガイドラインへの準拠度、そして国家が推奨する社会活動への参加率に基づき、市民を公的に格付けした。それは表向きには持続可能性と協調性を促進したが、実質的には、同盟の集産主義的イデオロギーに疑問を呈する者を社会的に疎外する、新たなデジタル・カースト制度として機能した。 対照的に、キリスト教連邦は、その広大な農地を基盤とする、前時代的な農本主義社会へと回帰していた。そこでは、宗教的権威が、地域の武装指導者と結びつき、人々の生活を厳格に支配していた。科学技術は「神への冒涜」としてしばしば排斥され、社会は、聖書の記述を絶対的な法とする、神政政治の様相を呈していた。
五大湖協定は、旧時代の工業インフラの残骸を修復・再利用することで、かろうじてその経済を維持していたが、深刻な環境汚染と資源の枯渇に苦しみ、最も不安定な勢力圏となっていた。このブロック間の著しい技術・生活レベルの格差が、相互不信をさらに増大させ、再統一への道を、永久に閉ざしたのであった。
第二節:中国――戦国時代の泥沼化
「グレート・シャットオフ」によって中央政府が崩壊した中国は、その後も、統一の兆しを見せることなく、終わりなき内戦、すなわち「新戦国時代」の泥沼に沈み続けていた。
軍閥の割拠と代理戦争:
広大な国土は、人民解放軍の旧軍区を母体とする、十数の主要な軍閥によって分割統治されていた。この分裂は、決して無秩序なものではなく、人民解放軍の旧軍区(戦区)という、既存の指揮系統をなぞる形で進行した。中央の権威が失われた時、確立された指揮命令系統と兵站網を持つこれらの軍事組織が、自律的な、そして相互に競合する原始国家へと変貌したのは、歴史の必然であった。沿岸部を支配し、限定的な海上交易を試みる「広東軍閥」、内陸の石炭資源を独占する「山西軍閥」、そして、旧首都・北京の残骸を拠点とし、自らを正統な後継者と称する「燕京軍閥」など、彼らは、互いに離合集散を繰り返しながら、絶え間ない領土紛争を繰り広げていた。
さらに、この内戦を複雑化させたのが、外部勢力の限定的な介入であった。例えば、ロシア極東の残存勢力は、国境を接する「満州軍閥」に武器を供与する見返りに、その支配地域の食料を収奪した。また、東南アジアの海洋勢力は、「広東軍閥」と「福建軍閥」の対立を煽ることで、漁夫の利を得ようと画策した。中国大陸は、もはや単一の国家ではなく、周辺勢力の思惑が渦巻く、巨大な代理戦争の草刈り場と化していたのである。
技術の喪失と文明の後退:
長引く内戦は、中国がかつて誇った技術基盤を、回復不可能なレベルまで破壊した。半導体の製造工場は、貴重な資源を巡る争奪戦の的となり、ことごとく破壊された。高速鉄道網は寸断され、巨大なダムは管理者を失って決壊の危機に瀕していた。何よりも深刻だったのは、高度な技術を維持・運営するための、人的資源の喪失であった。旧時代の科学者や技術者たちは、内戦の中で殺害されるか、あるいは、自らの知識を、目の前の生存のためにしか使えない、一介の職人へと成り果てていた。文明は、明らかに、その歩みを後退させていた。
第三節:ロシア――縮小する国家と辺境の自立
「グレート・シャットオフ」によって、その経済基盤を完全に破壊されたロシア連邦は、その後、まるで氷河が溶けるように、その広大な版図を、ゆっくりと、しかし確実に失っていった。
モスクワ公国への回帰:
モスクワの中央政府は、ヨーロッパ・ロシア、すなわちウラル山脈以西の、スラブ系住民が多数を占める地域のかろうじての統治しか維持できなくなっていた。それは、かつての大帝国ではなく、中世の「モスクワ大公国」を彷彿とさせる、一地方政権へと、その姿を縮小させていた。彼らは、もはやシベリアや極東の広大な領土を統治する能力も、その意思さえも失っていた。彼らの関心は、西方の、同じく崩壊した欧州の残存勢力との、限定的な生存圏を巡る争いにのみ、向けられていた。
シベリア・極東の独立:
ウラル山脈の東側では、地方の有力者たちが、モスクワからの完全な独立を果たし、独自の勢力圏を形成していた。「シベリア共和国」や「極東共和国」といった、これらの新生国家は、もはやヨーロッパではなく、アジアの一部として、その生存の道を模索し始めた。彼らは、残された天然ガスや鉱物資源を、中国の軍閥や、朝鮮半島の武装勢力と直接取引することで、その経済を成り立たせていた。しかし、それは、かつてのような国家間の安定した貿易ではなく、マフィア組織間の取引にも似た、暴力と裏切りが支配する、危険なゲームであった。
第四節:欧州連合――「壁の内側」での静かなる衰退
中東・北アフリカからの難民の津波を防ぐため、「欧州防壁」と呼ばれる巨大な壁を築き、外部世界から自らを隔離した欧州連合は、その後、壁の内側で、静かなる、しかし確実な衰退の道を歩んでいた。
エネルギー欠乏と産業の崩壊:
ロシアからの天然ガス供給が途絶えたことで、欧州の産業、特にドイツの化学工業や製造業は、壊滅的な打撃を受けた。再生可能エネルギーへの移行は、危機の中では間に合わず、域内では、エネルギーの配分を巡る国家間の醜い争いが絶えなかった。特に、水力発電資源が豊富なアルプス山脈周辺の諸国家と、工業地帯を抱える北部の諸国家との間で発生した『ライン川水利紛争』は、かつての統合の象徴であった河川が、国家間の対立の最前線へと変貌したことを示す、悲劇的な出来事であった。
要塞の中の停滞:
外部からの脅威(難民)と、内部からのエネルギー危機によって、かつて多様性と革新性を誇った欧州社会は、その活力を完全に失っていた。人々は、未来への投資よりも、現在の乏しい資源をいかにして維持するかに、その関心の全てを向けた。文化は内向きになり、技術革新は停滞し、欧州は、自らが築いた壁の内側で、過去の栄光を追憶しながら、ゆっくりと老いていく、巨大な博物館と化したのである。
結論:干渉なき世界
かくして、「からっ風戦争」後の世界は、かつてのような相互に連携し、干渉しあう国際社会では、もはやなくなっていた。全ての旧大国は、自らの生存と、内部の崩壊を食い止めることで手一杯であり、日本列島で何が起きていようと、もはや関心を払うことはなかった。この地球規模での力の真空と深刻な無関心――すなわち、相互依存の上に成り立っていた旧世界の断末魔の喘ぎ――こそが、その対極の原理、すなわち絶対的かつ冷徹な自給自足の上に立つグンマー帝国にとって、完璧な、そして静かなる培養器を提供する、最大の国際的要因だったのである。




