表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グンマー帝国の興亡史  作者: 甲州街道まっしぐら
プロローグ:グンマーの夜明け(西暦2025年~2045年)
2/7

日本列島の断絶(2025-2046):からっ風戦争への重層的分析

およそ、一つの文明が二つに断裂するに至る過程は、単一の事件によってではなく、むしろ、対立する二つの生存様式が、一つの限られた国土の上で、もはや共存不可能となった必然の帰結である。西暦2046年の冬、上毛の地を揺るがした「からっ風戦争」もまた、その例外ではない。この戦役は、旧日本の残存勢力「四十六都道府県連合」と、新生国家「上毛公国」との間に勃発した、日本列島の未来を賭けた宿命の激突であった。その根源を理解するためには、2025年の、まだ統一を保っていた旧日本が、いかにして二つの相容れない世界へと分裂していったのか、その二十年間の衰亡と変革の過程を、多角的な視点から分析せねばならない。


第一節:社会的変容――信頼の崩壊と新たな共同体の形成


前期(2025年~2034年):緩慢なる社会契約の崩壊 2025年時点の日本社会は、長年の平和と経済的停滞の中で、一種の「静かなる諦念」に覆われていた。少数与党政権が掲げる諸政策も、加速する少子高齢化とインフラの老朽化という巨大な潮流の前には、ほとんど無力であった。国民と国家との間に結ばれていた「税金を納める代わりに、安全と安定した生活を保障される」という暗黙の社会契約は、物価の高騰と社会保障制度の実質的な切り下げによって、その信頼性を徐々に失っていった。年金受給開始年齢の段階的引き上げと、医療費の自己負担割合の増加は、特に高齢者層の不満を増大させ、若年層との間で限られた資源を奪い合う、世代間の対立を先鋭化させた。都市部では、富裕層が私的な警備会社を雇い、自らの居住区を城壁化する一方、公共サービスが崩壊した貧困地区では、消防団や町内会といった旧来の共同体組織が機能を停止し、治安が著しく悪化した。人々は、もはや国家という巨大な共同体に期待するのをやめ、家族や地域といった、より小さな単位での自助努力へと、その生存戦略を移行させ始めていた。これは、後の社会の断片化を準備する、静かなる地殻変動であった。


後期(2034年~2046年):二つの社会モデルの先鋭化

「グレート・シャットオフ」は、この社会契約を完全に破壊した。国家による供給が途絶した時、人々の忠誠心は、生存を保証してくれる、より身近な権力へと移った。

西日本を中心とする連合の支配域では、社会は、「大日本マラリア」という共通のトラウマを共有する、巨大な生存者の共同体へと変質した。ここでは、共に苦難を乗り越えたという記憶が、何よりも強い結束の源泉となった。旧自衛隊の駐屯地や、堅牢な港湾施設、あるいは大規模な農業地帯を中心に、地域ごとの有力者(Warlord)が台頭し、彼らが配下の住民の安全と食料を保証する、封建的な社会構造が再出現した。この社会では、相互扶助と連帯が至上の美徳とされ、自らの資源を独占する者は、共同体全体への裏切り者として憎悪された。彼らにとって、上毛公国の孤立主義は、単なる政治的選択ではなく、苦しむ同胞を見捨てる、道徳的に唾棄すべき行為だったのである。

対する上毛では、全く異なる社会が形成された。金子志道が率いるJ-FRONTは、危機の時代にあって、唯一、完璧な「供給」を維持し続けた。その結果、上毛の民は、苦難を共有することによってではなく、システムから与えられる恩恵を享受することによって、その一体感を醸成した。J-FRONTが初期に行った住民管理は、旧時代のマイナンバー制度を基盤とし、各個人のIDに「栄養ブロック」の配給量やエネルギー消費量を紐づける、徹底したデータ管理であった。このシステムに従順に従う者には安定が、逸脱する者には即座に供給停止という罰が与えられた。彼らは自らを、混沌の中から科学によって選び出された『理性の民』であると規定し、システムの効率を損なう感情的な連帯や同情を、克服されるべき旧世界の『精神的ウイルス』と見なす教育が、幼少期より徹底された。かくして、利根川を挟んで、「苦難を共有する共同体」と「恩恵を享受するシステム」という、全く異なる二つの社会が成立した。この社会的断絶が、後の戦争における、互いの非妥協的な姿勢の根源となる。


第二節:文化的・思想的変容――過去への憧憬と未来への信仰


前期(2025年~2034年):価値観の漂流

この時代、日本社会は明確な文化的指針を失い、漂流状態にあった。経済成長という旧時代の物語は色褪せ、それに代わる新たな国家目標を提示できないまま、社会は内向きで刹那的な個人主義へと傾斜していた。全国規模のテレビ放送や新聞といったマスメディアは影響力を失い、人々は、自らの価値観を肯定してくれる、閉鎖的なインターネット上のコミュニティに、その精神的な拠り所を求めた。この文化的真空状態は、後に連合が掲げる復古主義と、上毛が提示する未来主義という、二つの対極的なイデオロギーが、急速に浸透するための、格好の土壌となった。


後期(2034年~2046年):二つのイデオロギーの結晶化

社会の崩壊は、皮肉にも、人々に新たな精神的支柱を求める渇望を生み出した。

連合は、その支柱を過去に求めた。彼らは、失われた旧日本の栄光を理想化し、古都・京都の権威、天皇制の記憶、そして「和」の精神といった、伝統的なるものに、自らのアイデンティティの拠り所を見出した。そのプロパガンダは、明治維新や戦後復興といった、国家が一体となって国難を乗り越えた歴史を頻繁に引用し、「日本人は、団結すれば必ず再興できる」という、精神論的な希望を説いた。彼らの掲げる「再統一」は、単なる政治的目標ではなく、失われた「あるべき日本の姿」を取り戻すための、文化的な聖戦であった。この復古主義的な思想の下では、金子志道が率いる技術至上主義の国家は、日本の伝統を破壊し、人間性を計算可能な変数へと貶める、文化的な異端者、すなわちテクノ・バーバリアン(技術的野蛮人)として断罪された。

対照的に、上毛は、その支柱を未来に置いた。彼らにとって、旧日本の伝統や文化は、国家を崩壊へと導いた、非合理的で前時代的な遺物に過ぎなかった。上毛の教育システムは、幼少期から徹底して、旧日本の歴史を「非合理性による失敗の記録」として教え込んだ。彼らの英雄は、歴史上の偉人ではなく、金子志道と安斎信彦であった。彼らの聖典は、古典文学ではなく、地熱プラントの設計図や、超蒟蒻の遺伝子配列データであった。彼らの思想の根幹には、「歴史は繰り返すのではない。歴史は克服されるべきエラーの記録である」という、冷徹な信念が存在した。この未来主義的な思想の下では、連合が掲げる「日本の伝統」は、非合理的で、克服されるべき過去の残滓でしかなかった。


第三節:経済的変容――欠乏と完結の分岐


前期(2025年~2034年):忍び寄るインフレーション

この時期の日本経済は、緩慢な、しかし止めることのできないインフレーションによって、その体力を徐々に削られていた。グローバルな供給網の混乱と、資源価格の高騰は、輸入に依存する日本の物価を押し上げ続けた。政府による金融緩和や給付金政策は、一時的な痛みを和らげるだけで、むしろ通貨価値の希薄化を加速させる結果を招いた。年金基金は運用難によって事実上破綻し、国民は、自らの預金が日ごとにその価値を失っていくのを、ただ見守るしかなかった。都市部でさえ、闇市や個人間の物々交換が、公的な経済活動を補完する形で広がり始めていた。


後期(2034年~2046年):二つの経済圏の成立

「グレート・シャットオフ」は、日本円という共通の経済基盤を完全に破壊し、二つの対照的な経済圏を生み出した。

連合の経済は、極度の資源欠乏を前提とする、いわばサバイバル経済であった。その経済活動は、残された旧時代のインフラを修復し、物々交換や、各地域が独自に発行する信用度の低い地域通貨によって、かろうじて糊口をしのぐという、場当たり的なものでであった。九州ブロックでは、旧時代の半導体工場の残骸から再生された電子部品が、北海道ブロックでは、わずかに残された食料が、そして瀬戸内ブロックでは、製塩技術によって生み出される塩が、それぞれ高価値の交換媒体として機能した。この経済的困窮が、彼らの上毛公国に対する視線を決定づけた。上毛が独占する地熱エネルギーと超蒟蒻は、連合経済を再建するための、唯一にして絶対に必要な起爆剤であった。従って、上毛の「解放」は、連合にとって、単なる領土問題ではなく、自らの経済的生存が賭けられた、死活問題だったのである。 上毛の経済は、外部世界を全く必要としない、完璧な閉鎖循環型クローズドループのシステムであった。エネルギーと食料は国内で完全に自給され、マンナン・クリートの生産によって、工業製品さえも外部に依存する必要はなかった。貨幣は『非合理的な欲望を増幅させる媒体』として完全に廃止され、代わりに、各個人のIDに紐づけられた『資源クレジット』が、術政庁のサーバー上で管理された。クレジットは、国家への貢献度(労働の種類と時間)に応じて厳密に分配され、物資の配給単位としてのみ機能した。この自己完結した経済システムにとって、連合との経済交流は、利益をもたらすどころか、自らの完璧な需給バランスを破壊し、希少な資源を外部に流出させるだけの、百害あって一利なしの行為であった。経済的合理性の観点から見れば、鎖国こそが、彼らにとって唯一の正解だったのである。


第四節:政治的・外交的変容――統一の幻想と孤立の意志


前期(2025年~2034年):中央の形骸化と地方の自立化

2025年の少数与党政権から、その後の「挙国一致救国内閣」に至るまで、東京の中央政府は、その権威を失い続けていた。国内の諸問題に対処する能力を失い、党派間の空虚な権力闘争に明け暮れる中央に対し、地方の自治体は、徐々に「静かなる反乱」を開始していた。それは、独自の資源備蓄や、近隣地域との広域連携といった、中央を介さない、自衛的な行動であった。例えば、九州の諸県は「九州広域連合」を結成し、中央政府の頭越しに、朝鮮半島南部の残存勢力と、独自の食料・資源貿易協定を結んでいた。この時期に、金子志道率いるJ-FRONTが、国の研究機関でありながら、事実上の治外法権的な存在として、その独立性を高めていったことは、時代の必然であった。


後期(2034年~2046年):二つの正統性の対立

中央政府の消滅後、二つの勢力は、それぞれが「日本」の正統な統治者であると主張し始めた。

連合の正統性は、歴史的・法的な継続性に基づいていた。彼らは、旧日本国の憲法と行政機構の残骸を継承し、四十六の旧都道府県の広範な支持を得ていることを、その根拠とした。彼らの外交政策は、ただ一つ、「分離主義者たる上毛公国を、再び我らが統一国家の版図へと組み込む」という、内向きの目標にのみ収斂されていた。

上毛の正統性は、システムとしての能力に基づいていた。金子志道にとって、法や伝統は、民衆の生存を保証できないのであれば、何の意味も持たない虚構であった。彼の国家の正統性は、彼が民に与える「供給」そのものであった。彼の外交政策もまた、ただ一つ、『外部の非合理的なる混沌から、我々の完璧なシステムを防衛する』という、熱力学第二法則にも似た、不可逆的な孤立主義であった。


かくして、2046年を迎える頃には、日本列島には、社会、文化、経済、そして政治のあらゆる側面において、決して相容れない二つの国家が誕生していた。連合にとって、戦争は、失われた統一を取り戻すための聖戦であった。上毛にとって、戦争は、自らのシステムを汚染から守るための、合理的な防疫措置であった。この両者の、あまりにも深い断絶が、大利根の洪水を号砲として、ついに列島全土を巻き込む悲劇的なる戦争へと至るのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ