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グンマー帝国の興亡史  作者: 甲州街道まっしぐら
第一部:建国期【公の時代】(西暦2045年~2081年)
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上毛公国の基盤:土木、インフラ、そして鉄の指輪

およそ、国家の真の力は、その軍隊の規模や領土の広さによってではなく、その国民の生存を支える基盤、すなわち土木、インフラ、そして防衛という、三位一体のシステムがいかに堅牢であるかによって測られるものである。金子志道が築き上げた上毛公国は、この原則を最も純粋な形で体現した国家であった。公国の物理的構造は、単なる建造物や兵器の集合体ではない。それは、「供給なくして統治なし」という建国理念そのものが、マンナン・クリートと地熱エネルギーを以て、大地に刻み込まれた、一つの巨大な生存維持装置(Life Support System)だったのである。


第一節:国家の骨格――マンナン・クリートによる土木革命


公国のあらゆる物理的構造物の基礎をなしたのは、超蒟蒻から生み出される奇跡の建材、「マンナン・クリート」であった。この単一の素材への徹底した依存こそが、公国の景観と土木思想を、旧世界のそれとは全く異なるものへと規定した。


素材の特性と思想的含意:

マンナン・クリートは、鋼鉄を遥かに凌ぐ強度と、水分を触媒とする驚異的な自己修復能力を併せ持っていた。微細な亀裂は、大気中の湿気や雨水に反応して、数時間のうちに自然に塞がった。そして何よりも、その色は、顔料を一切含まない、純粋な白色であった。この白色は、単なる色彩以上の意味を持った。それは、術政庁が掲げる合理主義と純粋性の象徴であり、旧世界の混沌とした、雑多な色彩の都市景観との、明確な断絶を意味していた。さらに、この白色は、汚れや腐食といった、システムの純粋性を損なう「不純物」を、即座に可視化するための、極めて機能的な選択でもあった。この様式は後世の研究者によって『純粋理性様式(Purist-Rational Style)』と名付けられ、装飾を徹底的に排し、機能と効率のみを追求する公国の思想を体現するものであった。上毛公国の都市に足を踏み入れた者は、あたかも巨大な無菌室か、あるいは未来の神殿に迷い込んだかのような、畏怖の念を抱いたという。


建設手法:自己増殖する建築物

公国の土木技術の特異性は、その建設プロセスにあった。彼らは、旧時代のように、部品を組み立てて建造物を「建てる」のではない。彼らは、マンナン・クリートの基礎構造を設置した後、栄養分を豊富に含んだ特殊な液体を循環させることで、建造物自体を、あたかも植物のように「成長」させた。建設現場には、旧世界の騒音や粉塵は存在せず、ただ、栄養パイプラインの微かな脈動音だけが響いていたという。この有機的な建設手法は、八咫烏の計算に基づいて、必要な強度と形状を、寸分の狂いもなく実現することを可能にした。山を削り、谷を埋めるのではなく、地形そのものと融合する形で、純白の都市や城壁が、大地から生えてくるかのように出現したのである。それは、自然の模倣でありながら、自然の無秩序な成長を完全に否定する、管理された有機的建築であった。


第二節:国家の血管――完全管理下のインフラ網


公国のインフラは、国民の生活を支えると同時に、その行動を完璧に管理するための、二重の目的を持って設計されていた。


地下都市と地熱の心臓:

公国の真の中枢は、地上には存在しなかった。巨大な地熱プラント、術政庁の中央制御室、八咫烏のメインフレーム、そして兵器生産工場といった、国家の存続に不可欠な施設は、全て、赤城山や榛名山の地下深くに、厚い岩盤とマンナン・クリートの装甲で守られた、巨大な地下都市(Subterranean Ark)に収められていた。これは、旧世界の都市が、エネルギー供給網を外部に依存し、無防備に地上にインフラを晒した結果、いかに脆弱であったかという、金子志道の痛烈な分析に基づく結論であった。地上の都市は、あくまで、地下の心臓部からエネルギーと資源の供給を受ける、末端の居住区画に過ぎなかった。この構造は、国民に絶対的な安全の感覚を与える一方で、自らが大地という巨大な生命維持装置の内部で生かされている、管理下の存在であるという意識を、無意識の内に植え付けた。空を見上げても、そこにあるのは自然の空ではなく、都市ドームの天井であった。この自然からの隔絶が、後の『回帰者』思想が生まれる精神的土壌となった可能性が指摘されている。


循環器系:自動化された物流網

公国では、旧世界に蔓延した個人所有の自動車という移動手段は、計画不可能な交通渋滞、無駄なエネルギー消費、そして無意味なステータス競争を生む、最も非合理的なシステムの一つとして、建国初期に完全に廃絶された。都市間および都市内部の物資と人員の移動は、全て、地下に張り巡らされた磁気浮上式リニアネットワークによって行われた。「チューブ」と呼ばれるこの交通網は、八咫烏によって完全に自動制御され、いかなる遅延も事故も起こすことなく、必要な物資を、必要な場所へ、必要なだけ送り届けた。市民の移動もまた、術政庁の発行する移動許可証がなければ、このチューブを利用することはできなかった。移動許可は、各個人の「資源クレジット」と連動しており、職務上必要な移動以外の、個人的な移動には、高いクレジットコストが課された。国家の血管を流れるものは、国家が許可したものだけであった。


代謝系:完璧なる閉鎖循環システム

都市で消費される水は、一滴たりとも無駄にされることはなかった。全ての生活用水は、地下の巨大な浄化プラントで完全に再生され、再び都市へと供給された。また、人間の排泄物や、生産活動で生じる有機廃棄物は、メタン発酵プラントでバイオガスへと変換され、補助的なエネルギー源として利用された後、最終的には、垂直農場で超蒟蒻を育むための、無機的な栄養素へと分解された。空気さえも、都市全体を覆う透明なドームの下で、巨大なフィルターを通して循環・浄化されていた。この完璧なる閉鎖循環クローズドループシステムは、公国を、外部のいかなる資源も必要としない、自己完結した生態系へと昇華させた。それは、宇宙船の生命維持装置を、国家規模で実現したに等しかった。


第三節:国家の甲冑――「鉄の指輪」による非対称防衛


公国の防衛思想は、その内向きで自己完結した国家体制を、そのまま反映したものであった。それは、領土を拡張するための「槍」ではなく、自らの純粋性を守るための、完璧なる「盾」であった。


思想:非対称防衛と縦深防御の否定

金子志道は、旧時代の縦深防御、すなわち「国土の奥深くで敵を迎え撃つ」という思想を、国土と国民に無用な損害を与える、非合理的なものとして退けた。彼にとって、敵の侵入を許すことは、物理的な損害以上に、完璧であるべきシステムに『バグ』や『汚染』の侵入を許す、思想的な敗北を意味した。故に、国土防衛とは、もはや軍事行動ではなく、システムの純粋性を保つための『検疫』あるいは『異物除去』作業と見なされた。そのために、国家の全ての軍事資源は、利根川の国境線、ただ一点にのみ集中された。これは、システムの純粋性を、いかなる外部の混沌カオスからも汚染させないという、彼の思想の軍事的表現であった。


第一の壁:大利根沼沢地

「からっ風戦争」の発端となった「大利根の洪水」は、単なる戦術的な陽動ではなかった。それは、利根川下流域に、幅数十キロに及ぶ、恒久的な沼沢地帯を創り出すという、壮大な国土改造計画であった。この沼沢地は、旧時代の戦車や装甲車両が通行することを物理的に不可能にし、いかなる大規模な陸上部隊の侵攻も阻む、第一の、そして最大の防衛線となった。沼沢の水には、J-FRONTが開発した、特定の金属に反応する微生物が散布されており、連合軍が遺棄した兵器の残骸は、数年のうちに分解され、無害化されたという。


第二の壁:マンナン・クリート城壁と「八咫烏の眼」

利根川の北岸には、高さ数十メートルに及ぶ、継ぎ目のない一枚岩のような、純白のマンナン・クリート製城壁が、国土の東端から西端まで、途切れることなく続いていた。そして、この城壁そのものが、国家の巨大なセンサーであった。壁面には、光学・音響・振動を探知する無数のマイクロセンサーが埋め込まれ、いかなる微細な変化も、即座に八咫烏へと報告された。上空には、常に数千機の無人偵察機が滞空し、国境線の遥か南方までを監視下に置いていた。これが、「八咫烏の眼」と呼ばれる、全方位の監視システムである。


第三の壁:「鉄の指輪」による自動迎撃

そして、この城壁の背後に控えるのが、公国の最終防衛ライン、「鉄の指輪(Annulus Ferreus)」であった。それは、人間の兵士をほとんど介在させない、完全自動化された迎撃システムである。

八咫烏が、監視網を通じて脅威を探知・識別すると、その脅威レベルに応じて、最適な迎撃兵器が、地下の格納庫から自動的にせり上がり、攻撃を開始する。小型のドローンや歩兵に対しては、無数の対人レーザー砲台が。装甲車両や建造物に対しては、城壁に沿って設置された、射程数十キロを誇る電磁投射砲レールガンが。そして、航空機やミサイルに対しては、強力な指向性電磁パルス(EMP)兵器が、その電子機器を焼き切る。

この三層の自動迎撃システムは、人間の判断を介さない、冷徹な計算のみによって作動した。そこに、慈悲や躊躇といった、非合理的な感情が入り込む余地はなかった。システム防衛局の兵士たちの役割は、前線で戦うことではなく、この自動化された殺戮機械が、常に完璧な状態で稼働し続けるよう、そのメンテナンスを行うことであった。


結論:完璧なる故の脆弱性


かくして、上毛公国は、その土木、インフラ、そして防衛の全てを、単一の合理的な思想の下に統合し、外部の混沌から完全に隔絶された、完璧なる城塞国家を完成させた。そのシステムは、旧世界のいかなる脅威に対しても、絶対的な防御を約束するように見えた。しかし、この完璧な物理的甲冑は、内部からの病、すなわち生物学的な崩壊に対しては全くの無力であった。最も堅牢な城壁も、その礎である大地そのものが腐り始めた時、その意味を失う。金子志道は、外部の混沌を防ぐことには成功したが、自らが作り出した生命(超蒟蒻)の内に潜む、より根源的な混沌を見過ごしていたのである。

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