からっ風戦争後の両勢力分析:断絶の固定化
およそ、歴史における決定的な戦役は、単に軍事的な勝敗を決するのみならず、敵対する両者のその後の進路をも、不可逆的に規定するものである。西暦2046年の冬、利根川のほとりで繰り広げられた「からっ風戦争」は、まさにそのような戦いであった。上毛公国にとっては、その勝利は、独立と生存を確定させた輝かしい建国神話の完成を意味した。対する四十六都道府県連合にとっては、その惨敗は、癒しがたい屈辱の記憶となり、その後の国家のあり方を根底から歪める呪縛となった。この戦いの後、利根川は、もはや単なる物理的な国境ではなく、決して交わることのない二つの日本の運命を分かつ、精神的な断層そのものとなったのである。
第一節:上毛公国――孤立と純化の道
「からっ風戦争」における圧倒的な勝利は、上毛公国に対し、外部世界の混沌から完全に隔絶された、完璧なる「実験室」としての環境をもたらした。この勝利は、国家のあらゆる側面を、金子志道が信奉する純粋な合理主義の原則に基づいて、さらに先鋭化させていく強烈な推進力となった。
社会的影響:
戦争の勝利は、「我々は、旧世界の非合理的な野蛮から、理性と技術によって自衛した選ばれし民である」という、強烈な選民思想を国民の間に確立した。利根川の対岸で繰り広げられた一方的な戦闘の映像は、術政庁の管理下で編集され、国民に繰り返し放映された。それは、南方の連合軍を、もはや同じ人間ではなく、予測不能な行動で自滅した、排除すべき「混沌の獣」として描く、巧みなプロパガンダであった。その代表例として、後に帝国初期の最高傑作と評される記録映画『利根の濁流、文明の曙』が挙げられる。この経験を通じて、上毛の民は、外部世界に対する共感や同情を完全に喪失し、自らのシステムの純粋性を守るためならば、いかなる非情な手段も正当化されるという、冷徹な倫理観を内面化していった。毎年冬には、勝利を記念して「大利根浄化祭」が国家行事として催され、子供たちは、南の野蛮人から国土を守った英雄たちの物語を、幼少期から徹底的に教え込まれた。社会は、外部からの脅威に対する永続的な恐怖と、自らの優越性への絶対的な確信によって、極めて強固に結束した。
文化的・思想的影響:
この勝利は、金子志道と安斎信彦の二人を、単なる建国の父から、ほとんど神格化された救世主の地位へと押し上げた。「からっ風戦争」は、彼らがもたらした技術(地熱、超蒟蒻、マンナン・クリート、レールガン)が、いかに優越しているかを証明した、動かぬ証拠とされたのである。以後、上毛公国では、技術への完全なる信仰が、国家の唯一の宗教となった。あらゆる非合理的なるもの――旧時代の伝統、宗教、そして計算不能な人間の感情さえも――は、国家の純粋性を損なう不純物として、教育やメディアから徹底的に排除されていった。芸術は、人間の苦悩や情熱を描くことをやめ、代わりに、地熱プラントの幾何学的な構造美や、超蒟蒻の細胞が増殖する様を、数学的な正確さで表現する、機能的なものへと変貌した。文化は、科学的真理を賛美し、システムの効率性を称揚するための、完全に機能的な道具と化した。
経済的影響:
戦争は、金子志道が志向した完全な自給自足経済の正しさを証明した。外部世界との交易を一切必要とせず、自国内の資源のみで、高度な軍事力と国民生活を維持できることが示されたからである。戦後、この方針はさらに徹底され、利根川の国境線は「鉄のカーテン」ならぬ「マンナン・クリートの壁」によって物理的に完全に封鎖された。経済活動の全ては、「八咫烏」と名付けられた術政庁の中央コンピュータによって管理され、資源は、国民生活の維持よりも、むしろ、次なる外部の脅威に備えるための、さらなる軍事技術の開発とインフラの要塞化に、優先的に配分されるようになった。貨幣という、価値の不確定な媒介物は完全に廃止された。各市民の労働と消費、ひいてはその存在価値そのものが、階級と役割に応じて「八咫烏」から直接割り当てられる「資源クレジット」によって、秒単位で規定・管理されることとなった。
政治的・軍事的影響:
金子志道の権威は、もはや誰も揺るがすことのできない絶対的なものとなった。彼の決定は、神託にも等しい重みを持ち、いかなる異論も許されなくなった。「公(Princeps)」という彼の称号は、事実上の終身独裁官を意味した。術政庁の内部では、システムへの忠誠心と、非合理的な人間性を排した冷徹な計算能力のみが、昇進の基準となった。軍事的には、この戦争の経験は、「非対称防衛」という国家安全保障の基本ドクトリンを確立した。すなわち、敵国に侵攻する能力を完全に放棄する代わりに、いかなる外部からの侵略も、国境線において、圧倒的な技術的優位によって、最小限の損害で完全に無力化するという思想である。このドクトリンの下、上毛の軍隊は、国土を防衛する巨大な自動化システムへと、その姿を変えていった。利根川沿岸には、無数のセンサーと、地下に格納された自動迎撃レールガン、そして自律型ドローンからなる「鉄の指輪」と呼ばれる防衛網が構築され、いかなる生物の侵入も許さない、不毛の緩衝地帯が創り出された。
第二節:四十六都道府県連合――屈辱と復讐の道
「からっ風戦争」における一方的な惨敗は、京都暫定政府と、それに連なる連合の存在意義を根底から揺るがした。彼らは、正統性と大義名分において、自らが優位にあると信じていたにもかかわらず、その信念は、利根川の冷たい水の中で、無数の兵士たちの死体と共に藻屑と消えた。このトラウマは、その後の連合の歴史を、内向きで、復讐心に満ちた、暗い影の道へと導いていく。
社会的影響:
敗戦は、連合内に、深刻な集団的トラウマ(後世の歴史家はこれを「利根川コンプレックス」と呼称する)と、その代償行為としての激しいスケープゴート探しの嵐を巻き起こした。軍の指導者たちは更迭され、和平を唱えた政治家は「売国奴」として糾弾され、公開裁判の末に処刑された者も少なくなかった。社会は、「上毛の悪魔」に対する共通の憎悪によって、かろうじてその一体感を維持していたが、その水面下では、敗戦の責任を巡る地域間の対立(例えば、主戦力を提供した九州ブロックと、後方支援に留まった東北ブロックとの間の不信感など)が深刻化していった。また、上毛公国の圧倒的な技術力に対する、畏怖と嫉嫉が入り混じった複雑な感情は、「いつか、我々もあの力を手に入れねばならない」という、歪んだ技術崇拝を生み出す土壌となった。各地には、利根川で命を落とした兵士たちを祀る「鎮魂の碑」が建てられ、それは、復讐の誓いを新たにするための、神聖な巡礼地となった。
文化的・思想的影響:
文化的復古主義は、この敗戦によって、さらに過激な排外主義的ナショナリズムへと変質した。彼らは、自らの敗北の原因を、軍備の遅れや戦略の失敗ではなく、旧日本が内包していた「精神の弛緩」や「西洋的個人主義への汚染」に求めた。その結果、連合内では、旧時代の軍国主義を彷彿とさせる、全体主義的な思想統制が強化されていった。その象徴が、敗戦直後に京都暫定政府の名で発布された『国家総動員・精神純化法』である。教育は、愛国心の涵養と、「上毛への聖なる復讐」を誓う、次世代の戦士を育成するための機関へと変貌した。旧時代の娯楽映画や音楽は「退廃的」として禁止され、代わりに、国家への自己犠牲を称揚する軍歌や、上毛の非人間性を告発するプロパガンダ劇が、繰り返し上演された。それは、上毛が捨て去った人間の情念や非合理的なる魂の叫びこそが、日本の真の力であると訴えるものであった。かくして文化は、国民の敵愾心を煽り、国家への自己犠牲を称揚するための、情動的なる道具と化した。
経済的影響:
連合は、この戦争で、その乏しい軍事資源のほとんどを失った。戦後、彼らの経済は、民生品の生産よりも、軍備の再建を最優先する、極端な戦時経済体制へと移行した。旧時代の工場は、兵器の修理や、粗悪な模倣品の生産のために再稼働され、民衆は、さらなる窮乏生活を強いられることとなった。上毛が独占する先端技術に対抗するため、彼らは、失われた技術を求めて、旧時代の研究所の跡地を発掘したり、あるいは、危険を冒して上毛公国へ潜入する技術スパイを派遣したりといった、絶望的な努力を続けることとなる。これらのスパイ活動は、ほとんどが失敗に終わったが、稀に持ち帰られるマンナン・クリートの破片や、レールガンの残骸は、連合の技術者たちによって神聖な遺物のように扱われ、来るべき決戦のための、涙ぐましいリバースエンジニアリングの対象となった。
政治的・軍事的影響:
京都の文民政府の権威は、この軍事的惨敗によって完全に失墜した。政治の実権は、旧自衛隊の残存勢力を率いる、鮫島将軍を筆頭とする強硬派の軍人たちが掌握し、連合は事実上の軍事政権へと移行した。彼らの唯一の政治目標は、「富嶽」と名付けられた壮大な軍備増強計画を完遂し、いつの日か再び利根川を渡り、上毛京を陥落させて、雪辱を果たすことであった。軍事的には、彼らは、上毛の技術的優位を覆すことは不可能であると認めざるを得なかった。その結果、彼らが選択したのは、正規戦闘を避け、テロや破壊工作、サイバー攻撃といった、非対称な手段によって、上毛社会を内部から攪乱するという、泥沼の長期戦略であった。そのために、「菊水隊」と名付けられた特殊部隊が創設され、彼らは、上毛の地熱プラントを破壊し、社会を混乱に陥れるための、決死の潜入作戦を、その後何十年にもわたって、繰り返し実行することになる。
かくして、「からっ風戦争」は、日本列島に、決して交わることのない二つの道を、血をもって刻みつけた。上毛公国は、完全なる孤立の中で、その技術的純粋性を極限まで高めていく「垂直の進化」の道を。そして四十六都道府県連合は、過去の栄光と未来への復讐心に囚われ、終わることのない軍拡競争にその身を焦がしていく「水平の消耗戦」の道を。両者の物語が、再び交差するのは、それから一世紀の後、帝国がその内なる矛盾によって自壊を始める、黄昏の時代を待たねばならなかった。




