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グンマー帝国の興亡史  作者: 甲州街道まっしぐら
プロローグ:グンマーの夜明け(西暦2025年~2045年)
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からっ風戦争の多角的分析:その背景、経緯、そして発端

およそ、歴史における大規模な内戦は、単一の事件によって突発するものではなく、長期にわたって社会の構造プレートに蓄積された、多様かつ複合的な圧力の、最終的なる発露である。西暦2046年の冬、上毛の地を揺るがした「からっ風戦争」もまた、その例外ではない。この戦役は、旧日本の残存勢力「四十六都道府県連合」と、新生国家「上毛公国」との間に勃発した、日本列島の未来を賭けた宿命の激突であった。その根源を理解するためには、両勢力を隔てる利根川の両岸で、いかにして相容れない二つの世界が形成されていったのかを、多角的な視点から分析せねばならない。


第一節:背景――断絶した二つの日本


「大日本マラリア」によって東京の中央政府が蒸発した後、日本列島には、二つの対立する権力の中枢が形成された。それは、単なる地理的な分裂ではなく、社会のあり方、文化の拠り所、そして経済の原理そのものが、根本的に異なる二つの文明の対峙であった。


連合の社会:生存者の共同体

京都暫定政府が統治する四十六都道府県連合の社会は、良くも悪くも、「大日本マラリア」という共通のトラウマを共有する、巨大な生存者の共同体であった。彼らの社会を結束させていたのは、共に苦難を乗り越えたという記憶と、失われた「日常」を取り戻したいという、切実な願望であった。この社会では、相互扶助と連帯が至上の美徳とされ、自らの資源や技術を独占し、他者の救済を拒む行為は、共同体全体に対する、最も許しがたい裏切りと見なされた。彼らにとって、上毛公国の孤立主義は、単なる政治的選択ではなく、苦しむ同胞を見捨てる、道徳的に唾棄すべき行為だったのである。


上毛の社会:選民のシステム

対する上毛公国は、全く異なる社会原理の上に成り立っていた。彼らは、自らを、混沌の中から神(あるいは科学)によって選び出された、秩序の民であると認識していた。彼らの社会を結束させていたのは、共通の苦難ではなく、金子志道が設計した完璧なシステムへの絶対的な信頼と、そのシステムが生み出す恩恵(光、食料、安全)であった。この社会では、効率と合理性が至上の美徳であり、感情や同情といった非合理的な要素は、システムを不安定化させるノイズとして排除されるべき対象であった。彼らにとって、南方の連合は、救済すべき同胞ではなく、自らの完璧な秩序を汚染し、崩壊させかねない、危険なカオスの源泉に他ならなかった。


連合の文化:過去への回帰

連合の文化は、本質的に復古主義的であった。彼らは、失われた旧日本の栄光を理想化し、その伝統や象徴(京都の古都としての権威、天皇制の記憶、統一された日本語)に、自らのアイデンティティの拠り所を求めた。彼らの掲げる「再統一」という大義は、単なる政治的目標ではなく、失われた「あるべき日本の姿」を取り戻すための、文化的な聖戦でもあった。この観点から見れば、金子志道が率いる技術至上主義の国家は、日本の伝統を否定し、人間性を計算可能な変数へと貶める、文化的な異端者、日本の精神性を否定し、人間を計算可能な変数へと貶める、魂なき技術官僚主義(Soulless Technocracy)の体現者、すなわちテクノ・バーバリアン(技術的野蛮人)であった。


上毛の文化:未来への信仰

対照的に、上毛の文化は、過去を完全に否定し、未来のみを信仰するものであった。彼らにとって、旧日本の伝統や文化は、国家を崩壊へと導いた、非合理的で前時代的な遺物に過ぎなかった。彼らの英雄は、聖徳太子や織田信長ではなく、金子志道と安斎信彦であった。彼らの聖典は、古事記や万葉集ではなく、地熱プラントの設計図や、超蒟蒻の遺伝子配列データであった。彼らの思想の根幹には、「歴史は繰り返すのではない。歴史は克服されるべきエラーの記録である」という、冷徹な信念が存在した。連合が掲げる「日本の伝統」は、彼らにとって、乗り越えるべき過去の残滓でしかなかった。


連合の経済:欠乏の経済

連合の経済は、極度の資源欠乏によって特徴づけられていた。エネルギーと食料の供給は常に不安定であり、その経済活動は、残された旧時代のインフラを修復し、物々交換や地域通貨によって、かろうじて糊口をしのぐという、場当たり的なものであった。この経済的困窮が、彼らの上毛公国に対する視線を、より先鋭化させた。上毛が独占する地熱エネルギーと超蒟蒻は、連合経済を再建するための、唯一にして絶対に必要な起爆剤であった。従って、上毛の「解放」は、連合にとって、単なる領土問題ではなく、自らの経済的生存が賭けられた、死活問題だったのである。


上毛の経済:完結の経済

上毛の経済は、外部世界を全く必要としない、完璧な閉鎖循環型クローズドループ、完全な自給自足経済(Autarky)のシステムであった。エネルギーと食料は国内で完全に自給され、マンナン・クリートの生産によって、工業製品さえも外部に依存する必要はなかった。この自己完結した経済システムにとって、連合との経済交流は、利益をもたらすどころか、自らの完璧な需給バランスを破壊し、希少な資源を外部に流出させるだけの、百害あって一利なしの行為であった。経済的合理性の観点から見れば、鎖国こそが、彼らにとって唯一の正解だったのである。


第二節:開戦に至る経緯――対話不能の螺旋


これら根本的な断絶を背景に、両者の関係は、破局へと向かう一本道を転がり落ちていった。


外交的断絶(2045年):

連合の成立直後、京都暫定政府は、上毛公国に対し、連合への参加を求める使節団を派遣した。しかし、金子志道は、使節団との公式な会見さえ拒否した。彼が返答として送り返したのは、一枚のデータディスクのみであった。その中には、連合を構成する各地域の、エネルギー・食料の需給バランス、インフラの崩壊状況、そして予測される社会不安の増大確率を示した、冷徹なシミュレーション結果が記録されていたという。そのシミュレーションは、連合の掲げる復古主義的政策が、わずか五年以内に食料配給の全面的な停止と、それに続く内乱の激化を招くことを、冷徹な確率論をもって示していた。それは「貴殿らの郷愁は国家を運営するに足らず。我々は、失敗が証明された歴史の再現に付き合うつもりはない」という、言葉なき、しかし何よりも雄弁な侮辱であった。


プロパガンダ戦争と国境の緊張(2046年初頭):

外交交渉の望みを絶たれた連合は、プロパガンダによる世論戦を開始した。彼らは、旧時代の通信網の残骸を駆使し、上毛の民衆に対し、「金子の圧政から汝らを解放する」と呼びかけ、また、連合内の民衆には、「上毛の分離主義者こそが、我々の苦境の原因である」と説いた。これに対し、上毛側は、垂直農場で整然と収穫される超蒟蒻、地熱プラントの静かなる稼働風景、そして何よりも、栄養状態の良い子供たちが学習に励む姿といった、秩序と平穏を象徴する映像を、高出力の電波で一方的に発信し続けた。このプロパガンダの応酬は、相互不信を決定的なものとし、利根川の国境線は、散発的な小競り合いが頻発する、極度の緊張地帯と化した。


軍事的圧力の増大(2046年半ば):

言葉の戦争が、やがて現実の戦争へと転化するのに、多くの時間は必要なかった。京都暫定政府は、交渉の最終手段として、旧自衛隊の残存部隊を中核とする「連合軍」を、利根川南岸へと集結させ、上毛公国に対し、無条件での帰順を求める最後通牒を発した。これは、再統一という大義名分を掲げた、侵攻の最終準備であった。


第三節:直接的発端――大利根の洪水


連合軍の集結という、もはや後戻りのできない脅威に対し、金子志道は、旧世界の人間には想像も及ばない、恐るべき「回答」を用意した。それは、軍事力に対する軍事力ではなく、地理そのものを兵器として用いるという、神の如き発想であった。


「関宿の楔」破壊作戦:

金子の計画の要は、旧時代の埼玉県と茨城県の境に存在した、利根川と江戸川を分かち、その水量を制御していた巨大な水門「関宿水門」の破壊であった。彼は、これを、南方の混沌を食い止めるための、最も効率的な「楔」であると見なした。西暦2046年初秋、J-FRONTの特殊工作部隊は、この作戦を秘密裏に、そして極めて迅速に実行した。まず、高度なサイバー攻撃によって水門の制御システムを無力化し、全てのゲートを最大開放させて、構造体に許容量を超える水圧をかけた。次いで、無人攻撃機が、水門の最も脆弱な基礎部分に対し、ピンポイントで地中貫通爆弾を投下。これにより、水門は連鎖的に崩壊し、利根川の濁流は、もはや何ものにも妨げられることなく、かつて自らが流れていた古の河道、すなわち現在の東京都心部へと、怒涛の如く流れ込んだ。


東京水没と開戦の号砲:

この人為的な大災害の結果、荒廃していた旧東京の低地は、数日のうちに、広大な泥の海と化した。連合軍の先遣隊が駐屯していた旧首都圏の拠点は、ことごとく濁流に飲み込まれた。

この「大利根の洪水」は、金子志道にとっては、国境線に幅数十キロに及ぶ、侵入不可能な天然の要害、すなわち「大利根沼沢地」を創り出すという、極めて合理的な戦略的行為であった。

しかし、京都暫定政府にとって、それは、交渉のテーブルを完全に破壊し、旧日本の心臓部であった首都を意図的に水没させるという、許しがたい宣戦布告以外の何物でもなかった。この事件は、それまで連合内で燻っていた和平論を完全に吹き飛ばし、日本列島の統一された意志を、「上毛討つべし」という一点に収束させた。

この事件こそが、第一次世界大戦におけるサラエボ事件にも比すべき、後戻りの出来ない一点、すなわち、からっ風戦争の真の発端であった。連合の目的は、もはや政治的な再統一ではない。それは、同胞を水底に沈め、国家の象徴を汚した傲慢なる北の悪魔たちを討ち滅ぼし、その文明を根絶やしにするという、神聖なる復讐戦争へと、その姿を完全に変えたのである。

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