からっ風戦争:日本再統一戦争
およそ、いかなる国家も、その揺籃期において、その正統性を血と鉄によって証明する、宿命的なる試練に直面するものである。後世、「からっ風戦争」と名付けられることになるこの戦役は、萌芽期にあった上毛公国にとって、まさにそのような試練であった。しかし、それは、飢えた難民の群れとの偶発的な衝突などでは断じてない。これは、崩壊した旧日本の版図を再統一し、古き秩序を復活させんとする「四十六都道府県連合」と、その理念を過去の遺物として完全に拒絶する、孤高の技術国家・上毛公国との間に勃発した、日本再統一戦争とでも呼ぶべき、避けられざる宿命の激突であった。この戦いの勝利によって、帝国は、旧日本との訣別を血によって宣言し、その絶対的な独立を確定させたのである。
第一節:二つの日本の対立
「大日本マラリア」によって東京の中央政府が蒸発した後、日本列島には、二つの対立する権力の中枢が、奇しくも同時に形成されつつあった。それは、過去の栄光と共同幻想に依拠する権力と、未来の技術と実利的な供給能力に依拠する権力との、根源的なる対立であった。
西日本:「京都暫定政府」と再統一の悲願
中央の統制が失われる中、比較的被害の少なかった西日本の諸地域は、旧時代の政治家や官僚、そして自衛隊の残存勢力を結集させ、古都・京都に「日本国暫定政府」を樹立した。彼らは、自らを旧日本国の正統な後継者と位置づけ、ばらばらになった各地域の共同体を再統合し、かつての統一国家を復活させるという、悲願とも言うべき大義を掲げた。やがて、その呼びかけに応じた四十六の旧都道府県の代表者が京都に集い、「四十六都道府県連合」が結成される。彼らの理念は、共有された苦難を乗り越え、再び一つの日本として立ち上がろうという、旧時代の共同体意識に基づいていた。
しかし、この連合にとって、上毛の地に誕生した新生国家は、許容しがたい存在であった。彼らは、金子志道を、国家の混乱に乗じて独立を画策する、危険な分離主義者と見なした。そして何よりも、地熱や超蒟蒻といった、国家再建に不可欠な技術を独占し、分かち合うことを拒否するその姿勢は、連合の理念に対する、最も悪質な挑戦と映ったのである。上毛公国は、彼らにとって、再統一されるべき国土の一部であり、そこに巣食う金子志道の政権は、除去すべき技術的腫瘍に他ならなかった。
上毛公国:孤高の城塞と旧世界への決別
対する北岸、金子志道が統治する上毛の地は、この西日本の動きを、冷徹な計算の下に分析していた。彼にとって、京都暫定政府が掲げる「再統一」という理念は、一度失敗したシステムを、感傷と精神論によって再構築しようとする、極めて非合理的な試みに過ぎなかった。
金子の統治哲学「供給なくして統治なし」は、限られた資源を、最も効率的なシステムの下で管理することによってのみ成立する。旧日本のように、多様な利害と非効率な行政区画を抱え込んだ巨大な国家連合に組み込まれることは、自らが築き上げた完璧な秩序を、再び混沌の海に沈める自殺行為であると彼は結論付けた。上毛公国は、連合からの度重なる使節団の派遣に対し、交渉の席に着くことさえ拒否し続けた。金子の返答は常に一つであった。「貴殿らの統治モデルは、歴史によって失敗が証明されている。我々は、過去の過ちを繰り返すつもりはない」。
第二節:大利根の洪水――最後通牒としての天災
外交的努力がことごとく失敗に終わる中、両者の緊張は臨界点へと達した。京都暫定政府は、上毛公国に対し、連合への即時帰順を求める最後通牒を発した。そして、その軍事的圧力として、旧自衛隊の残存部隊を中核とする「連合軍」を、利根川南岸へと集結させ始めた。
この最後通牒に対し、金子志道は、言葉による返答ではなく、天災そのものを人為的に創造し、敵の足元へ送りつけるという、神の如き冷徹さを以て応じた。
「関宿の楔」破壊作戦:
金子の計画の要は、旧時代の埼玉県と茨城県の境に存在した、利根川と江戸川を分かち、その水量を制御していた巨大な水門「関宿水門」の破壊であった。彼は、これを、南方の混沌を食い止めるための、最も効率的な「楔」であると見なした。西暦2046年初秋、J-FRONTの特殊工作部隊は、この作戦を秘密裏に、そして極めて迅速に実行した。まず、高度なサイバー攻撃によって水門の制御システムを無力化し、全てのゲートを最大開放させて、構造体に許容量を超える水圧をかけた。次いで、無人攻撃機が、水門の最も脆弱な基礎部分に対し、ピンポイントで地中貫通爆弾を投下。これにより、水門は連鎖的に崩壊し、利根川の濁流は、もはや何ものにも妨げられることなく、かつて自らが流れていた古の河道、すなわち現在の東京都心部へと、怒涛の如く流れ込んだ。
東京水没と開戦の号砲:
この人為的な大災害の結果、荒廃していた旧東京の低地は、数日のうちに、広大な泥の海と化した。連合軍の先遣隊が駐屯していた旧首都圏の拠点は、ことごとく濁流に飲み込まれた。
この「大利根の洪水」は、金子志道にとっては、国境線に幅数十キロに及ぶ、侵入不可能な天然の要害、すなわち「大利根沼沢地」を創り出すという、極めて合理的な戦略的行為であった。
しかし、京都暫定政府にとって、それは、交渉のテーブルを完全に破壊し、旧日本の心臓部であった首都を意図的に水没させるという、許しがたい宣戦布告以外の何物でもなかった。この事件は、それまで連合内で燻っていた和平論を完全に吹き飛ばし、日本列島の統一された意志を、「上毛討つべし」という一点に収束させた。
第三節:利根川の冬、宿命の激突
かくして、西暦2046年の冬。上州名物の、骨身に凍みる乾燥した北風、すなわち「からっ風」が吹き荒れる日、日本の未来を賭けた宿命の戦いの火蓋が切られた。
連合軍の布陣:
京都暫定政府は、その総力を結集した「四十六都道府県連合軍」を利根川のほとりに展開した。旧自衛隊の機甲部隊(90式戦車や10式戦車など)、ヘリコプター部隊、そして各県警の機動隊や地方の自警団からなる、総勢十万。彼らは、旧時代の兵器ではあったが、統一された指揮系統と、「日本再興」という大義に支えられた、正規の軍隊であった。彼らの作戦は、圧倒的な物量による飽和攻撃と、特殊部隊による地熱プラントの破壊を目的としていた。
上毛防衛軍の迎撃:
これを迎え撃つ上毛の防衛軍は、わずか五千。しかし、彼らは、旧時代の戦争の概念を過去のものとする、新時代の戦士であった。彼らの戦略は、敵を殲滅することではなく、敵の戦闘能力そのものを、システム的に「無効化」することにあった。
戦闘の様相は、後世の歴史家が「戦闘」と呼ぶことを躊躇うほど、一方的なものであった。連合軍が、旧来の戦術に則り、砲撃支援の下で戦車部隊を先頭に渡河作戦を開始した瞬間、上毛側の反撃は始まった。しかし、それは、砲声の応酬ではなかった。
まず、強力な指向性電磁パルス(EMP)攻撃が、連合軍の指揮系統と電子機器を完全に沈黙させた。戦車の照準システムは機能を停止し、無線は意味のないノイズを発するだけとなり、連合軍は一夜にして、目と耳を奪われた巨人と化した。 次いで、上空に滞空していた無数の小型ドローンが、AIの制御下で、戦車や装甲車輌の最も脆弱な上部装甲や、指揮官が乗る車両を狙って、ピンポイントで攻撃を開始した。 そして、北岸に布陣した防衛軍の兵士たちは、パニックに陥り、ただ無力に川を渡ろうとする連合軍の歩兵部隊に対し、レールガンによる、整然たる『個体数管理』を開始した。
わずか数時間のうちに、連合軍はその組織的抵抗能力を完全に喪失し、その版図のほとんどが壊滅。生存者は南へと敗走した。それは、軍事力の勝利というよりも、戦争の概念そのものの、世代交代を告げる光景であった。
第四節:血によって描かれた国境
この「からっ風戦争」における決定的かつ圧倒的な勝利は、新生国家の未来を確定させた。
二つの日本の確定:
この日以降、日本列島に二つの異なる国家が存在するという事実が、血によって確定された。利根川は、単なる河川ではなく、旧日本とその正統な後継者を自認する「連合」と、過去と完全に断絶した新国家「上毛公国」とを分かつ、政治的な境界線となった。
建国神話の完成:
この勝利は、『我々は、歴史という名の感傷や、民族という名の幻想に依拠する、旧時代の非合理的な共同体を打ち破り、科学と理性に基づく新たな国家を自らの手で防衛した』という、強力な建国神話を生み出した。この物語は、国民の間に、自らの国家システムに対する絶対的な優越感と誇りを植え付けた。
金子志道の権威の絶対化:
そして何よりも、この勝利は、金子志道の統治の正当性を、神格化されたレベルにまで高めた。彼は、単に民を飢餓から救った救世主であるだけでなく、旧世界の残滓を打ち破った、偉大なる軍事的天才として、歴史にその名を刻んだのである。
戦争の硝煙が晴れた後、金子志道は「上毛公国」の樹立を改めて宣言し、自らは終身の「公」の地位に就いた。かくして、帝国は、その最初の、そして最も血塗られた礎石を、利根川のほとりに据えた。それは、後に続く「パクス・グンマ」の平和が、決して無垢なものではなく、圧倒的な技術力による、冷徹な暴力の独占の上に成り立っていたことを、雄弁に物語っている。




