上毛地方の権力変遷(2025-2045):県知事から首席執政官へ
およそ、歴史における体制の転換は、旧秩序の指導者の無能によってのみ引き起こされるのではなく、むしろ、有能な指導者が、もはや制御不能となった時代の奔流の前に、その能力の限界を露呈する時にこそ、最も劇的に現出するものである。グンマー帝国が誕生する以前、旧日本の地方行政区画の一つであった群馬県、すなわち上毛の地の最後の統治者、山本一太知事の治世は、この歴史的法則の、一つの悲劇的なる実例であったと言えよう。彼の統治は、法と民主的手続きに則った旧時代の正統性(De jure)にその基盤を置いていたが、彼が対峙せざるを得なかったのは、生存資源の供給能力という、より根源的な事実上の権力(De facto)であった。法的な正当性が、物理的な生存保証能力の前にいかにして無力化していったか、その過程の記録こそが、帝国前史の核心をなすのである。
第一段階:山本県政と「最後の日常」(2025年~2032年)
西暦2025年、山本知事の県政は、その頂点にあった。彼は、旧時代の政治家として、極めて有能な人物であった。情報発信に長け、中央政府との太いパイプを駆使して予算を獲得し、県内の産業振興やインフラ整備に尽力していた。彼の関心は、デジタル技術の活用による行政効率の改善、草津や伊香保といった観光資源の国際的ブランド化、そして首都圏からの移住者を誘致するための魅力的な生活環境の創出といった、旧時代の地方自治体が直面していた、ありふれた、しかし切実な課題に向けられていた。
この時期、後に「大日本マラリア」と呼ばれることになる社会崩壊の兆候は、すでに現れ始めていた。世界的なサプライチェーンの混乱による物価の高騰、散発的なエネルギー不足、そして国内の食料自給率の緩やかな低下。山本県政は、これらの問題に対し、旧時代の行政が取り得る、あらゆる標準的な手段を以て対処した。すなわち、中小企業への緊急融資、県民への生活支援給付金の支給、そして国と連携した食料備蓄の強化である。しかし、これらの政策は、来るべきシステム全体の崩壊に対しては、焼け石に水であった。県が発行した商品券は、それを上回る速度で進行するインフレーションの前にその価値を減じ、国の備蓄計画は、そもそも輸入が途絶えれば補充不能であるという根本的な欠陥を抱えていた。
そして、まさにこの時期、山本知事の預かり知らぬ場所で、未来の権力の萌芽が静かに育っていたのである。金子志道と安斎信彦が主導する、官民共同の研究機関「次世代地殻エネルギー研究所」、すなわちJ-FRONTの前身が、国の研究開発特区として、浅間山麓に設立されたのは、この時代のことであった。当初、山本県政は、これを先端技術を誘致する成功事例の一つとして、むしろ歓迎していたという記録が残されている。それは、旧時代の価値観の中では、極めて合理的な判断であった。
第二段階:二重権力の時代(2032年~2038年)
2030年代に入り、「大日本マラリア」の症状が深刻化するに及び、上毛の地には、奇妙な「二重権力」状態が出現し始めた。
一方には、前橋の県庁に拠点を置く、山本知事を首班とする公式の行政機構が存在した。しかし、東京の中央政府が「挙国一致救国内閣」の下で機能不全に陥るにつれ、県庁の権威は急速に失墜していった。中央からの地方交付税は滞り、国のエネルギー配給計画は名ばかりのものとなり、知事の命令は、それを実行するための物理的なリソース(燃料、物資、人員)の欠乏によって、空虚な響きとなり果てていた。県警察はガソリン不足でパトロールもままならず、公共事業は資材の輸入停止でことごとく中断した。
そしてもう一方には、J-FRONTという、事実上の「影の政府」が存在した。金子志道は、中央政府の混乱を尻目に、独自の国際的なルートから研究開発資材を確保し、「地熱革命」と「蒟蒻特異点」を驚異的な速度で完成させていた。J-FRONTの地下施設群は、地熱による安定した電力で煌々と輝き、その培養プラントは、県民が飢えに苦むのを待たずして、「超蒟蒻」の試験的な配給を開始できる段階にまで達していた。J-FRONTは、自らの施設と職員を守るという名目で、独自の警備部隊を組織し、マンナン・クリート製の装甲車両やレールガンといった、県警察の装備を遥かに凌駕する武力さえ保有していた。
この段階において、民衆の忠誠心は、必然的に、二つの権力の間で分裂し始めた。県庁が発行する『給付金』は、インフレによって価値を失った紙幣であったのに対し、J-FRONTが配給する『栄養ブロック』は、生命を繋ぐ現実であった。やがて民衆は、停電で沈黙した公式放送ではなく、J-FRONTが独自に運営する地域情報ネットワークからのみ信頼できる情報を得るようになり、治安の悪化に対しては県警察ではなくJ-FRONTの警備部隊に通報するようになった。知事のテレビ演説は停電で見ることができなくても、J-FRONTが供給する『上毛グリッド』の電力は、病院の生命維持装置を動かし続けたのである。権力とは、その正統性や法的な地位によってではなく、生存に必要な資源を供給する能力によって定義されるという、冷徹な現実が、民衆の前に突きつけられたのである。
記録によれば、山本知事は、このJ-FRONTの台頭を強く警戒し、中央政府にその危険性を訴え続けたという。しかし、もはや自らの足元さえ覚束ない中央に、一地方の研究機関を査察・監督する能力など、残されてはいなかった。彼の訴えは、崩壊しつつある官僚機構の中で握り潰されるか、あるいは無視されるだけであった。
第三段階:権力の禅譲と新秩序の誕生(2038年~2045年)
西暦2034年の「グレート・シャットオフ」は、この奇妙な二重権力状態に、決定的な終止符を打った。中央政府が事実上消滅し、日本円が価値を失った瞬間、群馬県庁という行政機構は、その存在意義の全てを失った。
この時、山本知事は、旧時代の政治家としての、最後の、そして最も現実的な決断を下したとされている。彼は、県内の完全な無政府状態と、それに続く内乱を防ぐという、最後の公的責務を果たすため、自らの権限下にある警察組織や、備蓄物資の管理権といった、旧秩序の最後の残滓を、J-FRONTの首席執政官である金子志道に、段階的に移譲することを承認した。それは、降伏というよりは、むしろ、自らが愛した郷土の民を、飢餓と暴力から救うための、苦渋に満ちた『禅譲』であった。電力不足で薄暗い知事室の、古びた革張りの椅子に座る山本に対し、機能的な制服に身を包んだ金子は、ただ事実のみを冷徹に告げたという。『知事、あなたに県民は救えません。私には救える』。反論の言葉を持たない山本は、自らの背後にある法と伝統の虚しさと、目の前の男が体現する圧倒的な現実の力の前に、自らの時代の終わりを認めざるを得なかった。
2040年頃には、山本知事は、もはや儀礼的な存在となり、県庁の機能は、J-FRONTが設立した「上毛暫定統治機構」によって、完全に代行されるようになっていた。彼は、自らが統治すべき民が、J-FRONTの紋章が入った純白の装甲服を着た兵士たちによって、整然と管理され、配給を受け、そして支配されていく様を、ただ静かに見つめることしかできなかった。
そして西暦2045年、金子志道が「上毛公国」の樹立を高らかに宣言した時、山本一太は、その宣言を、旧県庁の一室で、一市民として聞くこととなった。彼は、帝国の建国史においては、その名がほとんど言及されることのない、忘れ去られた人物である。しかし、彼の治世の終焉こそが、旧時代の地方自治が、来るべきテクノクラートによる全体主義的統治の前に、いかに無力であったかを、雄弁に物語っている。かくして、旧時代の最後の知事は、自らの手で、自らが仕えたシステムの墓碑銘を記すという、歴史の皮肉な役割を演じさせられたのである。




