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サバイバルマニア、異世界へ行く  作者: 塩野さち


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第3話 サバイバルマニア、解熱薬をつくる

【榊原 蓮】


 グレイグに先導され、俺と一ノ瀬は鬱蒼とした森を抜けた。視界が開けた先に現れたのは、質素ながらも堅牢な木の柵で囲まれた、一つの町だった。入り口には粗末な見張り台があり、退屈そうに欠伸をする衛兵が二人立っている。グレイグが顔馴染みらしく片手を上げると、衛兵たちは面倒くさそうに頷き、俺たちを通してくれた。


 町の中は、想像していたよりもずっと活気に満ちていた。土が踏み固められただけの道を、様々な人々が行き交っている。麻の服を着た農夫、革鎧をまとった冒険者風の男、荷物を運ぶ商人。建物のほとんどは木組みで、二階部分が道にせり出した造りになっている。道の脇には水路が走り、生活用水として利用されているようだった。


(面白い構造だ。水路は衛生的とは言えないが、火事の際には延焼を防ぐ役割も果たしそうだな)


 サバイバル脳が、勝手に町の構造を分析し始める。一ノ瀬は初めて見る異世界の光景に、不安と好奇が入り混じった表情でキョロキョロと周囲を見回していた。


 俺たちは人波をかき分け、町の中心にある広場へと足を踏み入れた。広場には井戸があり、女たちが噂話に花を咲かせている。のどか、と言ってもいい光景だった。


 その、のどかな空気を切り裂いたのは、一つの悲鳴だった。


「誰か! 誰か、助けてください!」


 広場の入り口から、まだ若い母親らしき女性が駆け込んできた。髪を振り乱し、その表情は絶望に染まっている。


「娘が……! 娘が熱を出して、うなされてるんです……! このままじゃ……っ!」


 母親の悲痛な叫びに、広場にいた人々は蜘蛛の子を散らすように距離を取った。誰もが顔を見合わせ、同情的な視線を向けるだけで、誰一人として動こうとしない。


「また『風邪(ふうじゃ)』か……気の毒に」

「薬師様はゴブリンに殺されてしもうたし……」

「関わらない方がいい。うつされたらたまらん」


 ひそひそと交わされる会話が、俺の耳にも届く。この世界では、高熱を出す病が『風邪』と呼ばれ、恐れられているらしい。そして、医療体制は絶望的なほどに脆弱なようだ。


「坊主、やめとけ」


 隣にいたグレイグが、低い声で俺を制した。


「ありゃあ、一度かかったら子供はまず助からねえ。下手に手を出すと、お前まで病神に目をつけられるぞ」


(非科学的な迷信か。だが、それだけ特効薬がないということの裏返しでもある)


 目の前で、母親が力なく膝から崩れ落ちる。逡巡している暇はなかった。人命救助は、どんな状況でもサバイバルの最優先事項だ。


 俺はグレイグに軽く会釈すると、ためらうことなく母親のもとへ駆け寄った。


「案内してください。俺が診ます」


「……え?」


 母親は、信じられないものを見るような目で俺を見上げた。俺の後ろで、一ノ瀬が息を呑む気配がする。


「手当の経験があります。民間の薬草知識ですが……今、何もしないよりマシです」


 俺の真剣な目に何かを感じ取ったのか、母親は迷いながらも、こくこくと頷いた。そして、震える手で俺の袖を掴むと、自宅へと導き始めた。


 案内されたのは、木造の簡素な家だった。家の中は質素だが、清潔に保たれている。その一室のベッドに、年の頃は七つか八つほどの少女が横たわっていた。


 顔は真っ赤に火照り、ぜえ、ぜえ、と浅い呼吸を苦しげに繰り返している。額には濡れ布がのせられていたが、少女の体温ですっかりぬるくなっていた。俺は少女の首筋にそっと手を当て、脈を測る。速くて、弱い。


「水は飲ませてみたか?」


「ほとんど……飲めませんでした……」


 母親が、か細い声で答える。このままでは脱水症状を起こし、間違いなく命が危ない。


 俺は部屋の窓から外に目を向けた。道端に雑草と共に自生している草花の中に、見覚えのある葉の形があった。ギザギザとした緑の葉。その特徴的な形と匂いは、忘れるはずもない。


(……あった。ヨモギだ。それに……あっちにはシソもあるじゃねえか)


 なぜ、日本の植物がこんな異世界に? そんな疑問は一瞬で頭の隅に追いやられた。好都合であることに変わりはない。ヨモギには解熱や鎮痛作用があり、シソには発汗を促す効果がある。最高の組み合わせだ。


「火と鍋、それに水を貸してください」


 俺はすぐさま外に出てそれらを摘み取ると、家の裏手でかまどを借り、持ち歩いていた十徳ナイフで手早く刻んだ。そして小鍋に水と刻んだ葉を入れ、じっくりと煮出し始める。


 薬草の爽やかな香りが混じった湯気が立ち上る頃、母親が不安げに背後から問いかけてきた。


「本当に……こんな草の汁が、効くんでしょうか?」


「効かせます。これは、俺の得意分野なんで」


 俺はできるだけ自信に満ちた声で答えた。サバイバルにおいて、リーダーの不安は仲間に伝染する。今は、この母親の精神的な支えになることも俺の役目だ。


 出来上がった薬湯を木の器に移し、ふうふうと息を吹きかけて冷ます。そして少女のそばに戻ると、その頭を優しく持ち上げた。


「さあ……少しずつでいいから、ゆっくり飲んでくれ」


 木の匙で、薬湯を少女の唇にそっと運ぶ。最初は反射的にこくりと喉を鳴らしただけだったが、二口、三口と続けるうちに、次第に自力で口を開けるようになった。半分ほど飲んだところで、少女は安堵したように再び眠りに落ちた。


 それから、数時間後だった。


 少女の荒かった呼吸は落ち着きを取り戻し、すー、すー、という穏やかな寝息に変わっていた。真っ赤だった顔から赤みが引き、額にじっとりと汗が滲んでいる。発汗作用が効いてきた証拠だ。


「……はぁ……ありがとう……本当に、ありがとうございます……!」


 少女の寝顔を見て、母親は堰を切ったように涙を流し、その場にへたり込んで俺に何度も頭を下げた。


「あなたは、いったい……? 薬師様なのですか?」


「いえ。ただの……高校一年生、です。サバイバルオタクの」


「はい?」


 俺の答えに、母親はきょとんとした顔で固まった。


 その時、俺の横で見守っていた一ノ瀬が、くすりと小さく笑った。それは、この世界に来てから初めて見る、彼女の心からの笑顔だった。


 その笑顔が、どんな言葉よりも、どんな報酬よりも、俺自身を救ってくれるような気がした。

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