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第1話 サバイバルマニア、異世界へ行く

【榊原 蓮】


 うだるような午後の気怠さと、教師の抑揚のない声が子守唄になる。五時間目の古典は、俺にとって睡眠導入の時間と大差なかった。うつらうつらと舟を漕いでいた意識が、不意に覚醒する。


 原因は、窓の外から差し込んだ閃光。教室中が真っ白に染まり、誰かの短い悲鳴が聞こえた気がした。次の瞬間、俺の体は椅子から放り出されるような、強烈な浮遊感に襲われた。ジェットコースターの頂点から落ちる瞬間の、あの内臓がひっくり返るような不快感。それが永遠に続くかと思われた後、俺は硬い地面の感触で我に返った。


「……ってて」


 体を起こし、泥だらけになった制服のズボンを手で払う。周囲を見渡して、俺は言葉を失った。


 さっきまでいたはずの、埃っぽい教室ではない。見渡す限り、どこまでも続く鬱蒼とした森の中だった。天を突くほどの巨木が何本も生い茂り、見たこともないシダ植物が地面を覆っている。鼻をつくのは、湿った土と腐葉土が混じり合った、濃厚な森の匂い。


 誘拐か? いや、それにしては規模が大きすぎる。まさか、とは思うが……。


(いわゆる、異世界転移ってやつか)


 普通なら、ここでパニックに陥るのかもしれない。けれど、俺の心は不思議なほど冷静だった。それどころか、未知の環境を前に、胸の奥で何かが疼くような、奇妙な高揚感さえ覚えていた。


「なんとかなるっしょ」


 いつもの口癖が、自然と唇からこぼれ落ちる。山登り、キャンプ、釣り、罠作り。サバイバルに関する知識と技術なら、誰にも負ける気はしない。俺にとってこの状況は、絶望ではなく、最高のフィールドが目の前に現れたようなものだった。


 まずやるべきことは、現状の把握と持ち物の確認だ。


 服装は学校の制服。ブレザーにスラックス。動きやすいとは言えないが、布面積が広いだけマシか。ポケットを探ると、いつも肌身離さず持っている相棒……十徳ナイフの冷たい感触が指先に伝わった。


(よし、これさえあれば百人力だ)


 愛用のクロスギア社製『エクスプローラー』。大小のナイフにハサミ、ノコギリ、缶切り、コルク抜きまで、小さなボディに十四種類ものツールが詰まっている。これ一つで、簡単なシェルター作りから食料の解体までこなせるはずだ。


 次に確認すべきは、生存に不可欠な三要素。水、火、そしてシェルター。


(この湿度と植生からすると、水場はそう遠くないはずだ)


 俺は辺りを見回し、少しだけ開けた場所にある小高い丘に目星をつけた。高い場所から周囲を見渡せば、川や沢の流れを見つけやすい。それに、獣道や周囲の警戒もしやすくなる。


 方針は決まった。まずはあの丘を目指し、水源を確保する。その後、日が暮れる前に風雨をしのげる場所を見つけ、火を起こして暖を取る。完璧なプランだ。


 俺が力強く一歩を踏み出そうとした、まさにその時だった。


「きゃあああっ!」


 森の静寂を切り裂くように、甲高い少女の悲鳴が響き渡った。かなり切羽詰まった声だ。しかも、そう遠くない。


(ちっ、誰かいるのか!)


 プランは即座に中断。俺は音のした方角へ向かって、全力で走り出した。邪魔な木の枝を手で払い、ぬかるんだ地面をブーツ代わりのローファーで蹴る。サバイバル知識は豊富でも、身体能力はただの高校生レベルだ。すぐに息が上がり、心臓が激しく脈打った。


 何だ? 熊か? それとも、もっとヤバい何かか?


 思考を巡らせながら茂みを抜けると、少し開けた場所で信じられない光景が目に飛び込んできた。


 緑色の肌をした、小柄な人型の化け物。尖った耳に、憎悪を煮詰めたような醜悪な顔。手には錆びたナイフのようなものが握られている。


(ゴブリン……マジかよ)


 ゲームや物語でしか見たことのないモンスターが、そこにいた。そして、そのゴブリンに組み敷かれ、制服の袖を切り裂かれている少女。見覚えのある顔だった。


 一ノ瀬結花。


 同じクラスの、物静かな女子だ。確か文芸部で、休み時間はいつも一人で本を読んでいた。俺とは全く接点がなく、まともに話した記憶もない。そんなか弱い印象の彼女が、今にも得体の知れない化け物に害されようとしている。


 助けなければ。


 感情よりも先に、体が動いていた。


 十徳ナイフを抜くか? いや、ダメだ。リーチが短すぎるし、相手も刃物を持っている。下手に接近戦を挑むのは得策じゃない。


 視線を足元に落とす。そこには、こぶし大の石がいくつも転がっていた。原始的だが、これ以上なく確実な武器だ。俺はその中から、一番手に馴染み、程よい重さのあるものを一つ拾い上げる。


 息を殺し、足音を立てないように、ゴブリンの背後へ回り込む。一ノ瀬を性的に襲うことに夢中になっているゴブリンは、彼女の服を破り脱がせていた。


「いやぁーっ! やめてぇーっ!」


 一ノ瀬は必死に股を閉じようとする。無理やり開かせようとするゴブリン。


 彼女の悲鳴のせいか、性的に夢中なせいか、ゴブリンは俺の接近に全く気づいていない。


(狙うは後頭部。一撃で、確実に沈める!)


 俺は渾身の力を込めて腕を振りかぶり、ゴブリンの無防備な後頭部めがけて、全体重を乗せて石を叩きつけた。


 ゴッ!


 鈍い衝撃が、腕を伝って全身に響く。頭蓋骨が砕ける生々しい感触。ゴブリンは呻き声一つ上げることなく、糸が切れた人形のようにゆっくりと前のめりに崩れ落ち、動かなくなった。


 ぜえ、ぜえ、と自分の荒い息だけが聞こえる。手に残る感触に一瞬吐き気を催したが、すぐに思考を切り替えた。


「大丈夫か!」


 俺は石を投げ捨て、恐怖で目を見開いたまま固まっている一ノ瀬に声をかけた。彼女は焦点の合わない瞳で俺を見上げ、か細い声で呟いた。


「さかきばら……君?」


「ああ。立てるか?」


 手を差し伸べると、一ノ瀬はおずおずと、震える手で俺の手を掴んだ。その手は、氷のように冷たかった。


 彼女を立たせ、改めて周囲を見渡す。ゴブリンの死体。怯えきったクラスメイト。そして、どこまでも続く未知の森。この最悪な状況を前に、俺は思わず乾いた笑いと共に呟いていた。


「……ああ、マジで。異世界でもサバイバルかよ……」


 一人なら気楽だったが、守るべき相手ができた。これは、想定外のミッション追加だ。

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