第二章 金烏と玉兎
昔々、といってもとても今に近い昔。鬼鳴市に引っ越して来た辰灯 翔烏は、どこにでもいる普通の子ども……ではなく、ほんのちょっぴり変わっていました。不思議な力で、家族を助けたのです。
辰灯家の血を引く者のみが、その力を以てお祓い棒を扱う事が出来ました。お祓い棒を受け継いだ者は、女は「龍巫」、稀に生まれる男は「龍覡」と、記録されていましたとさ。
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「じゃあ、私はその…龍巫になったの?」
「ええ、そうですね。ケイトは、貴方の想いに応えたのです。」
達也から連絡を受け駆け付けたすばるは、余程急いだらしく、ベージュ色の髪は少し乱れていた。
ケイトは「よもや、よもや」等と声を上げながらくつろいでいる。
「鬼鳴様を鎮める……それが初代龍巫、ワタシ達のご先祖様の最初の仕事でした。」
古びた巻き物を広げながら言った、すばるが指差す先には「辰三」、と書いてあった。他にも、
「辰灯 星宗」
「辰灯 綺羅」
「辰灯 凰景」
……それから、私のお母さんの、
「辰灯 宵里」
おばさんの
「平巳 明里 」
従姉妹の
「平巳 結兎」
……他にもたくさんの名前があったし、星宗さんの辺りに「江戸時代天明」とか書いてあったが……人の名前はこれくらいしか覚えられなかった。この人達が全員、私と血がつながっていると考えると、ちょっとワクワクした。
「……正直、もうこんなことは起こらないと思っていたんです。……いえ、思いたかったのかもしれません。」
すばるは、一昨日の様に眉に皺を増やしていた。
「悪さをする様な霊や妖怪は、今の時代では殆どいなくなりました。鬼鳴様も、話に聞いていたよりとても静かで……だからワタシは、龍巫を止めようと思っていたんです。」
「えー!じゃあ私やるよ!龍巫!また禍煙が出るかもしれないよ!何とかしなきゃ!」
「龍巫は遊びではないのですよ。」
すばるの眉の皺に、なんだか上からのし掛かられている様な圧力を感じた。
「……私のお母様、凰景は、龍巫になったせいで亡くなったのです。……ワタシは例え拒んだとしても龍巫にならざるを得なかった。だから娘達や孫達に、死んでしまう様な重荷を背負わせたく無かった。」
すばるの黄色い瞳には、ほんの少し、涙が浮かんでいる様に見えた。
死ぬかもしれない。その事を本気で考えるのは、今日が初めてだった。あの時だって、死んでしまうかもしれなかった。今から身体が震えてきた。死とは、これ程までに恐ろしかったのか。
「辰灯 翔烏。今一度、貴方に問わねばなりません。」
フルネームで呼ばれた。いつも翔烏ちゃんと呼ぶのに。今日のおばあは、何か違う。
「貴方は龍巫として、人や妖怪を、守る覚悟がありますか?」
守る、覚悟。
そんなことを言われても、いまいちピンと来なかった。守る……?覚悟……?
「すばるさん!翔烏はまだ9歳です!そんな難しい質問は…」
「この子はそこらの同い年の子どもより、ずっと聡い子ですよ。翔烏ちゃん、今すぐでなくても構いません。後でゆっくり考えてごらんなさい。」
いつものおばあに戻った。戻ったが、さっきの鬼気迫る表情は、自分の中に深く入り込んで消える事が無かった。
「それに、もうじき学校に行く時間でしょう?」
「あっ!!そうだった!こんなことしてる場合じゃない遅刻しちゃう!!」
「落ち着いてくださいお嬢様!まだ時間には余裕があります!はい!ランドセル!上履き!白衣、体操服!OKでございます!」
物凄い勢いで必要な物を準備してきた。流石エミー、用意周到だ。
「じゃあすばるさん、そろそろお暇します。……といっても貰った家ですけど。」
「ええそうですね。ワタシがお暇しましょうか。」
「またねおばあ!達也!早く!」
「ポペパピパポ~!」
ケイトは素早くランドセルの中に潜り込んだ。
「…あっそうだ!」
翔烏は玄関の棚に飾られた、一枚の写真に目を向けた。達也と昴も続けて、目を向けた。
「…お母さん、いってきます!エミーもいってきます!」
「宵里、エミー、行ってくるよ。」
「……もう行きますね。よっちゃん。エミー、この家を頼みますよ。」
三人とケイトはエミーに見送られながら家を出て、翔烏と達也は岡美小学校の方に向かっていった。
担任の先生と達也とで三者面談をした後、翔烏は先生の合図があるまで教室の側で待機する事になった。
「今日から皆と勉強する仲間が一人増えます!入ってきてください!」
先生の合図で戸を開いた瞬間、教室中が騒がしくなった、多分、髪と瞳のせいだ。
「それじゃあ辰灯さん、自己紹介お願い!」
「はい!…えっと…辰灯 翔烏です。……えー……よろしくお願いします!」
もっと言いたい事があった筈なのに、いざ皆の前に立つとろくな事が言えなくなってしまった。
それでも、皆は拍手して出迎えてくれた。
「平巳さんの隣が空いているから、そこに座ってね。」
平巳?驚いて顔を向けると、藍色の長い髪に緑色の瞳の吊り目、大きな水色のリボンを付けたぽっちゃり気味の女の子が笑顔で手招きしていた。それに導かれる様に机に座ると、
「よろしくね!あたしは平巳 結兎!あたし達多分従姉妹だよね?仲良くしようね!もちろん従姉妹じゃなくても!」
「うん。従姉妹じゃなくても仲良くしようね。従姉妹だけどね。」
互いにくすくすと笑い合った。
「はい!転校生が気になるのは分かるけど、まずは授業をしましょうね!」
先生の一声で騒がしかった教室は静かになった。
授業が一旦終わった昼休み、翔烏は、クラスの注目の的になっていた。噂を聞きつけた別のクラスの生徒までやってきていた。
「辰灯さんの髪真っ白!」
「目は真っ赤だねー!ウサギみたい!」
「ドッジボールやらないか?ドッジボール!」
「えー…えっと……。」
皆が一斉に話しかけてくる為、翔烏はどこからどう話したら良いのか分からなくなってしまって、思考がぐるぐると巡る。
ドッジボールはともかく…髪と目の色を珍しがられるのは、初めてではない。今みたいに同い年の子達からも、ご近所さんからも…それから親戚も。そもそも辰灯家は、珍しい髪色や瞳の色をしている人が多いが、自分はその中でもとても珍しい色らしい。
「皆!翔烏ちゃんが困ってるよ!」
見かねた結兎が助け船を出してくれた。正直ほっとした、ありがたい。と翔烏は思った。
「あっ、ごめんなさい!」
「しょうがねえなー、ドッジボール!やりたくなったら運動場に来いよー!」
クラスメイト達はそれぞれ散っていった。
「ごめんね翔烏ちゃん、皆転校生を珍しがってるだけだから。あと髪と目の色も、かな。あたしは可愛いと思うよ!」
「…うん!ありがとう!」
「ドッジボールやりに行かない?寅ヶ屋君、待ってると思うよ!」
「うん!」
転校初日、どうなる事かと思ったが、なんとか楽しくやっていけそうだ。
翔烏はそんな希望を抱きながら、結兎と運動場に向かった。
放課後、帰り支度をしていると、結兎が、
「放課後予定空いてる?うちに寄ってかない?お菓子屋さんなの!」
と声を掛けてきた。
お菓子、翔烏はその言葉で目を輝かせながら二つ返事で
「行く!!」
と言った。達也には、友達と遊ぶので遅くなるとスマホで連絡した。
結兎の家に行く途中、自分の家を通り過ぎ、ショッピングモールがある方角に差し掛かった。
「ここだよ!」
そこは二階建ての建物で、一階に「Orb Rabbit」と書かれた看板が掛かっている洋菓子屋だった。結兎に促され、中に入ると、ケーキ、シュークリーム、兎の形をしたチョコレート…いろんなお菓子が並んだショーケースの前に、
ピンク色の髪に水色の瞳をした女性と、奥の厨房に男性がいた。結兎の両親だ。
「パパ!ママ!ただいまー!」
「あら、おかえりなさい。その子は…翔烏ちゃんね!久しぶり!覚えてる?赤ちゃんの時よく遊びに来てた明里おばさんよ!」
「えーと…ごめんなさい…よく覚えてなくて…。」
何だか申し訳ない気持ちになった。
「…そうよね。しょうがないわ。まだほんの赤ちゃんだったもの。久雄ー!結兎が翔烏ちゃんを連れて来たわー!何かお菓子でも作ってやってちょうだい!」
明里が厨房に向かって声をかけると、「おう!」と返事が返ってきた。
「あの、お金、そんなに持ってません。」
「良いから良いから!大丈夫!」
結兎は朗らかな笑顔を浮かべて言った。明里も頷いている。会ったばかりでこんなによくしてもらえるなんて、なんだか胸が暖かくなった。
「二階に行こ!二階があたし達が住んでるとこなの!」
結兎の両親に「おじゃまします」と声を掛けてから、二階に昇ると、
二人の、多分同い年くらいの、赤いちゃんちゃんこに、中学校の制服?の様な服を着て、下駄を履いた子どもが立っていた。子ども達は手を繋いで、微笑みながらこちらに視線を向けている。
「はちはち、こいこい!ただいま!」
「兄弟なの?」
「うん!お兄さんとお姉さんみたいな感じ!二人ともあたしが生まれる前からこの家にいるってパパとママが言ってた!」
翔烏は、妖怪だろうとは思っていたが、年上だとは思いもよらなかった。驚いて見ていると、二人はくすくすと笑い、カランコロンと下駄の音を響かせ消えていった。
結兎ちゃんとテーブルでくつろいでいると、
「そういえばさ、噂で聞いたけど、魔法使えるって本当?」
心臓がドキッとした。従姉妹になら、話しても良いだろうか?不用意に話して、学校で広まったらどうしよう…そんな不安を察してか、不安が顔に出ていたのか、結兎は、
「大丈夫!この街の人達は魔法ぐらいじゃそんなに驚かないよ。皆当たり前なの。妖怪とか…不思議な力とか。それにあたしもね!出来るよ魔法!ほら見て!中指と…薬指を…離せるっ!」
結兎がとても真剣な顔で「魔法」を使った為、思わずプッ、と吹き出してしまった。結兎もつられて、一緒に笑った。
「私も魔法、使えるよ。見てて…。」
ランドセルの中に隠れていたケイトが、「魔法!」と呼応するように出てきて、杖の形に変わった。
「この子がお祓い棒!初めて見た!」
結兎の瞳は星の様に輝いた。
「動け!」
置いてあったウサギのぬいぐるみに杖を向け声を掛けると、ぬいぐるみは一人でに立ち上がり、手を降った。
「おおー!魔法って凄い!!」
「ねー、凄いよね。」
二人で話し込み、用意してもらった店の名物だという「オーブラビット」という丸いウサギの形をしたチョコレートに舌鼓を打っていると、あっという間に時間が過ぎ、結兎ちゃんとは「じゃあまた学校で!」と挨拶を交わして別れ、家に帰った。
新しい学校に少し不安もあったが、友達が一緒ならならきっと、大丈夫だろう。
翌日、何故だか外は雪景色と化していた。しかも吹雪いている。今は春なのに。
「こりゃあただの雪じゃねえぞォ。」
「そうだね。全く今時こんな大それた事するなんて…。」
ふと横を見ると、猿の様な妖怪と、白い狐の妖怪がいた。
「始めまして龍巫様。僕はこの街の稲荷神社を担当している言迷だよ、よろしくね。」
「そして俺は心見!人間からは覚って呼ばれてるもんだ。…「何だこの怪しい連中は」と思ってるなァ?」
心見が額の目を開けたかと思うと、突然そんな事を言い出した。確かに、そう思っていた。
「心見、失礼だよ。それに今はぐずぐずしている場合じゃ…」
「分かってるってェ、宮仕えはお堅いねェ。龍巫様ァ、気を付けろ。この吹雪、妖怪が絡んでるぜェ。ケイトを見てみな。」
言われてケイトに目をやると、「危険、危険」と機械的で緊張感の無い声を上げており、そして紙垂の様な尻尾が光り、妙な方向を向いていた。
「その尻尾が差す方向に妖怪がいる筈だよ。」
この間のポルターガイストに続いてまた事件だ、しかも今度は街全体に。何だか急に怖くなってきた。自分に龍巫なんて大役、勤まるだろうか…?
「貴方は龍巫として、人や妖怪を、守る覚悟がありますか?」
すばるの声が、いないのに聞こえてくる様な気がした。
「不安だって思ってるなァ?心を見なくても分かるぜ。安心しなァ、俺達も行く。」
「君のおばあさんに頼まれたんだ。僕達は古くからの知り合いでね。」
おばあの知り合い…実力の程はよく分からないが、一人で行くよりずっと心強い。さっそくケイトの尻尾が差す方へ三人で向かった。
……その後ろ姿を、結兎が見つめていた。
向かっていく度、吹雪は強まっていく。魔法の火でなんとか暖まっているが、普通ならこんな薄着では凍え死ぬレベルだ。
尻尾の差す方に、人影が見えてきた……黒髪で、水色の瞳に雪みたいなハイライト、そばかすがあるワンピース姿の中学生くらいの背丈をした女性だった。
「あれは雪女だよ、そうだと思った。」
「待て、ありゃ俺の知り合いだぞ…六雪!何やってんだァ!」
雪女、六雪はこちらに向き直り、満面の笑みを浮かべながら。
「何って雪を降らしてるのよ!一年中雪景色なんてチョベリグーでしょ!?」
チョベリグーって何だろう…いやそれより、六雪から嫌な気配を感じる、この間のと同じ…。
「禍煙に、憑かれてる…!?」
「どうやらそのようだなァ、流石龍巫様、グッドな推理だぜェ。」
「禍煙は龍巫の力でなければ倒せない。僕達が何とか動きを止めるから、その隙に一撃決めてくれ!」
「私の邪魔するの!?全員グロッキーにしてやるわ!!」
翔烏は、大きく息を吸った。冷たい空気が、骨の髄まで流れ込む。大丈夫。自分ならやれる……。
「変身!」
変身し、姿が変わった翔烏は、作戦通り動きが止まるタイミングを伺っていた。が、なかなかそのタイミングは訪れない。
「そこ!なにじろじろ見てんだっちゅーの!」
巨大な氷柱が襲ってきた!バリアを張って防ぐ。
「おっと!君の相手は僕達だよ!」
「目を覚ませよ六雪ィ!お前そんなキャラじゃなかったろ!」
「冗談はよしこちゃん!私はちゃんと私なんだけど!?」
猛烈な吹雪が六雪の周りから吹き荒れ、二人が吹き飛ばされた。
「心見!言迷!」
二人を吹き飛ばした六雪は、翔烏に向き直った。
「次は貴方の番よ龍巫ちゃん、コテンパンにしてあげる!」
翔烏の杖を持つ手に、力が入る。一人で、倒せるだろうか?
その時、雪玉が六雪目掛けて飛んできた。飛んできた方に目をやると、防寒具を着込んだ結兎がいた。六雪の方は、あまりに突然の出来事に驚いて氷の様に固まっている。
「…今だ!「電光石火」!!」
結兎ちゃんが作ってくれた隙、逃す訳にはいかない。全速力で六雪に突っ込んだ。
…六雪は倒れ、黒い煙が身体から出ていった。雪も嘘の様に消えた。やった、勝った。凄く疲れたが、今回は足の力が抜けずに済んだ。
「……あれ?私何してたんだろう。」
六雪が目を覚ました。先程より、瞳が輝いている様な気がした。
「龍巫様に助けてもらったんだよ。」
「そうそう。俺らもちょっとは協力したけどな。礼なら龍巫様とその人間に言いなァ。」
翔烏と結兎は、一瞬驚いたが顔を見合わせて笑った。
「そうだったのね!ありがとう二人共!私はもうこの通りバッチグーよ!」
バッチグーの意味は分からなかったが、グーサインをしているので元気なのは分かった。
結兎は、
「あたし結兎!こっちは翔烏ちゃん!よろしくね!雪女って初めて見た!着物は着てないんだね?」
と六雪を質問攻めにしていた。
「ところで龍巫様とそのお友達さんよォ、学校にはいかなくて良いのかい?」
暖かさが戻ったのに、ゾワッ、と背筋が凍り付く様な感覚が走った。そうだ。もうとっくに登校時間は過ぎている。
「…そうだった!こんなことしてる場合じゃない遅刻しちゃう!!してる!!」
「翔烏ちゃん!魔法!魔法でランドセル取ろう!!」
二人で慌てふためいている横で、三人の妖怪達は呑気に他愛もない話を始めた。
「あらあら、ヤングって良いわねぇ。」
「お前だって若い方だろォ、妖怪の中じゃ。」
「この中じゃ君が一番年長だね。」
こうして、ひとまず事件は終わりを告げた。しかしそれは、新たな災厄の始まりに過ぎない。
煙の奥には、確実に火が燻っていた。