10 手を繋ぐということ
side レイン
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夕食後、恒例となったスキンシップ治療をすることにした。
事情を全て話していなかったというのに、セレンは受け入れるだけでなく、一緒に改善してくれようと毎日協力してくれている。
先日の握手は五分までクリアした。分厚いグローブをつけて、だが。
次の私たちへの課題は「手を繋ぐ」
握手と違ってぐっと恋人らしいスキンシップになる。
なんとなくハードルが高く感じるのは、ただ触れる、だけでなくその先に繋がる行為を連想してしまうからだ。
いや、手を繋ぐなんてただエスコートするため、踊るためだ、と自分に言い聞かせる。恋人でない人でもすることだ。
「触れる面積的には握手と変わりませんからね。むしろぎゅっと握る握手より密着もしていないですし。理屈上では問題はないと思ってやりましょう」
カーティスはそう言って先日と同じ分厚いグローブを渡してきた。
隣りに立つセレンが小さく頷いてくれるから、グローブをはめた私はセレンに手を差しだした。
「セレン」
小さな声で呼ぶと、彼女はそっと手を乗せてくれる。私の手は緊張していて随分冷えていたのだろう。セレンの手がやけに温かい。私は親指をセレン甲に乗せた。
「はい、五秒たちました!」
カーティスのカウントで私たちは手を離した。グローブを外して確認するが、特に変化はなさそうだ。誰かと手を繋いだのは七年ぶりだ。
「どう?」
心配そうにセレンが私の手を覗き込む。手を見せると彼女はホッとした表情を浮かべた。
セレンの表情はいつでもほとんど変わらない。しかし彼女は根は素直な人だ。顔を見なくても身体の動きで伝わるものがあった。
「今のところは問題なさそうですね。それでは経過を見ましょうか。何かあれば呼んでくださいね」
カーティスはそう言って自分の仕事に戻っていく。
先日セレンから卵をもらった、それさえ押せばカーティスに通知がいくようになっている。しかし……
「セレン、君が探していた魔法生物の論文をを見つけたんだけど読まない?」
私の言葉にセレンの動きが止まるのを見逃さない。
「行くわ!」
笑顔こそないけれど、口調は明るい。よかった、喜んでくれた。
「私の同僚が魔法生物について調べていてね、たまたま持っていたんだ」
「あなたの職場の方はなんでも持っていらっしゃるのね」
「魔法省にいる人間なんて、魔法が好きな貴族ばかりだからね。君のお祖父様のように集めるのが好きなんだよ」
――存在しない同僚だ。魔法生物の申請に来た研究者に何人も相談をしてなんとか探し出したのだ。
部屋に入り、論文を渡すと彼女はソファに腰掛けてそれを読み始めた。セレンの研究に使えそうな物らしい。
セレンはいつも読み始めて数分立つと、自分の世界に入り込む。こちらが近くを動いていても全く気にならないようだ。
私はいつものようにお茶の用意を頼んでからソファに座った。
セレンは真剣に読み込んでいるから、多少苦労してでも見つける事ができて良かったと思う。
こうやって彼女にあれこれ探してくるのは初めは罪滅ぼしの気持ちだった。
「触れるな、触れない」という女性にとっては厳しい条件を受け入れてくれた。それならばせめて家族として大切にしようと思ったのだ。
「優しくされたらレイン様のことを好きになりませんか?愛を返せないのに優しくするのは残酷でもありますよ」とカーティスに言われた。
しかし彼女は愛することに怯えていた。今彼女が必要なものは恋人のような夫よりも、誠実さなのではないかと思った。
愛せないと突っぱねて適度に距離を取るのも優しさだとは思うけど、家族として大切にしたいと思うのは間違いじゃないはずだ。
と思ってはいるのだが、心からの自信はなく。小手先の罪滅ぼしで彼女が求めているものを探してきているというわけだ。情けない話だが。
でも、それだけじゃない。
魔法のことになると子供みたいに見える彼女を見たかったし、こうやって一緒に過ごしたい、そんな気持ちもある。結局それは自分のためでもあるが。
手の中で卵を転がす。今まではスキンシップを試した後の待機時間にセレンと過ごせたのに、言い訳がなくなってしまった。便利なものは利点だけではないようだ。
気づけば紅茶が運ばれてきて、部屋に香りが充満する。
私とセレンの距離は、壁の花時代から変わらず一メートル。この距離が今は心地良い。
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side セレン
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スキンシップ治療の中で一番苦労することは、五分間触れ続けることだと思う。
先日「握手する」をクリアするために私たちは五分間向き合って握手をしたのだ。五分、何もせずに向き合って握手をし続けるというのは前世から考えても初めての経験だし、正直あまり積極的にしたいものではない。
顔を見つめるのも気恥ずかしいし、かといってずっとそっぽを向いているのも変だ。触れること自体が嫌ではないのだけどどうしても気まずさがあった。
「手を繋ぐ」は昨日一分をクリアしたから、今日は五分に挑戦することになる。
いつものように仕事から帰宅して、夕食を食べて、スキンシップ治療の時間だ。
「今日は五分だね」
「ええ」
「五分、手を繋ぎながら庭を散歩するっていうのはどう?」
「そうしましょう」
レインの提案はとてもいいアイデアに思えた。少なくともこの部屋で五分手を繋ぐだけよりよっぽどいいはずだ。
「それなら私は家の中に残っていますよ。異変があれば卵でお知らせください」
「わかった。それじゃあ行こうか」
カーティスの言葉を受けて、レインは私に微笑んだ。
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私たちの屋敷はさほど大きくない。彼の領地にある館は大きいのだろうが、この家は王都の住宅地の一角にある。庭といっても、前世の私が思い浮かべる日本の少し大きな一軒家の庭だ。正直散歩と言っても、三分もあれば端から端まで歩けてしまう。
「散歩って程でもないけどね」
同じことを考えていたレインが笑う。
「それじゃあお願いします」
そう言ってレインは私に手を差し出した。私は昨日までのようにそっと手を乗せる、すぐにレインは小さく握り返す。
「大丈夫そう?」
「うん、全然平気だよ。歩こうか、エスコートの練習にもなるんじゃない?」
「ええ」
レインが私の手を取って歩き出す。堂々としていて、この様子を見てレインが女性に触れられないだなんて誰も思わないのではないだろうか。
「狭い庭をウロウロするのもなんだし、座る?」
庭の隅に設置してあるベンチに私たちは腰かけた。もちろん手は繋いだまま。
「この庭じゃやっぱり散歩にはならなかったね」
レインは苦笑しながら言った。
「でも部屋よりこちらの方がいいわ」
風が頬に刺さる。夜の新鮮な冷たさが気持ちいい。
「今日はよく星も見えるしね」
レインはそう言いながら空を見上げた。私もつられて見上げる。こうして空の星を眺めたのはいつぶりだろうか。
フォーウッド領にいた頃はよくこうして空を見ていたけれど、王都に出てきてからは日々忙しく夜は身体を休めるだけで、時間を作ることはなかったかもしれない。
「五分経った」
懐中時計を確認したレインが言うから、私たちはぱっと手を離した。
「夜にこのベンチに座るのは初めてかもしれない」
レインはまだ空を見上げている。
「夜にあえて時間を作るのもいいものだね。私はもう少しここにいるよ」
レインの瞳は夜空の星のキラキラが反映されたみたいだ。
「私もここにいていいかしら」
彼の手のポケットの中にはあの卵がある。卵があれば隣に居続けなくてもいい。でも治療関係なく、まだここにいたかった。
「もちろんいいよ」
手を繋ぐことはもうない。肩が触れそうで触れないそんな距離。
今はそんな距離がちょうどいい。
でも。
もし、このまま治療がうまくいって。レインが女性に触れられるようになったなら。その後も私はレインの妻でいられるのだろうか。
私は転生してきて、きっと悪役令嬢で、こんな治療なんてしなくても一瞬で彼の心を溶かすヒロインが現れるかもしれない。
いつまでもこの距離でいられるんだろうか。
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翌日、仕事が終わり建物を出ようとすると守衛のおじいさんに声をかけられた。
「お疲れさまです。あなたが来たらお渡しするように言われていました」
いつも優しくニコニコしているおじいさんは私に手紙を差し出した。
「これは……?」
真っ白の封筒で宛名も差出人もない。「誰からでしょうか」
「若い男性でしたよ。私は知らない人ですね」
レインからだろうか。急ぎの用かもしれないと私はその場で封を開けてみた。
「……!」
中に入っている折りたたまれた紙には「レイン・リスターとは別れろ」「セレンは僕の物だ」と書かれた紙が二枚入っていた。




