10年目の真実〜コレットとクロードの場合〜
「奥様、本宅の執事が病で亡くなられたそうですよ。」
「そう。それはさぞかしクロード様は落胆されているでしょうね。まだ40歳くらいではなかったかしら?お悔やみを述べに本宅に行かなくてはならないわね。」
侍女の報告に、自室でお茶を飲んでいた私はため息をついた。
夫のクロードとはここ十年別々の屋敷で生活していた。必要最低限の社交のみ二人で参加するが、それ以外の交流はほとんどない仮面夫婦であった。
クロードは、両親が事故で早世したため15歳の若さで爵位を継いだ。その事故にその当時の執事も巻き込まれて亡くなったため、その息子のフェリクスも20代半ばの若さで執事となった。若いクロードとフェリクスは二人で力を合わせてなんとか侯爵家を管理してきたのだ。
裕福な公爵令嬢であった私は、舞踏会でクロードを一目見て熱烈な恋に落ちてしまった。艶やかな黒髪と緑の目を持つクロードの美貌は、当時、社交界一と噂されるほどで、たくさんの令嬢達の熱い視線を集めていた。私はお父様に頼み込み、何とかクロードとの婚約を取り付けた。有力な後ろ盾を持たないクロードにとっても、私との縁談は渡りに船だったはずだ。クロードが20歳、私が18歳の時に私たちは結婚した。
しかし、幸せなはずの結婚生活は長くは続かなかった。ある夜私はクロードの部屋から人目を避けるように出てくるフェリクスを見てしまった。フェリクスの服装は乱れており、明らかに情事の後のようだった。不振に思った私は、侯爵家の侍女にお金を握らせて、二人が昔からの恋人同士であるという事実を聞き出したのだ。
結婚後のクロードの態度もおかしかった。人前では私の事を優しく扱ってくれるが、二人きりになると、冷たい、さげすむような視線を向けてくるのだ。寝室での態度もひどいものだった。義務感からしかたなくベッドを共にしている事があからさまで、私が妊娠したのを機に、私たちは二度と寝室を共にすることはなかった。
私は結婚から1年後に、長男のシャルルを出産した。出産を機に本宅を出て、今住んでいる郊外の城に住居を移した。現在、息子のシャルルはクロードの住む本宅と私が住む郊外の城の半々で養育されている。
私は侍女を連れてレールマン侯爵家の本宅に向かった。案内された部屋には、執事のフェリクスの亡骸がまだベッドに横たわっており、その前に置かれた椅子には、頭を抱え、下を向いているクロードが座っていた。
「クロード様、奥様が見えられました。」
案内の侍女の言葉に、クロードはゆっくりと振り返り私を見た。今年30歳になるクロードの美貌はまだ衰えを見せてはいなかったはずだが、今日はその美貌も見る影なく憔悴し、泣き腫らしたであろう目は赤く充血していた。
「あなた。この度はご愁傷様でした…。」
「コレットか。よかったらそこに掛けてくれ。」
私は夫が指し示した椅子に腰かけ、他に掛けるべき言葉を思い浮かばなかったので、黙ったまま座っていた。よく見ると、夫の手には手紙らしきものが握られていた。
「それは、フェリクスの遺言状ですか?」
夫は私の言葉に一瞬ビクリとし、手に持った手紙を眺めた後、それをゆっくりと私の方へ寄越した。
「コレットもこれを読んでくれないか?」
私は夫からその手紙を受け取ったが、フェリクスの夫へ宛てた最後の手紙を読むのは正直恐ろしかった。
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クロード様
クロード様がこの手紙を読んでいるころ、私は既に天に召されていることでしょう。ずっと言いたくて言えずにいた私の罪を告白させてください。
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その手紙はフェリクスから夫への告白状のようだった。
「このような手紙を私が読んでも良いのでしょうか…?」
夫に聞くと、夫は私を見ないまま「いいから読んでくれ。」とつぶやいた。
私は気が進まないながらも仕方なくその手紙を読み進めた。
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クロード様と奥様の婚約が決まったとき、クロード様は私に仰いましたね。
「この婚約はレールマン侯爵家のために行うものだ。王家を通じた正式な申し込みを理由もなく断る事はできない。それにいずれは貴族として後継者を残すという義務を私は果たさなければならないのだ。しかし、フェリクス、私の心は一生おまえのものだという事を忘れないでほしい。」と。
私は顔には出しませんでしたが、クロード様の言葉が震えるほど嬉しかったのです。貴族として結婚は免れない責務だと分かっていましたが、やはりクロード様の婚約は私の心に暗い影を落とすものでした。しかし、この言葉で私は救われたのです。新しい奥様にも心からお仕えしようと思いました。
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そこまで読んで私は思わず手紙から目を反らした。驚いたことに、こうして二人が恋人同士だったという現実を突きつけられると未だに心が痛むのだ。私は続きを読みたくないので、夫の方をちらりと見たが、夫は相変わらず両手で頭を抱えて下を向いたままだったので、しかたなく続きを読むことにした。
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しかし、クロード様はコレット様との顔合わせから戻られると、興奮した顔でおっしゃいました。
「あんなに美しく、気高い人は初めて見たよ。公爵令嬢だというのにおごったところは一つもなく、とてもお優しい方だった。これが一目惚れというものだろうか。…フェリクス、本当にすまない。不実な私を許してくれ。この気持ちを無かった事にはできない。」
「心は私のものだ」と言ったその舌の根も乾かない内の心変わりに、私の心は張り裂けんばかりに荒れましたが、表面上は何事も無かったかのようにクロード様の初恋を応援すると伝えましたね。
そう、これが正にクロード様の初恋でした。私を思う気持ちは恋とは違うという事にあなたは気づかれたのですね。それ以降、私たちは特別な関係を解消し、ただの執事と主人に戻りました。
しかし、私はこの時誓ったのです。決してお二人に幸せな結婚生活など送らせるものかと。
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私は驚きのあまり、手紙を持つ手が震えた。夫とフェリクスの関係は結婚後も続いていたはずだ。それに、私の事を愛していたのなら、なぜあのような冷たい態度を取ったのであろうか?
その答えはこの告白状に書かれているに違いないと思い、私は先を読み進めた。
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お二人が結婚したあと、私はわざと奥様に見つかるように、夜中に旦那様の部屋から乱れた姿で出てきました。不振に思った奥様は侍女に私と旦那様の関係を問い質すでしょう。私たちが恋人同士だった事は、侯爵家の人間には周知の事実でしたから、侍女はそのように証言するはずです。奥様は簡単に騙され、私と旦那様が恋人の関係を続けていると信じました。
クロード様には、奥様が書いた手紙を偽造して読ませることで、奥様には別に恋する殿方がいると信じ込ませました。あなたは嫉妬に駆られ、冷静さを失い、いとも簡単にその手紙を奥様が書いたものだと信じましたね。私は奥様の侍女と通じて手紙を入手できるよう手配したと旦那様に告げ、何度も偽造した手紙をクロード様に読ませました。
「体は夫のものになっても、心は何時までもあなたのものです。ベッドで過ごす時は、目を閉じていつもあなたを思っています。」
という文章を読んだとき、クロード様は本当にショックを受けたお顔をされていました。
お二人の関係は急速に悪化し、そんなお二人を見て私は心の中で快哉を上げました。
しかし、時が経つにつれ罪悪感に苛まれるようになりました。私は幸せな結婚生活を送るはずだった夫婦の関係を壊したのです。特に何の罪もないシャルル様が、お二人の仲が悪いことでさみしい思いをしている事実は私にとってつらいものでした。しかし、私は恐ろしくてどうしても自分の罪を告白する事ができませんでした。
私は自分が死の病いに冒されていると知ったとき、天罰が下ったのだと思いました。私のしたことは到底許されることでは有りませんが、私の事をわずかでも哀れに思うのであれば、私の最後の願いを叶えていただけないでしょうか?私の最後の願い、それは、お二人が関係を修復し、シャルルさまと3人で幸せに暮らす事です。
レールマン家執事 フェリクス・ゴードン
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手紙を読み終えた私は呆然としてしまい、言葉が出なかった。簡単には信じられない内容だった。夫に目を向けると、夫はこちらを向いていた。その時、夫の目に溜まった涙が一筋零れ落ちた。
「コレット…本当にすまない。全て私が悪いのだ。嫉妬に駆られ真実を見ようとしない私が愚かだった。」
気が付けば私の目からも涙が溢れていた。思い返せば、婚約期間中の私たちは本当に仲が良かったのだ。私はクロード様から愛されていると信じて疑わなかった。
「私も愚かでしたわ。急に冷たい態度を取るようになったあなたを恨み、自分を憐れむばかりでした。私たちはこうなる前にもっと話し合うべきでしたわね。」
「ああ。シャルルにもつらい思いをさせたな…。」
夫はまた下向いて、震える声でつぶやいた。
「私たちはやり直せるだろうか?」
私は立ち上がって夫の椅子に近づくと、そっと手を夫の肩に置いた。
「ええ。やりなおせますわ。それがフェリクスへの供養にもなりますもの。」
夫も立ち上がると、私を恐々と引き寄せ、そっと両手を私の背中に回した。
「愚かな私をゆるしてくれコレット。一目見たときからずっと君だけを愛している。愛している故に君の心が自分に無いことが許せなかったんだ。」
「わたくしもずっとお慕いしていました。父と王家を動かして、裏から手をまわしてでも婚約したいと思うほどに愛していますわ。」
夫は驚いた顔をして、私を見つめた。
「そんな事が…。知らなかったよ。」
「わたくしたち、お互い愚かでお似合いの夫婦ですわね。」
そういって私たちは微笑みあった。
フェリクスの葬儀を終えると、私は郊外の城からクロードの住む本宅へ居を移した。
すっかり仲良くなった私たちを見て、息子のシャルルも幸せそうだ。来年あたり、シャルルに妹か弟が生まれるかもしれない。
愚かな誤解で10年を無駄にした私たちは、これからは隠し事をせず、思ったことは何でも話し合うと決めたのだった。
おしまい。
今回は短めのお話です。