第一話 秘密の逢瀬
「ああ、オンブルさん! お逢いしたかったですっ!」
「私もです、ルミエール様」
ひと月ぶりに愛する相手に逢えた喜びに、二人は顔をほころばせた。
ここは王都のはずれにある小さな館のロビー。
見つめ合う時間も僅かにルミエールがオンブルの胸に飛び込んだ。
「もう離れたくない」
「……今日は少し時間があります。お茶を飲みながらゆっくりお話ししましょう」
ルミエールとオンブルは、この小さな館で月に一度の逢瀬を重ねていた。
堂々と逢えないのには訳がある。
彼女はガルシア辺境伯の一人娘で、今は王都にある別宅に住んでいた。
地方領とはいえ名門貴族ガルシア家の令嬢、本来であれば人付き合いは男女を問わず当然に貴族同士であるべきだ。
だが、ルミエールを優しく抱きしめるこの男性は平民であった。
平民との逢瀬、それだけでも貴族間では侮蔑や嘲笑の対象になりかねず、世間の目が気になる事柄である。
だがオンブルには、それよりもずっと複雑な事情があった。
彼は、国王の影武者なのだ。
「私が陛下の影武者であるばかりに、貴女にはつらい思いをさせてしまっている」
「それは承知の上です。一緒に街を歩けば、周りの者が貴方を陛下だと思うのですもの。それだと私は、王妃アドレーヌ様を差し置いて陛下にちょっかいを掛ける不埒者にされてしまいますから」
そうなのだ。
影武者にも色々いるが、オンブルは顔だけでなく背格好も国王とそっくりなのである。
侵略を繰り返す隣国の刺客から国王を守るため、青年のころからずっとオンブルが影武者を務めているのだ。
影武者のオンブル。
ルミエールにとって、彼は人生の全て。
彼女は学力も習い事も人並み程度。
最初から備えていた辺境伯の令嬢という立場以外、自分には何もないと思っていた。
そんな自分を変えたくて、貴族魔法学院では前向きに魔法へ取り組んだ。
しかし彼女に発現した固有魔法は、服のポケットの裏地を出すという大変個性的なもの。
それが役に立つ場面など想定できず、努力は無駄になった。
そんな中、勇気を振り絞りオンブルへ気持ちを伝え、その彼と想いが繋がったことだけは彼女が自力で得た結果だった。
「私は貴方に逢えるなら……、こうして抱きしめてくださるなら、それで十分幸せなんです」
「ルミエール様を幸せにしたい。私はずっとそれだけを願っています。でも平民で影武者の私には、これ以上のことはどうしたらいいか……」
「貴方と結婚できたなら……、それは私も思います。でもそれは夢。夫婦に憧れてはいますけど、でも夢なのです」
「……貴女と私は互いに想いあっている。立場さえ違えば何とかできるのに……」
「いいのです。でも気にしてくださるのなら代わりに……」
そう言うと、ルミエールは顔を上げて目を閉じた。
オンブルは、白く美しい彼女の首筋に触れてから優しく唇を重ねると、そっと彼女の腰に腕を回して隣の応接室にエスコートするのだった。
互いを想いあう、辺境伯の令嬢ルミエールと影武者のオンブル。
二人の秘密の逢瀬は、当時、貴族魔法学院に在学していた彼女が、間違いで彼に愛の告白をしたところから始まった。
◇◇◇
貴族魔法学院へ通うルミエール辺境伯令嬢は、校舎裏で第一王子ソレイユを待ち伏せしていた。
想定通りやって来たソレイユに意を決して近づくルミエール。
二ヶ月前からのソレイユの急な変化に、ルミエールは心を奪われていた。
あれほど我儘だった第一王子は、ある日を境に周りを振り回さなくなり、言葉数が減って思慮深くなった。
その姿と振る舞いは大人のような魅力を漂わせ、陰のある雰囲気がより一層ルミエールの心を惹き付けた。
彼女は第一王子に婚約者がいるのを承知していた。
辺境伯の令嬢であるルミエールは、幼い頃に第一王子の婚約者候補と目されて周囲に噂が立っていた。
だが、好戦的な隣国との関係構築を重視した王族は、申し出を受けて隣国の第二王女を婚約者に選んだ。
婚約者となった第二王女アドレーヌは、大陸随一と評されるこの国の貴族魔法学院へ入学を希望して、婚約者として早くからこの国を訪れていた。
ルミエールがソレイユの変化に気付いた頃から、アドレーヌの彼に対する態度が素っ気ない振る舞いに変わったと気付いた。
周りの者たちは、婚約者だからこそ学院内の生徒を気遣い、皆が二人の関係に配慮し過ぎないようにあえて距離を置いているのだと言った。
でも、ルミエールは強い違和感を覚えた。
婚約者アドレーヌが向けるソレイユへの視線に、大切な人を見る優しさが欠落していたからだ。
だからといって婚約関係に変わりは無い訳で、そんな第一王子に別の令嬢がちょっかいを掛けるなど許されざる話だった。
だが、ルミエールは本気でソレイユを好きになってしまった。
彼女は募る想いをどうにも抑えることができず、彼に婚約者がいてもなお、自分の気持ちを告白することにした。
ただ自分の気持ちを伝えれば終わり。
ただフラれて終わり。
そして迷惑な女ですいませんと謝るつもり。
もしかしたらなんてゼロと思ってる。
期待も希望も持っていない。
それでもフラれる権利くらい私にもあるわ。
婚約者のいる第一王子へ堂々と人前で告白できる訳もなく、気持ちを伝えるチャンスなど無いと思われた。
でも、ソレイユが昼休みの度に何故か学院校舎の裏庭の方へ向かっていると気付いた。
そこで待ち伏せすれば告白できるはずだと行動に移す。
「ソレイユ殿下!」
「君は……ルミエール辺境伯令嬢」
「あの、何をしに来られたのです?」
「あ、いや、これは恥ずかしいところを見られた。実は私は魔法が得意ではないんだ。だから昼休みにこっそり練習している。授業で無様な姿を見せられないからな」
意外だった。
貴族の血筋に多く発現する魔法の素質。
特に王族には魔力の多い者が婚姻してきた歴史があり、人一倍魔法に長けていると思っていたからだ。
ルミエールも貴族として一応魔法の才能を持って生まれたので、この貴族魔法学院に入学した。
ところが才能とはいっても、ポケットの裏地を出すという何の役にも立たない固有魔法が発現しただけ。
彼女は授業で固有魔法を実践するたびに恥ずかしい思いをしてきた。
私には何も取り得がない。
勉強も人並みだし、せめて魔法くらいはと思ったけど、発現した固有魔法がポケットの裏地が出るだけだなんて、発現しない方がマシだわ。
……でも完璧な殿下にも苦手なことがあったのね。
それも私と一緒で魔法が苦手だなんて。
彼女は自分と王子の共通点を見付けたお陰で、少しだけ告白の緊張が軽くなった。
よしと覚悟を決めたルミエールは、王子に声を掛ける。
「お、お話があります」
「……ああ、何かな?」
「殿下に婚約者がいることは承知しています。でも、どうしても私の心にいるソレイユ様を消すことができない。二カ月前を境に変わられた今の殿下に私の心は奪われたのです。少ないご発言に感じる思いやりある言葉、優雅な振る舞い、誰にでも気持ちを寄せられて親身に悩まれるご様子……。私は変化された殿下を好きになってしまいました。ダメなのは分かっています。でもどうか、気持ちの告白だけさせてください。そして、ご迷惑をお掛けしました。どうぞ幸せになってください」
静かに聞いていた第一王子は、すぐ口を開こうとして止めた。
周りを見渡して誰もいないのを確認したソレイユは、軽く目をつむって数秒思案してから小声でルミエールに言った。
「私は……、私は……殿下ではないのです……」
次回、『国王の死』