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月下香と薔薇香

「座長不在だと、客も大人しくて助かるねぇ」

 講演を終えた非時香菓の楽屋で、演じ手の一人が支度を解きながら漏らした。

 座長である薔薇香が舞台に立つと、収益は半端なく多い代わりに不審者が続出する。だから一座は腕の立つ者を雇っているし、護身術を身に着けている者も数多くいる。

 その内、後者の一人を視界に収めて、彼女は思わず呼び止めた。

「紅榴、舞台終わったばっかなのにもう練習かい。ご苦労なこったね」

 高く結い上げた漆黒の髪が呼び掛けに呼応して大きく揺れた。

 頭には狐の面を半分引っかけて、肩には舞で使うための両刃の剣を担いでいる。その様はさながら少年剣士の風貌で、潑溂とした印象を受ける。

「あした初めて剣舞を披露するから、少しでも練習しときたくてね」

 紅榴の芸事への熱心さは一座でも群を抜いている。可愛い後輩が真剣に語る様に演じ手たちは化粧を落としながら頬を緩ませずにはいられない。

「なるほどね。でも外は気を付けなよ。あんた狙いの子が集まってるから。ほら、これ月下香宛ての恋文に花束にその他諸々。筆まめなのは結構だけど、夜更かしはほどほどになさいな。舞い手が目の下に隈なんて笑えないよ」

「そうそう。気を付けろと言えば、今日は旅支度の男があんたのこと舐め回すように見てただろ? アレは如何せん妖しいねェ、特に気を付けときな」

「ははは・・・・・・、わかった。ありがとう、姐さん方」

 山と積まれた書簡を前に紅榴は頬を引きつらせた。月下香と名乗り始めてから数年、書簡の量は増えに増え、差出人は色とりどりになった。昨日は初老の男性から真剣な恋文を頂いたし、前にいた街では危うく乙女たちに唇を奪われるところだった。

 これはいよいよ防衛策を立てねばならないと考えを巡らしていると、躊躇いがちに楽屋の扉が開いた。ーー扉の先には一人の青年が立っている。

「侃雫、どうしたの? その恰好ってことは社から直接来たんだよね」

「ええ、こちらに戻られる薔薇香が見えたので」

 先回りした、とは言わずに侃雫は言葉を止めて笑顔で返した。

 彼の名は侃雫という。社の社司らしい赤と碧の糸で織られた紫色の袍を纏った青年は、絵巻物から抜け出たようだと巷でも評判である。この恵まれた容姿ながらも普段は一座の裏方で働いているのだが、座長が奉納する舞の準備で今日は社に行っていたのだ。

(きっと今頃、社の願い札が侃雫宛の恋文に変わっているんだろうな・・・・・・)

 恋文で鈴なりになった木々を想像して、紅榴はハタと表情を強張らせた。

「ちょっと待って、薔薇香が来るって、言った?」

「はい、ですから早く逃げないと・・・・・・」

 平生感情を表に出さない侃雫が顔を顰めた。おそらく薔薇香に例のことがバレたのだ。

 ーーこれは真剣に、マズイ。

 紅榴は慌てて楽屋を飛び出した、が、舞台裏手、逃走完了目前のところで何者かに肩を掴まれた。逃れようにも、白い繊手は骨に食い込むほどの力で紅榴を押さえつける。

「こぉーりゅぅーう? あたしから逃げられると思ってるのかい」

 地の底から這いのぼる美声が響いてきた。美人が怒るとただでさえ迫力があるというのに、それが傾国の美女ともなると立ち竦む勢いだ。

 紅榴は恐る恐る振り仰いだ。すぐに目に付く稲穂色の長い髪は、彼女の美貌に華を添える脇役にすぎない。朱地に金糸の刺繍の上衣に、透ける純白の羽織りと、派手なことこの上ない衣装に勝る凄艶な風貌を彼女は有していた。

 この人ならば、目で人を殺せるのではないか。

 少なくとも慣れていない人を昏倒させるだけの迫力がある。

「あれー薔薇香、今日も麗しいお声ですね。じゃ、明日の練習があるから私はこれで・・・・・・」

「待ちなっ。さっき社で聞いたよ、また虎鶫が現れたそうだね。なんでも大学試験流して小銭稼いでいた補佐官の家から証拠を盗み取ったとか」

「さすが虎鶫、だね。良かったじゃないか、悪事が暴かれて」

「ええ、本当に」

 相槌を打ったのは侃雫だ。薔薇香の意識を紅榴から逸らそうとしたのだが、紅榴はしっかり肩を抱かれて逃れられそうにない。見事に美女が美少年を拐かしている図が完成し、腑煮えたぎった侃雫はあからさまな殺気を薔薇香へ向ける。

 が、薔薇香はそんな侃雫などお構いなしに、すっと紅榴の耳許に口を寄せる。

「あたしは二度と虎鶫なんて危ない稼業やるんじゃないって言ったよねェ。それになんだい、花街にまで噂仕入れに行ったってェ!?」

「ハハハ・・・・・・どうだったかなぁ、覚えてないなぁ」

 思わず目を逸らして後悔する。ーー自分がやったと白状しているようなものだ。

 虎鶫、何を隠そう正体は紅榴である。一座でも一部の人しかこの事実を知らないが、薔薇香はその一人である。それも紅榴が虎鶫として暗躍するのを反対している。

「侃雫、あんた何してたんだい。紅を見張ってなって言ったろォ?」

「あなたに指図されるいわれはありませんっ。それに私だって紅榴さんをこれ以上危険な目に遭わせたくないんですっ。でも、紅榴さんに泣かれて頼まれたら・・・・・・」

 侃雫は紅榴の涙に弱い。目の前で泣かれてしまったら即二つ返事だ。他の事だったら常に冷静でいられるのに、紅榴が絡むと感情が表立って動いてしまう。感情を露わにしない質なのに、今も眉を顰めてしまって思い悩んでいるところだ。

「姐さん、侃雫を責めるのはお門違いだよ。無理矢理ついてきてもらっただけなんだから」

「じゃあ聞くけど、今度は本当に安全だったんだろうねェっ?」

「・・・・・・え、と」

 言葉に詰まった。・・・・・・思い出すのは数日前の夜、貞大願の邸宅での出来事だ。

 ーーあの晩、貞大願の奥方になりすまして彼の書斎に忍び込んだ時、自分を訝しんでいた家臣に肩を掴まれた。貞本家の根回しで大願の手の者が誰もいないと思いこんでいた紅榴は、思わず素の声で叫んでしまったのだ。剣術や柔術を体得しているとはいえ分が悪かった。歴戦を経た武人相手に、薄暗がりの邸に瞬く白刃を前に万事休すだと思った。

「・・・・・・結局、栩煖に助けてもらったんです。私は別の室を探っていたので」

 侃雫は心底口惜しそうに語った。栩煖が絡んだ時もまた、侃雫は感情を露わにする。

 やっぱり、と言って薔薇香は肩を竦めた。

「紅、あんたは今年で十六になる乙女なんだよ!! その玉の肌に傷が付いたらどうするつもりだったのさ。あたしは悔やんでも悔やみきれないよ」

「それ、怒るトコ間違ってる。そもそも本人あまり気にしてないし。気にしてるとしたら顔に傷作るって、舞台に上がる人間としてどうかっていうところだから」

 必死に反論しているのに、憐れみをもって見下ろされた挙げ句溜息をつかれた。

 立ち振る舞い、背格好、どれをとっても紅榴は少年剣士というに相応しい。実際、よく知る人でさえ彼女のことを少年だと思いこんでいるくらい、服装によって紅榴は少年に見える。薔薇香が出逢った時は日焼けした腕はあまりに細く、まさしく貧相な男の子だった。湯浴みさせようと着物を剥がしたときは心底驚いたものだ。まさか女の子だったとは。

 健康状態はあの時より改善したものの少年らしさはどうしても抜けない。

 二度目の溜息をつかれて紅榴はさすがに薔薇香が何を考えているのか察した。

「別にこのままで大丈夫だよ、月下香としてはその方が有り難いし、ね」

「でもねぇ・・・・・・あたしより色気出すのは無理だとしても、どうにか半分くらいは・・・・・・」

 自分の美しさを謙遜しないのが薔薇香が薔薇香たる所以だ。薔薇は気高く美しい。摘みとろうと手を伸ばしても待っているのは鋭い棘だけだ。

「じゃ、薔薇香。急ぐから」

 その声はなぜか頭上から届く。驚いた薔薇香が天を仰ぐと、女性の背丈ほどある塀、その上に紅榴は立っている。横にはいつも連れ歩いている二匹の獣の姿もある。

「ちょっと紅っ、お待ちっ」

 制止する声は届かず、紅榴と二匹は一目散に塀の向こうへと逃げていく。

(お前は軽業師かそれとも獣使いかっての・・・・・・ったく。明日は剣舞じゃなくて銀狐と綱渡りでもやってもらおうじゃないの。ーー・・・にしても、急ぐって一体何処へ)

 しばしその場で悩んで、薔薇香はしぶしぶ楽屋へ戻ることにした。

 禁領癸州才田、この街で紅榴が行くところといったら社しかない。あそこにあるものを思えば、追いかけるなんざ無粋な真似、紅榴を想う薔薇香にはできなかった。

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