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虎鶫

 静閑なる月夜、ぬかるんだ大地を践む音が扉の目の前で止まった。

「貞大願殿はいらっしゃるか」

 丁寧な口調と同時に豪奢な戸が蹴破られる。その先から現れたのは複数の武装した男達、中央に据えた上格らしき男はやけに見下した眼差しで室の中を眺め回す。

「ーー何奴だ。私が大学長主任補佐官、貞大願と知っての狼藉か」

 この邸の主は夏前だというのに、妙な汗をだらりと垂らした。

「ああ、あなたが貞大願殿であらせられるか。捜す手間が省けて助かる。私は癸州軍将軍慶鵬釈と申す。大学試問題流出の件で二、三伺いたい」

 突きだされた書状を右から左へ読み、そして左から右へ読み、大願は後退った。

 ーー紛れもなき州軍の印。若く見えるが腰に揺れる佩璧に偽りはないらしい。

「知らぬ、私は知らぬ」

「そう仰っても証拠はある。ご存じでしょう、虎鶫の名をもつ隠密を。今朝、彼の者から書簡が届きましてね。もう言い逃れは適わない」

 大願は懐刀に手を伸ばして思い止まる。ーーまて、まだ挽回の兆しはある。貞本家に頼めばこんなこと、いくらでも揉み消せるはずだ。

「そうそう、これを貴公の身内から預かってまして。見捨てられたようですね、貞殿」

 将軍の手から溢れ落ちる書簡の文字を目だけで追うーー貞大願、絶縁状。

 この日をもって、彼とこの世との縁は分かたれたのだった。



「また虎鶫、か。何者なんだ。年齢性別一切不明、何かあるとこうして州庁やら郷庁まで悪事の証拠を送りつけてきやがる。それも締め上げる決め手を、な」

 湿っぽい州軍舎の執務室で鵬釈は押収した品々を部下に投げつけるように渡した。中には貞大願と関係した者の名簿も含まれている。

「家人に化けて堂々と正面から侵入し、証拠を押収して何食わぬ顔で去っていく。その変装術はまさに神業、どんな者にも化けるので人ならざる者というのが定説ですが、私の曾祖父の時代にも虎鶫はいたようですから、名が世襲されているのかもしれませんねえ」

 年上の部下はお茶を啜りながら今朝送られてきた書簡を眺める。

 ーーあまりに流麗な筆致に当代の書家も舌を巻くだろう。その上、届く書簡の大部分は才田から送られてくる。これだけ特徴が揃えば正体を暴くことは容易だ。

「だが、その正体を探ることは禁忌、初代国主絳鋭の遺言となると先の国主様はその人物を、初代か当人かは知らねえが、よおく知っていたってことだろうな」

 鵬釈は部下から書簡を奪ってペシリと指で弾いた。

「まあま、絳鋭様を悪く言うものじゃないですよ。それよりもお仕事片付けちゃいましょう。全部で二十名もの退学通告を出さねばなりませんから。・・・・・・私の学生時代にもありましたが、こうも名だたる姓ばかりだと溜息だって尽きてしまいますよ」

 部下は名簿を机案の上に広げた。並ぶのは名家の名ばかり、その中でも華・李・榛・橘・柳・采・琳・蓬に加えて茱・静・伯・墨、ここに連なる貴族を総じて前者を八葉、後者を四枝と呼ぶ。一木を持って四枝をなし、四肢を持って八葉をなす。この十二氏は王族である絳氏を加えて建国の世から州侯として繁栄の道を辿っている。

「ま、所詮は分家連中、本家にバレたら貞大願のように縁切られるのがオチだろ」

 部下が頷くのを見て鵬釈は執務席についた。武官とはいえ将軍階級となると斬っているだけでは務まらない。障壁となりかけた書簡の一部を崩しにかかる。

 再び、梅雨時のじっとりした雨が屋根を叩き始めた。

(ダメだって言われたらやりたくなるのが人間の性だよなー)

 鵬釈は料紙と筆を執った。

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