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決意の一幕

(ああーもうっ、なんで、こんなことにーー)

 気持ちとは裏腹に、彼女の足取りはひどく静かで悠然としていた。か細い両腕に抱えられているのは大輪の百合をあしらった花瓶だ。これでは急ぐに急げない。

 つい今し方まで姉女官たちと垂れ幕に刺繍を施していた彼女は、花瓶を取り替えるよう仰せつかって桂宸殿内にある婉麗姫の私室へと向かっている。彼女の実家は華道の大家で、幼いながらもその才を買われて頼まれたのだ。

 だがーー、

(んあああーーー、なにがオシドリも裸足で逃げ出すほどだよぉっ。何度言われたって恥ずかしいったらありゃしないっ)

 中身は紅榴だ。もちろん、六宮殿下と仲睦まじくしていた婉麗姫も紅榴だ。

 傍からは婉麗姫のことのように見えても、実際に噂される行いの全ては紅榴のやったことなのだ。人の口から聞くと恥ずかしさのあまり居たたまれない。

(あーっもうっ、それもこれもぜんっぶ、静中将のせいなんだからっ)

 紅榴がこんなにも悶え苦しむことになった原因はすべて悧彰の策にある。暎癸が一宮と対峙すると決意したあの晩、悧彰はこう言ったのだ。

「ではまず手始めに、暎癸と紅榴にはいちゃいちゃしてもらおうか」

「「ーーはぁ!?」」

 真面目な話から一転、何を急に言い出したのだこの色魔は、と紅榴は口を大きく開けた。

 ーーが、その真意はいたって真面目、紅榴も納得せざるを得ない。

 この策の目的は大きく二つある。一つは二人の婚礼を快く思っていない輩の炙り出し。六宮の即位を望まぬ者が二人が仲睦まじくしていれば焦って行動を起こすだろう、というものだ。この策の延長には、今まで曖昧だった宮中の派閥を明確化し、将来国政を執ることになるであろう暎癸の敵味方を早々に区別しようという目論見もある。

 そしてもう一つは、間近と目されていた一宮の即位を遅らせることだ。

「中立な蔡尚書のこと、お二人の仲がうまくいきそうなら陛下のご意志を尊重されて無理に即位を早めるようなことはしないだろう。あの方が是と言わねば宮中式典の一切は動かない。一宮様を玉座から遠ざけるためにも有効な策だと私は思うのだけれどねえ」

 そう切り出されれば、紅榴は拒否など出来なかった。

 暎癸に、あんな話を聞かされた後では尚更だった。




「ーー・・・紫苑姉さまは、すでに亡くなられている」

 なぜ一宮の即位を阻もうとしているのかと聞いたときのことだ。

 暎癸は呟くようにそう言った。翳る彼の表情は、決意を示す以前よりなお苦い。

「それって、今後宮にいらっしゃる一宮様が偽物ってこと・・・・・・?」

「わからない。ただこれだけは確かだ。姉さまと私は七年前、兇手に襲われた。そのとき、姉さまは・・・・・・、私を、庇って・・・・・・」

 ともすれば嗚咽に聞こえる声音で暎癸は吐き出した。

 あまりに唐突なことで状況が飲み込めずにいる紅榴は、無情にもありのままで問い糾す。

「そのときに一宮様は亡くなられた、ってこと?」

「確証はない。姉さまが息を引き取られる前に菊宸殿の君、つまりは姉さまの母君の手の者に奪われたのだ。少なくとも、その日を境に姉さまは変わってしまわれた」

 あれは異常としか言いようがない、と暎癸は今でも思う。翌日現れた紫苑は、昨日の命落とさんばかりの傷など諸ともせず、猛々しい武将たちと剣を交えていたのだ。

 そのとき自分に向けられた視線を、暎癸は忘れられない。

 ーー冷たい、氷のような、自分を、蔑み憎む眼差し。

 今までの慈愛に満ちた瞳とはまったく別のもの。

 それを見た数日後に、暎癸は紫苑に命を狙われたのだ。

「あれは、姉さまの革を被った偽物だと私は思っている。そんな輩が玉座に就こうというのだ、それは間違いなく姉さまの御名を汚すことになる。だから事の真相を突き止め、事が真実ならば姉さまの御為に私が阻止すると決めたのだ」




 再び決意を語る暎癸の強い眼差しが、誰かに酷似しすぎていて紅榴は息を呑んだ。

 そして同時に、一気に謎を帯びたこの王宮という場所にそぞら寒くもあった。

 もし暎癸の言う通りに、一宮殿下が偽物というなら由々しき事態だ。それは何者かが王位を簒奪しようとしていることを意味する。単に覇権を求めているのか、それとも暴利を貪ろうというのか、目的は何にせよ国を揺るがす大事だ。

 だが、そもそもあの一宮殿下が偽物だという確証はない。

 本物の一宮殿下が操られている可能性も拭えない。その考えの根拠は、あの偽物には一宮殿下の記憶があると暎癸が言ったことにある。偽物に記憶を植え付けるよりも、操り人形となった一宮から記憶を呼び覚ます方が容易い気がしているのだ。

 操る、といって思い起こすのは侃雫に聞いた話だ。人を操って大勢の人を誘き寄せて一気に捕食する、そんな妖がいるそうだ。その妖をもってすれば簡単に人を操れるだろう。

 ただ、一般的に知能の高い妖ほど使役が難しいとされる。仮に使役できたとしても、七年もの間使役契約を結び続けることはほぼ不可能だ。よほどの覇者ーーたとえば黄泉の菊慈童や激昂の蘭といった者ならば、あるいは可能なのかもしれないが。

 では一体、あの一宮殿下は何なのだろう。どうやって、真相を確かめたらーー。

 思索に耽るあまり、危うく紅榴は婉麗の私室を通り過ぎるところだった。辺りの気配を探ってから、足音一つ立てずに滑るように入り込んだ。

「遅かったな、紅榴。悧彰からの頼まれ事は済んだのか?」

 紅榴が顔を上げると、室の片隅に佇む暎癸の姿があった。紅榴が婉麗姫以外の姿で出掛けるときは、人払いするために暎癸はこの室で待機している。もてあました時間を飾り棚に置かれた調度品を眺めて潰していたらしく、不自然に半身をこちらへ向けている。

「まあね。それにしてもあんなもの何に使うんだろ。後宮のざくろの森にある御神木の枝を採ってこいってなんて。個人的な頼み事だって言ってたけど、おかしな話だよね」

 後宮の奥にある神聖なざくろの森、その中にある御神木ーー建国の父が植えたとされるざくろの木は、世話を任された特定の女官と王しか触れることを許されていない。

 それゆえ紅榴は、他のざくろと御神木とが隔てられた門の直前でその女官に姿を変え、こっそり森に忍び込んでざくろの枝を頂戴してきたのだ。神気が宿ると言われているざくろの枝ではあるが、紅榴には棘の多いただの枝にしか見えなかった。

「ねえ暎癸、そこの鏡台とってくれる?」

 鷺足の優美な机の上に置かれた鏡面を前で、紅榴は百花繚乱を外した。瞬時に現れる自分の顔にほっとしながら、懐から取りだした呪符めいた紙片を面の裏に貼り付ける。

 そして、ずれないように鏡で確認しながら百花繚乱を被るーー途端に、婉麗が現れる。

「面を被ると装束まで変わるのだな」

「血文字で色々細かく指定すれば、だけど。ほんとはあんまりやりたくないんだよ、これ。昔、細かく指定してたら失血しすぎて貧血で倒れたことがあったから」

 あの頃はそんなこともわからないほど幼かった。がむしゃらに虎鶫をやり遂げることしか考えていなくて、よく栩煖や侃雫に迷惑をかけていた。

 恥ずかしい当時を思い出しながら、紅榴は鏡面を覗き込む。

 おかしいところは何もない、この頃慣れてきた婉麗姫の顔だ。梔子色した衣は上等な絹地で、金糸銀糸の華の刺繍、目が覚めるような漆黒の髪を引き立てる。

 本物の婉麗姫は未だ見つかっていない。悧彰が外で調べているはずだが、なんの音沙汰もないところをみるに、紅榴に伝えるほど大きな進展がないのだろう。

 ただ婉麗姫に関して、一つだけ紅榴が知っていることがある。

 それは彼女が生きているということだ。

 なぜなら、百花繚乱はーーと考えたところで紅榴は大きな眼を見開いた。

「もしかしたらあの一宮殿下が偽物かどうか、わかるかもしれない」

 本当か、と立ち上がった暎癸は盛大に椅子を蹴る。

「た、多分ーー。けど、」

 期待に満ちた瞳に迫られると、言葉が詰まる。

 もしかすると自分の策は、最悪の形で暎癸の不安に白黒つけてしまう。だから言葉を躊躇った。ーーでもきっと、真実を明らかにすることがいちばん暎癸のためになる。

「暎癸も知ってのとおり、この百花繚乱は他人の姿を写し取る。大人から子ども、男女問わずにね。でもそれは、生きている人に限定される」

 だから婉麗姫は無事だと紅榴は確信している。百花繚乱は死者の姿は写し取れない。姿の写し取れる華婉麗は、この世のどこかで生きているのだ。

 ごくり、とゆっくり喉の下がる音を聞いた。

「百花繚乱を使えば、姉さまが生きていらっしゃるかどうか、わかるーー」

 気づいた暎癸は、動揺を隠さずに告げた。きめ細やかな肌は緊張のためか色を無くし、ともすれば壊れてしまいそうな危うさが浮かぶ。

「そう。でももし暎癸がーー」

「頼む。無理でないのなら、今すぐにでも確かめてほしい」

 顔色の割には即決に、しっかりとした声で暎癸は訴える。

「父の容態は日に増して悪くなるばかりだ、時間はあまりない。少しでも真実が欲しい」

 切実に請われれば、紅榴が躊躇する理由はない。

「ーーわかった、暎癸が言うならやってみよう」

 お互いに覚悟を決めたことを悟って、紅榴は懐にしまってあった小刀を取り出した。

 指から滲み出る血で描くのは一宮こと絳紫苑、その人の名ーー。

 文字を形作る一筋一筋が、緊張のためか乱れて流れた。

「いくよ」

 そうして紅榴は百花繚乱を手に取った。

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