1話〜父さんの彼女〜
さて、プロローグも終わって妹の話なんだが、
ごめん、今回、俺の可愛い妹は出てこない。
その前にしておかないといけない話があるからだ。
そう、あれは1学期のある休日の事――
ピンポーン
「はーい、少しお待ちください!」
インターホンが鳴り、俺は手にしていた掃除機のスイッチをオフにして声をあげる。
時計を見ると午前9時前後であり、この時間に来客があるのは珍しい。
父さんはまだ寝ているけど来客があるとは聞いていないし、俺にもアポはない。
友達なら事前に連絡はあるし、従姉に至ってはインターホンを鳴らさずに勝手に入ってくる。
宅急便かなと思いつつ玄関に向かい、一応ドアの覗き窓から相手を確認してからドアを開ける。
「おはようございます、香澄さん」
「おはようございます、優君」
ドアの前にいたのは佐藤香澄さん。
昨年、転職して父さんの会社の人になった方だ。
まあ、ただの同僚という訳でもないのだが。
「あれ、今日はデートですか?」
「はい、お昼から仁さんと」
「えっと、父さんはまだ寝てますし、立ち話もアレなんで中にどうぞ」
「はい、お邪魔します」
玄関で簡単なやり取りをして、リビングに通す。
言い忘れてたけど、俺の家は2階建の一軒家だ。
1階にリビングやキッチン、客間、風呂、トイレ。
2階に個室になっているが、今は使われていない物置部屋もある。
とりあえず、香澄さんにはリビングの椅子に座ってもらい、コーヒーを淹れる。
父さんがいつも寝起きに飲んでる事もあり、あまり待たせる事なくコーヒーを出せる。
「コーヒーです。砂糖とミルクは1個ずつですよね?」
「はい、ありがとうございます」
「いえいえ、では父さんを起こして来ますので、少々お待ちください」
そう言って、俺は2階に上がろうとするが、
「あっ、起こさなくて大丈夫です。
仁さん、昨日は残業してお疲れのはずですし、
今日は優君ともちょっと話をしたくて、早目に来てしまったので」
「そうなんですか?」
「はい」
香澄さんが微笑んで答える。
その笑みは亡くなった母さんに雰囲気が近いものがある。
とりあえず、自分の飲み物を取り出して香澄さんの対面に座る。
そうして、改めて顔を見る。
佐藤香澄さん。
昨年、父さんの会社に転職した女性。
年齢は父さんより5歳程若く見えるが、女性の年齢を訊ねるのは失礼だと思い聞いていない。
容姿はやはり母さんに近く、可愛い系で身長も下手すると俺より20センチは低い。
転職するに当たっては、前の会社で色々あって困っていたところ、父さんからかなり便宜を図ってもらい助かったと本人から感謝された事もある。
父さんの性格からして困っている人を放置は出来ないし、香澄さんは好みの女性だろうから下心もあったのだと思う。
事実、休日はよくデートをしているし、父さんの彼女と言っていい。
正式に父さんから彼女だと紹介された事はないが、恐らくマザコンな俺に気を使っているのだろう。
「それで、ちょっとお話しって何を話しますか?」
いつまでも父さんの彼女を紹介してても仕方ないので俺から話を切り出す。
と言っても、見ていた時間は5秒にも満たないだろうけど。
「えっ、と、最近学校はどうですか?」
香澄さんは話を振られた事に戸惑いつつ、そう訊ねて来た。
それが話したい事の本命とは思えないが、心の準備を待つべきだっただろうか?
しかし、黙っていたら読者はつまらないだろうから、仕方ない。
「高校はやっぱり楽しいですね。
友達と馬鹿みたいに騒いだり、クラスメイトと交流する事は基本楽しいです」
そう、基本。
従姉が絡まなければなお良し。
「そうですか。
楽しそうでなによりです」
「ええ。気になるようなら、見に来ますか?」
「流石にこの歳になって、高校の敷地を跨ぐのは気が引けます」
「香澄さんなら違和感ない気もしますが、すみません言葉が足りませんでした。
9月に学園祭があるので、父さんとデートがてらどうですか? という話です」
「それなら是非行きたいと思います」
「わかりました。お待ちしておりますね。
そう言えば、香澄さんはお仕事どうですか?
父さんが迷惑かけてませんか?」
「仁さんには良くしていただいてますし、職場の方や雰囲気も凄い良くて、こんな幸せでいいのかと逆に悩みます」
「詳しく聞いてませんでしたが、
……前の会社はブラックだったんですか?」
「法律とかに触れる事はありませんでしたが、ほぼ真っ黒でしたね」
香澄さんの目から生気が失われ、重たい雰囲気になる。
ヤバイ、地雷を踏んだ。
しかも、ほぼ真っ黒って、結局は黒じゃないですか。
「ええっ、と、そうだ!
今日は父さんとどこまで行かれるんですか!?」
沈黙が重苦しくいのでちょっとテンションを上げて、話題転換を図る。
「ええ、今日は――」
香澄さんの目に生気が戻り、暫し雑談となった。
「あっ、コーヒーなくなってますね。
父さんもそろそろ起きてくると思いますので、淹れ直します」
そうして席を立とうとすると、
「あっ、優君!」
香澄さんにしては珍しい大きな声で呼び止められる。
「ど、どうしました?」
驚きつつも訊ねると、香澄さんはちょっと逡巡してから、
「……優君は妹が出来たらどう思いますか?」
そう、真顔で香澄さんから訊ねられた。
「えっ、もしかしてデキちゃったんですか?」
俺は一瞬呆然としてしまい、質問に質問で返してから、思わず香澄さんの腹部へと視線が下がる。
お腹は……まだ膨らんでいない。
しかし、妊娠については俺も詳しくはないので、もしかしたらという事もあるのだろう。
香澄さんは俺の言葉にキョトンとしてから、俺の視線に気づいて顔を赤らめる。
「違います! 違います! まだデキてません!」
「まだ?」
「失言でした!
妹が出来たらと言うのは例えばの話です!」
香澄さんが荒い息をつく。
その様子を見て、確かに子供はまだ出来ていないのだろう。
少し、冷静になって考えてみる。
もし、妹が出来たらか。
それについての回答は決まっている。
「もし、妹ができたら最高ですね」
「えっと、最高ですか?」
「ええ、最高です。
俺は一人っ子でしたし、元々弟や妹は欲しかったんですよ。
弟だったら色々面倒見てやりたかったですし、妹だったら滅茶苦茶愛でたと思います」
「愛でちゃうんですか?」
「ええ。それが可愛い妹なら言う事はありませんが、別に可愛いくなくても、生意気でも、反抗期でも、それこそ口を聞いてくれないぐらい嫌われても、それでも大事に大事に愛でたと思います」
俺のその熱い気持ちに香澄はポカンとし、
「優君は妹を恋愛対象にしたい人なんですか?」
そう変な事を訊いて来た。
「なんで、妹が恋愛対象になるんですか?」
「えっ、じゃあ、まさか性欲の対象ですか?」
「……可愛い顔で性欲の対象とか口走らないでください」
俺は思わずため息をつく。
「普通に家族として大切にしてただろうって話です。
大体もし妹がいたとして、恋愛とか性欲の対象にしてどうするんですか?
そんなの家族が気まずくなるし、お互い傷つくだけじゃないですか?
俺は家族が傷つくのも、ましてや傷つけてしまうなんて絶対嫌ですから」
愛する母さんを亡くなって、特にそう思う。
「そうですか、安心しました」
「何が安心なんですか?」
「いえ、優君が犯罪者予備軍とかじゃなくてです」
「人を勝手に犯罪者予備軍扱いにしないでください。
そもそも、妹なんていませんし、例えばの話でしたよね?」
「あぁ、はい、勿論ですよ?」
そう答える香澄さんだが、挙動不審である。
その様子にどこか疑問を抱くが、
「おはよう」
父さんがリビングに起きて来て、その疑問もどこかへ吹き飛ぶ。
「おはよう、父さん」
「仁さん、おはようございます」
「あれ、香澄、早くない?」
父さんは慌ててリビングの時計を確認する。
時刻は午前10時を回った所で、軽く1時間は香澄さんと話していた事になる。
「ええ、デートが待ちきれませんでしたし、待ってる時間もデートかと思いまして」
父さんは相好を崩してデレる。
イチャつくのは構わないが、出来れば目の前はやめて欲しい。
「父さん、とりあえずコーヒーでいいよね?
ご飯はどうする?」
「ああ、コーヒーでいいけどその前に携帯鳴ってたぞ」
「携帯?」
「ほい」
気を利かせてくれたのか、父さんが持って来てくれた俺の携帯を渡される。
着信履歴を確認すると、着信が5件。
しかも、呼び出しのメッセージまで飛んで来ていた。
相手は従姉だった。
俺の顔から血の気がサッと引いていくのが分かる。
「ゆ、優君、大丈夫ですか?
顔色悪いですよ?」
「いつもの事だから気にしなくていいぞ」
「ごめん、父さん。もう出かけるからコーヒーは自分で淹れて。
洗濯物は干してあるし、ご飯は冷蔵庫に入れてあるから食べるなら食べてね」
「おう、わかった。
気をつけて出かけろよ」
「うん」
俺は慌てて身支度を整える。
急な呼び出しはよくある事なので、時間はそんなに要らない。
「じゃあ、行って来ます!」
「「行ってらっしゃい」」
リビングから見送りの声が聞こえた所で、俺は家から飛び出した。
その後は、従姉からの呼び出しですっかり朝の会話の事は忘れさっていたが、
思えば、あれが俺に可愛い妹が出来る前ぶりだったのだろう。