26、『強欲さん』と『色欲さん』
ゆっくりと、ゆっくりと意識が浮上していく……
「ぅ、ん……」
と、我ながら色っぽい吐息(失笑)が唇から漏れて、溶けていった。
えーと。
あれからどうなったんだっけ。ていうか何があったんだっけ。
……。
…………。
………………。
「あ゛ー」
ああそうだ、と思うと同時に声が出ていった。我ながら寝起きの親父みたいだなチクショーと思いながら、気絶する直前にあったことを思い出す。
そう、もはや嫌がらせのように赤いネズミがゴーレムを連れてきて、しゃーない逃げるかと思ったところで、ぱっくりと口を開けた地面に呑み込まれたのだった。
正確には地面ではなく、コケ。
エリア一帯を覆い尽くす、緑王苔主という名前の、規格外のトンデモモンスター。
そのコケがこれでもかと茂りまくることで本来あるはずの穴を埋め立てて隠していた、で自分はその穴に落ちたと、こういうことらしい。
「…………」
よし、思い出しているうちに意識がはっきりしてきた。
体に力が戻ってくる。コケの湿っぽい臭いが鼻をつきはじめる。目は閉じたまま、当たり前だけどやっぱりコケに囲まれてるのねと憂鬱な気分になっていると、周囲でひそひそ声がしているのが聞こえてくる。
ナヴィの声、ではない。
自分の声でももちろんない。
誰だろうと小瑠璃は思った。
「……あ。ねえねえ、この子起きそうだよマム」
この子、というのはおそらく自分のことだろう。
子供みたいな高い声に、聞いていて脱力するくらい間延びした声が答える。
「あら~、ホントですね~」
息づかいから考えるにもっと人はいるみたいだけれど、聞こえてくる声は二つ。声の主は二人ともこちらを見ているようで、顔に視線を感じてちょっとくすぐったい。
(さて、と)
このまま死んだふりをするかちょっとだけ迷ったあと、とりあえず険悪な空気ではなさそうだと思った小瑠璃はゆっくりと目を開けた。
目の前には、重苦しい緑の世界。
コケだらけ、という点では上と同じだが、上と違って洞窟が原形を留めていない。『コケが岩壁を覆っている』のが上だとすると、ここは『コケ自身が壁になる事だ』的な場所だった。しかも狭い。今いるのは大部屋らしき空間だが、それでも縦横七、八メートルしかない。高さ以外、せいぜい学校の教室レベルの広さだ。
ゴーレムの残骸らしき岩がコケに呑まれて消えていく。
まるで獲物を閉じ込めておく牢屋のような――うん、この言い方がしっくりくる。なにしろ自分は今、手足がコケに埋まり、拘束されている状態だった。
コケはもぞもぞと動き、地味に体内に侵入しようとしている。ぞぞぞぞっと湧き上がる生理的嫌悪を無表情で殺しつつ、小瑠璃は言った。
「……どちらさま?」
「それはこっちのセリフ」
コケが放つ淡い燐光に照らされて、見えているのはまだ十歳ぐらいの女の子。
そしてその隣にいる二十歳前後の女性が、のほほんとした表情で小瑠璃の方を見つめている。
「キミこそ誰なのさ? こんな辺鄙な大迷宮に、ボクたち魔族以外の人型生物がいるなんて、すごぉくめずらしいよねぇ」
そう言った幼女は、赤い髪に金の瞳という、どこかのグータラ同居人を思い出させる容姿。ただし、頭から生えている角はヒツジのように曲がってはいなくて、比較的真っ直ぐなヤギの角だ。
あどけない姿の割に雰囲気は艶っぽく、いわゆるサキュバスっぽい感じ。
「そうでもありませんよ~。二、三年前に~、外来人が一人来たじゃないですか~」
と、間延びした声の主は角ではなく、ピクピクと動くキツネ耳が生えている。ロングの黒髪に、ニコニコと笑っている金の瞳。ふさふさした金色の尻尾が、先端をコケから突き出してゆらゆら揺らしている。……あとは、なんだ、脱いだらすごそう。
そんな二人だが、小瑠璃と同じくコケに手足を拘束されて、埋もれている状態だった。
いや、二人だけではない。他にもたくさん人がいた。その全員が小瑠璃と同じようにコケに埋もれて、ぐったりしていて動かない。動いているのは小瑠璃と、今の二人だけ。
魔族。
たしかに今、そう言った。
「もしかして、ベル子ちゃんのお仲間?」
「誰? それ」
赤い髪の幼女がこてりと首を傾げる。かわいらしい仕草。が、コケに埋もれているのでシュールだ。
と、誰と言われて小瑠璃もこてりと首を傾げる。
目の前の彼女がベル子ちゃんの縁者なのはたぶんきっと間違いないのだが、ベル子ちゃんの本名なんだっけ。そんな本人が聞けば激昂してファイアボールを撃たれそうな思考をすることしばし、
「ひょっとして~、ベルフェゴールのことじゃないですか~?」
黒髪の女性がそう言って、ああそういえばそんな名前だった……いやウソウソちゃんと覚えてるよと小瑠璃はここにはいないベルに言い訳をした。
「そうそう、そのベルフェゴール。二週間くらい前にお知り合いになりまして」
「あら~、それはそれは~生きててよかったです~。元気にしてますか~?」
「一日二十時間睡眠する程度には」
そう言うと、幼女がムスッと頬を膨らませた。
「相変わらずだねぇ、あいつも。ボクらがこうしてコケの養分になってるってのに、いいご身分だよぉ」
「そんなこと言っちゃダメですよ、アスモデ~。アナタなんか、あの娘にゴーレムを足止めしてもらったくせしてこうやって捕まってる『大間抜け』、じゃないですか~。プークスクス~」
「それ君もだよねマム? さらっと自分を棚に上げてるけど、君もだよねぇ?」
近年まれにみるブーメランだなと思いながら小瑠璃は、
「やっぱりコケに捕まってるんすね私たち」
「そうなんだよ。ボクたちけっこう長い間ここで養分吸われててさぁ、いい加減ダルくなってきたところなんだぁ」
「いやぁ~、エッチぃことたくさんされて~、挙句苗床にされないだけマシですよ~?」
(発想がエロ同人だなこのお姉さん)
なんてことを思っていると、
「こら『強欲』ぅ。それ『色欲』が言うべきセリフなんだけどぉ」
じろっとキツネ耳の女――マムを睨む赤髪幼女アスモデ。
『強欲』『色欲』と言うことは、この二人はベルや『上司さん』と同じ四天王なのだろう。あの『上司さん』、何気にハーレムである。
(そんないいもんじゃないよ……?)
「想像を絶するほど気軽に話しかけてきた」
おい残留思念、マジかアンタ。
完全に前回しばらく会わない感じで別れたよね? と、怪訝な顔をする魔族二名をごまかしながら小瑠璃は自分の中にいる『上司さん』に尋ねる。
(もしかして、日常的にお話しできるアドバイザー的なパターンっすか)
二十四時間常駐でプライベート侵略してくるのなんて、正直ナヴィだけで十分である。そう思ってうんざりしていたが、
(あ、ううん。大丈夫……こうやって話すのはけっこう疲れるから、普段は寝てるよ……今は、あの二人に会ったから、情報提供ついでに、約束の念押しをしておこうと思って…………)
(なるほど、そーいう設定で来るのか)
よかった、ナヴィのアイデンティティと小瑠璃のプライバシーはかろうじて守られた。設定? と首を傾げている(気がする)『上司さん』に、わかってますよと返事をする。
(アレでしょ? 残留思念とかいうミジンコ並みの存在になって恥ずかしいから、どうか自分のことは話さないでくださいとかなんとか言ってたヤツ)
(だいぶアバウトな記憶だ……)
(とりあえず話しはしませんから。なんで、さっさとこの二人のことを教えてもらえると助かります)
「さっきから黙ってるけどどうしたのぉ?」
と、『上司さん』と話していると、アスモデがやけに蠱惑的な金の瞳を光らせて小瑠璃を見つめた。
「ちょっと世界平和について考えてて」
「嘘でしょ?」
「まあそうなんだけど」
何故わかった。
そう思いながら、アスモデの瞳になんとなく引き込まれるものを感じていると、『上司さん』の声が言う。
(そうだな、まずアスモデだけど……鬼畜、外道、畜生の類だね)
(いきなりパンチ効いてますね)
(気づいてない? さっきからずっと〈魅了〉を……いや、これはもっと性質が悪い〈洗脳魔法〉の方か……君にかけてるんだけど、こいつ……)
(マジすか)
それでか、なんとなく変な感じがしたのは。
たしかに初対面の相手にそんな魔法をかけるとは、なかなか鬼畜である。
いや、待てよ?
(もし同じ魔法を持ってたら私も同じことする気がする。初対面だし、未知数だし)
(……君も大概だね)
あ、今微妙に呆れられた。
(アスモデの場合、完全に遊びだから性質が悪いんだ……今だって君みたいにかわいい子に会って、『とりあえず操っちゃおう』くらいにしか考えてないよ……自分が置かれてる危機的状況はわかってるはずだろうに、嘆かわしい……)
苦労してそうだなこの人、と小瑠璃は『上司さん』に聞こえないようそっと思った。……ところで今『かわいい女の子』って言いました? ワンモア。
「それで、アナタはいったいだあれ~? 青い髪と服、綺麗ですね~」
と、今度はマムがキツネ耳をピクピク動かしながら聞いてきた。
「沙ヶ峰小瑠璃。ぴっちぴちの元中学三年生で、現在は転生者。この髪の毛と服は不本意です」
不本意な青色ツインテールをゆらしながら、『上司さん』の解説を聞く。
(マムは、ちょっとのんびりしてるところはあるけど、まあまともかな。ただ……)
(ただ?)
(自分の物欲に忠実すぎて……ちょっと、困る)
「その髪と服~、ちょっと全部もらっても~いいですか~?」
「ツルッパゲ素っ裸になれと」
なるほど、ようするにどっちもマトモじゃないと。
グータラの頭角を表しはじめているベルにうんざりしていた小瑠璃だが、あれでも十分常識人枠だったようだ。少なくとも他人に干渉してくることはないし。
(……まあ、二人とも悪いやつじゃないよ、自分の『大罪』が制御できてない未熟者なだけで……。アレだったら半殺しにしてあげれば三日はおとなしくなるから、うん、そんな感じで……頑張って……)
(なんでちょっと投げやりになるんですか)
(えー……。じゃあ、ちょっと待ってね、なんかいい感じの激励を考えるから………………………あ、ごめん。流石に疲れちゃったから、そろそろ寝ないと……今の、やっぱなしで…………)
グっダグダじゃねーか。
じゃあもうさっさと帰れよと思っていると、魔族二人の自己紹介(もう名前知ってるけど)がいつのまにか終わっていた。
「お互い自己紹介が終わったところで~、転生者のアナタが、どうしてこんなところに~?」
のんびりと問われたので、小瑠璃はあらためて今までのことを、つまり転生しベルに出会ってヘルハウンドを倒し、今は魔族城を改装途中なのだということを二人に話す。
「よく生きてたねぇ、君とベルフェゴール」
「同感」
「自分で言っちゃうんですね~」
マムがのほほんと笑う。まあ、自分のことだから余計実感しているのだ。あれに勝てたのはホントにマジで奇跡だった。
「で、そっちはどんな面白エピソードの結果こんな状態に?」
んー、と唇に指を添えるという妖艶な仕草をしつつ答えたのはアスモデだった。
「いやさぁ、ヘルハウンドから逃げたまではよかったんだけど、逃げ込んだ場所と時期が悪かったんだねぇ。ヘルハウンドのせいで気が立ってたらしくて、けっこうな数のベルデゴーレムに囲まれちゃったんだ」
「そうなんですよ~。どうしましょ~、と困っていたところにベルフェゴールが殿を引き受けてくれたので~、なんとか逃げれそうだな~と思った、まさにその時~」
セリフの割に緊張感がなさすぎるマムが後を引き取る。
「ゴーレム相手にドンパチやりすぎちゃったみたいで~、緑王苔主の『口』が開いちゃったんですよね~」
「『口』?」
「ここに落ちるとき、地面ががばっ! って裂けたでしょ? こいつ、キレたときとかそうやって獲物を胃袋に閉じ込めて、長い時間かけて養分にするんだよねぇ」
養分、とさっきも言われた言葉の意味を咀嚼する。なるほど、どうやら二人以外の魔族がぐったりしているのは養分を吸われているかららしい。
他にもよく見れば、魔族以外にもネズミだとかニワトリだとか、養分を吸われているらしき犠牲者がたくさんいた。死んではいないようだが、半死半生なのが余計に哀れを誘う。
「………………」
その様子になんとなく嫌なものを感じていると、「ところでさ」とアスモデが言った。
「なに?」
「君、転生者なんだよねぇ。じゃあ、神使は? どこ行ったのぉ?」
神使?
……ああ、ナヴィのことか。
そういえば、ナヴィはブタ神様からつかわされた、なんかこう天使っぽいいわゆる御使いサマなのだった。そんな威厳皆無なので忘れていたが。
で、そのナヴィがどこに行ったのか、と。
忘 れ て た 。
「いやまあ、どっかにいるでしょ」
「投げやりだねぇ」
まあいてもいなくても特に変わらないし……っていうのは残念ながら嘘で、やけに静かだなーと思ってたらそういうことか。どこ行ったんだろうと辺りを見回すも、それらしき姿は見つからない。本当どこ行ったんだろうアイツ。
(……あ、気づいてなかったんだ…………?)
(でコッチはまだいたのかよ)
疲れたんだろ、引っ込んで寝てろよ。
そんな思念攻撃は意に介さず、『上司さん』はおもむろに、
(……君、踏んでるよ…………さっきから)
(言われてみればそんな気がする)
と足下を見てみるも、分厚いコケに覆われているので何も見えない。
「でもなんか不快な感触が足下でしているのは感じる」
(圧死と窒息死が熾烈なデッドヒートを繰り広げているね………………死だけに)
「たった今不快指数倍増した」
(いったい何が……)
「アンタのせいだよ」
と、はたから見れば一人で(あと無表情で)騒ぐ小瑠璃に、アスモデがちょっと引き気味で聞いてくる。
「どぉしたのぉ?」
人格破綻者から向けられている哀れみの目にいささかプライドを傷つけられながら、小瑠璃は現状を説明するべく口を開く。
「いや、実は足の下にゴキブリが……」
(あ、今死んだ)
圧死だった。




