銀を齧る龍は彼方を想う
かつて龍は暴龍として畏れられた。
逆鱗に触れずとも、火を吹き森を燃やし、大地を踏みしめ田畑を沈める。
何故怒るのか。
何故荒らすのか。
何故暴れるのか。
人々は知りたかった。
知ればこの理不尽を止められるのでは、と仄かな希望を抱いていた。
だが解らない。
遂には人を喰らうようになった。
もう此の儘ではいけない。
人々は古い伝承に縋った。
村の娘を生贄にすれば龍の怒りは鎮まる。
人々は黴の生えた伝承に頼り、生娘を一人龍に差し出した。
龍はその娘を巣へと持ち帰った。
無論、そんな伝承に何の意味もない。
龍は暴龍であった。
何か理由がある訳ではない。
生まれ持って、荒い気性を待ち合わせていた。
唯、それだけである。
龍は娘を喰らうつもりであった。
巣へと持ち帰ったのは、慈悲などではない。
己の食事を邪魔立てされるのを龍は殊に嫌った。
巣に辿り着く。
山峰の一角。
雲の上にある木と土で築かれた自然の御殿。
龍の寝床。
娘は裸足のまま其処へ降り立つ。
龍は食事を始めようと顎を開いた。
龍には知恵があった。
『文字』『言い伝え』など人が行う方法ではない。
龍の一族としての、本能。
生物の根源に刻まれた警告。
その娘は銀色だった。
眼も、髪も、肌も、霧で濡れた睫毛すらも。
毒々しいほどに、銀色だった。
龍は気付く。
嗚呼、この娘は毒に侵されている。
人に感染する、猛毒に。
人間は謀ったのだ。
この銀の娘を使って龍を殺そうとした。
娘も共に死ぬのだから、人間にとってこれほど良きことはない。
暴龍は怒り狂う。
人間は龍の逆鱗に触れてしまった。
この娘を踏み潰し、人間の村を焼き尽くそう。
そう決心した龍の鱗を、銀の娘の手が触れた。
暴龍は驚愕した。
温かいのだ。
毒々しく、冷たく、無機質な銀色をした娘は。
人のような温かさを持っていた。
まだ生きているのだと、そう叫んでいるような気がした。
気付けば龍は真っ直ぐに銀の娘を見つめていた。
銀の娘もまた龍を真っ直ぐと見つめ返す。
龍が先に視線を外す。
何故かは解らない。
この日から龍が暴れることはなくなった。
幾星霜幾星霜。
暴龍と銀の娘。
一尾と一人の奇妙な生活が続いた。
やがて銀の娘の温かさが薄れていく。
龍はただ寄り添った。
銀の娘はそれだけで儚い笑みを浮かべる。
銀の娘から温かさが失くなった。
龍はそれでも寄り添った。
銀の娘はもう動かない。
ある年の冬を越えた頃だろうか。
龍は巨大な顎を開く。
龍は銀の娘の亡骸を齧り、呑む。
地平線の彼方に、暁の空が広がる。
龍は朱く輝く空を見て、一粒。
泪を零す。
龍は瞳を閉じる。
もう、龍が暴れることはない。
もう、龍が人を喰らうことはない。
古き伝承は真と成った。