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結:23時投稿
エピローグ:24時投稿
計約四万字
プロローグ
生まれた瞬間に、僕達は「悪人」の烙印を押された。
遺伝子研究が革命的に進んでいったおよそ百年前、遺伝子の未解明領域の一つが解明された。
それは、「善」と「悪」を決定づける遺伝子領域だった。それ以前は解明どころか存在すら発覚できていなかった領域の一つだ。この分野の研究は百年前から急速に進み、今では常識の一つとなっている。
全ての国民が遺伝子の検査を受けることが義務づけられた。
僕も検査を受けた。「悪」の遺伝子を身に宿している事が発覚した。
「悪」の遺伝子を保有する人は、問答無用で「悪人」の烙印を押され、強制労働場に連行される。
すでに民主主義は死んでいた。
資源枯渇、食料問題、人口増加、内紛、戦争。解決に至る事が出来なかった様々な要因が、かつての民主主義の首を徐々に、そして確実に締めていた。
そんな時に解明されたのが善悪の遺伝子。
それが本格的に社会に用いられるようになり、日本では、強制労働場に贈られる人は総人口の三十パーセントを越えた。
生まれた瞬間に決められた人生‥‥‥。希望を奪われた生‥‥‥。逆らうすべは知ることすらできない。僕らはそんな生き方を強制されている。
対照的に裕福な生活を送れるものは総人口の五パーセントにも満たない。
数字の上では一見いびつでも、飢饉も犯罪も減り、戦争だってなくなった。技術発達も続いている。
「悪人」を社会から排出した結果、世界は安定してしまったのだ。
労働場に送られても、異論を唱える事のできる権利を、僕らは持っていない。
「悪人」の声は「善人」には届かない。
1.
薄暗く湿気が酷い僕の寝床に、先客がいた。
「また来たの? 仕事終わったばかりなんだ。少しは休ませてくれ」
「なによ。せっかくリクのとこに来てあげたっていうのに」
この元気だけが取り柄な女の子の名はニナ。僕の仕事終わりの時間になると、度々こうしていきなり現れる。彼女の仕事は僕よりも簡単で短いらしい。いつも元気なのが、その証だ。
元気なのは良いが、来る時は事前の連絡くらいしてほしい。あと、いい加減合い鍵を返してくれるとありがたいものだ。
十六歳になる僕は遅い成長期が訪れ、強い睡魔に襲われる事が増えていた。
彼女はいつも僕の事情をお構いなしに睡眠時間を奪いにかかってきている。
今日だってそうだ。
同い年だというのに彼女の睡眠量の少なさと活発さは僕とは比べ物にならない。仕事の差かもしれないけれども、羨ましい。‥‥愚痴を言っても意味が無いか。
「それで? 今日は何しに来たの?」
「無愛想な物言いは嫌いよ。言い直して」
傍若無人め。
「わざわざ僕の所まで来てくれたんだね。ありがとう。何か大事なようがあるのかな?」
決まってこう言わないと、彼女の不機嫌は治らない。不機嫌の理由は、どうせ仕事のストレスだろう。
よろしい、と彼女は決まって言う。今日もだ。
お互いに付き合いが長いからか、相手への反応が雑になった気もするが、もう少し僕に気を使ってほしい。
「ご飯は食べた? どうせまた食べてないんだろ? 簡単なものだけど、今から作るから‥‥‥、ニナ?」
いつものように声をかけた僕だが、ニナの表情はいつもと違った。
とても真剣で、どこか戸惑っているような複雑な表情を浮かべている。
「‥‥‥耳貸して」彼女は真剣な顔をして手招きをした。
「なに?」
僕が尋ねると、彼女は赤くなっていく僕の耳の傍でそっと囁いた。
「ここから脱獄するわ」
ニナの言葉が頭の中で繰り返される。
五回くらい繰り返された後になって、ようやくその意味を理解した。
「危ない冗談いう、な‥‥よ」
ニナが放つ空気に、力が奪われていく。
彼女は今までで一番真剣な表情をしている。冗談ではない、それが分かる表情だ。
「‥‥‥ほんき、なの?」
「うん」
「むりだよ」
「大丈夫よ」
「むりだ」
「方法は見つけたわ。段取りも任せて。全て上手くいく」
「‥‥‥」
「だからリクも一緒に来て」
「‥‥‥」
答えられない。ニナを信じきれない。
この労働場や寮には監視カメラが多く、あちこちで僕らの行動は見られている。この区画への出入りも、監視カメラを掻い潜る他にも、認可パスポートを携帯の上、監査官のボディーチェックもある。
さらに僕らが強制的に身につけさせられている首輪は、外れないようになっており、非常時に発信機となる機能と、毒針が備え付けられている。奇妙な素振りをしたら、すぐに捕まってしまう。
未だここから逃げだす事の出来た人は皆無だと聞かされている。
それをニナは大丈夫だという。僕には彼女の考えが分からない。
もしかしたら本当に何か秘策があるのかもしれない。彼女は豪胆で破天荒だが、同時にリアリストだ。勝負時を見極める彼女の嗅覚には、多くの人が一目置いている。
そう考えると、もしかしたら、という希望が僕の中に湧き出してくる。
僕だってこんなゴミ溜めのような場所からは出て行きたい。生まれた瞬間から、人生を決められ、夢も希望もなく淡々とこなす日々はもう嫌だ。
僕はゴミのまま一生を終わりたくない。
外に出たい。僕も光に当たりたい。まだ見ぬ光を、僕にも――――。
だが、
「逃げだせたとして、僕らは市民IDを持っていない。外では生きていけないよ。無茶な考えはやめよう」
口からこぼれたのは、結局頭にこびりつく否定的な言葉だった。
理性と本能が食い違っている。
‥‥‥仕方がないことだ。
だって僕は『保身型』の悪の遺伝子を保有しているのだから。
自分の身を守ることが何よりも優先させてしまう。そのためならどんな手を使う。家族だろうか友人だろうが愛した人だろうが、自分を守るために彼らを裏切ることへの容赦は無い。そんな遺伝子の持ち主だ。
例えこんなゴミ溜めでも、脱獄のリスクを考えると、此処の方がまだ良いと本能が言っている。
僕は僕が嫌いだ。
好きな子を信じられない自分が、嫌いだ。
「大丈夫よ」
ニナの声には光が灯っていた。きっと彼女には色鮮やかな未来が見えているのだろう。
「私とあなたなら大丈夫。急な話だから、リクが戸惑うのは分かっていた。けど、時間が無いの。結構は明日の夜。詳しく説明する余裕が無いわ」
詳しく説明してくれよ。そう思ってはいるけど、ニナの自信に溢れる声に、僕の緊張はほぐされていた。
しかし、それでも僕は首を縦にも横にも振る事が出来なかった。
ニナは立ちあがった。
「時間よ。寮に戻らなくちゃ。今日はまだ怪しまれるわけにはいかないもの」
時計を見た。日も沈み、部屋に戻っていなければならない時間が迫っていた。
あまりにも突飛な話のせいで、時間感覚が狂っていたようだ。
「明日も同じ時間に来るわ。もし私と一緒に来てくれるというなら、部屋のカギを開けておいて」
「え‥‥‥」
彼女はそう言って僕に、僕の部屋の合い鍵を返した。
「じゃあね」
僕は彼女の背中を見ることしかできなかった。
彼女の背中は、いつもより小さく見えた。
掌の中には、ひんやりと冷たい鍵が一つ。
こんな形で返してほしくは無かった。