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短編集

ゆうやけいろ

作者: 岩月クロ

 この女はどうしようもない馬鹿だ。

 妻子がいることを伏せて付き合っていた男のことで、ひたすらに泣き喚く女を見ながら、俺は頬杖をつく。だから止めておけと言ったのに。本当に昔から危なっかしくて仕方がない。実際、危ない。

 幼稚園からずっと一緒の幼馴染であるこの女とは、家が隣同士、かつ互いの両親が仲が良いということもあり、割と近い距離感で育った。

 まるで兄妹のようだとも思うし、実際この阿呆は、そう思っているのではなかろうか。まあ、口にすれば「私の方がお姉さんでしょう!」ときいきい喚くのだろうが。


 本当、面倒な女。


「もう恋なんてしないー」

「はあ」

「嘘だよ、馬鹿あ。私だってね、私だってねえ、幸せになりたいんだってばあ」

「そうかよ」


 ならあんな男、さっさと忘れちまえ。

 溜め息を隠さず漏らし、俺は首を傾ぐ。

 自室に入ることは許されるのに、手を伸ばすことはできない。


「なら──」


 俺の手を掴めばいい。そうしたら、引っ張り上げてやるよ。


「なら?」

 なによ、と幼馴染が突っ伏した顔をひっそりと上げて、俺を見上げる。喉に仕込んでいた言葉を飲み込んだ。

「──さっさと立ち直れ、ばーか」

 強がりな女には不要な言葉を、あえて投げ掛ける。いきり立つ彼女に背を向け、俺はひらひら手を振った。

 ああ、やってらんない。


 他人を想って泣くなら、俺を見ろよ。

 なんて。


 口が裂けても言える訳がない。



 多分。今がチャンスな気がしている。

 いつだって差し出したつもりの手をスルーしてきた幼馴染は、例えば今、手を伸ばして、その傷を癒すように動いたら、こちらになだれ込んでくる気がした。強引に心を縛れば、きっと。

 でもそれじゃあ、意味が無いのだ。

 心にぽっかり空いた穴を仮詰めしただけの状態で、放置するようなもんだから。

 それじゃあ意味が無い。


 きっと、幸せだろう。それでも。俺は。あるいは、彼女も。

 ならいいじゃないかと、囁く声がする。それを掻き消すように、頭を振る。


 (こら)えるのだけは、慣れた。良くも悪くも。

 はー、と長く息を吐き、固めた拳を壁に押し当てる。

「……何やってんだか、俺」

 壁に身体を預けながら、呟く。

「俺だって幸せになりたいっつの」

 遠いなあ、と零す。遠いわ。あの馬鹿女。



 こっちは四大。あっちは短大。二年早く社会に飛び込んだ女は、一年目の苦悩を自力で乗り切り、二年目、折り畳んだ翼を広げるように、世界を広げようとしていた。

 それだけのことに、置いていかれている気分になるのは、何故か。

 地元企業に就職が決まり、来年からは自分も同じ立ち位置になるのに、違うように感じてしまうのは、何故か。


 頭のどこかで、仕方ないことだと理解している。俺も彼女も生きていて、自分の人生を歩んでいる。その中で選び取ることは違うし、生きる場所は変わって行く。

 分かっては、いる。いるが、もどかしいのは変わらない。そもそも、その距離を詰める努力すらしていないというのに。馬鹿か、俺は。


 もはや通い慣れた他人の家を出る。数歩進めば、足に落ち葉が絡み付いた。

 滑る葉に取られ、転んだ幼い少女がふと浮かぶ。ああ、そろそろ落ち葉を片さなければ。ついでに芋でも焼くか。

 髪を乱暴に掻き上げながら、隣の家──つまりは自宅の門へ手を掛けた。



 倉庫の奥へ仕舞い込んでいたドラム缶を引っ張り出し、火をおこす。父がその傍らで、やれバケツに水を入れて準備をしたり、さつまいもをアルミホイルで巻いたりしている──おい、芋はまだ早いぞ──。

 パチパチと落ち葉が弾ける音がする。しばらくぼんやりと火を見つめていたら、やけに気合いのこもった目をした幼馴染がやってきた。手には紙束。


「なにそれ」

「彼との思い出と、私の想い」


 聞けば、わざわざメールやら写真をプリントアウトして持ってきたらしい。よくやる。

 そういえば、燃やしたいもんがあれば持って来いと声を掛けたな、とやに熱心に紙を投げ込んでいる女の背中を見る。

 そんなに燃やしたかったか、それ。


 微かに口元を緩める。

「変わんねぇなぁ」

 幼い頃の彼女は、俺にも、親にも、何も見せずに、ただ焚き火の日に大量の紙を手にやって来た。そうして、真剣な顔で焚くのだ。

 彼女なりの、決別の儀式。一人だけで乗り越えてきた、証明。

 いい加減頼れよ、という言葉を飲み込む。


 手を伸ばせば、届く気がするのに。


「なに?」

「……落ち葉、くっ付いてた」


 結局、触れずに下がる。


 ──なあ。

 その傷は、いつ癒える。

 俺はいつなら触れていいんだ。



 結局、いつも通り自力で乗り越えた彼女は、家から少し離れたバドミントンクラブ──ここで(くだん)の男と出逢ったらしい──から、近所のおばさん・おじさん連中が中心で開催しているバドミントンクラブ──クラブとか名乗っているが、あんなん集会で十分だろ──に移籍したようだ。

 笑顔が増えた彼女に安堵する反面、彼女はまた別の誰かに恋をするのだろう、と心が沈んだ。幸せになるために、彼女はいつだって真摯に動く。


「あれ、なんでここにいんの」

「……掃除」

「あんたほんと、見た目によらずマメよね」

「うっせ、ほっとけ」


 竹箒の毛先を、たまたま通り掛かった幼馴染に向けると、ちょっとやめてよ、と非難が返ってきた。

 こっちの気も知らない癖に。言っていないから、仕方ないとはいえ、いい加減、少しくらい気付いたって良いのではないか。


 むかむかしてきた俺と、歯を剥いている彼女の(わき)を、小さな子供の群れが駆け抜けていった。

「ブランコ乗ろ、ブランコ!」

「えー、あたしシーソーがいいー」

 各々が自由奔放に駆けていく。

 転ぶなよ、と声を掛ける前に、一人の少女がべちんと転んだ。あーあ、言わんこっちゃない。仕方なく足を踏み出す。その服の裾を引っ張り、幼馴染が俺を止める。なんだ、と肩越しに振り向けば、「ほら見て」とにんまり笑う顔と鉢合わせる。

 ……思い掛けず近い距離に動揺しているのは、こちらだけか。


 イラッとしながら顔を元の位置に戻すと、「なにしてんだよー」と呆れた口調で、けれど最大限の心配をしている顔で、手を伸ばす少年がいた。ああ、確かにあれは邪魔できない。

 まるで昔の自分を見ているようだから。

「あんたみたい」

「うるせー」

 同じことを思っていたことに心を揺さぶれながら、照れ隠しに片手で口元を隠す。

「つか、それなら転んでんのは、お前だな」

 そんなことない! と反論されてなあなあになる予定だったのに、「ああ、っぽいね」と穏やかに笑われて、困る。おい、お前完全に復活してんじゃねぇのかよ。


「今だってそう」

「はあ」

「転ぶばっかだよ、ほんと。でも私には頼もしい幼馴染くんがいるからな」

「……そうかよ」


 ふいっと顔を背ければ、照れてやんのー、と揶揄(やゆ)される。ほんと、こっちの気も知らないで。能天気に安心しきった顔を、俺に向けてんじゃねぇよ。

 馬鹿女は俺の隣に並んで、ふふ、と笑う。


「でもねー、ほんとだよ。本気。……転んでも最終的に引っ張り上げてくれる人がいるって、すごくパワー貰えるんだよ」


 ──だから私が辛いことがあっても、もう一回立ち上がれるのは、あんたのお陰だよ。


「……そーいうこと、よく言えんな」

「言える時に言っとかないとね」


 彼女が一歩、二歩と前に歩いていく。

 離れていく。


 ──立ち上がれるのは、あんたのお陰だよ。

 でもお前、最終的には俺の手を借りずに、立ち上がっちまうだろうが。俺のお陰だって言うのなら、もっと崩れてしまえばいい。泣けばいい。喚けばいい。痛いと言えば良い。

 そうしたら、いつだって助ける準備はできているのに。傷が癒える、その前にだって。


 でもお前、それじゃあ嫌なんだろう。

 数歩離れた場所にある背中を見る。


 なあ、いつなら俺は、



 微かに傾いた顔が、夕焼けに照らされている。その顔は、泣いているように見えた。



「わっ、何、急に!」

 掴んだ腕の細さに揺らぐ。長い期間、彼女は俺のところまで落ちてこなかったから。こんな細さは知らなくて。無意識に必要以上に強く握っていたのだろう、顔を歪めた幼馴染に気付き、慌てて力を緩める。

「……何があった」

 途端に動揺が走った彼女に、ああなんだ全然癒えてなんていないじゃないか、と気付く。

 ぱくぱくと口を開閉させ、言いたくないのに抱えきれずに。追い詰められたままだ。やがて耐え切れないと言うようにくしゃりと顔を歪めた彼女は、か細く泣いた。

「さっき……会って。たまたま、外で」

 主語がないソレが、どういうことかなんて、すぐに想像がついた。頭に血が上るのを、(こら)える。そうだ、耐えるのは、慣れている。

「何かされたか。言われた?」

「何も。……何も無かった」


 すれ違っただけ。ただそれだけ。目も合わないまま。ただ、それだけ。



 それだけ。だけど。



「でもお前は、辛かったんだろう」

 無言。潤んだ瞳が、低い位置から俺を見る。真っ直ぐに。

 大丈夫だよ、と訴えている。大丈夫じゃあない、と叫んでいる。矛盾した気持ちを抱える不器用な生き物が、目の前で泣いている。


 そこにつけ込むのは、駄目だ。

 そう決めていたのに持っていかれる。


 だって仕方ない。そうだろう。

 今、たすけろ、と彼女は俺に言っている。

 唇を噛み締めて、これ以上の弱音は吐いて堪るかと、知らぬ誰かを睨みながら。不器用なSOSを出している。

 無邪気な子供の声が遠退く。


「────」


 唇は、冷たかった。先の出来事で、血の気が引いていたのか。それとも、俺の所為か。


「なっ、なっ……な、」

 見るからに混乱している彼女に、にやりとした笑みを向ける。

「そうやって驚いてれば良い」

 辛くて顔を歪め、押し殺したように泣くのなら。そんな男は忘れて、俺を見ていれば良い。俺を気にして、いっぱいいっぱいになって、余計なことは押し出してしまえば良い。

 口が裂けても、そんなこと、ストレートになんて言えないけれど。


 俺はこれまで、だいぶ我慢した。

 気付かなかったお前が悪い、と責任をなすり付けたって、いいだろう、もう。


 大きく目を見開く彼女の腕を掴んだまま、竹箒を逆の肩に担ぎ、歩き始める。夕暮れ空が広がっている。もうすぐ夜が来るだろう。その前に帰ろう。


 息を吸った。冷たい空気が、肺いっぱいに広がる。



「だいぶ長く一緒にいたような気がしてたけど、今日初めてわかった」

 何よ、とぼそぼそと聞こえた声に、くつくつと笑う。声が出せる程度に回復している癖に、大人しく手を引かれていることは、少しは期待しても構わないか。



「お前ってさ、思ってた以上に強がりだな」



 落ちて来い、と手を広げたって、落ちてこれないくらいには、強がりで、不器用で、──愛おしいから。

 仕方ないから、俺が折れて、手を伸ばしてやるしかないじゃないか。



 そんなことない、と叫ぶ彼女に、そうか、とだけ返す。それでもいいよ、と囁いた。

 強がっていても良いよ。

 俺が手を伸ばすから。引っ張って歩くから。




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幼馴染の女の子サイドのお話『やきいもいろ
彼女が“前を向く”までのお話。
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