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魔砲世界の絶対剣士  作者: 藤崎悠貴
第一章
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第一章 その2

  2


 前方以外はなにも変わらない。

 左右はブロック塀で、右斜後ろには電柱があり、ふたりの後ろから夕焼けがまぶしく迫っている。

 そうした町の風景のなかで、目の前だけが黒く切り取られ、漆黒が口を開けている。


「――なに、これ?」


 玲亜が目をこすり、一歩前に踏み出そうとするのを、桐也が手で制した。


 なにかが見える。

 漆黒のなかから、なにかが出てくる。


 だれかの手である。

 白い手が、粘性を持つ暗闇を振り払うようにしてぬるりと現れた。


 桐也は反射的に背負った竹刀ケースを身体の前に持ち替えていた。

 現れた白い手は暗闇から産み落とされるようにすこしずつ見える範囲が広がっていく――指先、手のひら、手首。


 男の手。

 武道をしている人間の手ではないと桐也は思う。

 しかしなにか、不気味な剣呑さを秘めている――そう思ったとき、暗闇からぬっと突き出した右手の指先がなにかを掴むように動いた。


 手の甲に筋が立つ。

 まるで固形の空気をつかみ出したように、指先が力が入っているのがわかる。


「――玲亜、下がれ!」


 叫んだのはほとんど反射的なものだった。

 空間を掴んでいた男の手のなかに、手品のように炎の塊が現れている。

 こぶし大の炎、男はそれをなにもない空間からつかみ出し、手を開いたと思えば、炎がごうと音を立てて桐也に向かって飛んだ。


「――っ」


 竹刀ケースで防ぐ。というより、たまたま竹刀ケースに当たったような、反応もできない一瞬の出来事だった。


 炎は竹刀ケースに当たった瞬間、ばっと何十倍にも広がった。

 肌を焼く熱さ。

 幻ではない。

 竹刀ケースが一瞬で溶け落ちる。

 桐也はケースを捨て、そのなかに入っていた竹刀だけを拾い上げた。


 正眼に構える。

 漆黒の空間から現れた手は、いまや肘の近くまで見えるようになっている。


 ――なんだ、これは?

 桐也は自分の鼓動が普段の何倍も強く、早く脈打っていることを自覚する。

 手のひらにはじっとりと汗をかいている――なんだ、これは。


 状況はなにもわからない。

 ただ、これが現実の危機であることだけは、わかる。


 気を抜けばやられる。

 命が脅かされる危機感に全身が緊張する。


 いままで何度も経験してきた試合とはまったくちがう感覚。

 これは、試合ではなかった。

 未知の敵との、命の取り合いである。


 相手がくるりと手首を回した。

 先ほどはたったひとつだった炎の塊が、今度はその手首の周囲に十ほども浮かぶ。


 桐也は呼吸を止めた。

 無数の炎が空間に尾を引いて飛びかかってくる。


「はあっ――!」


 正面から飛んできた炎を竹刀で叩き落とす。

 しかしそれは失敗だった。

 炎は実体を持っていない。

 竹刀はぶんと音を立てて炎をすり抜け、炎は一瞬ふたつに分断されたが、またひとつになって桐也の身体に引火した。


「お兄ちゃん!」

「くそっ――」


 息を吸えば肺が焼ける。

 桐也は息を止めたまま燃える上着を捨て、空中を飛び回るほかの炎をにらんだ。


 右からひとつ。

 竹刀を、先ほどよりも強く、早く振り抜く。

 ごう、と風が鳴り、その風圧で炎が消えた。


 構え直すひまもなく真上と左から。

 後ろへ飛び退く。

 アスファルトを転がり、炎を正面に捉えて一閃。

 厚みがない真剣なら風圧で炎を消すなどできなかっただろう。

 桐也は黒く焦げた竹刀を軽く振り、舌打ちを洩らした。


 漆黒から突き出された手のまわりには、まだ無数の炎が廻っている。

 そしてその手は、いまや二の腕まで現れ、人間の輪郭のようなものがおぼろげに浮かび上がろうとしていた。


「――見つけたぞ」


 低い男の声が響いた。

 同時にいままで見えていなかったもう一方の手がぬっと現れる。


 片手には炎を、もう片方には鋭く尖らせた無数の氷をまとわせて、男はゆっくりと暗闇から生まれ落ちる。

 桐也は背中に玲亜をかばい、男と相対した。


 古ぼけたスリーピースのスーツを着た男だった。

 袖をまくり、青白い腕を見せ、アスファルトに降り立つ。


 乱れた長い髪の下から男の瞳が爛々と狂気に輝いている。

 桐也は相手がひとりの人間だと認識しても、未知の化け物と対峙するような薄気味悪い緊張感を拭うことができなかった。


 あの炎や氷は、いったいなんだ?

 男は手にはなにも持っていない。

 なにも持っていない手から、炎や氷を無限に作り出せるのだ――まるで、魔法のように。


「なんだ、おまえは」


 桐也は腹に力を込めて言った。

 男は口元だけで嗤った。


「殺しはしない。おとなしくついてこい」

「なんだよ、おまえ――何者だ?」

「魔砲師、ユーキリス。大魔砲師サルバドールの意思を継ぐ者」

「なに言ってんのかわかんねえよ――なんの力だか知らねえが、おれが全部叩き斬ってやる」

「ほう。魔砲も使えぬ小僧が、やってみるか」


 炎が襲ってくる。

 正面、左右、同時に三つ。

 桐也は逃げるのではなく、前へ飛んだ。


 正面の炎を、まずは縦の一閃。

 左右からの炎はひとつに合体し、さらに巨大な業火となって周囲の空気を焼き上げながら桐也へ突っ込む。


 竹刀の一閃で断つのは不可能な、巨大な炎だった。

 桐也は業火には構わず、そのまま男との距離を詰める。


 いくら飛び道具を叩き落としても意味はない。

 本人に近づき、接近戦で決めれば――と考えたが、男はもう片方の腕を突き出した。


「炎だけではない。氷も、風も――自然のすべてがおまえの敵だ」

「な――っ」


 突き出した男の手のひらからすさまじい暴風が生み出される。

 桐也の身体はまるで枯れ葉のように飛ばされ、受け身を取って立ち上がった瞬間、ひとつひとつが刃物のように尖った氷が、数えきれないほどの礫になって弾丸じみた速度で飛び交った。


「ぐっ――」

「お兄ちゃん!」


 竹刀を縦にし、身体を縮めて致命傷は免れた。

 代わりに無数の切り傷が桐也の身体に刻まれ、そこからじわりと血が湧いてくる。


 桐也は男をにらんだ。

 憎しみではなく、敵意だけを込めて。


 ほう、と男は感心したように息をつき、ならば、と両の手のひらを重ね合わせる。


「もうひとつ、おもしろいものを見せてやろう」


 合わせた手のひらをゆっくりと離せば、そこから濡れたような禍々しい光を放つ一本の西洋剣が現れた。

 いや、一本ではない。

 気づけば、男の周囲、まるで後光が差すように、無数の剣が空中に浮かんでいる。


「ふん、ただの手品で――」

「判断が甘いな、小僧。空を見てみろ」


 相手の言葉に乗るのは危険にちがいなかったが、桐也の視線はまるで誘われるように頭上へ向けられた。

 ――ぞくり、と背筋がふるえた。


 空が輝いている。

 気の早い星々のように、あるいは無数の雨粒のように、夕焼けを反射し、空がきらきらと輝いている。


「まさか――」


 あのきらめきひとつひとつが、武器なのではないか。


「殺しはしない」


 男はしずかに言った。


「小僧、おまえは、殺しはしない。しかし後ろの小娘はどうかな。殺す理由はないが、殺さぬ理由もまた、ない――一億の剣に打たれて、死なねばよいな」


 他人事のような男の言葉に殺意はなかった。

 それが、異様に禍々しい響きを帯びていた。


 桐也は腰が抜けたように座り込む玲亜の腕を掴んだ。

 逃げるしかない。

 本能と理性がともに結論している。


 こいつには、勝てない。


「どこへ逃げる、小僧。逃げる場所などない。私はおまえをどこまでも追いかける。私の武器もまた、おまえを追いかけ続ける――そしてまわりの人間から犠牲になっていくのだ」

「玲亜、走れるか。逃げるぞ」

「逃げるって、どこに――」

「どこへでもだ!」


 空が鳴いていた。

 無数の剣が落下をはじめたのだ。

 本当にそれが一億もの剣なら、どこにも逃げる場所はない――走るよりも早く、貫かれて終わるだろう。


「玲亜、泣くな! おれが絶対に助ける。いいか、おれが合図したら、まっすぐ正面に走れ」

「お兄ちゃんは――」

「おれもすぐに追う。こんなわけのわからんところで死んでたまるか――行け、玲亜!」


 腕を離す。

 一瞬の間が、玲亜の涙に濡れた名残の視線があって、玲亜はかけ出した。


 男に向かい、まっすぐに走る。

 同時に桐也も男に向かっている。


 剣術も剣技もない。

 ただ竹刀片手に、走っていく。

 鍛錬がなんだ、心技体がなんだ――最後に残るのは死にたくない、死なせたくないという意思ひとつだ。


「行け、玲亜! そこに飛び込め!」


 桐也は男の注意を引くために隙だらけの大振りで竹刀をふるった。

 男の剣がやすやすとそれを防ぐ。

 そのあいだに、玲亜は男が出てきた暗闇に向かい、飛び込んでいた――逃げられる場所があるとすれば、こことはちがう空間に通じているかもしれないそのなかだけだった。


 桐也の考えたとおり、玲亜の姿は漆黒の向こうに消え、見えなくなった。

 よし、これで――と安堵した瞬間、胸に焼けるような痛みが走った。


「殺さぬとは言ったが――」


 男は無感動に桐也を見ていた――その胸から、ぬっと剣を生やした桐也を。


「傷つけぬとは言っていない。生きていれば、それでいい」

「あ――かっ――」


 過去に経験したことがない痛みだった。

 一瞬、その痛みを認識することができず、神経の伝達に意識が追いついた瞬間、全身を生きたまま焼かれるような、息もできない熱い痛みが駆け抜けた。


 胸が裂ける。

 意識が焼かれる。

 目の裏側で火花が散っていた。


 膝から崩れる。

 それでも意識はかろうじてあった。

 玲亜――すぐに追うと約束した。

 桐也は胸を剣に貫かれたまま、アスファルトを這うように漆黒の空間に近づいていった。


 男はいつでもその動きを止めることができたが、なにもしなかった。

 ただ桐也の生への執着、その本能的な動きに驚いたようにじっと見下ろしているばかりだった。


 空からは剣が降ってくる。

 桐也は空が恐ろしい輝きを放っているのを見た。

 全身の力が抜ける――ここで倒れれば昆虫の標本のように串刺しだな、とどこか他人事のように思いながら、倒れ込んだ。


 そこはかろうじて漆黒の空間のなかだった。

 倒れたつもりだったが、いつまでも身体がアスファルトにつかない――無限に深い空間を落下し続ける感覚。

 桐也はその感覚をじっくり味わうひまもなく、意識を手放した。


 一方、ひとり住宅街の路地に残った男は軽く空を見上げた。

 すでに無数の剣は地上数十メートルのところまで落下している。

 そのまま降り注げば、この街も無傷では済むまい――男はこのような町にはなんら思い入れはなかったが、取り立てて壊す理由もないとばかりに、ぱちんと指を鳴らした。

 瞬間、空で輝いていた無数の剣がぱっと一斉に消滅する。

 男はなにもなくなった空を見上げ、それからちいさく笑って、自らも漆黒の空間へ戻っていった。


 男の姿が漆黒に消えれば、その漆黒自体が急激に収縮し、ちいさな黒点となって、音もなく消え去った。

 あとにはただ、普段となにも変わらない、夕暮れの町並みだけが残っていた。



  *



「――ここ、どこ?」


 玲亜はひとり、立ちすくんでいた。


 変な男に襲われ、まっ暗な空間のなかへ飛び込んだところまでは玲亜も覚えていた。

 その空間のなかは広いような狭いような、落ちているような昇っているような、上下左右の感覚もないふしぎな空間で、知らないうちに意識を失っていたらしい。


 どれほどの時間意識を失っていたのかはわからないが、玲亜はふと意識を取り戻した――そしてあたりを見回し、呟いたのが、その言葉だった。

 暗闇に飛び込み、もとの路地に現れると思っていたわけではないが――この風景はまったく予想外で、意識が混乱する。


 玲亜の周囲にあるのは、見たこともないどこかの町の、どこかの広場の風景だった。


 広々とした空間で、目の前には地上二、三十メートルはありそうな、巨大な噴水のモニュメントがある。

 足元は石畳で、空は夕暮れ――時間以外はなにもかもがちがう、ふしぎな空間である。


 玲亜はしばらくぼんやりとその様子を眺めていたが、ふと桐也のことを思い出した。

 お兄ちゃん、と呼びかけたところで、後ろでどさりと物音が聞こえた――振り返れば、受け身もまったくとれていない、地べたに捨てられた操り人形のような格好の桐也だった。


「お兄ちゃん! ちょっと、だいじょう――」


 言いきる前。

 どん、と背筋がびくりとふるえるような轟音が玲亜の全身を打っていた。


「な、なに!?」


 音は後ろから聞こえた――花火のような爆発音で、実際、モニュメントの前に煙が上がっている。

 ――まだ危機は、去ってはいないのか。

 緊張する玲亜の腕のなかで、桐也がほんのかすかに身体を揺らした。

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