子ぎつねの恩返し!?
剣斗が気がついた時、そこは見慣れた風景だった。兵舎の自室だ。何だ、夢だったのか?と思った瞬間、体中が激しい痛みに襲われた。胸や腹、腕や脚を見てみると、どこもかしこも包帯でグルグル巻きにされ、治療された跡が見受けられた。やはりあのリンチ劇は実際にあったことだった。冷静に思い出してみれば当たり前といえば当たり前なんだが。この部屋まで自分を運んでくれたのはきっと同僚の誰かだろう。訓練場から兵舎までは一本道だからだ。それで自分が意識を失っていた間に医者が治療してくれたに違いない。それにしても痛いし苦しいし悔しい日だった。十五年間生きて来てこんなに屈辱的な目に合わされたのは初めてだった。「クソッ、アイツら絶対に仕返ししてやる」
剣斗は自然と少年らしい意気込みを口にしていた。そこへ誰かが部屋に入って来た。
「おっ、もう起きて大丈夫なのか?随分派手にやられたな」
先輩兵士の渡だ。普段から何かと剣斗の事を気にかけてくれる、気の良いお人だ。渡先輩が助けてくれたのか。
「先輩。面倒かけてすんません」
「何言ってんだ。仲間だろ。当然だろ」
渡はハハッとちょっと照れくさそうに笑った。
「ところで、どこのどいつにそんなにこっぴどくやられたんだ。なんなら俺が仕返ししてやるよ」剣斗は目を伏せた。
「渡先輩にも無理だよ。相手は悪ガキ6人組だったんだけど、その中に右大臣の田狭朝臣さまの息子がいて、恐らくコイツが頭だから」
「げげっ、右大臣の息子!?そいつはまた随分と厄介なやつらと関わっちまったな。ところで何でその右大臣の息子軍団と喧嘩沙汰になったんだ。向こうから絡んで来たのか?お前は自分から喧嘩をふっかけるヤツじゃぁないだろ」
「それが…その…」剣斗は罠に掛かった子ぎつねを助けるために悪ガキどもと争いになりリンチされた事を話した。それを聞いた渡は妙に真剣な顔つきになった。
「なるほどな…。奇妙なことがあるものだな…」
「渡先輩?どうかした?」
渡はポツリポツリと話出した。
「いや、実はな。傷だらけのお前を見つけたのは、その子ぎつねのお陰なんだ」
「どういう事?」 「それがな。俺がまだ宮廷で警備の仕事をしていると、珍しく子供の狐が姿を見せてな。俺はコイツはいい、今日の晩飯は狐鍋だと思い捕まえようとしたんだけど逃げられてな。しょうがないからまた警備の仕事をしているとそこにまた先の子ぎつねが現れてな。後ろ脚に布切れが結んであったので同じ狐だと分かったんだがな。今度こそ捕まえようとしたらまた逃げられて、諦めていたらまた現れてな。それがどうも妙な気がしてな。狐が頭をクイックイッて合図するんだ。狐はかなり頭が良いと言うから、これは何かあると思って狐に近づくと狐がトトトと小走りに歩き出す。俺が付いていくと、時折俺が付いて来ているか振り返る事までしてな。んで兵舎への道半ば辺りで全身痣だらけで口から血を流し倒れているお前を見つけたって訳だ」
あの子ぎつねが…。渡は話を続ける。
「で、その子ぎつねは俺がお前をおぶって兵舎まで運ぶのを見届けるとサッときびすを返して元来た道を帰っていったって訳だ。な、不思議だろ。念のためだが、これ作り話じゃないぜ」
あの子ぎつねの恩返しか…。剣斗はしばらく呆然となった。
「それにしてもお前、意外に頑丈なんだな。それだけやられたのにどこの骨も折れてないらしい。エンヤ婆が驚いてたぞ。ほれ煎じ薬。これ飲んで休んでれば20日もすれば全快するってよ。良かったな」 エンヤ婆とはこの兵舎付きの医者である。少々気難し屋で口やかましいが、名医として名が通っている。その名医が言うのだから大丈夫なのだろう。いりこを毎日たらふく食っていてよかった。ただ単に貧しくていりこ辺りで腹を満たしているだけなんだが。しかし、狐とはそんなにも賢いものかと剣斗は少年なりに不思議に思いつつ、渡から渡された煎じ薬をズズズッとすすった。口の中の傷にしみて大層痛かった。痛むたびに憎きアイツらのにやけた顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え。この怒りは容易くは消えそうに無かった。